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右門捕物帖(うもんとりものちょう)17 へび使い小町

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-7 9:25:04 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 夜はこのときようやく初更に近く、宮戸あたり墨田の川は、牽牛けんぎゅう織女お二柱の恋星が、一年一度のむつごとをことほぎまつるもののごとく、波面に散りはえる銀河の影を宿して、まさに涼味万金――。
 けれども、ようやく目ざした蔵前へ行きついて、河童権のねぐらを捜し当ててみると、これが少し妙でした。出入り口はこうし戸のままであるのに、家の内はまっくらにあかりが消されて、人けもないもののごとくにひっそり閑と静まり返っていたものでしたから、あわて者の伝六がたちまちうろたえて、おかまいなく大声をあげました。
「ちくしょうッ、ひと足先にずらかりましたぜ! 早く眼をつけて、夜通しあとを追っかけましょうよ! 河童なんぞにあのべっぴんをあやからしちゃ、気がもめるじゃござんせんか」
「うるせえ! 声をたてるな!」
「でも、まごまごしてりゃ、遠くへ逐電しちまうじゃござんせんか!」
「あわてなくともいいんだよ。あそこの物干しざおにぶらさがっているしろものをよくみろ。源氏のみ旗が、しずくをたらしているじゃねえか。川へもぐってぬれたやつを、いましがた干したばかりにちげえねえんだッ」
 まことにいつもながら名人の観察は一分のすきもない理詰めです。高飛びしたものであったら、あとへわざわざ下帯などを洗いすすいで宵干よいぼししておく酔狂者はないはずでしたので、ちゅうちょなく中へ押し入りました。
 しかし、それと同時! ――はいっていった三人の鼻をプンと強く打ったものは、まさしく血のにおいです。
「よッ、異変があるな! 辰ッ。目ぢょうちんを光らしてみろッ」
 いわれるまえに、お公卿さまがまっくらなへやの中を折り紙つきの逸品でじっと見透かしていたようでしたが、けたたましく言い叫びました。
「ちょッ。こりゃいけねえや。野郎め、のびちまっているようですぜ」
「女も、いっしょかッ」
「河童だけですよ」
「じゃ、早く火をつけろッ」
 照らし出されたのを見ると同時に、名人、伝六のふたりは、したたかにぎょッとなりました。
 なんたる奇怪!
 なんたる凄惨せいさん
 ――河童権は口からいっぱい、どろどろの黒血を吐きながら、すでに変死を遂げていたからです。それもちゃぶ台の上には飲みさしの一升どくりと大茶わんが置かれたままでしたので、むろんのことに最期を遂げたのはほんの一瞬まえに相違なく、ほかに一品も食べ物のないところから推定すると、変死の正体、毒死の種は、明々白々それなるとくりの中に仕掛けられてあることが一目瞭然りょうぜんでしたから、事件の急転直下と新規ななぞの突発に、名人の目の烱々けいけいとさえまさったのは当然、伝六のうろたえて音をあげたのもこれまた当然でした。
「ちくしょうめ、なんだって気短におっ死にゃがったんでしょうね! ぞうさなくネタがあがるだろうと思っていたのに、これじゃまた、ちっとややこしくなったようじゃござんせんか!」
 聞き流しながら、名人はへやのあちらこちらを烱々と見調べていましたが、――と、そのときふと目を射たものは、角あんどんの油やけした紙の表に、なまなましい血をもってべっとりと書かれてあった次のごとき文字です。
「よくもオレにドクを盛りゃがったな。化けて出てやるからそう思え。江戸の小町ムスメは気をつけろ。みんな比丘尼びくに小町に食われちまうぞ」
 断末魔の苦しみにあがきもがきながら指先で書きしたためたと見えて、血の色のかすれたところや、べっとりとにじみすぎたところや、判じにくい文字ばかりでしたが、つづり合わせてみると以上のごとき文句が書き残されてありましたので、不審から不審へつづいた事実に、動ぜざること泰山のごとき名人も、いささか凝然となりました。また、これが奇怪不審でなくてなんでありましょうぞ! 手間暇いらず、たわいなく剔抉てっけつできるだろうと思われたのはほんのつかのま――がぜんここにいたって、くみしやすしと見えた事件は、二段三段、第四第五の奇々怪々な新しいなぞの幕に包まれてしまったからです。式部小町はどこへ行ったか? 何者が河童権に一服盛ったか? そのことだけですらもすこぶる捨ておきがたき不審であるのに、江戸の小町娘は気をつけろ、比丘尼小町にみな食われちまうぞと、特に書き残されたいぶかしい一句は、なかんずく不審のなかの不審だったからでした。しかも、何者が毒殺したか、式部小町はどこへ消えたか、それに対する物的証拠となるべき遺留品は皆無なのです。ただあるものは、比丘尼びくに小町うんぬんの妖々ようようたるなぞのみでしたから、名人の秀麗な面がしだいしだいに蒼白そうはくの度を加え、烱々たるまなざしが静かに徐々に閉じられて、やがてのことに深い沈吟が始められたのはあたりまえなことでした。
 そして、一瞬!
