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わが町(わがまち)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-29 10:20:47 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

第三章 昭和


     1

 十年が経った。
 君枝は二十歳、女の器量は子供の時には判らぬものだといわれるくらいの器量よしになっていた。
 マニラへ行く前から黒かったという他吉の孫娘とは思えぬほど色も白く、
「あれで手に霜焼けひび赤ぎれさえ無かったら申し分ないのやが……」
 と言われ、なお愛嬌もよく、下足番をして貰うよりは番台に坐ってほしいと日の丸湯の亭主が言いだしたので、他吉はなにか狼狽して、折角だがと暇をとらせた。
 そうして、寺田町のナミオ商会という電話機消毒婦の派出会へ雇われてみると、日の丸湯で貰っていた給料がどんなに尠なかったかがはじめて判った。
 あれほど銭勘定のやかましかった他吉が、ついぞこれまでそのことを口にしなかったのは、まるで嘘のようであったが、君枝もまた余程うかつで、ただ他吉のいいなりに、只同然の給料で十年黙々と下足番をして来たのだった。
 つまりは、ベンゲット道路の工事は日給の一ペソ二十五セントだけを考えていては、到底やりとげる事は出来なかったという他吉の口癖が、いつか君枝の皮膚にしみついていたのだろうか。
 ベンゲットで砂を噛み、血を吐くくらいの苦しみを苦しんだ、どんな辛さにもへこたれなかった、そして最後まで工事をやり遂げたという想いだけが、他吉の胸にぶら下るただひとつの勲章だと、君枝にもわかっていた。
「文句を言わずに、ただもうせえだい働いたら良えのや。人間は働くために生れて来たのや。らく[#「らく」に傍点]をしよ思たらあかんぜ」
 この日頃の他吉の言葉は、だから、理屈ではなかっただけに、一そう君枝の腑に落ちていたのだった。
 無智な他吉は、理屈がうまく言えず、ただもう蝸牛(かたつむり)の触角のように本能的な智慧を動かして、君枝を育てて来たのだが、それで、それなりに、君枝は一筋の道を歩かされて来たとでもいうべきだろうか。
 それにしても、たしかに日の丸湯の給料はやすかった。
 ナミオ商会では、見習期間の給料が手弁当の二十五円で、二月経つと三十円であった。なお、年二回の昇給のほかに賞与もあり、さらに主任の話によれば、
「なんし、広い大阪やさかい、電話をもってながら、申込んでさえ置けば、ちゃんと消毒婦を派遣してくれるちゅううちのような便利なもんのあるのを、知らん家がある。そういう家へはいって、契約の勧誘をどしどし取ってくれれば、成績によっては、特別手当もだすさかいな、気張って契約とっとくなはれや」
 十年前といまでは金の値打ちがちがうとはいえ、しかし、尋常を出ただけにしては、随分良い待遇だと君枝はびっくりしたが、その代り下足番の時とちがって、仕事はらくではなかった。
 朝八時にいったん商会へ顔を出して、その日の訪問表と消毒液をうけとる。
 それから電話機の掃除に廻るのだが、集金のほかに、電話のありそうな家をにらんではいって、月一円五十銭で三回の掃除と消毒液の補充をすることになっている。なんでもないもののようだが、電話機ほど不潔になりやすいものはないと呑み込ませて、契約もとらねばならず、「おいでやす」と「まいどおおけに」だけでこと足りた下足番に比べて、気苦労が大変だった。
 年頃ゆえの恥かしさは勿論だが、それに彼女は美貌だった。
 消毒を済ませ、しるしの認印をもらって、消毒機をこそこそ風呂敷包みのなかにしまって出て行く時、
「おやかまっさんでした」
 という声の出ないほど、顔から火を吹きだし、腹の立つこともあった。
 おまけに、大阪の端から端まで、下駄というものはこんなにちびるものかと呆れるくらい、一日じゅうせかせかと歩きまわるので、からだがくたくたに疲れるのだ。
 北浜の株屋を後場が引けてから一軒々々まわって、おびただしい数の電話を消毒したあとなど、手がしびれた。
「ああ、辛度(しんど)オ」
 思わず溜息が出て、日傘をついて、ふと片影の道に佇む、――しかし、そんな時、君枝をはげますのは、
「人間はからだを責めて働かな嘘や」
 という例の他吉の言葉、いや、げんに偶然町で出会う他吉の姿であった。
