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旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)07 第七話 仙台に現れた退屈男

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-7 10:27:50 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       四

 声は誰でもない千種屋のあの青白く冷たい、秋時雨(あきしぐれ)のような若女房でした。女将(おかみ)は、その冷たく青白い面を、恐怖に一層青めながら、愛児を必死に小脇へかかえて、凝然(ぎょうぜん)とおどろき怪しんでいる黒白隊の間をかいくぐりつつ、退屈男のところへ駈け近づくと、おろおろとすがりついて訴えました。
「お願いでござります! 夫が、夫が大変でござります。御力お貸し下されませ! お願いでござります!」
「……!?」
「夫が、夫が、早乙女のお殿様へ早うお伝えせいと申しましたゆえ、おすがりに参ったのでござります。今、只今、宿の表で捕り方に囲まれ、その身も危(あやう)いのでござります。お助け下さりませ。お願いでござります! お願いでござります!」
「捕り方に囲まれおるとは、何としたことじゃ」
「かくしにかくしておりましたなれど、とうとう江戸隠密の素姓(すじょう)が露見したのでござります。宿改め素姓詮議のきびしい中をああしてお殿様にお泊り願うたのは、御眉間傷で早乙女の御前様と知ってからのこと、いいえ、かくしておいた隠密が露見しそうな模様でござりましたゆえ、万一の場合御力にすがろうとお宿を願うたよし申してでござります。ほかならぬ江戸で御評判の御殿様、同じ江戸者のよしみに御助け下さらばしあわせにござります。わたくし共々しあわせにござります」
「よし、相分った! そなたが夫とは、あの客引きの若者じゃな」
「はい。三とせ前からついした縁が契(ちぎり)の初めとなって、かようないとしい子供迄もなした仲でござります。お助け、お助け下さりまするか!」
「眉間傷が夕啼(ゆうな)き致しかかったばかりの時じゃ、参ろうぞ! 参ろうぞ! きいたか! ズウズウ国の端侍共(はざむらいども)ッ、直参旗本早乙女主水之介、ちと久方ぶりに退屈払いしてつかわすぞッ! 来るかッ。馬鹿者共よ喃。ほら! この通りじゃ! よくみい! うぬもかッ。並んでいっぷくせい」
 右へ二人、左へ三人、行く手を塞いだ四五人に、あっさり揚心流当て身の拳あてて片づけながら道を開いておくと、
「女つづけッ」
 にったり打ち笑みながら、さッと駈け出しました。やらじと、前、横、うしろから藩士の面々が雪崩(なだ)れかかろうとしたとき、――実に以外です。謎の矢場主英膳が、あの重籐の弓構えとって、突如矢場の切り戸わきに仁王立ちとなると、天にもひびけとばかり呼ばわりました。
「者共ッ、きけッきけッ。同志の身が危ういときくからは、われらも素姓知らしてやろうわ。何をかくそう、この英膳も同じその隠密じゃッ。三とせ前からこうして矢場を開き、うぬら初め家中の者共の弓の対手となっていたは、みな御老中の命によって当藩の秘密嗅ぎ出すための計りごとじゃ。――御前! 早乙女の御前! あとは拙者がお引きうけ申したぞッ。あちらを早く! 同志を早く! ――者共ッ、一歩たりともそこ動かば、江戸で少しは人に知られた早矢の英膳が仕止め矢、ひとり残らずうぬらが咽喉輪(のどわ)に飛んで参るぞッ」
 言いつつ、射て放ったはまことに早矢の達人らしく一箭(せん)! 二箭! 飛んだかと見るまにヒュウヒュウと藩士の身辺におそいかかりました。不意を打たれて紊(みだ)れ立つともなく足並みが紊れ立ったその隙に乗じながら、主水之介はわが意を得たりとばかりに、莞爾(かんじ)としながら女共共一散走り!
