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村井長庵記名の傘(むらいちょうあんないれのからかさ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 7:40:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 国枝史郎伝奇全集 巻六
出版社: 未知谷
初版発行日: 1993(平成5)年9月30日
入力に使用: 1993(平成5)年9月30日初版
校正に使用: 1993(平成5)年9月30日初版

 

娘を売った血の出る金
 今年の初雷の鳴った後をザーッと落して来た夕立の雨、袖を濡らして帰って来たのは村井長庵と義弟おとうと十兵衛、十兵衛の眼は泣き濡れている。
 年貢の未進も納めねばならず、不義理の借金も嵩んでいる、背に腹は代えられぬ。小綺麗に生れたのが娘の因果、その娘のおたねを連れ、駿州江尻在大平村から、義兄あにの長庵を手頼りにして、江戸へ出て来て今日で五日、義兄の口入れで娘お種を、吉原江戸町一丁目松葉屋半左衛門へ女郎に売り込み、年一杯六十両、金は幸い手に入ったが、可愛い娘とは活き別れ、ひょっとして死別になろうも知れず、これを思えば悲しくて、帰り路中泣いてきたのであった。
「まあまあクヨクヨ思いなさんな。娘が孝行で何より幸い、縹緻はよし気質は優しく、当世珍らしいあのお種、ナーニ年期の済まねえ中に落籍うけだされるのは知れたこと。女氏無くして玉の輿、立身出世しようもしれぬ。そうなると差し詰めお前達夫婦は、左団扇うちわの楽隠居、百姓なんか止めっちまってさっさと江戸へ出て来なさるがいい。何とそんなものではあるまいかな」
 長庵は座敷へ胡座を組み、煙管きせるで煙を吹かしながら、うまいことづくめの大平楽をそれからそれと述べ立てるのであった。
「へえへえそううまく行きますれば、この世に苦の種はござりませぬが、あの子は昔から体が弱く……」
「おっとドッコイそれは大丈夫だ。長庵これでも医者だからな。お種は大事な俺の姪、病気だとでも聞こうものなら、すぐに駆け着け匙加減、アッハハハ癒して見せるよ」
「どうぞお願い致します」と十兵衛は質朴な田舎者、つつましく頭ばかり下げるのであった。
「ところで」と長庵は白い眼でジロジロ相手を見遣ったが、
「こう云っちゃ兄弟の仲で恩にかけるようで気恥かしいが、田舎者のあのお種を、六十両で篏めたのは、この長庵が口を利いたから、これが慶庵の手へかかればこう旨くは行くものでねえ」
「ハイハイそれは申すまでもなく、今度の事は義兄にいさんのお蔭、仇や疎かには思いませぬ」
「何せ江戸はセチ辛くそれに人間は素ばしっこく、俗に活馬の眼を抜くと云うが、どうしてどうして油断は出来ねえ」
「ハイハイ左様でございましょうとも」
「近い例が女泥棒だ」
「女泥棒と仰有おっしゃいますと?」
花魁おいらん泥棒と云ってもいい」
「花魁泥棒と申しますと?」
「なるほどお前は田舎の人、噂を聞かぬはもっともだが、近来江戸へ女装をしたそれも大籬おおまがきの花魁姿、夜な夜な出ては追剥おいおどし、武器と云えば銀のかんざし手裏剣にもなれば匕首あいくちにもなる。それに嚇されて大の男が見す見す剥がれると云うことだ」
「江戸は恐ろしゅうございますなあ」
「恐ろしいとも恐ろしいとも、だからなかなか容易なことでは、人が人を信じようとはしない。連れて大金の遣り取りなど、滅多にないものと思うがいい」
「いやもうごもっともでござります」
「この長庵が仲に入り、せっかく弁口を尽くしたればこそ、松葉屋半左も信用して、六十両渡したと云うものさな」
「お有難う存じました。もうもううれしくて嬉しくて」
「そんなにお前嬉しいか?」
「嬉しいどころではござりませぬ」
「ふうむ、しかし、ナア十兵衛、嬉しい有難いと口だけで云っても、形がなけりゃ変なものさな」
 ギロリと眼を剥きズッシリ[#「ズッシリ」は底本では「ヅッシリ」]と云う。
「へ、形と申しますと?」
「形は形、それだけよ、他にどうも云いようはねえ」
「へえ」と云ったが田舎者、十兵衛には謎が解けそうもない。
「実はな、お前とこの俺とは義理ある仲の兄弟だ、俺の妹がお前の女房、だからお前が江戸へ出て来て、俺の家で草鞋わらじを脱ぎ、五日と云うもの食い仆し、それ駕籠賃だ、やれ印判料はんしろだ、ちょくちょく使った小使銭、そんな物を返せとは云わねえ。何の俺が云うものか。とは云え楽屋をサラケ出せば、今長庵はご難場なのよ。それはお前にもわかっているはずだ。さてそこでご相談、何とお前の持っている六十両の金の中から、三十両貸してくれめえか」
 これを聞くと十兵衛は、颯とばかりに顔色を変えた。早くも見て取った村井長庵、「ハハア、こいつア貸しそうもないな」……こう思うと悪党だけに、調子を変えて高笑い。
「ワッハハハ、嘘だ嘘だ。娘を売った血のでる金、何で俺が借りるものか。ワッハハハ気にしねえがいい」
 ――で、ホッと安心し、顔色を直した十兵衛が、明日は四時よつ立ちで帰家かえると云い、隣室へ引き取って行った後を、長庵胸へ腕を組んだが、さてこれからが大変である。