 一時はうどんの玉を売り歩いていたが、朋輩のすぐいちの増造[#「すぐいちの増造」に傍点]に貸した金の抵当(かた)にとってあった人力車が流れ込んで来たので、他吉は再びそれをひいて出た。が、間もなく円タクの流行だ。圧されて商売にならず、町医院に雇われたがれいの変な上着を脱ごうとしないのがけしからぬとすぐ暇をだされて、百貨店の雑役夫もしてみた。
 ところが、今日この頃は、ガソリンの統制で、人力車を利用する客もふえて来たのを倖い、
「世の中てほんまにうまいことしたアる」
 と、喜んで、また俥をひいて出ていたのだった。
「お祖父ちゃんももうええ歳や、ええ加減に隠居しなはれ。だいいち、もう坂路をひいたりするのが辛いやろ?」
 と、停めても、
「阿呆いえ、坂路もありゃこそ、俥に乗ってくれる人もあんのやぜ。ぶらぶら遊んだら、骨が肉ばなれてしまう」
 と、きかず、よちよち「ベンゲットの苦労を想えば、こんなもんすかみたいなもんや」という想いを走らせている他吉の気持は、君枝にはうなずけたが、しかし、その姿を見れば、やはりチクチク胸が痛み、眼があつく、
「――私(うち)に甲斐性がないさかいお祖父ちゃんも働かんならんのや」
 と、この想いの方が強く来て、君枝は思いがけず金銭のことに無関心で居れず欲が出た。
 けれど、たとえば、電話機の消毒に廻る水商売の家でいわれる――
「あんたの器量なら、何もこんなことをせんでも、ほかにもっと金のとれる仕事がおまっしゃろ」
 という誘いには、さすがに君枝は乗る気はせず、やはり消毒液の勧誘の成績をあげて、特別手当をいくらかでも余計に貰うよりほかはないと、白粉つけぬ顔に汗を流して、あと一里の道に日が暮れても、せっせと歩くのだった。
 半年ほど勤めたある朝、主任が、
「今日は忘れんように、萩の茶屋の大西いう質屋へ廻ってんか」
 と、言った。
「あそこは五日ほど前廻ったばっかしでっけど……」
 用事は電話機の消毒でも、さすがに質屋の暖簾をくぐるのは恥かしいという気持ばかりでもなく、そう言うと、
「そら判ってる。五日まえに行ったことは判ってる」
 主任はなにかにやついて、
「――とにかく行ったってんか」
 変だなと君枝は思ったが、
「卓上(電話)でも引きはったんでっしゃろか」
 と、いいつけ通り、とにかく行くことにした。
「じゃあ、これ持って行きなはれ」
 主任はめずらしく、市電の回数券を二枚ちぎってくれた。
 動物園前で市電を降り、食物屋や[#底本では「食物屋が」と誤記]雑貨屋がごちゃごちゃと並んだ繁華な大門通りを抜けて、大門の近くで右へ折れると、南海電車の萩の茶屋の停留所の手前に、
「ヒチ、大西」
 と青い暖簾がかかっていた。
 入口でちょっとためらい、ちらとそのあたりを見廻してから、
「今日は」
 と、はいって行くと、
「おいでやす」
 文楽人形のちゃり頭(かしら)のような顔をして格子のうしろに坐っていた丁稚(でっち)が、君枝の顔を見るなり、
「電話のお方が来やはりましたぜエ」
 奥へ向って、大声をだした。
 瞬間奥の部屋でなにかさっと動揺があった――と、君枝は思った。
「秀どん、なに大きな声だしたはるねん。阿呆やな」
 言いながら、いつもは奥の長火鉢の前で、頭痛膏をこめかみにはりつけた蒼い顔で、置物のようにぺたりと坐りこんでいる御寮人が、思いがけずいそいそと出て来て、
「――よう来てくれはりました。さあ、どうぞ。どうぞあがっとくれやす」
 手をとらんばかりに愛想が良く、眉間の皺もなかった。
 君枝は気味がわるかった。
「ほな、お邪魔します」
 ちいさなモスの風呂敷包みをひらいて、消毒器のなかにはいった脱脂綿をとって、器用な手つきで電話機を消毒し、消毒液入れに消毒液を入れていると、いくつかの眼がじろじろと背中に、顔に、動作に来たようだった。
「あんたもお若いのに、たいてやおまへんな」
 御寮人は傍をはなれずに、しきりに話しかけた。
「はあ、いいえ」
 曖昧に返辞していると、
「このお仕事の前は、なにしたはりましたんでっか。――ずっとお家に……?」
「近所の風呂屋で下足番してました」
 ありていに答えた。
「下足番?……」
 御寮人はちょっと唸ったようだが、
「――それで、御家族は?」
 と、訊いた。
 なぜ、こんなことを訊くのかと、不審というより腹が立ち、
「お祖父さんと二人です」
「まあ、そうでっか。そら寂しおまんな。ほいでお祖父さんはいま何したはるんです?」
