打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

名人地獄(めいじんじごく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 7:41:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


    鋭利をきわめた五寸釘の手裏剣

「あッあッあッ、あッあッあッ」
「おおよしよし、解った、解った」
「あッあッあッ、あッあッあッ」
「もういいもういい、解った解った。あッハハハハ、びっくりしていやがる。いや驚くのがあたりめえだ。信州追分とは違うからな。名に負う将軍お膝元、八百万石のお城下だからな。土一升金一升、お江戸と来たひにゃア豪勢なものさ。しかも盛り場の両国詰め、どうだいマアマアこの人出は! ペンペンドンドンピーヒャラピーヒャラ、三味線太鼓に笛の音、いや全く景気がいいなあ。ははあ、あいつは女相撲ずもうだな。こっちの小屋掛けは軽業かるわざ一座。ええとあれは山雀やまがらの芸当、それからこいつは徳蔵手品、いやどうも全盛だなあ」「あッあッあッ。あッあッあッ」「うんよしよし、解った解った、あんまりあッあッといわねえがいい。人様がお笑いなさるじゃねえか。きりょうは結構可愛いのに、ふふんなアんだ唖娘おしむすめか、こういってお笑いなさるからな」「あッあッあッ、あッあッあッ」「あれまたあッあッていやアがる。あッハハハ、どうも仕方がねえ。じゃ勝手にいうがいいさ。いう方がこいつ本当かも知れねえ。追分宿からポッと出の、きょうきのう江戸へ来たんだからな。見る物聞く物といいてえが、お前は唖だから聞くことは出来ねえ。そこで見る物見る物だが、その見る物見る物が、珍しいなあ無理はねえ。うん、精々いうがいい。あッあッあッていうがいい」
 こんなことをいいながら、雪解けでぬかる往来を、ノッソリノッソリやって来たのは、甚三の弟の甚内と、その妹のお霜とであった。
 ここは両国の盛り場で、興行物もあれば茶屋もあり、武士も通れば町人も通り、そうかと思えばおのぼりさんも通る。色と匂いと音楽と、……雑沓と歓楽との場であって、大概変梃へんてこな田舎者でも、ここではたいして目立たなかった。
 急にお霜が立ち止まり、じっと一点を見詰め出したので、甚内も連れて立ち止まった。
「どうしたどうした、え、お霜、オヤ何か見ているな。ははあ芝居の看板か」
 坂東米八の掛け小屋が、旗やのぼりで飾られて、素晴らしい景気を呼んでいたが、そこに懸けられた、絵看板に、宿場女郎らしい美女の姿が、極彩色ごくさいしきで描かれていた。その顔の辺へお霜の眼が、しっかり食いついて離れない。
「奇態だな、見たような顔だ」
 呟きながら甚内も、その絵看板へ見入ったが、思わずポンと膝を叩いた。
「ううん、こいつア油屋お北だ!」
 兄甚三を殺害した、富士甚内と油屋お北、そのお北に看板の絵が、そっくりそのままだということは、それら二人をかたきと狙う、甚内兄妹の身にとっては、驚くべき発見といわざるを得ない。
 しばらく見詰めていた甚内の眼へ、一抹の殺気の漂ったのは、当然なことといわなければならない。「チェ」と彼は舌打ちをした。「看板にゃ罪はねえ。が、お北にゃ怨みがある。幸か不幸か看板の絵が、こうもお北に似ているからにゃ、こいつうっちゃっちゃ置けねえなあ」
 彼はあたりを見廻した。人通りは繁かったが、彼ら二人を見ている者はない。木戸に番人は坐っているものの、これまた二人などに注意してはいない。
「イラハイイラハイ、今が初まり、名人地獄、鼓賊伝、イラハイイラハイ、今が初まり!」大声でまねいているばかりであった。
「よし」というと甚内は、右手で懐中をソロソロと探った。そうしてその手がひき抜かれた時には、五寸釘が握られていた。ヤッともエイとも掛け声なしに、肩の辺で手首が閃めいたとたん、物をつん裂く音がした。
ざまア見やがれ」と捨てゼリフ、甚内はお霜の手を曳くと、橋を渡って姿を消した。
 いったい何をしたのだろう? 絵看板を見るがいい。宿場女郎の立ち姿の、その右の眼が突き抜かれていた。それも尋常な抜き方ではない。看板を貫いたその余勢で、掛け小屋の板壁を貫いていた。小柄を投げてもこうはいかない。

