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甲州鎮撫隊(こうしゅうちんぶたい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-2 7:32:29 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   勇の説得

 この離座敷へも、午後の春陽は射して来ていて、柱の影を、畳へ長く引いていた。
「板垣退助が参謀となり、岩倉具定を総督とし、土州、因州いんしゅう薩州さっしゅうの兵三千、大砲二十門を引いて、東山道軍と称し、木曾路から諏訪へ這入り、甲府を襲い、甲府城代佐藤駿河守殿をおさめ、甲府城を乗取ろうとしているのじゃ。そこで我々新選組が、甲州鎮撫隊と名を改め、正式に幕府から任命され、駿河守殿をたすけ、甲府城を守る事になり、不日ふじつ出発する事になったのじゃが……」
 と、色浅黒く、眼小さく鋭く、口一倍大きく、少い髪を総髪に結んでいる勇は、部屋の半分以上も射込んでいる陽に、白袴、黒紋付羽織の姿をあぶらせながら、一息に云って来たが、俄に口をつぐんで、当惑したように総司を見た。
 総司は、背後うしろに積重ねてある夜具へ体をもたせかけ、焦心あせっている眼で、お力が持って来て、まだ瓶にもさず、縁側に置いてある椿つばきの花を見たり、舞込んで来たちょうが、欄間の扁額の縁へ止まったのを見たりしていたが、
「先生、勿論もちろん、私も従軍するのでしょうな。何時いつ出発なさるのです」
「君も行きたいだろうが、その体ではのう。……それで今度は辛抱して貰うことになっていて、それでわしが説得に来たという次第なのだが……ナニ、いくさは今度ばかりでなく、これからもいくらもあるのだし、まして今度は戦は、味方が勝つにきまっておることではあり、だから君のような素晴らしい、剣道の天才の力をりずとも……もっとも、我々の力で、甲府城を守り通すことが出来たら、莫大ばくだいな恩賞にあずかるという、有難い将軍家うえさまのご内意はあった。私や土方は、大名に取立てられることになっている。だから君も従軍したいだろうがいや……従軍しなくとも、従来これまでの君の功績からすれば、矢張り一万石や二万石の大名には確になれるし、私からも推薦して、決して功を没するようなことはしない。
 ……だから今度だけは断念してくれ。……それに、従軍しなくとも、君の名は、鎮撫隊の中へ加えておくのだから」
「いえ、先生、私は体は大丈夫なのです。……いえ、私は、決して、大名になりたいの、恩賞にあずかりたいのというのではありません。……私は、ただ、腕をふるってみたいのです。……ですから何うぞ是非従軍を。……それに今度の相手は、随分手答えのある連中だと思いますので。……それに新選組の人数はすくなし……そうです、先生、新選組は小人数の筈です。京都にいた頃は二百人以上もありました。それが鳥羽伏見二日の戦で、四十五人となり、江戸へ帰って来た現在では、僅か十九人……」
「いやいや」
 と勇は忙しく手を振った。
「それがの、今度、松本先生のお骨折りで、隊土を募ったところ、二百人も集まって来た。いずれも誠忠な、剣道の達人ばかりだ。……それに、かつ安房守あわのかみ様より下渡さげわたされた五千両の軍用金で、銃器商大島屋善十郎から、鉄砲、大砲を買取り、鎮撫隊の隊士一同、一人のこらず所持しておる、大丈夫じゃ。……そればかりでなく、駿河守殿は、生粋の佐幕派、それに、城兵も多数居る。……人数にも兵器にも事欠かぬ。……だから君は充分ここで静養して……」
「先生、私の病気など何んでもないのです」
「それがうでない。松本先生も仰せられた……」
「良順先生が……」
「そうだ、松本良順先生が仰せられたのだ。沖田だけは、従軍させては不可いけないと」
「…………」
「松本先生には、君は、一方ひとかたならないお世話になった筈だ」
現在ただいまもお世話になっております」
「柳営の御殿医として、一代の名医であるばかりでなく、豪傑で、大親分の資を備えられた松本先生が、然う仰せられるのだ。君も、これには反対することは出来まい」
「はい」
 総司は黙って俯向うつむいて了った。