「俥ひきしてます」
 君枝はむっとした表情をかくすのに苦労が要った。
「そうでっか? それはそれは……。御両親は早くなくなられはったんでっか?」
「はあ」
「ずっと以前にね? そうでっか。それはそれは……。そいで、お父さんは……?」
 何をしていたのかと、御寮人は執拗かった。
「玉造で桶屋してましたけど、失敗してマニラへ行って、死にました」
 君枝はしみじみした口調だったが、顔はそんなに執拗い御寮人へ怒っていた。
「――御認印を」
 そこを出しなに、若い男の真赤な眼が、上眼を使ってこちらをみつめたように、君枝は思った。
 あちこち消毒や勧誘にまわって、寺田町に帰って来ると、
「御苦労やった。どやった、質屋のぐあいは……?」
 主任が言った。主任の顔は口髭を落して以来いつみても卵子のようにのっぺりしていた。
「……?……」
 何故そんなことを言いだすのか、訳がわからなかった。
「息子が居たやろ?」
「……さあ?」
「さあとはえらいまた頼りない返辞やな」
 笑って、ぽんと君枝の肩を敲き、
「――いまに君に運が向いて来るかも判れへんぜ。けっ、けっ、けっ……」
 主任は抜けた歯の間から、けったいな笑いをこぼした。
 君枝はますます訳がわからなかったが、帰り途、朋輩の春井元子の口からきいて、はじめて、主任が自分に大西質店へ行けと言った意味などが腑に落ちた。
「昨日あんたの留守中に、あそこの御寮人が事務所へ来やはったんよ。うち運よく帰ってたさかい傍できいてたらね……」
「……御寮人の言うのには、――藪から棒にこんな話をするのは何だけれど、実はお宅に勤めていらっしゃる方で、色の白い、小柄な、愛嬌のある、……ああ、佐渡島君枝さんとおっしゃるのですか、……ところでその君枝さんのことですが、ざっくばらんに申せば、うちの倅(せがれ)がお恥かしいことに君枝さんに、……なんといってよいやら、……とにかく、まあ見染めたというのでしょうか……」
「……しとやかで、如何にも娘さんらしゅうて、そのくせ、働いてる動作がきびきびして、とても気持がええ――贅らなあかへんし、――そこを息子さんが見染めたと言やはるのんよ……」
 ……もう、あの娘さん以外の女と結婚するのはいやだと、倅はひとり息子で甘やかして育てているだけに、言いだしたらあとへ引かない、実は母親の自分としても、父親はなし、ほかに子供もなし、早く嫁を貰いたいとひそかに物色中である。ついては、何も倅の言いなりに君枝さんを……というわけでもないが、また、今すぐどうのこうのと思っているわけでもないが、しかし、一応倅の意見も尊重――といってはおかしいが、とにかく倅の思っている娘さんがどんなひとであるか、母親の責任としても知って置きたいという気持、……これは判っていただけると思うが、それについて、お頼みというのは、実は君枝さんの印象は一二度消毒に来られたから知っているものの、なんといってもおぼろげであるから、一度明日にでもうちへ寄越して貰えないか、――いえ、なに試験だとか、見合いだとか、そんな改まった大袈裟なものじゃなく、ほんのただ、いつものように働いていられる姿をちょっと見たいだけ、だから、君枝さんにはこのことは今のところ内密にしていただきたい云々。
「……そこで、あんたが今日わざわざ派遣されたいうわけやねん」
 寺田町から天王寺西門前まで並んで歩きながら、元子はひとりで喋った。
「そうオ?」
 自分の知らぬ間にそんな話が起っていたのかと、君枝はどきんと胸騒いで、二十歳という年齢が改めてくすぐったく想いだされたが、あまい気持はなかった。
 むしろ、なにか欺された気持が強かった。質屋の御寮人から執拗くいろんなことを問い訊されたことも、いやな気持で想い出された。
「そいで、行ってみて、どやったの?」
 元子は主任と同じようなことを訊いた。
「――どんな息子さんだったの?」
「さあ……?」
 母親に似て変に蒼い顔をした若い男が、長火鉢の前で新聞をあっちこっちひっくりかえしながら、そわそわうかがうようにこっちを見ていたことだけ、記憶しているが、それも随分漠然とした印象だったから、
「――どんな人か知らん。うちなんにも考えてへんかったもの」
 さすがに赧くなりながら、わりに正直に答えると元子は肱で君枝を突いた。
「あんた頼りないお子やなあ。敵の陣地へ飛び込んで、ぼやぼやしてたら、あかへんし。もっとしっかりしイぜ」