    甚内の喧嘩の得手

 これには当然な理由があった。というのはその師匠が、千葉周作だからであった。
 千葉道場へ入門してから、すでに三月経っていた。
 初め敵討ちの希望をもって、千葉道場をおとずれて、武術修行を懇願するや、周作はすぐに承知した。
「どうやら話の様子によると、富士甚内というその人間、武術鍛練の豪の者のようだ。ところでお前はどうかというに、以前は馬方今は水夫かこ、太刀抜くすべも知らないという。ちとこれは剣呑けんのんだな。なかなか武術というものは、二年三年習ったところで、そう名人になれるものではない。しかるに一方敵とは、いつなん時出逢うかもしれぬ。今のお前の有様では返り討ちは必定だ。……そこでお前に訊くことがある。どうだ、喧嘩などしたことがあろうな?」
「へえ」といったが甚内は、びっくりせざるを得なかった。「喧嘩なら今でも致しますので。馬方船頭おの人と、がさつな物の例にある、その馬方なり船頭なりが、私の稼業でございますので。」
「そこで喧嘩は強いかな?」
「へえ」といったが甚内は、いよいよ変な顔をした。「強いつもりでございます」
「得手は何んだな? 喧嘩の得手は?」「へえ、得手とおっしゃいますと?」「突くとか蹴るとか撲るとか、何か得意の手があろう」「ああそのことでございますか。へえ、それならございます。石を投げるのが大得意で」「石を投げる? 石飛礫いしつぶてだな。いやこれは面白い。どうだタマにはあたるかな?」
 すると甚内は不平顔をしたが、
「へえ、なんでございますかね?」「石飛礫だよ、タマにはあたるかな」「いえ、タマにはあたりません」「ナニあたらないと、それは困ったな」「へえタマにはあたらないので、その代りいつもあたります」「アッハハハ、そういう意味か」
 千葉周作は笑い出してしまった。
「ところでどういうところから、そういう変り手を発明したな?」「それには訳がございます。つまり撲られるのがイヤだからで」「それは誰でもイヤだろう」「私は特別イヤなので。撲られると痛うございます」「うん、そういう話だな」「それに撲られると腹が立ちます」「礼をいって笑ってもいられまい」「ところが取っ組んでしまったら、一つや二つは撲られます。それが私にはイヤなので。そこでソリャコソ喧嘩だとなると、二間なり三間なりバラバラと逃げてしまうのでございますな。それから小石を拾うので。そうして投げつけるのでございますよ。へえ、百発百中で、それこそ今日まで、一度だって、外れたことはございません」「おおそうか、それは偉いな」
 こういうと周作は立ち上がった。「甚内、ちょっと道場へ来い。……これ誰か外へ行って小石を二、三十拾って来い」
 で、道場へやって来た。
「さて、甚内、お前の足もとに、小石が二、三十置いてある。それを俺に投げつけるがいい」
「へえ」といったが甚内は、困ったような顔をした。
「それは先生様いけません」
「なぜな?」と周作は笑いながら訊いた。
「もってえねえ話でございますよ」
「そうさ、一つでもあたったらな」「ではあたらねえとおっしゃるので?」「ひとつお前と約束しよう。お前の投げた石ツブテが、一つでも俺に中ったら、この道場をお前に譲ろう」「こんな立派な道場をね。……そうして先生はどうなされます」「俺か、アッハハハ、そうしたら、武者修行へでも出るとしようさ」「それはお気の毒でございますな」「そうきまったら投げるがいい」

