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右門捕物帖(うもんとりものちょう)23 幽霊水

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-7 9:37:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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「なんでえ。何がおかしいんだ。顔も見せずに、いきなり笑うとは何がなんでえ。出ろ出ろ。どこのどいつだ」
 いいこころ持ちに納まっていたやさきでしたから、不意を打たれてぎょッとしながらききとがめようとしたのを、
「そう気どるなよ、親方。どうだな、だいぶごぎげんの体だが、ぱんぱんとがんがついたかな」
 笑いわらいのっそりとそでがきの陰から姿を現わしたのは、だれでもない捕物とりもの名人のわがむっつり右門です。しかも、その姿のさわやかさ! ――昼湯にでもいってひと汗流してきたばかりらしく、青ざおとした月代さかやきに、ふた筋三筋散りかかるほつれ毛を風になぶらせながら、夏なおりりしくすがすがしい姿をにこやかにぬっと現わしたので、すっかりめんくらったのは伝六親方でした。
「ちえッ、人のわるい。なんですかよ。だんなならだんなとおっしゃりゃいいんだ。隠れておって意地わるくウフフとやるこたアねえでしょ。あっしが気どろうと納まろうと、大きなお世話です。はばかりながら――」
「人並みにおれにだってもあごがあるというのかい。あるにはあっても、どうやら、一山百文のあごのようだが、どうだな、安物でも、なでりゃ眼がつくかね」
「ちぇッ、顔を見せたとなるともうそれだ。口のわるいってたらありゃしねえや。じゃ、なんですかい、何もかもその陰で立ち聞きしたんですかい」
「さよう。あんまりおめえがいい心持ちそうに気どっていたのでな、なにごとかと思って、幽霊水の話も、江戸屋の江戸五郎とかの話もみんな聞いたのよ、気に入らないかね」
「またそれだ。なにもいちいちとそんなに陰にこもった言い方でひねらなくたっていいでしょ。いくら主従の間がらにしたって、人の話を立ち聞きするっていう法はねえんです。これが男どうしの公話だったからいいようなものの、もしもかわいい女の子とふたりで、いっしょに逃げましょう、ああ逃げようぜと道行き話でもしていたのだったら、どうするんですかい」
「ウフフフ、ぬかしたな。べつにどうもしねえのよ。おめえみたいな男とでも道行きする珍だねがあるのかなと思って、びっくりするだけのことさ。ときに、どうだね、たいそうもなく江戸っ子がっていたようだが、肝心の幽霊水とかの眼はもうおつきかい」
「はばかりさま、自慢じゃねえが、まだちっともつかねえんですよ。だから、今そのあごをね――」
「なんでえ、つがもねえ、知恵の出ねえようなあごなら、なにも気どるこたアねえじゃねえか。さいわいここにかんながあるようだから、削っちまいなよ。ほんとうにしようがねえな。どきな、どきな。どうやら、夏向きで涼しい幽霊のようだから、ちょっくら生きのいいお手本を見せてやろう。――いいかい、眼をつけるっていうなアこうするんだ。よく見ておきな」
 いいつつ、霊験あらたかなあのあごをそろりそろりとなでながら、小さいからだをいよいよちぢめて立ちすくんでいる若者のほうを上から下までじろじろと見ながめていましたが、まことに恐ろしいともあざやかともいいようのない右門流でした。
「きさま、うそをついてるなッ」
「そ、そ、そんな、うそなんかつくような男じゃねえんです。何もかも実のことを申し上げたばかりなんでござんす」
「控えろ、伝六親方の安でき目玉なら知らねえが、このおれの目の玉はちっとばかり品が違うんだぜ。かれこれいうなら、その証拠あげてやらあ。そりゃなんだ。その右にはいている雪駄せったの鼻緒の三味線糸しゃみせんいとはなんのまじないだ」
