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続戦争と一人の女(ぞくせんそうとひとりのおんな)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-5 10:20:32 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 坂口安吾全集 04
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年5月22日
入力に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷

底本の親本: サロン 第一巻第三号
出版社:  
初版発行日: 1946(昭和21)年11月1日

 

カマキリ親爺は私のことを奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであつた。カマキリが姐さんと私をよぶとき私は気がつかないふうに平気な顔をしてゐたが、今にひどい目にあはしてやると覚悟をきめてゐたのである。
 カマキリもデブも六十ぐらゐであつた。カマキリは町工場の親爺でデブは井戸屋であつた。私達はサイレンの合間々々に集つてバクチをしてゐた。野村とデブが大概勝つて、私とカマキリが大概負けた。カマキリは負けて亢奮してくると、私を姐さんとよんで、厭らしい目付をした。時々よだれが垂れさうな露骨な顔付をした。カマキリは極度に吝嗇であつた。負けた金を払ふとき札をとりだして一枚一枚皺をのばして手放しかねてゐるのであつた。唾をつけて汚いぢやないの、はやくお出しなさい、と言ふと泣きさうなクシャ/\な顔をする。
 私は時々自転車に乗つてデブとカマキリを誘ひに行つた。私達は日本が負けると信じてゐたが、カマキリは特別ひどかつた。日本の負けを喜んでゐる様子であつた。男の八割と女の二割、日本人の半分が死に、残つた男の二割、赤ん坊とヨボ/\の親爺の中に自分を数へてゐた。そして何百人だか何千人だかの妾の中に私のことを考へて可愛がつてやらうぐらゐの魂胆なのである。
 かういふ老人共の空襲下の恐怖ぶりはひどかつた。生命の露骨な執着に溢れてゐる。そのくせ他人の破壊に対する好奇心は若者よりも旺盛で、千葉でも八王子でも平塚でもやられたときに見物に行き、被害が少いとガッカリして帰つてきた。彼等は女の半焼の死体などは人が見てゐても手をふれかねないほど屈みこんで叮嚀に見てゐた。
 カマキリは空襲のたびに被害地の見物に誘ひに来たが、私は二度目からはもう行かなかつた。彼等は甘い食物が食べられないこと、楽しい遊びがないこと、生活の窮屈のために戦争を憎んでゐたが、可愛がるのは自分だけで、同胞も他人もなく、自分のほかはみんなやられてしまへと考へてゐた。空襲の激化につれて一皮々々本性がむかれてきて、しまひには羞恥もなくハッキリそれを言ひきるやうになり、彼等の目附は変にギラ/\して悪魔的になつてきた。人の不幸を嗅ぎまはり、探しまはり、乞ひ願つてゐた。
 私はある日、暑かつたので、短いスカートにノーストッキングで自転車にのつてカマキリを誘ひに行つた。カマキリは家を焼かれて壕に住んでゐた。このあたりも町中が焼け野になつてからは、モンペなどはかなくとも誰も怒らなくなつたのである。カマキリは息のつまる顔をして私の素足を見てゐた。彼は壕から何かふところへ入れて出て来て、私の家へ一緒に向ふ途中、あんたにだけ見せてあげるよ、と言つて焼跡の草むらへ腰を下して、とりだしたのは猥画であつた。ちつにはいつた画帖風の美しい装釘だつた。
「私に下さるんでせうね」
「とんでもねえ」
 とカマキリは慌てゝ言つた。そして顔をそむけて何かモジ/\してゐる隙に、私は本を掴んで自転車にとびのつた。よぼ/\してゐるカマキリは私がゆつくり自転車にまたがるのを口をあけてポカンと見てゐて立ちあがるのが精一杯であつた。
「おとゝいおいで」
「この野郎」
 カマキリは白い歯をむいた。
 カマキリは私を憎んでゐた。私はだいたい男といふものは四十ぐらゐから女に接する態度がまるで違つてしまふことを知つてゐる。その年頃になると、男はもう女に対して精神的な憧れだの夢だの慰めなど持てなくなつて、精神的なものはつまり家庭のヌカミソだけでたくさんだと考へるやうになつてゐる。そしてヌカミソだのオシメなどの臭ひの外に精神的などゝいふものは存在しないと否応なしに思ひつくやうになるのである。そして女の肉体に迷ひだす。男が本当に女に迷ひだすのはこの年頃からで、精神などは考へずに始めから肉体に迷ふから、さめることがないのである。この年頃の男達になると、女の気質も知りぬいてをり、手練手管も見ぬいてをり、なべて「女的」なものにむしろ憎しみをもつのだが、彼等の執着はもはや肉慾のみであるから、憎しみによつて執着は変らず、むしろかきたてられる場合の方が多いのだ。
 彼等は恋などゝいふ甘い考へは持つてゐない。打算と、そして肉体の取引を考へてゐるのだが、女の肉体の魅力は十年や十五年はつきない泉であるのに男の金は泉ではないから、いくらも時間のたゝないうちに一人のおいぼれ乞食をつくりだすのはわけはない。