   思出の人

 総司は、良順の介抱によって、今日生存いきながらえているといってもよいのであった。はじめ総司は、他の新選組の、負傷した隊士と一緒に、横浜の、ドイツ人経営の病院に入れられて、治療させられたのであったが、良順は
「沖田は、怪我ではなくて病気なのだから」
 と云って、浅草今戸の、自分の邸へ連れて来て療治したが
「この病気(肺病)は、こんな空気の悪い、陽のあたらない下町の病室などで療治していたでは治らない」
 と云い、この千駄ヶ谷の植甚の離れへ移し、薬は、自分の所から持たせてやり、時には、良順自身診察に来たりして、親切に手を尽くしているのであった。この良順に
「甲府への従軍は不可いけない」
 と云われては、総司としては、義理としても人情としても、それにそむくことは出来なかった。
 総司が、従軍を断念したのを見ると、勇は流石さすがに気毒そうに云った。
「その代り、わしが君の分まで、この刀で、土州の奴等や薩州の奴等を叩斬るよ」
 と云い、刀屋から、虎徹こてつだと云って買わせられた、その実、宗貞の刀の柄を叩いてみせた。すると総司は却って不安そうに云った。
「しかし先生、これからの戦いは、刀では駄目でございます。火器、飛道具でなければ。……先生は、負傷しておられて、鳥羽、伏見の戦いにお出にならなかったから、お解りにならないことと思いますが、官軍の……いいえ、薩長の奴等の精鋭な大砲や小銃に撃捲うちまくられ、募兵は……新選組の私たちは散々な目に……」

 この夜、燈火ともしびの下で、総司とお力とは、しめやかに話していた。従軍を断念したからか、総司の態度は却って沈着おちつき、容貌かおなども穏やかになっていた。
わたくし、あなた様から、お隠匿かくまいしていただきました晩、あなた様、眠りながら、お千代、たっしゃかえ、たっしゃでいておくれと仰有おっしゃいましたが、お千代様とおっしゃるお方は?」
 と、お力は何気無さそうに訊いた。
「そんな寝言、云いましたかな」
 と総司は俄にあかい顔をしたが、
「京都にいた頃、懇意にした娘だが……町医者の娘で……」
「ただご懇意に?」
 とお力は、揶揄やゆするような口調でいい、その癖、色気を含んだ眼で、怨ずるように総司を見た。
 総司は当惑したような、狼狽ろうばいしたような表情をしたが、
「ただ懇意にとは?……勿論……いや、しかし、どう云ったらよいか……どっちみち、私は、これ迄に、一人の女しか知らないので」
 お力は思わず吹出して了った。
「まあまあそのお若さで、一人しか女を。……でもお噂によれば、新選組の方々は、壬生みぶにおられた頃は、ずいぶんその方でも……」
「いや、それは、他の諸君は……わけても隊長の近藤殿などは……土方殿などになると、近藤殿以上で。……ただ私だけが、臆病おくびょうだったので……」
「これ迄に、二百人もお斬りになったというお噂のある貴郎あなた様が臆病……」
「いや、女にかけてはじゃ。人を斬る段になると私は強い!」
 と、総司は、グッと肩をそびやかした。せている肩ではあったが、聳かすと、さすがに殺気がほとばしった。
 お力はヒヤリとしたようであったが、
「お千代さんという娘さんが、その一人の女の方なのでしょうね」
「左様」
 と迂闊うっかり云ったが、総司は、周章てて
「いや……」
「いや?」
「矢っ張り左様じゃ」
「よっぽどい娘さんだったんでございましょうね」
「うん」
 と、ここでも迂闊り正直に云い、又、周章てて取消そうとしたが、自棄のように大胆になり、
初心うぶで、情がこまやかで……」
「神様のようで……」
「うん。……いや……それ程でもないが……親切で……」
「そのお方、只今は?」
「切れて了った!」
 こう云った総司の声は、本当にむせんでいた。
「切れて……まあ……でも……」
「近藤殿のめいでのう」
何時いつ?」
「江戸への帰途。……紀州沖で……富士山艦で、書面ふみしたため……」
「左様ならって……」
「うん」
「可哀そうに」
「大丈夫たる者が、一婦人の色香に迷ったでは、将来、大事を誤ると、近藤殿に云われたので」
「お千代様、さぞ泣いたでございましょうねえ。……いずれ、返書かえしで、怨言うらみごとを……」
返書へんしょは無い」
「まあ、……何んとも?……それでは、女の方では、あなた様が想っている程には……」
莫迦ばか申せ!」
 と、総司は、眼を怒らせて呶鳴どなった。
「お千代はそんな女ではない! お千代は、失望して、恋いこがれて、病気になっているのじゃ!……と、わしは思う。……病気になってのう」
 総司は膝へ眼を落とし、しばらくは顔を上げなかった。部屋の中は静かで、何時の間に舞込んで来たものか、母指おやゆびほどのが行燈の周囲まわりを飛巡り、時々紙へあたる音が、音といえば音であった。総司は、まだ顔を上げなかった。お力は、その様子を見守りながら、(何んて初心うぶな、何んて生一本な、それにしても、こんな人に、そう迄想われているお千代という娘は、どんな女であろう?……幸福しあわせな!)と思った。と共に、自分の心の奥へ、嫉妬ねたましさの情の起こるのを、何うすることも出来なかった。

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