 ずばりといいながら指さしたのは、古い三味線糸で、切れたのをお手製にまにあわせておいたらしい雪駄のその鼻緒です。同時に、小さな男があっというようにうろたえながら、あわてて隠そうとしたがもうおそい。
「だめだよ、だめだよ。おれの目がにらんだんだ。江戸っ子なら江戸っ子のようにしたほうがよかろうぜ」
 にんめり微笑すると、静かに名人がずぼしをさしました。
「なかなか凝ってらあね。三味線の古糸で雪駄の鼻緒をすげるなんて、色修業でもした粋人でなくちゃできねえ隠し芸だよ。さっき、そこのそでがきの陰で聞いていたら、おめえは江戸屋江戸五郎の回し者でもねえ、親類でもねえとりっぱな口をきいたようだが、その三味線糸のあんべえじゃ、おそらく江戸五郎一座の浄瑠璃じょうるりかたりか、下座でも勤めている芸人だろう。でなきゃ、おめえの色女かなんかが、一座のはやし方をでも勤めているはずだが、どうだ、違うか。正直なことをいわなきゃ、幽霊水の詮議せんぎもこっちの気の入れ方が違うというもんだぜ」
「恐れ入りました。お目の鋭いのにはおっかねえくらいです。べつに隠すつもりではなかったんですが、ついその――いいえ、ほかのことは、幽霊水の話も、嵐三左衛門が江戸五郎親方のことを下手人のようにいっていろいろ吹聴していることも、みんなほんとうですが、縁もゆかりもねえといったのはうそでござんす。いかにも、お隠しだてしておりました。じつは――」
「一座の者か」
「いいえ、わっちゃ座方の者でも親類でもねえんですが、妹めが、その、なんでござんす、ずっとまえから江戸五郎親方に、その――」
「かわいがられているとでもいうのかい」
「へえい。まあ、ひと口にいや囲われ者になっているんでござんす。だから――」
「なるほど、ちっと眼が狂ったようだが、じゃなにかい、鼻緒のその正体は、妹がなにか三味線いじりをしているんだな」
「へえい、ほんの少しばかり、糸の音の好きなおかたなら、墨田舎二三春すみだやふみはるっていや、あああれかとごひいきにしてくださるけちなやつでござんす。だから、人気稼業かぎょうの名にかかわっちゃと、妹の素姓の出ねえようにお隠しだてしていたんでござんす」
「ほほう、なるほどな。そうか、二三春がそちの妹か。たしか、二三春といや、のど自慢顔自慢の東節あずまぶし語りと聞いているが、それにしちゃ兄貴のおめえさんは、ちっとこくが足りねえな。じゃ、その妹に頼まれて、ほれただんなの江戸屋江戸五郎がほんとうの下手人かどうか、幽霊水の正体を突き止めてもらうようにと、駆け込み訴訟に来たんだな」
「いいえ、そうじゃねえんです。あっしが自身に思いたって、お詮議せんぎをおねげえに来たんでござんす。と申すと物好きのようにお思いでござんしょうが、めかけ奉公のような囲われ者でも、妹にとっちゃほれてほれぬいた江戸屋でござんす。それゆえ、だんなの江戸五郎が人気負けしたうえに、ほんとうの下手人かどうかわかりもしねえものを三左衛門からかれこれいわれて、みじめなめに突き落とされているのを見ちゃ、いかな妹も立つ瀬がねえとみえましてな、毎日にち、泣きの涙で暮らしているんで、そこは血を分けたきょうだい、からだは細っかくとも、たったひとりの妹が悲しんでいるのを見ちゃ、あっしだってもじっとしていられませんので、こっそりとこうして伝六親方のところにお力借ろうと飛び込んできたんでござんす。もうほかに何も隠していることはござんせぬ。どうか、おねげえでございますから、だれがいったいほんとうの下手人だか、幽霊水の正体ご詮議くだせえまし。このとおり、ちっちぇえからだを二つに折っての頼みでござんす、頼みでござんす……」
「いかさまな。夏場に外出はあんまりぞっとしねえが、正体のわからねえ幽霊水なんて、存外とおつな詮議かもしれねえや。じゃ、あにい! 伝六親方!」
「…………」
「へへえ。ちっとまた荒れもようだな。何が気に入らねえんだ。おれが横から飛び込んであごの講釈したのが気に入らねえのかい」