 自分だったら、すくなくとも、主任から行けと言われた時にぴんと来て、どんな学校を出た男か、教養があるかないか、ネクタイのこのみがどうかまで、一眼でちゃんと見届けてやるんだと、二十五歳の元子は、分厚い唇をとがらし、元子は実科女学校へ二年まで行ったのが自慢の、どちらかといえば醜い女であった。
 喫茶店の前まで来ると、
「あんた、ちょっと珈琲のんで行けへん? 今日は奢ってもらわな損や」
 元子が言い、さきに立ってはいった。
 君枝はちらっと他吉の顔を想い泛べたが、贅沢といっても、月に一度だからと珈琲二杯分三十銭の散財を決心して、随いてはいった。
 向い合って、腰を掛けると、元子は喋り続けた。
「ほんまに奢ってもらうし。――というのはな、今日あんたがあの質屋へ行ってちょっとしてから、主任さんとこイ御寮人さんから電話が掛って来たそうやねん」
「ふーん」
「頼りない返辞やな。聴いてんのんか、あんた。よう聴きぜや。その電話いうのがね――今日はわざわざ寄越していただいて、ありがとう、いずれお礼かたがた挨拶に伺うけど、ほんまに思った以上の良い娘さんで、すっかり感心したちゅうて、掛って来たんやし」
「嘘ばっかし」
「そない照れんかてええやないの。ああ、あんたはええな。質屋いうたら、あんた、お金が無かったら、でけん商売やろ? もうじきあんたはお金持ちの奥さんや。ええなあ。うち、入れに行ったら、沢山(ぎょうさん)貸してや。いまから頼んどくし」
 そこで元子は声をひそめ、
「――ここでの話やけどな、うちの恋人新聞記者やけど、月給四十円しか貰(もろ)てへんねん。情けない話や。うちあんたの知ってるように月一円五十銭の回覧雑誌とってるやろ。それ貸したげたらね、うちの恋人なんぼ言うても、平気な顔してかえしてくれへんね。ほかの雑誌ともうじき交換せんならんのに、困ってんのに、かえしてくれへんとこ見たら、どうやら、古本屋へ売ってしもたんとちがうやろか思て、うちもう腹が立つやら、情けないやら……そこイ行くと、あんたはほんまにええな。ええとこから貰い手があるし、……」
 君枝はそんな元子の愚痴がおかしくてならなかった。
 かつて君枝は結婚のことなど想ってみたことがなく、げんにそういう話が自分に起っていることも、実感として来ないのだ。
 自分ももうそんな年頃かと、ふと心の姿勢がかたくなることはなるのだが、しかし、自分が嫁入ってしまえば、あとに残った祖父はどうなるかと、この想いが強く、それでなにもかも打ち消されてしまうのだ。
 それに、彼女の周囲には、朝日軒の娘たちがいる。
 文字通り、彼女には縁遠い話だった。
「ちっともええことあれへんわ」
 君枝は味もそっけも無さそうに言った。
「なんぜやのん?」
「うち、お嫁入りみたいなもんせえへん」
 そういう君枝の気持は元子には判らなかった。
「へえ? そらまたなんぞやのん? 気に入らへんの? あそこの息子さん感じわるいのん?」
 ひとりで決めて、
「――そう言えば、そうやなあ。お嫁さんを選ぶのは男の権利やろけど、しかし呼びつけて、こっそり試験したり、観察したりするのん、ちょっと厚かましいな。あんたが好んでそうするのんやったらともかく、何も知らんあんたを、勝手にお嫁さんの候補に見立てて、試験したりするのん、考えてみたら、ちょっといややな。あんたが感じわるい思うのん無理ないなあ」
 十五銭ずつ出し合って、勘定をはらい、喫茶店を出ると、もう暗かった。
 元子と別れて、市電に乗ると、もう君枝はそのことを忘れてしまい、他吉にもそんな話のあったことを話さなかったが、翌日君枝はいやでもそのことを想いださねばならなかった。主任がまた言いだしたからである。
「今日は五時までに帰って来てんか?」
「はあ……?」
「大西さんが親子でいっぺんあんたと御飯をたべたい言うのでな。わしも一緒に行くさかいな」
「でも、そんなこと……。お祖父ちゃんが……」
「お祖父さんにはあとでまた話しするから」
 きいて、君枝はぐっと怒りがこみ上げて来た。
「――俥夫やと思って、莫迦にしてる。うちのお祖父ちゃんは、そんなひとに莫迦にされたりする人とちがう。それに、うちは長女や。嫁に行けるからだとちがう。それを知ってて、勝手にそんな話を決めてしまうのは、長屋の娘や思て、あなどってるのやろ。うちはあなどられても構(かめ)へんけど、お祖父ちゃんが可哀想や」
 そう思い、君枝は自身の奥歯のきりきり鳴る音をきいた。
 君枝はその日、事務所へ帰らなかった。
 翌日、休んで職を探してあるいた。