他人の科を身に引き受け
「飛び込んで来た福の神、六十両の大金を、外へ逃がしちゃ冥利に尽きる。どうがなこっちへ巻き上げてえものだ」
 思案に耽っているその折柄、玄関でおとなう声がする。
「ご免下され、ご免下され」
 呼吸いき苦しそうな声である。長庵方の施療患者、浪人藤掛道十郎である。足駄あしだを穿き雨傘を持ちしょんぼりとして立っている。
「藤掛殿か、先ずお上り」
 気が無さそうに長庵が云う。
「ご免下され」と上って来た。三十四五の年格好、顔色青褪め骨突起し、見る影もなく窶れている。目鼻立ちは先ず尋常、才気はどうやらなさそうではあるが、誠実の点では退けを取るまい。孔子のいわゆる仁に近しと云うその朴訥ぼくとつには遺憾がない。
「いかがでござるなご容態は?」
 世間並の医者らしく長庵こんなことも訊いて見る。
「長庵老のお蔭をもち近来めっきり元気付きましてござる」
「それはそれは何より結構。どれお脈拝見しましょうかな」
 などと口では云いながら心の中では反対である。
「この病気が癒るものか。無比の難症労咳だからな」
 形ばかりに脈を見ると。
「今日は大いによろしゅうござる。どれ煎薬でも差し上げましょう。……ところで何時いつかお尋ねしようと、ひそかに存じて居りましたが、ご貴殿ご旧主は誰人どなた様でござるな?」
「おお、拙者の旧主人でござるか」
 旧主のことを尋ねられたことが、道十郎には嬉しかったと見え、影の薄い顔へえみを湛えたが、
「信州上田五万三千石、松平伊賀守が旧主人でござるよ」
「おお左様でござりましたか。伊賀守様はご名門、それに知恵者でおわすとのこと、そういう立派のご主人を離れ、どうしてご浪人なされましたかな?」
「それには深い子細がござる」道十郎は暗然としたが、
「実は朋友を救うため好んで浪人したのでござる」
「朋友をお救いなさるため? ははあ左様でございますか」
「お話し致そう、お聞き下され。……今から思えば五年の昔、拙者二十九の春のことでござるが殿に一羽の名鶯がござって、ご寵愛遊ばされ居られました所、拙者の朋友間瀬ませ金三郎誤って籠から取り逃がしましてござる」
「やれやれそれはとんでもないこと」
「しかるに金三郎には妻子の他に老いたる父母がござりましてな、もしも浪人することとならば一家たちまち零落し、恩ある父母を養うこともならぬ。これが何より心掛かりと、拙者にむかって掻き口説きましたれば、はなはだ憐れにも気の毒にも思い、拙者金三郎の身代わりとなり、名鶯取り逃がしの罪を負い、殿より永のいとまを賜わり、さてこそ浪人致したのでござるよ」
「お聞き致せばお気の毒。いや天晴あっぱれの義侠心、何と申してよろしいやら。さような事情のご浪人なれば、ご親友はじめ重役衆まで何とか殿様にお取りなし致し、至急帰参出来ますよう取り計らうが人情でござるに、それを今日まで打ち捨て置くとは、義理知らずではござりませぬかな」
「いやいやそれにも事情がござる。今お話しした金三郎が、一人ヤキモキ気を揉んで、殿へ取りなし致し居る由、しかるに殿にはご明君なれど酒癖あってご癇癖。自然いつもご機嫌悪く、申し出る機会がないとのこと、再三金三郎よりの消息でござる」
「しかしそいつはちと面妖、疑わしい点でござりますなあ。これが一年や半年なれば、そう諦らめても居られましょうが、何と申しても五年の月日が流れて居るのではござりませぬか。その長い五年間には、お殿様にもご機嫌よく、家来共の言葉を快くお聞きなさる時もござりましょうに。そういう場合にお取りなししたら、何の困難むつかし障害さわりもなく、帰参がかなうに相違ござりませぬ。……今日までご帰参の適わぬは、そのご朋友の金三郎様が、お取りなしせぬからに相違ござりませぬ」
 長庵は意気込んで云ったものである。
「実は拙者も折々は、そのように思わぬこともないが、そういう考えの出る時にはつとめて消そうと試みて来ました。と云うのはこの拙者、これまで人に怨まれるような、悪事を致した覚えがなく、金三郎とて真人間のこと、恩を忘れるはずはない。おっつけ殿からの使者つかいが来て、芽出度めでたく帰参が適うものと、かたく信じて居るからでござるよ」
「それは真面目のご貴殿のこと、他人ひとに怨みを買うような、よくないご所業をなさるはずはない。とは云え浮世は金が仇、金のためには義理ある弟さえ、殺そうとする悪党もある。わしから見れば間瀬とか云う男、食わせ者の銀流し、太い野郎に思われますなあ」
 自分がこれから遂げようとする、極悪非道の所業に引っ掛け、長庵はこんなことを云ったものである。

