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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/1 11:48:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     白鳥号

 ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板(かんぱん)に聞こえて、滑車(かっしゃ)が回りだした。帆(ほ)が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船に酔(よ)ったってなんだ」
 そのあくる日、わたしは船室と甲板(かんぱん)の間に時間を過(す)ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせを伝(つた)えようとした。
 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜一晩(ひとばん)船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折(ほねお)りを感謝(かんしゃ)すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆(しゅっぱん)するのだから、覚(おぼ)えておいで」
 これはうれしい好意(こうい)であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行(こうぎょう)を手伝(てつだ)ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡(とうぼう)のために骨(ほね)を折(お)ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸(じょうりく)するとこう言った。
「運河(うんが)について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人(ふじん)を探(さが)しながら、あの人たちにも会える。運河(うんが)をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を探(さが)すと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片(かた)っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚(おぼ)えているだろうよ」
 これからおそらく続(つづ)くかもしれない長い旅路(たびじ)にたつまえに、わたしはカピのからだを洗(あら)ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石(せっ)けん浴(よく)をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途(ぜんと)に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果(けっか)は得(え)られなかった。でもわたしたちは失望(しつぼう)しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外(こうがい)へ着くまでは五日間かかった。
 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例(れい)のだいじな質問(しつもん)を出すと、初(はじ)めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に似(に)た大きな遊山船(ゆさんぶね)が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲(ぶとうきょく)をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋(がいせん)マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。疑(うたが)いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
 わたしに勇気(ゆうき)があれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望(きぼう)を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖(かいぼう)することができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要(ひつよう)はなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと疑(うたが)った。
 夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることの好(す)きなマチアは言った。
 それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
 倹約(けんやく)するためにわたしたちは荒物屋(あらものや)で買ったゆで卵(たまご)と、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん好(この)んでいた。
「どうかミリガン夫人(ふじん)が、そのタルトをうまくこしらえる料理番(りょうりばん)をまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
 水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便(たよ)りを聞いた。だれもあの美しい小舟(こぶね)を見たし、あの親切なイギリスの婦人(ふじん)と、甲板(かんぱん)の上のソファにねむっている子どものことを話していた。
 わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って勢(いきお)いよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
 けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
 しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
 マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置(いち)をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
 ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人が先(せん)におよめに来るまえに奉公(ほうこう)していたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母(うば)にしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに困(こま)っていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河(うんが)を下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつも独(ひと)りぼっちでたいくつしているむすこさんの遊(あそ)び相手(あいて)を探(さが)しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが治(なお)っていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ訪(たず)ねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
 わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて寄(よ)こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」


     生きた証拠(しょうこ)