 夜、帰って来ると、速達が来ていた。
 明日出社されたしと短かく書いてあった。
 朝、行き、やめる旨言い、日割勘定で手当を貰い、その足で職業紹介所へ出掛けた。

     2

 間もなく、君枝はタクシーの案内嬢に雇われた。
 難波駅の駐車場へ出張して、雨の日も傘さして、ここでも一日立ちずくめの仕事で、雇われてみると、やはりベンゲットの他あやんの娘らしい職場だった。
 暫らくすると、タクシーの合乗制度が出来た。
 誰が考えついたのか、同一方面の客を割前勘定で一ツ車に詰めこめば、ガソリンが節約でき、客も順番を待つ時間がすくなく、賃金も安くつくという、いかにも大阪らしい実用的な思いつきだった。
 君枝はその方の案内に、混雑時など、
「△△方面へお越しの方はございませんか」
 と、ひっきりなしに叫び、声も疲れた。
 馴れぬ客はまごつき、運転手も余り歓迎せぬ制度ゆえ、案内嬢は余程の苦労が要る。親切・丁寧・敏速でなくてはいけぬと、監督は口癖だった。
 しかし、君枝は、そんなにまで勤めなくともと監督が言うくらい、熱心で、愛嬌もあり、客の捌きも申し分なく、親切週間に市内版の新聞記者が写真と感想をとりに来て、美貌のせいもあり、たちまち難波駅の人気者になった。
 小柄の一徳か、動作も敏捷で、声も必要以上にきんきんと高く、だから客たちは、ほう綺麗だなと思っても、うっかり冗談を言いかける隙がなかった。
 自分でも、難波駅の構内から吐きだされて来る客を、一列に並ばせて、つぎつぎと捌いて行く気持は、なんとも言えず快いと思った。
 けれど、何千という数の客を捌き終って、交替時間が来て、日が暮れ、扉を閉めた途端にすっとすべりだして行く最後の車の爆音を聴きながら、ほっと息ついて靴下止めを緊めなおしていると、ふと、
「お祖父(じ)やんは人力車アで、孫は自動車(えんたく)の案内とは、こらまたえらい凝って考えたもんやなあ」
 と口軽に言った〆団治の言葉が想いだされて、機械で走る自動車と違って、人力車はからだ全体でひかねばならぬ――と、祖父の苦労を想ってにわかに心が曇った。
 そんな君枝の心は、しかし他吉は与り知らず、七月九日の生国魂(いくたま)[#ルビはママ]神社の夏祭には、天婦羅屋の種吉といっしょに、お渡御(わたり)の人足に雇われて行くのである。
 重い鎧を着ると、三十銭上りの二円五十銭の日当だ。
「お祖父ちゃん、もう今年は良え加減に、鎧みたいなもん着るのん止めときなはれ。うち拝むさかい、あんな暑くるしいもん着んといて……」
 君枝は半泣きで止めるのだったが、他吉はきかず、
「阿呆らしい、ひとを年寄り扱いにしくさって……。去年着られたもんが、今年着られんことがあるかい。暑い言うたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や」
「そんなこと言うたかて、歳は歳や。羅宇しかえ屋のおっさんかて、こないだ流してる最中にひっくりかえりはったやないか。お祖父(じ)やんにもしものことあったら、どないすんのん?」
「げんのわるいこと言いな。あんな棺桶に半分足突っ込んだおっさんと同じようにせんといて……。生国魂はんのお渡御(わたり)の中にはいるもんが、斃れたりするかいな、ちゃんと生国魂はんがついてくれたはる――ああ、今年もベンゲットの他あやんが来とるなあ言うて、守ってくれはるわいな」
 心配しな、心配しなと、矢張り他吉は鎧の方に廻るのだった。
 丁度その日は君枝の公休日だった。
 よりによってそんな日にぶらぶらしていることが、君枝はなにか済まぬ気がして、枕太鼓や獅子舞いの音がきこえても、お渡御(わたり)を見る気もせず、夜他吉が帰ってから食べられるように、冷やしそうめんをこしらえて、井戸水の中に浸けたあと、生国魂神社へお詣りすると、足は自然下寺町の坂を降りて、千日前の電気写真館の方へ向いた。
 もとあった変装写真や歌舞伎役者の写真がすっかり姿を消して、出征の記念写真が目立って多くなっているなかに、どうした奇蹟であろうか、二十年前のマラソン競争の記念写真が、色あせたまま、三枚一円八十銭の見本だと、値だけ高くなって陳列されているのを見ると、気が遠くなるほどなつかしかった。
 ――大阪の夏はお前マニラの冬やと祖父が言ったところを見ると、マニラは余程暑いところであろう。そういうところで死んだ父親にふさわしく、ランニングシャツ一枚の裸かでニコニコ笑いながら、優勝旗を持って立っている父親の黄色く色あせた顔を、まるで陳列ガラスを舐めんばかりにして、みつめていると、不意に、
