打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

血ぬられた懐刀(ちぬられたかいとう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 6:55:10 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



一年後の花園の森

 こうして一年の日が経った。
 その間に起こった事件といえば、聚楽第の主人の秀次が、高野山で自害をしたことであろう。
 木村常陸介をはじめとして、家臣妻妾が死んだことであろう。
 石川五右衛門が四條河原で、釜茄にされたことであろう。
 で、春が巡って来た。花園の森には松の花が咲き、桜の花が散り出した。そうして、麦の畑では、うずら[#「鶉」は底本では「鵜」]がヒヒ啼きを立てはじめた。
 そういう花園の森の中に、三人の男女が坐っていた。香具師こうぐし姿の男女である。一人はその名を梶右衛門と云って、六十を過ごした老人であり、一人はその名を梶太郎と云って、その老人の子であった。二十三歳の若者である。そうしてもう一人は萩野であった。香具師姿の萩野であった。
「若い者同志は若い者同志、話をするのが面白かろう。どれどれ俺は見廻って来よう。……奴らあんまり騒ぎ過ぎるて」
 森の奥に大勢の仲間がいて、陽気にはしゃいでいると見えて賑かな喋舌しゃべり声が聞こえていたが、梶右衛門親方は腰をあげると、元気よくそっちへ歩いて行った。
 で、軟かい草を敷いて、ここの境地へ残ったのは、梶太郎と萩野と二人だけであった。
 昼の日が森へ差し込んでいる。その日に照らされた梶太郎の顔は、流浪の人種の若者などとは、どんなことをしても思われないほどに、上品でもあれば純情でもあった。しかし種族は争われないで、情熱的なところがあった。
 じっと萩野を見守っている。烈しい恋の感情が、眼にも口にも漂っている。
 梶太郎は事実燃えるがようにも、萩野を恋しているのであった。そうして幾度か打ち明けもした。しかし萩野はそれに対して、ハッキリした返事をしなかった。と云って萩野は衷心において、梶太郎を嫌っていないばかりか、仄かながらも愛していた。とは云えそれよりも一層烈しく、萩野は秋安に恋していた。未練を残していたのである。そうして過ぐる日その本心を、とうとう梶太郎の耳へ入れた。どんなに梶太郎の失望したことか! これが普通の香具師の、兇暴な若者であったならば、自暴自棄の感情の下に、萩野に対して暴力を揮うか、ないしは秋安を殺そうとして、付け狙って姦策を巡らしたであろう。しかし梶太郎は、反対であった。自分の恋を抑え付けて、萩野を故郷へ送り届けて、秋安の手へ渡そうとした。ちょうどその頃香具師の群は、丹波の亀山に居たところから、そこを引き払って一年ぶりに、この京の地へ来たのである。
 この花園の森の近くに、秋安の邸はあるのだという。そうして日が暮れて夜が来た時、萩野は香具師の群から別れて、秋安の邸へ行くのだという。――では二人での話し合いは、今が最後と見做さなければならない。
 どんなに梶太郎の心持が、暗くて寂しくて悲しいか、云い現わすことさえ出来なかった。
 しかし萩野の心持も、同じように寂しく悲しかった。一年前の月の夜に、この森で首をくくろうとして、野宿をしていた梶右衛門のために、あぶないところを助けられて以来このかた、香具師の群の中へ投じて、諸々方々を流浪したが、その間にどれほど梶太郎のために、愛されいたわられ大事がられたことか。云い尽くせないものがあった。その人と別れなければならないのである。同じように寂しく悲しかった。
 二人はいつ迄も動かない。
 ところで萩野の心の中には、さらに別の不安があった。
「秋安様には薄情なわたしを、お許しなすって下さるかしら?――そうしていまだにこの妾を、昔どおりに愛して下さるかしら?」――と云うのが萩野の不安なのであった。
 しかるに萩野のそういう不安は、全然別途の趣の下に、以外に解決が付けられることになった。


