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浮動する地価(ふどうするちか)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 6:27:11 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



      三

 トシエは、家へ来た翌日から悪阻つわりで苦るしんだ。蛙が、夜がな夜ッぴて水田でやかましく鳴き騒いでいた。夏が近づいていた。
 黄金色の皮に、青味がさして来るまで樹にならしてある夏蜜柑をトシエは親元からちぎって来た。歯が浮いて、酢ッぱい汁が歯髄にしみこむのをものともせずに、幾ツも、幾ツも、彼女はそれをむさぼり食った。蜜柑の皮は窓のさきに放られてうず高くなった。その上へ、陰気くさい雨がびしょ/\と降り注いでいた。
 夜、一段ひくい納屋の向う側にある便所から帰りに、石段をあがりかけると、僕は、ふと嫂が、窓から顔を出して、苦るしげに、食ったものを吐こうとしている声をきいた。嫂はのどもとへ突き上げて来るものを吐き出してしまおうと、しきりにあせっていた。が、どうしても、出そうとするものがすっかり出ないで、さい/\生唾なまつばを蜜柑の皮の上へ吐きすてた。
 彼女は、もう、すべっこくも、美しくもなくなっていた。彼女は、何故か、不潔で、くさく、キタないように見えた。
 まもなく田植が来た。親爺もおふくろも、兄も、それから僕も、田植えと、田植えのこしらえに額や頬に泥水がぴしゃぴしゃとびかゝる水田に這入って牛を使い、鍬で畦を塗り、ならしでならした。雨がやむと、蒸し暑い六月の太陽は、はげしく、僕等を頭からりつけた。
 嫂は働かなかった。親爺も、おふくろも、虹吉も満足だった。親爺が満足したのは、田地持ちの分限者の「伊三郎」と姻戚関係になったからである。おふくろが満足したのは、トシエが二タ棹の三ツよせの箪笥に、どの抽出しへもいっぱい、小浜や、錦紗や、明石や、――そんな金のかかった着物を詰めこんで持って来たからである。虹吉が満足したのは、彼の本能的な実弾射撃が、てき面に、一番手ッ取り早く、功を奏したからである。
 朝五時から、十二時まで、四人の親子は、無神経な動物のように野良で働きつゞけた。働くということ以外には、何も考えなかった。精米所の汽笛で、やっと、人間にかえったような気がした。昼飯を食いにかえった。昼から、また晩の七時頃まで働くのだ。
 トシエは、座敷に、蝿よけに、蚊帳を吊って、その中に寝ていた。読みさしの新しい雑誌が頭のさきに放り出されてあった。飯の用意はしてなかった。
「子供でも出来たら、ちっとは、性根を入れて働くようになろうか。」
 飯を食って、野良へ出てから母は云った。兄はまだ、妻の部屋でくず[#「くず」はママ]/\していた。
「たいがい、伊三郎では、何ンにも働くことを習わずに遊んで育った様子じゃないか。」
「俺れゃ、そんなこと知らん。」
「ちっと、虹吉がやかましく云わないでか!」
 母は、女房に甘い虹吉を、いま/\しげに顔をしかめた。
「そんなことを云うたって、お母あは、家が狭くなるほど荷物を持って来たというて嬉しがっとったくせに。」と、私は笑った。
「ええい、荷物は荷物、仕事は仕事じゃ。仕事をせん不用ごろが一番どうならん。」
 兄は、妻をいたわった。働いて、麦飯をがつ/\食うことだけに産れて来たような親爺とおふくろから、トシエをかばった。彼女の腰は広くなった。なめらかで、やわらかい頬の肉は、いくらか赭味を帯びて来た。そして唇が荒れ出した。腹では胎児がむく/\と内部から皮を突っぱっていた。

      四

 百姓は、生命よりも土地が大事だというくらい土地を重んじた。
 死人も、土地を買わなければ、その屍を休める場所がない。――そういう思想を持っていた。だから、棺桶の中へは、いくらかの金を入れた。死人が、地獄か、極楽かで、その金を出して、自分の休息場を買うのである!
 母が、死んだ猫を埋めてやる時、その猫にまで、孔のあいた二文銭を、藁に通して頸にひっかけさし、それで場所を買え、と云っていたのを僕は覚えている。
 金は取られる心配がある。家は焼けると灰となる。人間は死ねばそれッきりだ。が、土地だけは永久に残る。
 そんな考えから、親爺は、借金や、頼母子講たのもしこうを落した金で、ちびり/\と田と畠を買い集めた。破産した人間の土地を値切り倒して、それで時価よりも安く買えると彼は、鬼の首を取ったように喜んだ。
 七年間に、彼は、全然の小作人でもない、又、全然の自作農でもない、その二つをつきまぜたような存在となった。僅か、六か七畝の田を買った時でさえ、親爺と母はホクホクしていた。
「今年から、税金は、ちっとよけいにかゝって来るようになるぞ。」
 土地を持った嬉しさに、母は、税金を納めるのさえ、楽しみだというような調子だった。兄と僕はそばできいていた。
「何だい、たったあれっぽち、猫の額ほどの田を買うて、地主にでもなったような気で居るんだ。」兄は苦々にが/\しい顔をした。
「ほいたって、あれと野上の二段とは、もう年貢を納めいでもえゝ田じゃが。」
「年貢の代りに信用組合の利子がいら。」
「いゝや、自分の田じゃなけりゃどうならん。」と、母は繰りかえした。「やれ取り上げるの、年貢をあげるので、すったもんだ云わんだけでも、なんぼよけりゃ。ずっと、こっちの気持が落ちついて居れるがな。」
 村は、だん/\に変っていた。見通しのきく自作農の竹さんは、土地をすっかり売ッぱらって都会へ出た。地主の伊三郎も、山と畠の一部を売った。息子を農林学校へやる学資とするためだ。小作人から、自作農に成り上って行こうと、あがいている者も僕の親爺一人に止まらなかった。
 又、S町の近くに田を持っていたあの松茸番の卯太郎は、一方の分を製薬会社の敷地に売って五千円あまりの金を握った。
 こういう売買の仲介をやるのが、熊さんという男だ。三十二本の歯をすべて、一本も残さず金で巻いている。何か、一寸売買に口をかけると、必ず、五分の周旋料は、せしめずに置かない男だ。人々は、おじけて、なるべく熊さんの手にかけないようにする。熊さんを忌避する。が、熊さんは、売買ごとにかけると犬のような鼻を持っていた。どこから、どうして嗅ぎつけて来るのか、必ず、頭を突っこんで口をきいた。
 村へは電燈がついた。――電燈をつけることをすゝめに来たのも熊さんだった。
 がた/\の古馬車と、なたまめ煙管をくわえた老馭者は、乗合自動車と、ハイカラな運転手に取ってかわられた。
 自動車は、くさい瓦斯を路上に撒いた。そして、路傍に群がって珍らしげに見物している子供達をあとに、次のB村、H村へ走った。

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