「お君ちゃん――と違いますか」
 声をかけられた。
 振り向いて、暫らく顔をみつめてから、
「あ。次郎ぼん!」
 九年前、東京へ奉公に行き、それから二年のちにたったひとりの肉親の父親が蝙蝠傘の骨を修繕している最中に卒中をおこして死んだ報せで、河童路地へ帰って来た時、会うたきり、もう三十そこそこになっている筈だとすばやく勘定した拍子に、君枝はそんな歳の彼を次郎ぼんという称び方したことに想い当り、はっと赧くなっていると、次郎は、
「やっぱり君ちゃんやった。いや、なに、この写真を見たはるんでね、そうじゃないかと思ったんや」
 大阪弁と東京弁をごっちゃに使って言い、
「――〆さんに連れられて、この写真いっしょに見たのは、あれはもう十年も前でんなあ。――お君ちゃんはいつもこれ見に来るの?」
「ええ。もう十日にあげず……」
 暑さのせいばかりではなく、汗が全身を絞った。次郎は背も高く、肩幅も広く、顔だちもきりりとしていた。濃い眉が日焼けした顔によく似合っていた。
 その眉をすこし動かせて、次郎はふっと笑い、
「しかし、それやったら、写真館(ここ)の親爺さんにそう言って、譲って貰えば良いのに……。案外遠慮深いんだなあ、お君ちゃんは……」
 と、言った。
「そんでも、なんや厚かましゅうて……」
「そんなら僕がそう言って、貰ってあげましょうか。ちょっと待って下さい。どこイも行かんと……。行ってしもたら、駄目ですよ」
 次郎はそう言うと、二段ずつ階段を上って行った。
 君枝は暑さを忘れた。
 暫らくすると、半ズボンの写真館の男といっしょに、降りて来た。
「これです」
 次郎が陳列窓の写真を太短い手で指すと、
「これでっか。こら、あんた、骨董物でっせ」
 写真館の男は言ったが、
「――しかし、まあ、そんな事情でしたら、譲りまひょ」
 と、陳列ガラスを外して、その写真をとってくれた。
 そんな次郎の親切が君枝は思いがけず、嬉しくて、子供の頃親なし子だといって虐められた時、かばって呉れたのは次郎ぼんひとりだったと想いだすと、君枝はその電気写真の筋向いにある喫茶店へはいって、冷たいものでも飲もうとすすめられたのを、もう断り切れなんだ。
 珈琲をのみながら、他吉の話が出た。
「いまだに俥ひいてますねん。今日は生国魂さんのお渡御(わたり)や言うて……」
「……鎧着て出たはるんですか」
 次郎はちょっと驚いた顔だったが、
「これもみな、うちに甲斐性が無いさかい……」
 と、しょげかかる君枝を押えて、わざと、歳はとってもやっぱり「ベンゲットの他あやん」は元気でんなあと微笑んで見せ、
「それじゃ、何ですか、今でもやっぱり人間はからだを責めて働かな嘘やという主義は、守ってはるんですなあ」
 と、君枝をかばう口調になった。
「――そう言えば、僕だって、他あやんのあの口癖はときどき想いだしましたよ。いや、げんに今だって……」
 自分はからだ一つが資本の潜水業が仕事で、二十二の歳からこの道にはいり、この七年間にたいていの日本の海は潜って来、昨日から鶴富組の仕事で、大阪の安治川へ来ているのだと、次郎は語った。
「……もっとも、こんどのはたいした仕事じゃなく、お話にならんくらいのちいさな船の解体で、たいして乗気じゃなかったんだが、しかし大阪ときくと懐しくてね、ついふらふらと来てしもたわけですよ」
 次郎は君枝にどの程度の親しさで語って良いか、迷っているような言葉づかいであった。
 が、君枝はざっくばらんな言い方に頼もしさを感じ、ふとまじる大阪訛りになつかしさをそそられ、丁寧な口調の出る時は何か赧くなった。
 次郎は珈琲を何杯もおかわりし、ストローを使わずに、がぶがぶと一息にのみほし、氷のかたまりも瞬く間に咽へ入れてしまった。
 そんな逞ましい飲み振りを見ていると、君枝はふと次郎がかつて日の丸湯の男湯で、ひとりあばれまわって、番台からよく叱られていたことなどを想いだしたので、そのことを言うと、
「そうそう、僕は日の丸湯の中で、〆さんが五十読む間、潜ってたことがあるよ。いつだったか、〆さんがあんまりゆっくり数を読むので、もうちょっとで眼をまわしかけて〆さんの足にしがみついたら、〆さんがびっくりして飛び上ったもんやから、そいで僕も頭を出したけど、〆さんが飛び上らなんだら、僕もうあの時におだぶつやった」
 次郎は存外話し上手で、