    北辰一刀流手裏剣用の武器

「へえ」といったが甚内は、なお何か考えていた。「で、どこを目掛けましょう?」「人間の急所はまず眉間みけんだ。眉間を目掛けて投げてこい」「それじゃ思いきって投げますべえ」
 二人は左右へス――ッと離れた。あわいはおおかた十間もあろうか、一本の鉄扇を右手に握り、周作は笑って突っ立った。
「はじめの一つはお毒見だ」
 こういいながら甚内は、手頃の小石を一つ握った。
「それじゃいよいよやりますだよ」叫ぶと同時にピュ――ッと投げた。恐ろしいような速さであった。と周作の鉄扇が、チラリと左へ傾いたらしい。カチッという音がした。つづいてドンという音がした。石が鉄扇へさわった音と、板の間へ落ちた音であった。
「やり損なったかな、こいつアいけねえ。が、二度目から本式だ」
 甚内は二つ目の石を取った。とまたピュ――ッと投げつけた。今度は鉄扇が右に動き、カチッという音がして、石は右手へ転がり落ちた。
「ほう、こいつも失敗か」甚内は呆れたというように、口をあけて突っ立ったが、「よし」というと残りの石を、一度にすくって懐中へ入れた。
「ようござんすか、先生様、今度は続けて投げますぞ」
「うん、よろしい、好きなようにせい」
 その瞬間に甚内の左手ゆんでが、懐中の中へスルリとはいり、石を握った手首ばかりを、襟からヌッと外へ出した。と、その石を右手めてが受け取り、取った時には投げていた。そうして投げた次の瞬間には、左手ゆんでに握っていた送り石を、すでに右手めてが受け取っていた。するともうそれも投げられていた。最初の石の届かないうちに、二番目の石が宙を飛び二番目の石が飛んでいるうちに、三番目四番目の石ツブテが、次から次と投げられた。
 石は一本の棒となって、周作目掛けて飛んで行った。自慢するだけの値打ちのある、実に見事な放れわざであった。
 しかし一方それに対する、周作の態度に至っては、子供に向かう大人といおうか、まことに悠然たるものであって、ただ端然と正面を向き、突き出した鉄扇を手の先で、右と左へ動かすばかり、微動をさえもしなかった。
 カチカチと鉄扇へさわる音、トントンと板の間へ落ちる音、それが幾秒か続いたらしい。
「もういけねえ。元が切れた」
 甚内の叫ぶ声がした。
 周作は微笑を浮かべたが、
「どうだ、甚内、少しは解ったか」
「一つぐらいあたりはしませんかね?」
「道場は譲れぬよ、気の毒だがな」
「へえ、さようでございますかね」
「こっちへこい。いうことがある」
 元の座敷へ戻って来た。
「さて甚内」と改まり、「思ったよりも立派な業だ。周作少なからず感心した。稽古して完成させるがいい。しかし小石では利き目が薄い、小石の代りに五寸釘を使え」
 それから周作は説明した。
「というのは剣道の中に、知新流の手裏剣といって、一個独立した業がある。俺も多少は心得ている。それをお前に伝授するによって、お前の得手のツブテ術に加えて、発明研究するがいい。以前から俺はそれについて、一つの考えを持っていた。……武士は平常へいぜい護身用として、腰に両刀をたばさんでいる。で剣術さえ心得ていたら、まずもって体を守ることが出来る。しかるに町人百姓や、なおそれ以下の職人などになると、大小は愚か匕首あいくち一本、容易なことでは持つことがならぬ。これは随分危険な話だ。そこで俺は彼らのために、何か格好な護身具はないかと、内々研究をした結果、見つけ出したのが五寸釘だ。ただし普通の五寸釘では、目方が軽くて投げにくい。そこで特別にあつらえてみた」
 こういいながら周作は、手文庫から釘を取り出した。
「見るがいいこの釘を。先が細く頭部が太く、そうして全体が肉太だ。ちょっと持っても持ち重りがする。しかし形や寸法は、何ら五寸釘とかわりがない。で幾十本持っていようと、官に咎められる気遣いはない。これ北辰一刀流手裏剣用の五寸釘だ」