追って行く人追われる人
 それに、長庵の眼からみれば、このセチ辛い世の中に、他人の罪を身に引き受け、浪人したという事が、変に不自然にも思われるのであった。
「どうでも俺とは歯が合わねえ」
 こう長庵は思うのであった。
「義侠心と云えばそうも云えるが、つまりそいつは宋讓そうじょうの仁で、一つ間違うと物笑いの種だ。いやもう物笑いになっている。襤褸ぼろを下げて病みほほけ、長庵ずれの施療患者に、成り下るとは恥さらし。それに反して利口なは、間瀬金三郎とか云う男、泣き付いて拝み倒し、自分のとが他人ひとなすり、うまうま罪科をのがれたとは、正に当世でこちらの畑。出世をしているに違えねえ」
「もしえ」と長庵はニヤニヤしながら、
「間瀬とか云うその仁、その後お豆でございますかね」
健康たっしゃで勤めて居りまする」
「ご出世しやアしませんかね?」
「これはこれはどうしてご存知? いかにもその後立身致し、以前は拙者より位置が下、しかるに今では拙者の位置まで経登ったと申すこと」
「アッハハハ、思った通りだ。アッハハハ、お手の筋だ。はらの皮のよじれる話、飛んだ浮世は猿芝居だ。アッハハハ、こりゃたまらぬ」
 長庵両手で横っ腹を抑え、さも可笑おかしそうに笑いこけたが、
「もし、旦那、お前様は、思ったよりも輪をかけて、塩が不足でござんすねえ。平ったく云えば甘いお人じゃ。この長庵から見ますれば、旦那などははなっ垂らし、と云っておこっちゃ不可いけませんぜ、鼻っ垂らしのデクの棒、お話しにも何にもなりゃアしねえ。……それはそうと、今日が日にも、やはり貴郎あなた様は松平様へ帰参がきっと叶うものと信じておいでなさいますかえ?」
「云うまでもないこと、きっと叶う」
 あんまり長庵に笑われたので、道十郎はムッとしたが、そこは性来の穏しさで、グッと抑えて何気なく、
「帰参が叶うと思えばこそ、こんな零落のその中でも、紋服一領は持って居ります。新しくもとめた器類へも例えば提燈ちょうちんや傘へさえ、家の定紋を入れて居ります」
「へえい、それじゃ傘へまでね?」
「蔦に井桁が家の定紋、左様傘へまで入れてあります」
「なるほどなあ」と長庵は感心したように嘆息したが、
「そういう自信がなかった日には、貧乏に耐えて今日まで新しい主人に仕えもせず、お暮らしなさることは出来ますまい。武士の覚悟は又格別、長庵感服致しました。一寸ちょっとご免」と立ち上ると、土間の方へ下りて行った。
 玄関へ行って見廻すと、道十郎の傘がある。じろりと見ると眼を返し、土間へ引っ返して棚を見たが、
「よし」と云うと一本の傘を棚からスルリと抜き出した。それから玄関へ引っ返して行き、道十郎の傘を取り上げると、その後へ自分の傘を置く。道十郎の雨傘は代わりに棚へ隠されたのである。

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