「――しかし、考えてみたら、あの時分から僕は潜るのが好きやったんやなあ」
 だから、東京の品川にある写真機店へ奉公に行って三年、ひと通り現像の仕事を覚えた頃には、もうそこを飛びだして、現像を頼みに店へよく来ていた木下という写真道楽の潜水夫の世話で、房州布良の吉田親分のところへ弟子入りして、潜水夫の修業をはじめた。
 普通潜水の修業は、喞筒(ポンプ)押し一年、空気管持ち一年、綱持ち一年で、相潜(もぐ)りとなるまでには凡そ四年掛るのだが、それを天分があったのか、それとも熱心の賜でか、弟子入りして二年目にはもう相潜りになった。
 いったいに潜水夫の仕事は、沈船作業(単に荷物を揚げるような簡単なものから、爆破解体、巨大船の浮上のような大規模なもの)のほかに、築港、橋梁、船渠等の水底土木作業や水産物の採集などであるが、沈船作業は主として春から夏の頃の凪ぎの海に限られており、水産物採集には勿論漁期がある。だから陸上工場のように絶えず仕事が一定しているわけではなく、その間生活の安定を得るためには、これらの特技のうち二つ乃至三つの種類に馴れる必要があるが……、
「自慢するようやけど、僕は一人前の潜水夫になってから、三年のうちに、必要な技術をすっかり覚えてしまったわけですよ」
 と、次郎は語った。
「しかし、現像の方かてころっと忘れてしもたという訳じゃないですよ。いまだに仲間の撮したのを時々現像してやってるけど――そうそう、お君ちゃん、あんたの今の写真、なんやったら僕が味善(あんじょ)う引伸したげよか、それ大分剥げてるから……」
「おおけに、でも、そんなことして貰たらお気の毒ですわ」
「お気の毒なんて、水臭い。同じ河童路地に住んでた仲やないですか」
 君枝は「仲」という言葉になにがなしに赧くなった。
「――とにかくその写真預っときます」
 次郎は写真をうけとって、
「――早い方が良いでしょう。明日までに引伸してあげますよ。夕方渡してあげます」
 きびきびした東京弁で言った。
「はあ、おおけに」
「どこが良いかな」
「……?……」
「中之島公園が良いだろう。中之島公園で渡してあげます。来られますか」
 次郎はちょっと考えて、そう言った。
 君枝は急に珈琲のストローから口をはなして、次郎の逞ましい顔を見上げ、そこに何か異性を感じた。
「はあ、でも……」
 十三、七つの子供の頃ならともかく、お互い成長したふたりが、公園などで会うのは大それたことのように思われ、きゅっと心の姿勢が窮屈になった。
 君枝は自動車の案内係をしている旨を言い、
「今日は公休でっけど、明日は……」
 勤めがあるから出られないと下向くと、次郎は、
「でも、仕事は夕方までで済むんでしょう?」
 はきはき言った。圧されて、
「はあ、五時に交替ですねん」
「そんなら、五時半頃来られまっしゃろ?」
 次郎の大阪弁が君枝の固い心をいくらかほぐした。
「そら、行かれんことあれしめへんけど……」
「そんなら、待ってます」
 次郎は伝票を掴んで、
「――出ましょうか」
 立ち上りざまに言った。
「ええ」
 と、それにうなずいたのが、丁度、公園で待っているということへの返辞にもとれて、君枝は狼狽したが、しかし、
「いいえ、行けません。止めときます」
 とは咄嗟にどうしても出なんだ。
「浮いた気持で行くのんと違う。お父さんや母ちゃんの写真の引伸しを貰いに行くのや」
 君枝はふと泛んだこれを自分へのいいわけにしながら、勘定を払っている次郎を喫茶店の表で待っていると、
「――今日写真を見に来て、次郎ぼんに会うたんも、ひょっとしたら、写真のひきあわせかも判れへんわ」
 思わず呟いた自分の言葉に気の遠くなるほど甘くしびれたが、途端にお渡御(わたり)の太鼓の音が耳に痛くきこえて来た。
 西日がきつかった。
 鎧を着てよちよち歩いているだろう他吉のほこりまみれの足が想いだされて君枝はそんな甘い想いに瞬間浸ったことが許せないように思い、ちりちり胸が痛んで眉をひそめていると、次郎はいそいそと出て来て、
「こっち歩きましょう」
 片影の方へ寄った。君枝の眉をひそめた表情を、日射のせいだと思ったのである。
 写真館の隣りに寄席があった。
 寄席の隣りに剃刀屋があった。
 次郎は剃刀屋の細長い店の奥を覗いてみたが、十年前にそこにいた柳吉の姿はもうそこに見受けられなかった。
 が、剃刀屋の向いには、相変らず鉄冷鉱泉(むねすかし)[#底本では「鉄霊鉱泉」と誤記]屋があった。