 やがて、二瞬!
 つづいて、一瞬![#「一瞬!」は底本では「一瞬」]
 さらに、二瞬!
 ほとんど今までこれほどしんけんに考え沈んだことはあるまいと思われるほどに、黙念と長い間沈吟しつづけていましたが、突如! ――ずばりとさえた声が飛んでいきました。
「伝六ッ」
「ちッ、ありがてえ! 駕籠かごですね! ――ざまアみろい! もうこれが出りゃこっちのものなんだッ。ひとっ走り行ってくるから、お待ちなせえよ!」
「あわてるな! 待てッ」
「えッ?」
「二丁だぜ」
「…………※(疑問符感嘆符、1-8-77)
「何をパチクリさせてるんだ」
「だって、またちっともよう変わりのようじゃござんせんか! 二丁たアだれとだれが乗るんですかい」
「きさまとお公卿さまがお召しあそばすんだよ」
「…………※(疑問符感嘆符、1-8-77)
「何を考えているんだい。いってることが聞こえねえのか」
「いいえ、ちゃんと聞こえているんですがね、やにわとまた変なことおっしゃいまして、どこへ行くんですかい」
「このおひざもとを、大急ぎでひと回りするんだ」
「ちぇッ、たまらねえことになりゃがったもんだな。じゃ、辰ッ、一刻千金だ、はええとこしたくをしろよ!」
「待てッ、あわてるな」
「でも、早駕籠で江戸をひと回りしろとおっしゃったんじゃござんせんか!」
「ただ回るんじゃねえんだよ。山の手に九人、下町に二十一人町名主がいるはずだ。辰あまだ江戸へ来て日があせえから山の手の九人、おめえは下町の二十一軒を回って、ふたりとも、いいか、忘れるな。もし町内に小町娘といわれるべっぴんがいたら、おやじ同道ひとり残らずあしたの朝の四ツまでに数寄屋橋すきやばしのお番所へ出頭しろと、まちがわずに言いつけておいでよ」
「ちぇッ。いよいよもってたまらねえことになりゃがったな。さあ、ことだぞ。ね、だんな――つかぬことをおねげえするようで面目ござんせんが、ちょっくら月代さかやきをあたりてえんですがね。それからあとじゃいけませんかね」
「不意にまた何をいうんだ。まごまごしてりゃ、回りきれねえじゃねえか」
「でも、小町娘を狩り出しに行くんだからね、暇があったら男ぶりをちょっと直していきてえんだが――、ええ、ままよ。男は気のもの、つらで色恋するんじゃねえんだッ。じゃ、辰ッ、出かけようぜ!」
 言い捨てると、疾風韋駄天いだてん。のどかなお公卿さまもちょこちょこと小またに韋駄天――。
 見送りながら、名人は道の途中で自身番に立ち寄り、河童の権の始末を託しておくと、胸中そもなんの秘策があるのか、意気な雪駄せったに落とし差しで、ただ一人ゆうゆうと八丁堀へ道をとりました。



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