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アッシャー家の崩壊(アッシャーけのほうかい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/7 6:34:58 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 
 ここにおいてかエセルレッドは鎚矛を振り上げ、竜の頭上めがけて打ちおろしければ、竜は彼の前にうち倒れ、毒ある息を吐きあげて、恐ろしくもまた鋭き叫び声をあげたるが、その突き刺すばかりの響きには、さすがのエセルレッドも両手もて耳を塞(ふさ)ぎたるほどにて、かかる恐ろしき声はかつて世に聞きたることもなかりき」

 ここでまた私はとつぜん言葉を止めた、今度ははげしい驚きを感じながら。――というのは、この瞬間に、低い、明らかに遠くからの、しかし鋭い、長びいた、まったく異様な、叫ぶようなまたは軋るような音――この物語の作者の書きしるした竜の不思議な叫び声として私がすでに空想で思い浮べていたものとまさしくそっくりな物音――を実際に聞いた(もっともどちらの方向からということは言えなかったが)ことは、なんの疑いもなかったからである。
 この二度目の、しかも異常な暗合に出会って、主に驚きと極度の恐怖との勝(まさ)ったさまざまな矛盾した感情に圧倒されながら、それでもなお私は、なにかそのことを口に出して友の過敏な神経を興奮させることを避けるだけの落着きを失わなかった。彼の挙動にはたしかにこの数分間に奇妙な変化が起っていたけれども、例の物音に気づいているとは思われなかった。彼は私に向きあった位置から、その部屋の扉の方に顔を向けて腰をかけられるように、少しずつ椅子をまわしていた。だから私にはほんの一部分しか彼の顔が見えなかった。ただ聞きとれないほど低く呟いてでもいるように唇(くちびる)が震えているのが見えた。頭は胸のところへうなだれていたが、横顔をちらりと見ると眼は大きくしっかり見開いているので、眠っているのではないことがわかった。体を動かしているということも、眠っているという考えとは相容(あいい)れないものであった。――静かに、しかし絶えず同じ調子で、体を左右にゆすっているのである。すばやくこれだけのことをみんな見てとってから、私はラーンスロット卿の物語を読みつづけたが、それは次のようであった。――

「かくて今や竜の恐ろしき怒りをまぬかれたる戦士は、かの真鍮の楯を思い浮べ、そが上にしるされたる妖術(ようじゅつ)を解かんとて、竜の骸(むくろ)を道より押しのけ、勇を鼓して館(やかた)の白銀の床を踏み、楯のかかれる壁へ近づきけるに、楯はまことに彼の来たり取るを待たずして、そが足もとの白銀の床の上に、いとも大いなる恐ろしく鳴りひびく音をたてて落ち来たりぬ」

 この言葉が私の唇から洩(も)れるや否(いな)や――まるでほんとうに真鍮の楯がそのとき銀の床の上に轟然(ごうぜん)と落ちたかのように――はっきりした、うつろな、金属性の、鏘然(そうぜん)たる、しかし明らかになにか押し包んだような反響が聞えたのだ。私はまったく度胆(どぎも)をぬかれて跳び上がった。がアッシャーの規則的な体をゆする運動は少しも乱れなかった。私は彼のかけている椅子のところへ駆けよった。彼の眼はじっと前方を見つめていて、顔面には石のように硬(こわ)ばった表情がみなぎっていた。しかし、私が手を肩にかけると、彼の全身にはげしい戦慄(せんりつ)が起った。陰気な微笑が彼の唇のあたりで震えた。そしてまるで私のいるのを知っていないかのように、低く、早口に、とぎれとぎれに呟いているのを私は見た。ぴったりと彼の上に身をかがめて、やっと私は彼の言葉の恐ろしい意味を夢中に聞きとった。
「聞えない? ――いや、聞える、前から聞えていたのだ。長い――長い――長いあいだ――何分も、何時間も、幾日も、前から聞えていたのだ、――が僕には――おお、憐(あわ)れんでくれ、なんと惨(みじ)めなやつだ! ――僕には――僕には思いきって言えなかったんだ! 僕たちは彼女を生きながら墓のなかへ入れてしまったのだ! 僕の感覚が鋭敏なことは前に言ったろう? いまこそ言うが、僕にはあの棺のなかで彼女が最初にかすかに動くのが聞えた。幾日も、幾日も前に――聞えたのだ、――だが僕には――僕には思いきって言えなかったのだ! そしていま――今夜――エセルレッドか――は! は! ――隠者の家の戸の破れる音、そして竜の断末魔の叫び、それから楯の鳴りひびく音か! ――それよりも、こう言ったほうがいい、彼女の棺のわれる音と、あの牢獄の鉄の蝶番の軋る音と、彼女が窖(あなぐら)の銅張りの拱廊のなかでもがいている音、とね! おお、どこへ逃げよう? もうすぐ彼女はここへやって来やしないだろうか? 僕の早まった仕業を責めに急いで来るのではないか? 階段を上がる彼女の足音が僕には聞えていないのか? 彼女の心臓の重苦しい恐ろしい動悸(どうき)がわかってはいないのか? 気違いめ!」――こう言うと彼ははげしく跳び上がった。そして死にそうなくらいの努力で一語一語をしぼり出した。――「気違いめ! 彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ」
 彼の言葉の超人間的な力にまるで呪文(じゅもん)の力でもひそんでいたかのように――彼の差したその大きい古風な扉の鏡板は、たちまち、その重々しい黒檀(こくたん)の口をゆっくりうしろの方へと開いた。それは吹きこむ疾風の仕業だった、――がそのとき扉のそとにはまさしく、背の高い、屍衣(きょうかたびら)を着た、アッシャー家のマデリン嬢の姿が立っていたのである。彼女の白い着物には血がついていて、その痩(や)せおとろえた体じゅうには、はげしくもがいたあとがあった。しばらくのあいだは、彼女は閾(しきい)のところでぶるぶる震えながら、あちこちとよろめいていた。――それから、低い呻(うめ)き声をあげて、部屋のなかの方へと彼女の兄の体にばったりと倒れかかり、はげしい断末魔の苦悶(くもん)のなかに彼をも床の上へ押し倒し、彼は死体となって横たわり、前もって彼の予想していた恐怖の犠牲となったのであった。
 その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した。古い土手道を走っているのに気がついたときには、嵐はなおも怒りくるって吹きすさんでいた。とつぜん、道に沿うてぱっと異様な光がさした。私の背後にはただ大きな家とその影とがあるだけであったから、そのようなただならぬ光がどこから来るのかを見ようと思って私は振りかえってみた。その輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から電光形に土台までのびていると前に言った、以前はほとんど眼につかぬくらいだったあの亀裂(きれつ)をとおして、ぎらぎらと輝いているのであった。じっと見ているうちに、この亀裂は急速に広くなった。――一陣の旋風がすさまじく吹いてきた。――月の全輪がこつぜんとして私の眼前にあらわれた。――巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。――幾千の怒濤(どとう)のひびきのような、長い、轟々(ごうごう)たる、叫ぶような音が起った。――そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱(いんうつ)に、音もなく、呑(の)みこんでしまった。





底本:「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年8月15日発行
   1995(平成7)年10月15日89刷改版
   1997(平成9)年第93刷
入力:大野晋
校正:福地博文
1999年4月3日公開
2005年12月25日修正
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