    急拵えの大道芸人

 周作は優しく微笑した。
「どうだ甚内、この五寸釘を、練磨体得する所存はないか」
「なんのないことがございましょう。習いたいものでございます」勇気を含んで甚内はいった。
「おお習うか、それは結構。この一流に秀でさえしたら、かたきに逢ってもおくれは取るまい。なまじ剣術など習うより、これに専念をした方がいい」「そういうことに致します」「実はな、俺は案じていたのだ。剣術槍術弓薙刀、一流に達していたところで、一撃で相手を斃すことは出来ない。例えば鎌倉権五郎だ、十三ぞくぶせの矢を、三人張りで射出され、それで片目射潰されても、なお堂々と敵を斬り、生命には何んの別状もなかった。剣豪塚原卜伝でさえ、一刀では相手を殺し兼ねたという。まして獲物が五寸釘とあっては、機先を制して投げつけて、精々せいぜい相手を追い散らすぐらいが、関の山であろうと思っていた。ところがお前の精鋭極まる、ツブテの手並みを見るに及んで、俺の不安は杞憂となった。一本二本では討ち取れないにしても、三本目には斃すことが出来よう」「へえ、大丈夫でございましょうか」「大丈夫だ。保証する」「有難いことでございます」
 こうして甚内はこの日以来、千葉道場の内弟子となり、五寸釘手裏剣の妙法を周作から伝授されることとなった。教える周作は天下一の剣聖、習う甚内には下地がある。これで上達しなかったら、それこそ面妖といわざるを得ない。
 ところで一方甚内は、武芸を習う余暇をもって、江戸市中を万遍まんべんなくあるき、目差すかたきを探すことにした。しかし直接の用事もないのに、広い市中をブラブラと、手ぶらであるくということは、かなり退屈なことであった。そこでいろいろ考えた末、「追分を唄って合力を乞い、軒別に尋ねてあるくことにしよう」こういうことに心をきめた。
 既に以前まえかた記したように、元来甚内は追分にかけては、からきし唄えない人間であった。それが一夜奇怪な理由から、唄えるようになってからは、彼はにわかに興味を覚え、ない歌詞までも自分で作って、折にふれては唄い唄いした。しかるにまことに不思議なことには、彼の唄の節たるや、兄甚三そっくりであった。ちょうど甚三その人が、甚内の腹にでも宿っていて、その甚三の唄う唄が、甚内の口から出るのではないかと、こう疑われるほどであった。で、誰か追分宿あたりで、甚三のうたう追分を聞き、さらに大江戸を流して歩く、甚内の追分を耳にしたとしたら、その差別に苦しんで、恐らくこういうに違いない。
「いやいやあれは甚三の唄だ。もし甚三が死んでいるとすれば、甚三その人の亡魂の唄だ」
 とまれ甚内は追分を唄って、江戸市中をさまよった。しかし敵の手がかりはない。そこでまた彼は考えた。
「油屋お北は知っている。だが肝腎の富士甚内を、俺は一度も見たことがない。彼奴きゃつについて聞き知ってることは、非常な美男だということと、着物につけた定紋が、剣酸漿けんかたばみだということだけだ。これではよしや逢ったところで、彼奴きゃつが紋服を着ていない限りは、敵だと知ることが出来ないだろう。これはどうも困ったことだ」
 これは実際彼にとって、何よりも辛い事柄であった。しかしとうとう考えついた。
「うん、そうだ、いいことがある。唖者おしではあるが、妹のお霜は、富士甚内を見知っている筈だ。妹を江戸へ連れて来て、一緒に市中を廻ったら、よい手引きになろうもしれぬ」

