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――その第二十四番てがらです。
時は八月初旬。むろん旧暦ですから今の九月ですが、
だからというわけでもあるまいが、どうも少し伝六の様子がおかしいのです。朝といえばまずなにをおいても駆けつけて、名人の身のまわりの世話はいうまでもないこと、ふきそうじから食事万端、なにくれとなくやるのがしきたりであるのに、待てど暮らせどいっこうに姿を見せないので、いぶかりながらひとり住まいのそのお組小屋へいってみると、ぶらり――とくくっていたら大騒ぎですが、どう見てもそのかっこうは、これからくくろうとする人そっくりなのでした。それも、玄関前の軒下の
「バカだな――」
「…………」
「なんて気のきかねえまねしてるんだ」
「…………」
「ね、おい大将。何しているんだよ」
だが、返事がない。振り向きもせずに、だらりとつりさがっている兵児帯を見てはひねり、ひねっては見ながめている様子が、さながら死のうか死ぬまいかと思案でもしているかっこうそっくりでしたので、名人も少しぎょッとなりながら呼びかけました。
「知らねえ人が見りゃびっくりするじゃねえか。死にたくなるがらでもあるめえに、寝ぼけているんだったら目をさましなよ――」
どんと背中をたたかれたのに、どうも様子が変なのです。のっそりとうしろを振り向きながら、上から下へ名人の姿をじろじろと見ながめていましたが、とつぜん、やぶからぼうに、ねっちりと妙なことをいいだしました。
「つかぬことをお尋ねするんだがね――」
「なんだよ。不意に改まって、何がどうしたんだ」
「いいえね、この
「なんと見ようもねえじゃねえか。ただの帯だよ。二分も持っていきゃ十本も買える安物じゃねえか」
「でしょう。だから、あっしゃどうにもがてんがいかねえんですがね。だんなはいったいこの帯が人を殺すと思いますかね」
「変なことをいうやつだな。殺したらどうしたというんだ」
「いいえね。殺すかどうかといって、おききしているんですよ。どうですかね、殺しますかね。このとおりもめんの帯なんだ。刃物でもドスでもねえただのこのもめんのきれが、人を殺しますかね」
「つがもねえ。もめんのきれだって、なわっきれだって、りっぱに人を殺すよ。疑うなら、おめえその帯でためしにぶらりとやってみねえな。けっこう楽々とあの世へ行けるぜ」
「ちぇッ、そんなことをきいてるんじゃねえんですよ。首っくくりのしかたぐれえなら、あっしだっても知ってるんだ。だらりとね、もめんのきれがさがっている下に、人間の野郎が死んでいるんですよ。大の男がね、それもれっきとしたお侍なんだ。その二本ざしが、のど笛に風穴をあけられて、首のところを血まみれにしながら冷たくなっているんですよ。だからね、あっしゃどうにもその死に方が気に入らねえんだ。どうですかね、そんなバカなことってえものがありますかね」
「あるかねえか、やぶからぼうに、そんな妙なことをきいたってわからねえじゃねえか。どこでいったい、そんなものを見てきたんだ」
「どこもここもねえんですよ。きょうは八月の八日なんだ。一月は一日、二月は二日、三月は三日と、だんなもご存じのように月の並びの日ゃこの三年来、欠かさず観音様へ朝参りに行きますんでね。けさも夜中起きして白々ごろに雷門の前まで行くてえと、いきなりいうんです。もしえ、だんな、ちょいといい男ってね。こう陰にこもってやさしくいうんですよ」
「なんだよ。今のその変な声色は、なんのまねかい」
「女のこじきなんですがね。ええ、そうなんですよ。年のころはまず二十七、八。それがいうんですがね。ちょいといい男ってね。こうやさしくいうんですよ。だから、ついその――」
「バカだな。そのこじきがどうしたというんだ」
「いいえね、こじきはべつにどうもしねえんだ。とかく話は細かくねえと情が移らねえんでね、念のためにと思って申しあげているんだが、こじきのくせに、かわいい声を出していうんですよ。ちょいと、いい男、おにいさん。もしえ、だんな、情けは人のためではござんせぬ。七つの年に親に別れ、十の年に目がつぶれ、このとおり難渋している者でござんす。お手の内をいただかしておくんなんし、とこんなに哀れっぽく持ちかけるんでね。十の年に目のつぶれた者があっしの男ぶりまでわかるたア感心なものだと思って、三百文ばかり恵んでやったんですよ。するてえと、だんな、いいこころ持ちで観音様へお参りしながらけえってくるとね――」
「そこで見たのか」
「いいえ、そう先回りしちゃいけませんよ。話はこれからまだずっとなげえんだから、まあ黙ってお聞きくだせえまし。するとね、ぽっかり今日さまが雲を破ったんだ。朝日がね。まったく、だんなを前にして講釈するようですが、こじきに善根を施して、観音さまへお参りをすまして、いいことずくめのそのけえり道にお会い申す日の出の景色ぐれえいい心持ちのするものは、またとねえんですよ。だから、すっかりあっしも朗らかになってね、あそこへ回ったんですよ。あそこの妙見さまへね。だんなは物知りだからご存じでしょうが、下谷の
「なんだよ。何がぶらりとさがっているんだ」
「ほら、なんとかいいましたっけね。鈴でなし、
「わにぐちか」
「そうそう、わにぐちですよ。そのわにぐちの布がぶらりとさがっているまっ下にね、死んでいるんだ、死んでいるんだ、さっき申した二本ざしのりっぱなお侍がね、ぐさッとのど笛をえぐられて、長くなっていたんですよ。だから、こいつあたいへん、何をおいてもまずだんなにお知らせしなくちゃと思ってね、さっそく大急ぎにいましがた
「バカだな」
「え……?」
「あきれてものがいえねえといってるんだよ。にわか坊主の禅修行じゃあるめえし、帯とにらめっこをしてなんの足しになるけえ。それならそうと早くいやいいんだ。どうやら、また手数のかかるあな(事件)のようじゃねえか。役にもたたねえ首なんぞをひねっている暇があったら、とっとと朝のしたくをやんな。まごまごしてりゃ、ご番所から迎いが来るぜ」
いっているとき――。
「だんな、だんな! 右門のだんな!」
向こうかどをこちらへ大声で呼びながら、そのことばを裏書きでもするように必死と駆けてきたのは、ひと目にそれとわかるご番所からの使いです。しかも、駆け近づくと同時に手渡したのは、ご