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猿ヶ京片耳伝説(さるがきょうかたみみでんせつ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-2 7:38:39 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 怪しの館 短編
出版社: 国枝史郎伝奇文庫28、講談社
初版発行日: 1976(昭和51)年11月12日
入力に使用: 1976(昭和51)年11月12日第1刷
校正に使用: 1976(昭和51)年11月12日第1刷

 

   痛む耳

「耳が痛んでなりませぬ」
 と女は云って、てのひらで左の耳を抑えた。
 年増としまではあるが美しいその武士の妻女は、地に据えられた駕籠の、たれのかかげられた隙から顔を覗かせて、そう云ったのであった。
 もう一挺の駕籠が地に据えられてあり、それには、女の良人おっとらしい立派な武士が乗っていたが、
「こまったものだの。出来たら辛棒しんぼうおし。もうじきだから」
 と、優しく云った。
「とても辛棒なりませぬ。痛んで痛んで、いまにも耳が千切れそうでございます」
 と女は、武士の妻としてはあだめきすぎて見える、細眉の、くくり頤の顔をしかめ、身悶えした。
「このまま沼田まで駕籠で揺られて参りましては、死にまする、死んでしまうでございましょう」
莫迦ばかな、耳ぐらいで。……とはいえそう痛んではのう」
 と武士は、当惑したように云った。
 ここは、群馬の須川在、猿ヶ京であった。
 三国、大源太、仙ノ倉、万太郎の山々に四方を取り巻かれ、西川と赤谷あかや川との合流が眼の下を流れている盆地であった。
 文政二年三月下旬の、午後のが滑らかに照っていて、山々谷々の木々を水銀のように輝かせ、岩にあたって飛沫しぶきをあげている谿水たにみずを、かすかな虹で飾っていた。散り初めた山桜が、時々渡る微風に連れて、駕籠の上へも人の肩へも降って来た。
「やむを得ない」
 と武士は云った。
「舅殿がお待ちかねではあろうが、そう耳が痛んでは、無理強いに行くもなるまい。……今夜一晩猿ヶ京の温泉宿ゆやどで泊まることにしよう」
「そうしていただきますれば……そこで一晩手あてしましたら、……明日はもう大丈夫」
 と女は云って、遙かの谿川の下流、山の中腹のあたりに、懸け作りのようになって建ててある温泉宿ゆやど、桔梗屋の方を見た。
「聞いたか」
 と武士は、駕籠の横の草の上へ腰をおろし、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)み箱を膝の上へのせている、忠実らしい老僕へ云った。
「今夜はここの温泉宿へ泊まるのじゃ。そちも皺のばしが出来るぞ」
「有難いことで」
 としもべは云った。
「越後の長岡から三国を越しての旅、おいぼれの私には難渋でございましたが、一晩でも湯治が出来ましたら元気が出ることでございましょう」
 猿ヶ京と云われているだけにこの辺には猿が多く、それが木の枝や藪の蔭などから、この人たちを眺めていた。丘をへだてた竹叢たけむらのほとりから、老鶯ろうおうが聞こえて来た。
「痛い! ま、どうしてこう痛むのだろう!」
 女は駕籠の中で突っ伏した。
「駕籠屋、桔梗屋へやれ」
 と武士は、あわてたように云った。

 お蘭は、月を越すと、相思の仲の、渋川宿の旅舎はたごや、布施屋の長男、進一のもとへ輿入ることになっていた。今夜も彼女は新婚の日の楽しさを胸に描きながら、帳場格子の中で帳面を調べている父親の横へ坐り、縫い物の針を動かしていた。い立ての島田が、行燈の灯に艶々しく光り、くくり頤の愛くるしい顔には、幸福そうな微笑さえ浮かんでいた。
 土間をへだてた表戸はもう下ろされていたが、昼の間に吹き込んで来た桜の花が、敷居の下に残っていて、長い薄白い雪の筋かのように見えていた。
「こんな気の毒な男があるのですよ」
 という声が聞こえた時、両耳の辺ばかりにわずかの髪をのこしている、お父親とうさんの禿はげた頭が上がり、声の来た方へ向いたので、お蘭もそっちへ顔を向けた。
 猿ヶ京にたった一軒だけ立っている湯宿、この桔梗屋は、百年以上を経た旧家だといわれていたが、それはこの店の間の板敷が、黒檀のように黒く艶を出しているのでもうなずかれた。
 板敷には囲炉裡が切ってあり、自在鉤にかけられてある薬罐やかんからは、湯気が立っていた。炉を囲んでいるのは五人の湯治客で、茶を飲み飲みさっきから話しているのであった。
「こんな気の毒な男があるのですよ」
 と云ったのは、その中の、絹商人だという三十八、九の、顔に薄菊石うすあばたのある男であった。
「お侍さんですがね、若い頃に、あるお屋敷へ、若党として住み込んだそうで。ところがそこに、若い綺麗なお嬢様がおありなされたが、同藩のお奉行様のご子息と婚約が出来、いよいよ行かれることになったそうで。婚礼の晴着姿で駕籠に乗られた時の美しさにはその若党も恍惚うっとりとしたそうです。ところがどうでしょう、向こうのお屋敷で、今頃は高砂たかさごをうたっておられるだろうと思われる時刻に、そのお嬢様が一人で帰って来られ、若党へ、これからすぐ妾と一緒に行っておくれとおっしゃったそうで。どこへと若党が驚いて訊くと、いいから妾と一緒においでと云うのだそうです。そこで若党は夢中のありさまでいて行ったところ、お嬢様は途中で駕籠をやとい、山越しをしてなにがしという湯治場へ行かれ、そこで一夜をその若党と明かされたそうですが、もちろん二人の仲には何事も……」
「へえ、そいつは感心ですねえ。……それにしてもどうして婚礼の席から?」

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