日本の諸国物語 |
講談社学術文庫、講談社 |
1983(昭和58)年4月10日 |
1983(昭和58)年4月10日第1刷 |
1983(昭和58)年4月10日第1刷 |
一
むかし越後国松の山家の片田舎に、おとうさんとおかあさんと娘と、おやこ三人住んでいるうちがありました。 ある時おとうさんは、よんどころない用事が出来て、京都へ上ることになりました。昔のことで、越後から都へ上るといえば、幾日も、幾日も旅を重ねて、いくつとなく山坂を越えて行かなければなりません。ですから立って行くおとうさんも、あとに残るおかあさんも心配でなりません。それで支度が出来て、これから立とうというとき、おとうさんはおかあさんに、 「しっかり留守を頼むよ。それから子供に気をつけてね。」 といいました。おかあさんも、 「大丈夫、しっかりお留守居をいたしますから、気をつけて、ぶじに早くお帰りなさいまし。」 といいました。 その中で娘はまだ子供でしたから、ついそこらへ出かけて、じきにおとうさんが帰って来るもののように思って、悲しそうな顔もしずに、 「おとうさん、おとなしくお留守番をしますから、おみやげを買ってきて下さいな。」 といいました。おとうさんは笑いながら、 「よしよし。その代わり、おとなしく、おかあさんのいうことを聴くのだよ。」 といいました。 おとうさんが立って行ってしまうと、うちの中は急に寂しくなりました。はじめの一日や二日は、娘もおかあさんのお仕事をしているそばでおとなしく遊んでおりましたが、三日四日となると、そろそろおとうさんがこいしくなりました。 「おとうさん、いつお帰りになるのでしょうね。」 「まだ、たんと寝なければお帰りにはなりませんよ。」 「おかあさん、京都ってそんなに遠い所なの。」 「ええ、ええ、もうこれから百里の余もあって、行くだけに十日あまりかかって、帰りにもやはりそれだけかかるのですからね。」 「まあ、ずいぶん待ちどおしいのね。おとうさん、どんなおみやげを買っていらっしゃるでしょう。」 「それはきっといいものですよ。楽しみにして待っておいでなさい。」 そんなことをいいいい、毎日暮らしているうちに、十日たち、二十日たち、もうかれこれ一月あまりの月日がたちました。 「もうたんと、ずいぶん飽きるほど寝たのに、まだおとうさんはお帰りにならないの。」 と、娘は待ち切れなくなって、悲しそうにいいました。 おかあさんは指を折って日を数えながら、 「ああ、もうそろそろお帰りになる時分ですよ。いつお帰りになるか知れないから、今のうちにおへやのおそうじをして、そこらをきれいにしておきましょう。」 こういって散らかったおへやの中を片づけはじめますと、娘も小さなほうきを持って、お庭をはいたりしました。 するとその日の夕方、おとうさんは荷物をしょって、 「ああ、疲れた、疲れた。」 といいながら、帰って来ました。その声を聞くと、娘はあわててとび出して来て、 「おとうさん、お帰りなさい。」 といいました。おかあさんもうれしそうに、 「まあ、お早いお帰りでしたね。」 といいながら、背中の荷物を手伝って下ろしました。娘はきっとこの中にいいおみやげが入っているのだろうと思って、にこにこしながら、おかあさんのお手伝いをして、荷物を奥まで運んで行きました。そのあとから、おとうさんは脚絆のほこりをはたきながら、 「ずいぶん寂しかったろう。べつに変わったことはなかったか。」 といいいい奥へ通りました。 おとうさんはやっと座って、お茶を一杯のむ暇もないうちに、包みの中から細長い箱を出して、にこにこしながら、 「さあ、お約束のおみやげだよ。」 といって、娘に渡しました。娘は急にとろけそうな顔になって、 「おとうさん、ありがとう。」 といいながら、箱をあけますと、中からかわいらしいお人形さんやおもちゃが、たんと出てきました。娘はだいじそうにそれを抱えて、 「うれしい、うれしい。」 といって、はね回っていました。するとおとうさんは、また一つ平たい箱を出して、 「これはお前のおみやげだ。」 といって、おかあさんに渡しました。おかあさんも、 「おや、それはどうも。」 といいながら、開けてみますと、中には金でこしらえた、まるい平たいものが入っていました。 おかあさんはそれが何にするものだか分からないので、うらを返したり、おもてを見たり、ふしぎそうな顔ばかりしていますので、おとうさんは笑い出して、 「お前、それは鏡といって、都へ行かなければ無いものだよ。ほら、こうして見てごらん、顔がうつるから。」 といって、鏡のおもてをおかあさんの顔にさし向けました。おかあさんはその時鏡の上にうつった自分の顔をしげしげとながめて、 「まあ、まあ。」 といっていました。
[1] [2] 下一页 尾页
|