    復讐の念いよいよ堅し

 そこで周作に暇を乞い、故郷の追分へ帰ることにした。
 この頃お霜は油屋にいた。
 一人の兄は非業ひごうに死し、もう一人の兄は他国へ行き、二、三親類はあるとはいえ、その日ぐらしの貧乏人で、片輪のお霜を引き取って、世話をしようという者はない。で甚三が殺されてからの、お霜の身の上というものは、まことに憐れなものであったが、捨てる神あれば助ける神ありで、油屋本陣の女中頭、剽軽者ひょうきんものの例のお杉が、気の毒がって手もとへ引き取り、台所などを手伝わせて、可愛がって養ったので、かつえて死ぬというような、そんな境遇にはいなかったが、さりとて楽しい境遇でもなかった。自分はといえば唖者おしであった。周囲といえば他人ばかり、泣く日の方が多かった。自然兄弟を恋い慕った。
 そこへ甚内が現われたのであった。
 お霜の喜びも大きかったが、お杉もホッと安心した。
「おお甚内さん、よう戻られたな。お前さんの兄さんの甚三さんは、お前さんと同じ名の富士甚内に、むごたらしい目に合わされてな、今は石塔になっておられる」
 お杉をはじめ近所の人達に、こんな具合に話し出されて、甚内は悲しみと怨みとを、またそこで新たにした。
 貧しい二、三の親類や、近所の人達のなさけによって、営まれたという葬式の様子や、形ばかりの石塔を見聞きするにつれ、故郷の人々の厚情を、感謝せざるを得なかった。
「これから甚内さんどうなさる?」
 こう宿の人に訊かれた時、甚内は正直に打ち明けた。
「草を分けても探し出し、敵を討つつもりでございます」
「おおおお、それは勇ましいことだ」宿の人達は驚きながらも、賞讃の辞を惜しまなかった。
 追分宿で七日を暮らし、いよいよ江戸へ立つことになった。心づくしの餞別も集まり、宿の人達は数を尽くして、関所前まで見送った。妹お霜を馬に乗せ、甚内自身手綱を曳き、関所越えれば旅の空、その旅へ再び出ることになった。
 見れば三筋の噴煙が、浅間山から立っていた。思えば今年の夏のこと、兄甚三に送られて、この曠野まで来た時には、緑が鬱々うつうつと茂っていた。その時甚内の乞うにまかせ、甚三の唄った追分節は、今も耳に残っていた。しかるに今は冬の最中もなか、草木山川白皚々はくがいがい、見渡す限り雪であった。自然はことごとく色を変えた。しかし再び夏が来れば、また緑は萌え出よう。だが甚三は帰って来ない。遠離茫々えんりぼうぼう幾千載。たとえ千載待ったところで、死者の甦えったためしはない。如露にょろまた如電にょでんこれ人生。命ほどはかないものはない。
 人は往々こういう場合に、宗教的悟覚に入るものであった。しかし甚内は反対であった。
「この悲しさも、このはかなさも、富士甚内とお北とのためだ。討たねば置かぬ! 討たねば置かぬ! 敵の名前は富士甚内、富士に対する名山と云えば、俺の故郷の浅間山だ。それでは今日から俺が名も、浅間甚内と呼ぶことにしよう。聞けば昔京師の伶人、富士と浅間というものが、喧嘩をしたということだが、今は天保癸未みずのとひつじここ一年か半年のうちには、どうでも敵を討たなければならぬ」
 いよいよ復讐の一念を、益※(二の字点、1-2-22)ここで強めたのであった。

 二人が江戸へ着いたのは、それから間もなくのことであった。
 子柄がよくて不具というので、かえってお霜は同情され、千葉家の人達から可愛がられ、にわかに幸福の身の上となった。
 爾来二人は連れ立って、時々市中を彷徨さまよったが、甚内が唄う追分たるや、信州本場の名調なので、忽ち江戸の評判となった。ひとつは歌詞がいいからでもあった。

日ぐれ草取り寂してならぬ、鳴けよ草間のきりぎりす
親の意見と茄子なすびの花は、千に一つのむだもない
めでた若松浴衣ゆかたに染めて、着せてやりましょ伊勢様へ
思いとげたがこの投げ島田、丸く結うのが恥ずかしい
かあいものだよ鳴くをとめて、来たを知らせのくつわ虫
百日百夜ももかももよをひとりで寝たら、あけのとりさえとこさびし
浅間山風吹かぬ日はあれど、君を思わぬ時はない
よしや辛かれ身はなかなかに、人の情の憂やつらや
見る目ばかりに浪立ちさわぎ、鳴門船なるとぶねかや阿波で漕ぐ
月を待つ夜は雲さえ立つに、君を待つ夜は冴えかえる
君と我とは木框きわくの糸か、切れて離れてまたむすぶ
山で小柴をしむるが如く、こよいそさまとしめあかす

 多くは甚内自作の歌詞で、情緒纏綿てんめん率直であるのが、江戸の人気に投じたのであった。
 深編笠ふかあみがさで二人ながら、スッポリ顔を隠したまま、扇一本で拍子を取り、朗々と唄うその様子は、まさしく大道の芸人であったが、いずくんぞ知らんその懐中に、ぎ澄ましたところの釘手裏剣が、数十本ぞうしてあろうとは。