「さあ、進め、子どもたち」婦人(ふじん)に礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人(ふじん)だけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
 わたしたちはそれからまた白鳥号探索(たんさく)の旅を続(つづ)けた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情(かんじょう)をこめて言った。「もしミリガン夫人(ふじん)を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
 気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしの愛(あい)する人たちを探(さが)すことに骨(ほね)を折(お)っている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
 リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便(たよ)りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人(ふじん)がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
 するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿(すがた)を遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸(かし)についてかけ出した。どうしたということだ。小舟(こぶね)の上はどこもここも閉(し)めきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
 するとそのとき船を預(あず)かっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめを連(つ)れてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を運(はこ)びながら、続(つづ)いて行った。
 これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに別荘(べっそう)を持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
 わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って探(さが)せば、きっとわかる。
 こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけが残(のこ)った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人(ふじん)はとか、病人の子どもとおしのむすめを連(つ)れたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場(ゆさんば)によく似(に)ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん探(さが)して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
 それで毎日根(こん)よくほうぼうへ出かけて、演芸(えんげい)をやって歩いた。けれどまだミリガン夫人(ふじん)の手がかりはなかった。
 わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来(おうらい)の人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹(ちゅうふく)に造(つく)りかけた別荘(べっそう)へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言(だんげん)した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人(ふじん)ではなかった。
 ある日の午後、わたしたちは例(れい)のとおり往来(おうらい)のまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋(おもや)は園(その)のおくに引っこんで建(た)っていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄(こうた)の第一節(せつ)を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
 けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜(かんき)の表情(ひょうじょう)のありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前を呼(よ)んだのだ。
 マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一枚(まい)ひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、園(その)の向(む)こう側(がわ)を取り巻(ま)いているかきねのそばまで行ってみて、初(はじ)めてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
 とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人(ふじん)も、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
 これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問(しつもん)であった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
 リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
 医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡(きせき)は行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌い慣(な)れたナポリ小唄(こうた)を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復(かいふく)したことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延(の)ばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン夫人(ふじん)はどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
 リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用(きよう)に舌(した)が働(はたら)かなかった。
 かの女はそのとき園(その)を指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人(ふじん)がいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガン氏(し)がいた。
 こわくなって、実際(じっさい)戦慄(せんりつ)して、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難(さいなん)に会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
 かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン夫人(ふじん)に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを殺(ころ)しかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人(ふじん)に会いに行って話をする」
 マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
 わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗(しっぱい)ではなかったかと疑(うたが)った。
 やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人(ふじん)を連(つ)れてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしに差(さ)し出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながら優(やさ)しくわたしの額(ひたい)にキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と夫人(ふじん)はつぶやいた。
 夫人は美しい白い指で、わたしの額髪(ひたいがみ)をなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女は優(やさ)しく独(ひと)り言(ごと)をささやいた。
 わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
 わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点(ようてん)を確(たし)かめるだけであった。わたしはこれほどの熱心(ねっしん)をもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
 わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後(さいご)にかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
 こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人を寄(よ)こしてそちらへ案内(あんない)させますから。ではしばらくごめんなさいよ」
 ふたたび夫人(ふじん)はわたしにキッスした。そしてマチアと握手(あくしゅ)をして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン夫人(ふじん)になにを話したのだ」とわたしはマチアに質問(しつもん)した。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
 わたしはまだマチアに質問(しつもん)し続(つづ)けた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
 わたしたちは相変(あいか)わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕(きゅうじ)に案内(あんない)をされた。かれはわたしたちを居間(いま)へ連(つ)れて行った。わたしたちの寝部屋(ねべや)をわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台(ねだい)がならんでいた。窓(まど)は湖水を見晴らす露台(ろだい)に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお好(この)みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓(しょくたく)を出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、大黄(だいおう)のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三種(しゅ)ともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜(やさい)は……」
 いちいちの口上(こうじょう)にマチアは目を丸(まる)くした。でもかれはいっこう閉口(へいこう)したふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡(れいたん)に答えた。
 給仕(きゅうじ)はもったいぶって部屋(へや)を出て行った。
 そのあくる日ミリガン夫人(ふじん)は、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋を連(つ)れて来た。わたしたちの服とシャツの寸法(すんぽう)を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと努(つと)めていることを話して、医者はもうじき治(なお)ると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしに優(やさ)しくキッスし、マチアと固(かた)い握手(あくしゅ)をして、出て行った。
 四日続(つづ)けてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情(あいじょう)深(ぶか)くもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人(ふじん)の代わりに来て、ミリガン夫人(ふじん)がわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口(かどぐち)に来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
 馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人(ふじん)と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を差(さ)し延(の)べた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置(いち)に、あなたを置(お)くことができるようになりました」
 わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへ寄(よ)って、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものが現(あらわ)れた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を机(つくえ)に置(お)くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人(ふじん)は召使(めしつか)いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人(ふじん)は優(やさ)しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお置(お)きなさい」
 ジェイムズ・ミリガン氏(し)は例(れい)の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑(びしょう)がものすごい渋面(じゅうめん)になった。ミリガン夫人(ふじん)はかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでを願(ねが)いましたのは」と、ミリガン夫人(ふじん)はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏(し)が反問した。
「なんでもお寺へ盗賊(とうぞく)にはいったその男が、残(のこ)らず白状(はくじょう)いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連(つ)れて行き、そこへ捨(す)てたか、その一部始終(いちぶしじゅう)を述(の)べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
 ジェイムズ・ミリガン氏(し)はわたしにとびかかって、しめ殺(ころ)してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい際(ぎわ)でかれはふり返って言った。
「いずれ法廷(ほうてい)が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
 わたしの母、もういまはそう呼(よ)んでもいいが、――母はそのとき静(しず)かに答えた。
「あなたが法廷へこの事件(じけん)をお持ち出しになるのはご随意(ずいい)です。わたくしはあなたが夫(おっと)のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
 ドアは閉(し)まった。そのとき、生まれて初(はじ)めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密(ひみつ)をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに寄(よ)って来てこう言った。
「ではきみは残(のこ)らず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも確(たし)かな証拠(しょうこ)をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別(わか)れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧(まず)しかったときおまえの愛(あい)したこの人たちもね」