「バカにしなさんな。むっつり右門はあごのだんな、伝六だんなはおしゃべりだんなと、近ごろ軽口歌がはやっているくれえのものです。そのあっしが、だんなのお株を奪って、あごに物をいわせるようになりゃ、だんなのしょうべえは干上がっちまうじゃござんせんか。そんなことに腹たてているんじゃねえんだ。あっしの気に入らねえのは、このちっちぇえやつなんですよ。べらぼうめ、そんなべっぴんの妹がいるのに、なぜまた出しおしみして、おめえなんぞが、まごまごとこくのねえつら、さげてきたんだい。二三春とかが自身このおれに頼みに来たら、おれのあごだって油が乗ってくるんだ。油が乗りゃ、おのずと気もへえって眼もつくじゃねえか。これからもあるこったから気をつけろ」
「暑っくるしいやつだな。四の五のいっている暇があったら、はええところ長いのを持ってきな」
「え……?」
「のぼせるな、大小をはよう持参せい」
 お組屋敷へ飛ばしておくと、名人は静かに小さい男を顧みてきき尋ねました。
「嵐三左衛門とかいう上方役者は、今どこに泊まっているんだ」
「ゆうべはたしか浜町河岸がし栗木屋くりきやっていう水茶屋に宿をとっていたはずでござんす」
「じゃ、幽霊水はゆうべも出たんだな」
「出たとのうわさを聞いたればこそ、こうしてお詮議のおねげえに参ったんでござんす」
「おまえのうちはどこじゃ」
駒形河岸こまがたがしの妹のところにいるんでござんす」
「じゃ、道のついでだ、栗木屋のほうを洗って眼がついたら、吉左右きっそうしらせに寄ってやるから、帰って待っていな」
 えいほうと、伝六ともども御用駕籠かごをそろえながら飛ばしていったのは、浜町河岸のその栗木屋です。――さすがのおひざもと大江戸も、真夏の酷暑に物みなすべてが焼けついて、かげろう燃える町中は、行き来の人も跡を断ち、水い、水い、と細く呼ぶ水売りの声のみがわずかに涼味をそそるばかりでした。
「ほほう、いかさまゆうべも水騒動があったとみえて、だいぶ暇人がたかっているな」
 ひょいと駕籠の中からからだを泳がしてのぞいてみると、河岸寄りのその栗木屋の前一帯は、ご苦労さまにも暑いさなかを、物見高い見物人が押しかけて、通行もできないほどの黒だかりです。それもまた無理からぬことにちがいない。一ぴんしょう、少し大きなくしゃみをしても、とかく人気を呼びたがる役者にからまったできごとなのです。しかも、その役者が毎晩毎晩気味の悪い幽霊水に襲われるというのです。あまつさえ、それが実証あってのことであるかどうかは二の次として、同じ役者どうしの意趣遺恨に根を張ったできごとと吹聴ふいちょうされているだけに、わけても江戸娘たちの好奇心をあおったものか、恥ずかしげに面をかくしながら、あちらにこちらにのぞき見している姿が見えました。したがって、またわが伝六のことごとく活気づいたのはいうまでもない。
「どきな、どきな、だんながおいでだよ。おらが自慢のむっつり右門のだんながお出ましなんだ。あけな、あけな、女の子は近寄ってもさしつかえねえが、ろくでもねえ野郎ども雁首がんくびを引っこめな」
 肩をふりふり通っていったあとから、名人は秀麗かぎりない面に、ほのかなみをたたえながら、静かに通っていくと、案内も請わずずかずかとはいっていって、ずばりと宿の者にいいました。
「この巻き羽織見たら八丁堀はっちょうぼり衆ってことがわかるはずだ。嵐三左衛門の寝泊まりしていた座敷へ案内せい」
 小女に導かれながらどんどんはいっていって、ひょいとその座敷の中を見ると、いかさまそこにある品々は一つ残らず、いまだにかわききらぬ水びたしになっているのです。しかも、へやにはまゆげの跡の青いくにゃくにゃとした若い男が汗みどろになって、せっせと荷造りを急いでいるさいちゅうでした。
「あっ、あの――」
 不意の訪れにどぎまぎしながら、言いよどんだのを、いつものあのぎろりと光る鋭いまなこです。じいっと上から下へ見ながめていましたが、静かにさえた名人のことばが飛んでいきました。
弟子でしだな」
「へえい、あいすみませぬ」