ああ二組の幸福の夫婦

 数人の男女の話し声が、森の一方から聞こえてきたが、次第にこっちへ近寄って来て、間もなく姿を現わした。一人は北畠秋安で引き添うようにして美しい婦人が、――それは他ならぬお紅であったが、侍女を従えて歩いて来た。二人はどう見ても夫婦であった。そうして事実夫婦なのであった。その証拠さえそこにある、侍女が嬰兒うぶこを大切そうに、胸の辺りに抱いている。
 話しながらゆるゆると歩いて来る。
「今年も松の花が咲くようになった。思い出の多い松の花だ。この森にも思い出が多い。……あれからあの女はどうしたことやら」
 感慨にたえないというように、秋安はしめやかに呟いたが、
「どこぞで幸福にくらして居ればよいが」
「萩野様のことでございますか?」
 こうお紅は訊き返したが、
「もうどうやら貴郎あなた様には、怨みも憎しみもなくなられたようで」
「今では幸福をいのるばかりだ。……これもお前のお蔭なのだよ」
「まあまあ何故でござりましょう?」
「お前が俺と一緒になって、俺を幸福にしてくれたからだ」
「もう愛しても居りませぬので?」
「愛するものはお前ばかりだ」
「いいえ、そうしてこの秋秀も」
 こう云ってお紅はましそうに、嬰兒の方へ顔を向けた。
「可愛い坊や、可愛い坊や……妾は幸福でござりますよ」
「自分で幸福でいる時には、他人の幸福も願うものだよ。……萩野が幸福であるように」
「可愛らしい香具師さんが居りますのね」
 こう云ってお紅が足を止めたので、秋安もふと足を止めた。
 そうして萩野へ眼をやったが、萩野はその前から、深く俯向いていたがために、秋安には顔が見られなかった。そうして姿は香具師風である。萩野であることが何でわかろう。で、ゆるゆると行き過ぎた。
 が、お紅は気安そうに、二人の香具師の前まで行った。
「お怒りなすっては困ります。私達は幸福なのでございます。どうぞ貴郎あなた方ご夫婦にも、祝っていただきたいと存じます。粗末な物ではござりますが、私達の志でござります。お受け取りなすって下さいまし」
 云い云いお紅は簪を抜いたが、萩野の前へそっと出した。
「はい、有難う存じます」
 顔を上げた萩野の眼の中に、あふれる涙が光っていた。
「お美しい貴郎様のお志、いつ迄も忘れはいたしませぬ。……幸福におくらし遊ばすよう、おいのり致すでござりましょう」
「貴郎方ご夫婦もお幸福に……」
 施しを快く受けられたので、お紅は喜悦を感じたらしい。ちょっと会釈すると身をひるがえして、行き過ぎた秋安の後を追って灌木の裾を向こうへ廻った。
 と、じいいっとその後を、萩野は涙の眼で見送ったが、突然梶太郎の膝の上へ、しっかりと、顔を押しあてた。
「ねえ行きましょうよ、遠い他国へ、流浪しましょうよ、二人で一緒に!」
 そうして烈しく咽び泣いた。
「…………」
 茫然とした若者の梶太郎には、何故そうもにわかに萩野の心が、一変したかがわからなかった。それは実際解らなかったが、一緒に流浪をしようという、萩野の心は嬉しかった。嬉しい以上に有難かった。
「萩野さん、私はお礼を云うよ。ああ行こう、一緒に行こう。……そうしてお前さんは私のものだ」
「貴郎のものでございますとも! ただ今の若い美しいお方も、祝福をして下さいました。……私達二人を! 夫婦と見做して!」
「私の妻だ!」と抱きかかえた。その梶太郎に抱かれたままで、萩野はうっとりと呟いた。
「あの人達は京都みやこに住む! 賑やかな明るい派手やかな京都に! そうしてそこでお暮らしになる。幸福に、幸福に、幸福に! ……でも私達は林や野や、小さいうまやじ宿しゅくで住む! でもちっとも違いはない。幸福にさえ暮らそうとしたら……きっと幸福にくらすことが出来る!」
わしは今でも幸福だよ、たった今わしは幸福になった。……しかし、お前には、秋安というお方が……」
「何にも有仰おっしゃって下さいますな。……もう逢ったのでございます。……逢ったも同じなのでございます……」
 拭くに由無い満眼の涙! 萩野の眼頭から流れ出たが、頬を伝わって頤まで来た。昔の恋を思い断って、新しい恋に生きようとする、悲しみと喜びの涙なのである。
 花園の森は昼の日に明るく、草木と人とを照らしている。その中で桜花が蒸されている。
 が、間もなく森の中から、十数人の香具師達が、流浪の人に特有の、軽快な自由な足どりで、笑いさざめきながら現われた。
 近江をさして行くらしい。
 その先頭に歩いて行くのは、新婿新妻を想わせるところの、梶太郎とそうして萩野であった。
 肩と肩とを寄せ合って、つつましやかに歩いて行く。
 野には陽炎、小鳥の声々! そうして行手にあるものは、新しい恋と生活とである。





底本:「国枝史郎伝奇全集 巻五」未知谷
   1993(平成5)年7月20日初版
初出:「講談倶楽部」
   1928(昭和3)年8月
※小見出しの終わりから、行末まで伸びた罫は、入力しませんでした。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年6月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「米+屑」    484-下-13
    「糸+戊」    510-下-23、513-下-12、515-下-18

 << 上一页  [11]  尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口