     家庭で

 いく年か、それはずいぶん長い月日が短く過(す)ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続(つづ)いた。わたしはいまでは、わたしの先祖(せんぞ)からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
 うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨(す)てられ、忘(わす)れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標(もくひょう)になる燈台(とうだい)もなく、避難(ひなん)の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛(あい)し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉(めいよ)のある先祖(せんぞ)の名跡(みょうせき)をついで、ばくだいな財産(ざいさん)を相続(そうぞく)する身の上になったのである。
 夜な夜な、物置(ものお)きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史(れきし)に由緒(ゆいしょ)の深い古城(こじょう)の主人であった。
 わたしが汽車からとび下りて、押送(おうそう)の巡査(じゅんさ)の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しい城(しろ)はあった。
 このミリガン・パークの本邸(ほんてい)に、わたしは母と、弟と、妻(つま)と、自分とで、家庭を作っていた。
 半年前からわたしは城内(じょうない)の文庫(ぶんこ)にこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式(せんれいしき)を上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮(ひんきゅう)であった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式(せんれいしき)を祝(いわ)おうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一冊(さつ)の本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
 これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしの妻(つま)をおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、姉(あね)と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証(ないしょう)にしてあった。もう一人この席(せき)にだいじな人が欠(か)けていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
 親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石の墓(はか)を築(きず)かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像(はんしんぞう)をすえさせた。その半身像の複製(ふくせい)はこうして書いているわたしの卓上(たくじょう)にあった。「思い出の記」を書いている間(ま)も、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっして忘(わす)れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
 そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓(ひゃくしょう)女のようなふうをした婦人(ふじん)が、白いむつき(おむつ)に包(つつ)まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一枚(まい)持って来て、ウィーンの通信記事(つうしんきじ)を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会(えんそうかい)を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功(だいせいこう)がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを果(は)たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途(と)に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要(ひつよう)がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達(せいちょうはったつ)を予期(よき)していた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師(きょうし)について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕(りょうが)(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋(とこや)さん兼業(けんぎょう)の音楽家エピナッソー先生の予言(よげん)がなるほどとうなずかれた。
 そのとき、配達夫(はいたつふ)が一通の電報(でんぽう)を配達(はいたつ)して来た。その文言(もんごん)にはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一泊(ぱく)。妹クリスチーナを同伴(どうはん)四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛(あい)していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚(けっこん)を承知(しょうち)することはわかっていた。子どもの誕生(たんじょう)のお祝(いわ)いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討(ふいう)ちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
 それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
 一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン氏(し)、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集(しょくぶつさいしゅう)の旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色(どういろ)に焼(や)けた顔が現(あらわ)れた。それから青年が一人、老人(ろうじん)が一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味(きょうみ)があった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待(しょうたい)をすませると、ウェールズまで鉱山(こうざん)見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察(しさつ)をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置(いち)にいっそうの箔(はく)をつけようというのであったし、老人(ろうじん)のほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集(こうせきしゅうしゅう)をやって町で重んぜられているので、今度の調査(ちょうさ)の結果(けっか)いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人(ろうじん)と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山(こうざん)で働(はたら)いていた「先生」と、アルキシーとであった。
 リーズとわたしが来賓(らいひん)にあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車(よりんばしゃ)が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに続(つづ)いて、一両の二輪馬車が着いた。気の利(き)いた顔つきの男が御者(ぎょしゃ)をして、これと背中(せなか)合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
 さて洗礼式(せいれいしき)がすむと、マチアはわたしを窓際(まどぎわ)まで連(つ)れ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念(きねん)の席上(せきじょう)でわたしたちの愛(あい)する人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしは笑(わら)いながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛(めうし)をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
 マチアは歯をむき出して笑った。
 ビロードで側(がわ)を張(は)ったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に洗(あら)われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみは好(す)きなナポリ小唄(こうた)を歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
 こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていた妻(つま)をふり向いた。
 来賓(らいひん)はわたしたちのぐるりを取(と)り巻(ま)いた。
 ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
 大好(だいす)きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力(しりょく)はまだなかなかしっかりしていた。ねていた暖(あたた)かいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸(えんげい)」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一枚(まい)くわえていた。かれは「ご臨席(りんせき)の来賓諸君(らいひんしょくん)」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
 かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足で胸(むね)を打って、来賓にごあいさつをした。
 わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨(きんか)と銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
 わたしはむかししたように、かれの冷(つめ)たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮(こんきゅう)が思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓(らいひん)に向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師(だいどうおんがくし)のために救護所(きゅうごしょ)設立(せつりつ)の第一回寄付金(きふきん)としたいと宣言(せんげん)した。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業(じぜんじぎょう)のお手伝(てつだ)いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会(えんそうかい)第一夜の収入(しゅうにゅう)は、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
 こう言うと、カピも「賛成(さんせい)」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)





底本:「家なき子(下)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
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