「なにもあやまることはない。師匠は、三左衛門は小屋のほうか」
「へえい、朝の四ツから幕があきますんで、もうとうに楽屋入りしたんでござります」
「荷造りしているところをみると、今晩もまたどこかへ宿替えしようというんだな」
「へえい、こう毎晩毎晩じゃ、命がちぢまるさかい、今夜からお師匠はんもわてたちといっしょに楽屋で寝よういいなはるよって、荷ごしらえしているのでござります」
「というと、宿を取って寝るのは、いつも三左衛門ひとりきりか」
「へえい、そうでござります」
「なら、ゆうべのもよう、おまえではよくわからぬな」
「いいえ、わてはいっしょに泊まらいでも、お師匠はんから聞いたり、宿の衆からも聞いたりしておりますさかい、よう知ってまんね。まるでな、ねこほどの足音もさせいでな、朝になってみると知らぬまにこのとおり水びたしになっていますのや。な、ほら、たたんでおいたお召し物までが、このとおりぬれてまっしゃろ」
「ほほう、いかにもな。すると、なんじゃな、いつ忍び込んで、いつこんないたずらをするのか、今まで一度も下手人の姿は見たことがないというのじゃな」
「へえい、姿はおろか、影も見たことがないよって、よけい気味がわるいとお師匠はんもおっしゃってでござります」
「なら、ちと不審じゃな。姿も顔も見せぬ者が、なぜまた江戸屋江戸五郎のしわざとわかるのじゃ」
「そ、それはあんた、江戸五郎はんが水芸を売り物にして盆興行のふたをあけていやはりますさかい、だれかて疑いのわくがあたりまえやおまへんか」
「なるほど、水芸とな。どんな水芸じゃ」
「立ちまわりしていなはるさいちゅうに、足の先から水が吹いたり、刀の先からしずくが散ったりしますさかい、だれかて江戸五郎はんの水忍術、疑うはあたりまえでござります」
「ほほうのう、水忍術[#「水忍術」は底本では「水忍衛」]を使うとは、ちと容易ならんことになってまいったな。よしよし、久方ぶりじゃ、知恵袋にかびがはえぬよう、虫干しさせてやろうよ」
 いいながら、そろりそろりとあごのあたりをなでなで、巨細こさいにへやのうちを調べだしました。見ると、ふすま、障子はいうまでもないこと、壁からびょうぶまでがことごとく同じ幽霊水に襲われているのです。さすがに障子だけはもうかわいていたが、ふすまもからかみも、下半分は一面にしみが残って、じっとりとまだ湿ったままでした。しかも、その水しみが、あたかも今いった水芸でぽたりぽたりしずくをたらしたようなしみばかりなのです。当然のごとく、名人の目はさえ渡りました。天井から雨だれのようにでもたれおちた形跡があれば格別だが、申し合わせたように下半分へ、それもあきらかにへやの中からふりかけたらしい痕跡こんせきがあるところを見ると、嵐三左衛門ならずとも、その下手人としての疑いを水芸達者の江戸五郎にかけたくなるのは当然なことだったからです。しかし、それにしても、ひと晩やふた晩ならともかく、十日のうえも寝ているへやの中へ忍びこまれて、しかもこれだけの水いたずらされながら、まるで知らないというのは、いかにも不思議といわざるをえない。
「ね……?」
「…………」
「箱根から東へはお化けも河童かっぱも出ねえってことに相場が決まってるんだが、なにしろお盆がちけえんだからね。怨霊おんりょうのやつめ、三途さんずの川で見当まちげえやがって、お門違いのおひざもとへ迷ってきやがったかもしれませんぜ。ええ、そうですよ。そうですとも! たしかに、こりゃだれかの怨霊のしわざにちげえねえんですよ。そうでなくちゃ、だれにこんな気味のわるいまねができるもんですか」
「…………」
「ええ、そうですよ。そうですとも! いくら江戸屋の江戸五郎が水芸達者のけれん師であったにしても、舞台と地とでは場所が違うんだからね。伊賀いが甲賀の忍術までも使えるはずがねえんだ。ええ、そうですとも! それにちげえねえんだ。ひょっとすると、こりゃ三左衛門の肩にでもくっついてきた上方怨霊おんりょうにちげえねえんですぜ」