    お船手頭ふなてがしら向井将監しょうげん

 赤格子九郎右衛門の本拠を突き止め、何かを入れた封じ箱を、その九郎右衛門に手渡せというのが、碩翁様からの命令であった。
 郡上平八は名探偵、すぐに品川から船に乗り出し、日本の海岸をうろつくような、そんなへまはしなかった。
 市中の探索から取りかかった。
 翌朝早く家を出ると、駕籠を京橋へ走らせた。
「ここでよろしい」
 と下り立ったところは、新船松町の辻であった。
 そこに宏壮な邸があった。
 二千四百石のお旗本、お船手頭ふなてがしらの首位を占める、向井将監むかいしょうげんの邸であったが、つと平八は玄関へかかり、一封の書面を差し出した。碩翁様からの紹介状であった。
「殿様ご在宅でございましたら、お目通り致しとう存じます」
「しばらく」
 と取り次ぎは引っ込んだが、すぐに引っ返して現われた。
「お目にかかるそうでございます。いざお通りくださいますよう」
「ご免」
 というと玄関へ上がり、そこで刀を取り次ぎへ渡し、郡上平八は奥へ通った。
 待つ間ほどなく現われたのは、大兵肥満威厳のある、五十年輩の武士であったが、すなわち向井将監であった。
「おおそこもとが郡上氏か、玻璃窓の高名存じておる。碩翁殿よりの紹介状、丁寧ていねいでかえって痛み入る。くつろぐがよい、ゆっくりしやれ」
 濶達豪放な態度であった。
「早速お目通りお許しくだされ、有難き仕合わせに存じます」
「大坂表で処刑された、海賊赤格子九郎右衛門について、何か聞きたいということだが」
「ハイ、さようにございます。お殿様には先祖代々、お船手頭でございまして、その方面の智識にかけては、他に匹儔ひっちゅうがございませぬ筈、つきましては赤格子九郎右衛門が、乗り廻したところの海賊船の、構造ご存知ではございますまいか?」
「さようさ、いささかは存じておる」
「やっぱり帆船でございましたかな?」
「さよう、帆船ではあったけれど、帆の数が非常に多かったよ」
「ははあ、さようでございますか」
「それにその帆の形たるや、四角もあれば三角もあり、大きなのもあれば小さなのもあった」
「ははあ、さようでございますか」
「日本の型ではないのだそうだ。南蛮の型だということだ」
「それは、さようでございましょうとも」
「で、船脚ふなあしが恐ろしく速く、風がなくてもはしることが出来た。ヨット型とか申したよ」
「ははあ、ヨット型でございますな」
 平八は手帳へ書きつけた。
「それから」と将監はいいつづけた。
やぐらの格子が朱塗りであったな。それが赤格子の異名ある由縁だ」
「ははあ、さようでございますか」平八は手帳へ書きつけた。
「ええと、それから大砲が二門、船首へさき船尾ともとに備えつけてあった。それも尋常な大砲ではない。そうだ、やっぱり南蛮式であった」
「南蛮式の大砲二門」
 平八はまたも書きつけた。
「まず大体そんなものだ」
「よく解りましてございます。……ええと、ところで、もう一つ、その赤格子の襲撃振りは、いかがなものでございましたかな?」
「襲撃ぶりか、武士的であったよ」
「は? 武士的と申しますと?」
「決して婦女子は殺さなかった。そうして敵対をしない限りは、男子といえども殺さなかった」