 角を曲ると同時に、なるほど目を射ぬいたものは、そこの千種屋の前一帯に群がりたかる捕り方の大群でした。
 街は暗い。
 道も暗い。
 いつしかしっとりと秋の宵が迫って、行く手は彼(か)は誰(た)れ時の夕闇でしたが、しかしその宵闇の中にたばしる剣光を縫いながら、必死とあの宿の若者の力戦奮闘している姿が見えました。――ダッと走り寄って、捕り手の小者達のうしろに颯爽として立ちはだかると、叫んだ声のりりしさ爽やかさ、退屈男の面目、今やまさに躍如たるものがありました。
「宿の若者! 助勢致してつかわすぞッ。――木ッ葉役人、下りませい! 下りませい! 直参旗本早乙女主水之介が将軍家のお手足たる身分柄を以て助勢に参ったのじゃ。わが手は即ち公儀のおん手、要らざる妨げ致すと、五十四郡が五郡四郡に減って行こうぞッ。道あけい!」
 言葉の威嚇もすばらしかったが、胆(たん)の冴え、あの眉間傷の圧倒的な威嚇が物を言ったに違いない。さッとどよめきうろたえながら雪崩れ散るように波を打って道を開いたその中を、ずいずいと若者のところへ歩み寄ると、莞爾たり!
「三とせ越し上手によく化けおったな。怪我はないか」
「おッ……。ありがとうござります。ありがとうござります。実は、実は手前、御前と同じ江戸の……」
「言わいでもいい、妻女からあらましは今きいた。何ぞよ、何ぞよ。隠密に参った仔細はいかなることじゃ」
「居城修復と届け出して公儀御許しをうけたにかかわらず、その実密々に増築工事進めおりまする模様がござりましたゆえ、矢場主英膳どのと拙者の二人が御秘命蒙り、うまうまと、三年前から当城下に入り込みまして、苦心を重ね探りましたところ、石の巻に――」
 始終を語り告げているその隙に乗じて、七八名の捕り手達がうしろから襲いかかろうとしたのを、
「身の程知らずがッ、この眉間傷、目に這入らぬかッ」
 ぐっとふり向いて一喝しながら威嚇しておくと、自若としながらきき尋ねました。
「石の巻に何ぞ秘密でもあったか」
「秘密も秘密、公儀御法度(ごはっと)の兵糧倉(ひょうろうぐら)と武器倉を二カ所にこしらえ、巧みな砦塞(とりで)すらも築造中なのでござります。そればかりか城内二ノ廓(くるわ)にも多分の兵糧弾薬を秘かに貯え、あまつさえ素姓怪しき浪人共を盛んに召し抱えまする模様でござりましたゆえ、ようやく今の先その動かぬ証拠を突きとめ、ひと飛びに江戸表へ発足しようと致しましたところを、先日中より手前の身辺につきまとうておりました藩士共にひと足早く踏みこまれ、かくは窮地に陥入ったのでござります」
「左様か、左様か、お手柄じゃ。では、先程身共を英膳の矢場へ案内していったのも、うるさくつきまとう藩士達を身共共々追っ払って、その間に動かぬ証拠突き止めようとしてのことか」
「は。その通りでござります。御前は手前等ごとき御見知りもござりますまいが、手前等英膳と二人には、江戸におりました頃からお馴染深(なじみぶか)いお殿様でござりますゆえ、この城下にお越しを幸いと、万が一の折のお力添え願うために、お引き合せかたがたあの矢場へ御つれ申したのでござります。それもこれも藩の者共が、江戸に城内の秘密嗅ぎ知られてはとの懸念から、宿改め、武家改めをやり出しましたが御縁のもと、かく御殿様のうしろ楯得ましたからには、もう千人力にござります」
「よし、それにて悉皆(しっかい)謎は解けた。――者共ッ、もう遠慮は要らぬぞ。これなる眉間傷の接待所望の者は束になってかかって参れッ。――来ぬかッ。笑止よ喃(のう)。独眼竜将軍政宗公がお手がけの城下じゃ。ひとり二人は人がましい奴があろう。早う参れッ」