 剃刀屋の隣りに写真屋があった。
 写真屋の隣りに牛肉店があった。
 名も昔通りのいろは牛肉店で、次郎は千日前はすこしも変らぬなと思いながら通り過ぎようとすると、君枝はなに思ったのか、
「ちょっと……」
 と、言って立ち停り、そして、いろはの横町へはいって行った。
 そこは変にうらぶれた薄汚ないごたごたした横町で、左手のマッサージと看板の掛った家の二階では、五六人の按摩がお互い揉み合いしていた。その小屋根には朝顔の植木鉢がちょぼんと置かれていて、屋根続きに歯科医院のみすぼらしい看板があった。看板が掛っていなければ、誰もそこを歯医者とは思えぬような、古びたちっぽけな[#「ちっぽけな」に傍点]しもたや風の家で、頭のつかえるような天井の低い二階に治療機械が窮屈にかすんで置かれてあった。
 右手は薄汚れた赤煉瓦の壁で、門をくぐると、まるで地がずり落ちたような白昼の暗さの中に、大提燈の燈や、蝋燭の火が揺れて、線香がけむり、自安寺であった。なにか芝居の書割りめいた風情があった。
 こんなところに寺の裏門があったのかと、次郎がおどろいていると、君枝は、
「ちょっと……」
 待っていてくれと言って、境内の隅の地蔵の前にしゃがんで、頭を下げ、そして、備え付けの杓子で水を掛けて、地蔵の足をたわしでしきりに洗い出した。
 地蔵には浄行大菩薩という名がついているのを、ぼんやり眼に入れながら、
「お君ちゃん、えらい信心家やねんなあ。なんに効く地蔵さんやねん?」
 傍で突っ立っている所在なさにきくと、君枝は、
「何にでも効くお地蔵さんや」
 と、手と声に力を入れて、
「――かりに眼エが悪いとしたら、このお地蔵さんの眼エに水掛けて、洗(あろ)たら良うなるし、胸の悪い人やったら、胸の処(とこ)たわしで撫でたらよろしおますねん」
 しきりに洗いながら、言った。
 なるほどそう言えば、その地蔵は水垢で全身赤錆びて、眼鼻立ちなどそれと判別しかねるくらい擦り切れていて、胸のあたりの袈裟の模様も見えなくなってしまっている。随分繁昌している地蔵らしかった。
 次郎はそんな迷信が阿呆らしく、それを信じているらしい君枝がかえって哀れにすら思われて、
「ほんまに効くのかなあ。僕はあやしいと思うよ」
 ずけずけと言ったが、ふと君枝の洗っている部分が地蔵の足だと気がつくと、何か思い当り、
「他あやん、この頃足でもわるいのんとちがうの?」
 と、訊いた。
「いいえ、わるいことはあれしまへんけど、お祖父ちゃんは足つかう商売やさかい、疲れが出んように思て……」
 こうして願を掛けているのだと、君枝は一所懸命な手の動きでそれを示した。
 次郎はいきなり胸うたれて、もう君枝の迷信を咎める気持を捨てた。
「お待遠(まっとう)さん」
 立ち上った君枝の、いくらか上気して晴ればれとした顔を見ると、何故ともなしに次郎の心に急に大阪の郷愁がぐっと来て、その拍子に、河童路地での日々がなつかしく想い出された。
 路地から見えるカンテキ横丁のしもた屋の二階で、夏の宵、「現われ出でたる武智光秀……」と一つ文句の浄瑠璃をくりかえしくりかえし稽古しているのを、父親が蝙蝠傘の骨を修繕しながら口真似していた――そんなことまで想い出されて、自安寺の表門を出ると、
「お君ちゃん、文楽でも見えへんか?」
 と言った。
「そうでんなあ」
 迷っていると、
「文楽見たことある? 僕も見たことないけど、久し振りに大阪へ来た序でにいっぺん大阪らしい味を味わうとこ思て」
 次郎は言った。
「ええもんや言うことは聴いてまっけど……」
 しかし、本当に次郎と一緒にそんなとこへ行ってもよいものかと、君枝は躊躇した。
「どうせ、今日はお祭やろ?」
 重ねて次郎に誘われると、君枝は水掛け地蔵へお詣りしたことで気が軽くなっていたせいもあり、うなずいた。
 千日前の電車通りを御堂筋の方へ折れて、新橋の方へ並んで歩く途々、君枝は、
「文楽いうたらね、蝶子はん、この頃浄瑠璃習たはるんでっせ」
 蝶子の噂をした。
「蝶子はんて、あの種さんとこの?」
「そうだす」
「維康さんどないしたはりまんねん? さっき千日前の剃刀屋覗いたら、居たはれへんかったけど……」
 次郎が言うと、君枝は、
「あそこ廃めはったんは、そらもう古い話やわ。十年も昔になりまっしゃろか」
 と、話しだした……。

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