    町奉行所の与力たち

「それは感心でございますな」
 こういいながら平八は、またも手帳へ書きつけた。
「つまり彼は威嚇をもって、相手を慴伏しょうふくさせたのだ」将監は先へ語りつづけた。「こいつと目差した船があると、まずその進路を要扼ようやくし、ドンと大砲をぶっ放すのだ。だがそいつは空砲だ。つまり停まれという信号なのだ。それで相手が停まればよし、もしそれでも停まらない時には、今度は実弾をぶっ放すのだ。が、それとてもあてはしない。相手の前路へ落とすのだ。これがすこぶる有効で、大概の船は顫えあがり、そのまま停まったということだ。しかしそれでも強情に、道を転じて逃げようとでもすると、その時こそは用捨ようしゃなく、三発目の大砲をぶっ放し、沈没させたということだ」
「一発は空砲、二発は実弾、ただしそのうち一発は、わざとあてずに前路へ落とす、つまりかようでございますな」
 平八は四たび書きつけた。
「もはや充分でございます」
 お礼をいって邸を出ると、平八はふたたび駕籠へ乗った。
「駕籠屋、急げ! 数寄屋町だ!」
「へい」
 と駕籠屋は駈け出した。
「よろしい、下ろせ」
 と駕籠を出たところは、南町奉行所の門前であった。
 裏門へ廻ると平八は、ズンズンなかへはいって行った。
 与力詰所までやって来ると、顔見知りの与力が幾人かいた。
「いよう、これは郡上氏」
「いよう、これは玻璃窓の旦那」
「いよう、これは無任所与力」
 などといずれも声を掛けた。それほどみんなと親しいのであった。
「玻璃窓のおやじの出張だ。大事件が起こったに違いない、うかつにノホホンに構えていて、抜かれでもしたら不面目、あぶねえあぶねえ、用心用心」
 なかにはこんなことをいう者もあった。
 平八はニヤリと笑ったばかり、一人の与力へ眼をつけると、
「石本氏、ちょっとお顔を」
「なんでござるな」
 と立って来るのを、平八は別室へいざなった。
「秘密に書き上げを拝見したいが」
「ははあ、書き上げ? どうなされるな?」
「いやちょっと、ご迷惑はかけぬ」
「貴殿のこと、よろしゅうござる」
 持って来た書き上げをパラパラめくると、二、三平八は書きとめた。
「そこで、もう一つお願いがござる。……貴殿のお名を拝借したい」
「いと易いこと、お使いなされ」
 また平八は駕籠へ乗った。
「日本橋だ、河岸へやれ」
 下りたところに廻船問屋、加賀屋というのが立っていた。
「許せよ」
 と平八はズイとはいった。
「これはおいでなさいませ。ええ、何か廻船のご用で?」
 店の者は揉み手をした。
「いやちょっと主人に逢いたい」
「どんなご用でございましょう?」迂散うさんらしく眼をひそめた。
「逢えば解る、主人にそういえ」
「失礼ながらあなた様は?」
「南町奉行所吟味与力、石本勘十郎と申す者だ」
「へーい」
 というと二、三人、奥へバタバタと駈け込んだ。それほどまでに吟味与力は、権勢のあったものである。
「どうぞお通りくださりますよう」
「そうか」というと郡上平八はズイと奥の間へ通って行った。

    廻船問屋を歴訪す

 茶と莨盆たばこぼんと菓子が出て、それから主人が現われた。
 額をピッタリ畳へつけ、
「当家主人、卯三郎うさぶろう、お見知り置かれくだされますよう」
「早速ながら訊くことがある」
「は、は、何事でござりましょうか?」
「今月初旬、七里ヶ浜沖で、そちの持ち船琴平丸こんぴらまる、賊難に遭ったということだな。書き上げによって承知致しておる」
御意ぎょいの通りにございます」
「で、水夫かこどもは今おるかな?」
「二、三人おりますでござります」
「ちょっと訊きたいことがある。多人数はいらぬ、一人出すよう」
「かしこまりましてござります」
 やがてそこへ現われたのは、八助という水夫かこであった。
「八助というか、恐れなくともよい。遭難の様子を話してくれ。……で、賊船は幾隻あったな?」
 八助はオドオド顫えながら、
「へえ、親船が一隻で」
やぐらの格子は赤かったかな?」
「いえ、黒塗りでございました」
「ナニ、黒塗り? ふうむ、そうか」平八は小首を傾げたが、「無論、帆船であったろうな?」
「へえ、さようでございます」
かわったところはなかったかな?」
「へ? なんでございますか?」
「帆の形だ。帆の形だよ」
「へえ、べつに、これといって……」
「普通の型の帆船であったか?」
「へえ、さようでございます」
「ふうむ、そうか。……ちょっと変だな」
 考えざるを得なかった。
「で、大砲でも打ちかけたか?」
「なかなかもって、そんなこと」
「大砲二門、備えている筈だ。そんなものは見かけなかったかな?」
「なんであなた、大砲など……」
「ふうむ、そうか、これもいけない」
 平八はまたも考え込んだ。
「で、どうだな、海賊どもは、おとなしかったかな、乱暴だったかな?」
「仲間が五人殺されました」
「いずれ抵抗したのだろうな?」
「敵は大勢、味方は小人数、争ったところで追っ付きません」
「……これもいけない」
 と平八は、つぶやかざるを得なかった。
 加賀屋を出るとその足で、尚二、三軒廻船問屋を、郡上平八は訪問した。いずれも諸方の近海で、海賊に襲われた手合いであった。しかるに答えはどれも同じで、櫓格子やぐらごうしは黒塗りであり、帆の形も尋常であり、大砲などは備えていず、海賊どもは乱暴で、武士的などとはいわれない。――と、こういう返辞であった。
「解った」
 と平八は自分へいった。「この海賊は赤格子ではない。手口を見れば明らかだ。他の奴らに相違ない。……さて、では肝腎の赤格子は、いったいどこにいるのだろう?」
 かえって見当がつかなくなった。
「それはとにかく、腹が減った。きょうは少々動き過ぎたからな」
 で、平八は駕籠を返し、手近の縄暖簾なわのれんへ飛び込んだ。
 こんなことは彼にとって、ちっとも珍らしいことではない。
 彼の前に職人がいた。威勢のいい江戸っ子で、扮装みなりの様子が船大工らしい。
「おお初公、変じゃないか、どう考えても変梃へんてこだよ」
 一人の職人がこういった。
 と、もう一人が、それに応じた。
「うん、まったく変梃だなあ。なんと思ってりに選って、船大工ばかりをさらうのだろう」