 そろそろと伝六がお株をはじめてさえずりだしたのを、名人はあごをなでなでしきりとあちらこちら見捜していましたが、と――そのときはしなくも目についたものは、へやのすみに置かれてある二枚折りびょうぶの裏側のすそ下のほうに、ぷつりと浅く刺さっている平打ちのなまめかしい銀かんざしです。同時に、きらりその目が鋭く光りました。のっそり近づいて、抜きとりながら手にとりあげてみると、二筋三筋長い髪の毛が巻きついているのです。しかも、平打ちのその銀かんざしの飾り腹に紋があるのです。まさしく、だきみょうがの透かし彫りが見えるのです。――名人のことばは、当然のごとく伝法にさえ渡りました。
弟子でしのあにい! おい、こら、弟子のおにいはん!」
「へ?」
「嵐三左衛門の紋はどんなやつじゃ」
「このとおり羽織にもございますが、うちの師匠はかたばみでござんす」
「江戸五郎のはどんな紋じゃ」
「江戸屋はんのはたしか――なんだっしゃったろな。ええと……?」
「だきみょうがか!」
「そうでござんす。そうでござんす。たしかにそのだきみょうがでございました」
 聞くや、名人はとつぜんかんからと笑いだすと、吐き出すようにいいました。
「暑いさなかを人騒がせするのにもほどがあらあ、おれが出かけるにもあたるめえ。のう、江戸のあにい、伝六親方、おめえだいぶべっぴんにご執心のようだったから、ひとっ走り駒形河岸へいって、気に入るように締めあげてきなよ」
「え……?」
「えじゃないよ、とんだ食わせ者にもほどがあらあ。幽霊水の下手人は、墨田舎二三春すみだやふみはると事が決まったよ。おそらく、さっき駆け込み訴訟したちっこい野郎もぐるになって、何かひと狂言うったにちげえねえんだから、いっしょにぱんぱんと啖呵たんかをきってしょっぴいてきな」
「ちぇッ。だから、いわねえこっちゃねえんだ。たまにゃあごにも甘い物を食べさせておやんなさいよ。墨田舎の二三春が下手人とはなんですかよ。水芸達者の江戸屋江戸五郎に疑いがかかるというならまだ理屈にかなった話だが、三味線しゃみせんひくのと忍術使うのとはわけが違うんだ。どこにあるんです、現の証拠は、どこにあるんです」
「この品さ。よく目をあけてごらんなよ」
「それがなんです。珍しくもねえ銀の平打ちかんざしじゃねえんですか。そんなもの、墨田舎の二三春でなくたって、いくらでもさしている女はありますよ」
「わからねえやつだな。紋だよ、紋だよ。そのどんぐりまなこをよくあけて、このだきみょうがの透かし紋をとっくり見なよ。江戸屋江戸五郎の紋だといっているじゃねえか。おれも二つしか耳はねえが、この江戸で女のかんざしをさしている男があるという話はまだ聞かねえよ。きのどくながら、やっぱりかんざしは女の持ち物とするなら、ほれた男の江戸屋の紋をかんざしにまで刻んでいるあだものは、まず十中八、九、二三春にちげえあるめえとホシをつけたって、しかたのねえことじゃねえかよ。はええところいってきな」
「へへえね。そういう理屈のものですかね」
「何を感心しているんだい。この暑気だ、まごまごしてりゃ腐っちまうじゃねえか。おおかた、二三春のやつめ、ほれた男の江戸五郎が、嵐の三左衛門に人気をさらわれちまったんで、それがくやしさに水まきして歩いているにちげえねえんだ。三味線ひくやつだって、忍びの得手えてがねえとはかぎらねえよ。夜忍びするは男と決まったもんじゃねえからな」
「ちげえねえ。当節は江戸で、女の色忍びがはやるっていうからね、べらぼうめ、べっぴんのくせに、ふざけたまねしやがって、どうするか覚えてろ。江戸っ子のつらよごすにもほどがあるじゃねえか。じゃ、なんですかい、兄貴だとかいったあのさっきのこくのねえ野郎も、いっしょにしょっぴいてくるんですかい」
「あたりめえよ。おれゃ八丁堀でひと涼みしているから、あっちへつれてきな」
 がってんとばかり伝六は宙を飛んで、その場に駒形河岸を目ざしました。



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