 私はカマキリを乞食にしてやりたいと時々思つた。殆ど毎日思つてゐた。牡犬のやうに私のまはりを這ひまはらせたあげく毛もぬき目の玉もくりぬいて突き放してやらうかと思つた。けれども実際やつてみるほどの興味がなかつた。カマキリはよぼ/\であんまり汚い親爺なのだ。そして死にかけてゐるのだから、いつそ、ひと思ひに、さう思ふこともあるけれども、いざやつて見る気持にもならなかつた。
 それはたぶん私は野村を愛してをり、そして野村がさういふことを好まないせゐだらうと私は思つた。然し野村は私が彼を愛してゐるといふことを信用してをらず、戦争のせゐで人間がいくらか神妙になつてゐるのだらうぐらゐに考へてゐる様子であつた。
 私はむかし女郎であつた。格子にぶらさがつて、ちよつと、ちよつと、ねえ、お兄さん、と、よんでゐた女である。私はある男に落籍ひかされて妾になり酒場のマダムになつたが、私は淫蕩で、殆どあらゆる常連と関係した。野村もその中の一人であつた。この戦争で酒場がつゞけられなくなり、徴用だの何だのとうるさくなつて名目的に結婚する必要があつたので、独り者で、のんきで、物にこだはらない野村と同棲することにした。どうせ戦争に負けて日本中が滅茶々々になるのだから、万事がそれまでの話さ、と野村は苦笑しながら私を迎へた。結婚などゝいふ人並の考へは彼にも私にもなかつた。
 私は然し野村が昔から好きであつたし、そしてだん/\好きになつた。野村さへその気なら生涯野村の女房でゐたいと思ふやうになつてゐた。私は淫奔だから、浮気をせずにゐられない女であつた。私みたいな女は肉体の貞操などは考へてゐない。私の身体は私のオモチャで、私は私のオモチャで生涯遊ばずにゐられない女であつた。
 野村は私が一人の男に満足できない女で、男から男へ転々する女だと思つてゐるのだけれども、遊ぶことゝ愛すことゝは違ふのだ。私は遊ばずにゐられなくなる。身体が乾き、自然によぢれたり、私はほんとにいけない女だと思つてゐるが、遊びたいのは私だけなのだらうか。私は然し野村を愛してをり、遊ぶことゝは違つてゐた。けれども野村はいづれ私と別れてあたりまへの女房を貰ふつもりでをり、第一、私と別れぬさきに、戦争に叩きつぶされるか、運よく生き残つても奴隷にされてどこかへ連れて行かれるのだらうと考へてゐた。私もたぶんさうだらうと考へてゐたので、せめて戦争のあひだ、野村の良い女房でゐてやりたいと思つてゐた。
 私達の住む地区が爆撃をうけたのは四月十五日の夜だつた。
 私はB29の夜間の編隊空襲が好きだつた。昼の空襲は高度が高くて良く見えないし、光も色もないので厭だつた。羽田飛行場がやられたとき、黒い五六機の小型機が一機づゝゆらりと翼をひるがへして真逆様まつさかさまに直線をひいて降りてきた。戦争はほんとに美しい。私達はその美しさを予期することができず、戦慄の中で垣間見ることしかできないので、気付いたときには過ぎてゐる。思はせぶりもなく、みれんげもなく、そして、戦争は豪奢であつた。私は家や街や生活が失はれて行くことも憎みはしなかつた。失はれることを憎まねばならないほどの愛着が何物に対してもなかつたのだから。けれども私が息をつめて急降下爆撃を見つめてゐたら、突然耳もとでグアッと風圧が渦巻き起り、そのときはもう飛行機が頭上を掠めて通りすぎた時であり、同時に突き刺すやうな機銃の音が四方を走つたあとであつた。私は伏せる才覚もなかつた。気がついたら、十メートルと離れぬ路上に人が倒れてをり、その家の壁に五センチほどの孔が三十ぐらゐあいてゐた。そのとき以来、私は昼の空襲がきらひになつた。十人並の美貌も持たないくせに、思ひあがつたことをする、中学生のがさつな不良にいたづらされたやうに、空虚な不快を感じた。終戦の数日前にも昼の小型機の空襲で砂をかぶつたことがあつた。野村と二人で防空壕の修理をしてゐたら、五百米ぐらゐの低さで黒い小型機が飛んできた。ドラム缶のやうなものがフワリと離れたので私があらッと叫ぶと野村が駄目だ伏せろと言つた。防空壕の前にゐながら駈けこむ余裕がなかつたが、私は野村の顔を見てゆつくり伏せる落付があつた。お臍の下と顎の下で大地がゆら/\ゆれてグアッといふ風の音にひつくりかへされるやうな気がした、砂をかぶつたのはそれからだ。野村はかういふ時に私を大事にしてくれる男であつた。野村が生きてゐれば抱き起しにきてくれると思つたので死んだふりをしてゐたら、案の定、抱き起して、接吻して、くすぐりはじめたので、私達は抱き合つて笑ひながら転げまはつた。この時の爆弾はあんまり深く土の中へめりこんだので、私達の隣家の隣家をたつた一軒吹きとばしたゞけ、近所の家は屋根も硝子ガラスも傷まなかつた。
 夜の空襲はすばらしい。私は戦争が私から色々の楽しいことを奪つたので戦争を憎んでゐたが、夜の空襲が始まつてから戦争を憎まなくなつてゐた。戦争の夜の暗さを憎んでゐたのに、夜の空襲が始まつて後は、その暗さが身にしみてなつかしく自分の身体と一つのやうな深い調和を感じてゐた。
 私は然し夜間爆撃の何が一番すばらしかつたかと訊かれると、正直のところは、被害の大きかつたのが何より私の気に入つてゐたといふのが本当の気持なのである。照空燈の矢の中にポッカリ浮いた鈍い銀色のB29も美しい。カチ/\光る高射砲、そして高射砲の音の中を泳いでくるB29の爆音。花火のやうに空にひらいて落ちてくる焼夷弾、けれども私には地上の広茫たる劫火ごうかだけが全心的な満足を与へてくれるのであつた。

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