    二人の職人の耳寄りな話

「はてな」
 と平八は胸でいった。「おかしな話だ。なんだろう?」
 で、捨て耳を働かせ、職人の話に聞き入った。
喜公きいこうも消えたっていうじゃねえか」
「それから松ヤンもなくなったそうだ」
「平河町の政兄イ、あそこでは一時に五人というもの、姿がなくなったということだぜ」
「ところがおめえ、石町では、親方がどこかへ行っちゃったそうだ」
「天狗様かな? お狐様かな?」
「天狗様にしろお狐様にしろ、船大工ばかりにたたるなんて、どうでも阿漕あこぎというものだ」
「見ていや、今に、江戸中から、船大工の影がなくなるから」
「亭主、いくらだ?」
 と代を払って、郡上平八は外へ出た。
「おい駕籠屋、本所へやれ」
 新しくやとった駕籠へ乗り、平八は自宅へ引き返した。
「おい、松五郎を呼びにやりな」
 間もなくご用聞きの松五郎が、きのう見せた顔と同じ顔を、平八の前へ突きつけた。
「旦那、なにかご用でも?」
「うん、訊きたいことがある」
「へい、やっぱり切り髪女の?」
「いや、あれは打ち切りだ」
「え、なんですって? 打ち切りですって?」
 松五郎は驚いて眼を見張った。「おどろいたなあ、どうしたんですい? いよいよヤキが廻りましたかね」
「いやいやそういう訳ではない。実はな、もっと重大な事件を、あるお方から頼まれたのだ」
「おおさようで、それはそれは」
「ところでお前に訊くことがある。この江戸の船大工が、姿を消すっていうじゃないか」
「ええ、もう、そりゃあズッと以前まえからで」
「どうして話してくれなかった?」
 ちょっと平八は不機嫌そうにいった。
「だって旦那、この事件は、鼓賊とは関係ありませんよ」
「うん、そりゃそうだろう」
「で、黙っておりましたので」
「そういわれりゃあそれまでだな」平八は止むを得ず苦笑したが、「幾人ほどさらわれたな?」
「さあ、ザッと五十人」
「ナニ、五十人? それは大きい」
「ええ、大きゅうございます」
「ところで、いつ頃から始まったんだ?」
「秋口からポツポツとね」
「どんな塩梅あんばいになくなるのだ?」
「どうもそれがマチマチで、こうだとハッキリいえませんので」
「まず一例をあげて見れば?」
「神田の由太郎でございますがね、随分有名な棟梁とうりょうで、それが羽田へ参詣したまま、行方ゆくえが知れないじゃありませんか」
「おお、そうか。で、その次は?」
業平町なりひらちょうの甚太郎、これも相当の腕利きですが、品川へ魚釣りに行ったまま、家へ帰って来ないそうで」
「おお、そうか。で、その次は?」
「龍岡町の鋸安のこぎりやすは、仕事場から姿が消えたそうで」
「ふうん、なるほど、面白いな」
「まったく変梃へんてこでございますよ」
「で、見当はついてるのか?」
「なんの見当でございますな?」
「当たりめえじゃねえか、人攫いのよ」
「それならついていませんそうで」
「呆れたものだ。無能な奴らだ」
「へえ、さようでございますかね」
「たった今耳にしたばかりだが、俺には目星がついている」
 これには松五郎も驚いた。
「旦那、そりゃあ本当のことで?」
「嘘をいって何んになるかよ」

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]  ...  下一页 >>  尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口