 しかしかかって参れと促されても、三日月傷が邪魔になってそうたやすく行かれるわけがないのです。進んでは退き、尻ごみしては小者達がひしめきどよめきつつ構え直しているとき、タッ、タッ、タッと宵闇の向うから近づき迫って来たのは、まさしく蹄の音でした。知るや、どッと捕り方達の気勢があがりました。
「お目付じゃ。村沢様じゃ。お目付の村沢様お自ら出馬遊ばされましたぞッ。かかれッ。かかれッ。捕って押えろッ」
 色めき立った声と共に、いかさま馬上せわしく駈け近づいて来たのは、七八人の屈強(くっきょう)な供侍を引き随えた老職らしいひとりです。同時に馬上から声がありました。
「捕ったかッ、捕ったかッ。――まごまご致しおるな。たかの知れた隠密ひとりふたり、手間どって何ごとじゃッ。早う召し捕れッ、手にあまらば斬ってすてろッ」
「………」
「よッ。見馴れぬ素浪人の助勢があるな! 構わぬ! 構わぬ! そ奴もついでに斬ってすてろッ」
「控えい! 控えい! 素浪人とは誰に申すぞ。下りませい! 下りませい! 馬をすてい!」
 きいて、ずいと進み出たのは主水之介です。
「無役ながらも千二百石頂戴の天下お直参じゃ! 陪臣(またもの)風情が馬上で応待は無礼であろうぞ。ましてや素浪人とは何ごとじゃ。馬すてい!」
「なにッ?」
 お直参の一語に、ぎょッとなったらしいが、しかし馬はそのままでした。と見るや退屈男は、ついと身を泳がして、傍らの捕り手が斜(しゃ)に構えていた六尺棒を手早く奪いとるや、さっと狙いをつけて馬腹目ざしながら投げつけたのは咄嗟の早業の棒がらみです。――唸って飛んで栗毛の足にハッシとからみついたかと見えるや、馬は竿立ち、笑止にも乗り手は地に叩きつけられました。
「みい、当藩目付とあらば少しは分別あろう。早う下知して捕り方退かせい」
「………」
「まだ分らぬか。わからば元より、江戸大公儀御差遣(ごさけん)の隠密に傷一つ負わしなば、伊達五十四郡の存亡にかかろうぞ。匆々(そうそう)に捕り方退かせて、江戸へ申し開きの謝罪状でも書きしたためるが家名のためじゃ。退けい。退かせい」
「申すなッ。隠密うける密事があらば格別、何のいわれもないのになにゆえまた謝罪するのじゃ。紊りに入国致した隠密ならば、たとい江戸大公儀の命うけた者とて、斬り棄て成敗勝手の筈じゃわッ。構わぬ、斬ってすてろッ」
「馬鹿者よ喃。まだ分らぬかッ。石の巻のあの不埓は何のための工事じゃ」
「えッ――」
「それみい、叩けばまだまだ埃が出る筈、この早乙女主水之介を鬼にするも仏にするも、その方の胸一つ出方一つじゃ。とくと考えて返答せい」
「………」
「どうじゃ。それにしてもまだ斬ると申すか。主水之介眉間に傷はあるが、由緒も深い五十四郡にたって傷をつけるとは申さぬわッ。探るべき筋(すじ)あったればこそ探りに這入った隠密、斬れば主水之介も鬼になろうぞ。素直に帰さば主水之介も仏になろうぞ。どうじゃ。とくと分別して返答せい」
「…………」
 ぐっと言葉につまって油汗をにじませながら打ち考えていたが、さすが老職年の功です。
退(ひ)けッ。者共騒ぐではない。早う退けいッ」
「わッははは、そうあろう。そうあろう。素直に退かばこの隠密とても江戸者じゃ。血もあり涙もある上申致そうぞ。さすれば五十四郡も安泰じゃ。早う帰って江戸への謝罪の急使、追い仕立てるよう手配でもさっしゃい。――若者、旅姿してじゃな。身共もそろそろ退屈になりおった。秋の夜道も一興じゃ。ぶらりぶらり参ろうかい」
「は。何から何まで忝のうござります」
 歩き出そうとしたのを、ふと、しかし退屈男は気がついて呼びとめました。
「まてッ。まてまて。妻女がそこに泣いてじゃ。いたわって江戸まで一緒に道中するよう、早う支度させい」
「いえ!」
 泣き濡れていた面をあげながら、凛(りん)として言ったのはその妻女です。
「いえあの、わたくしはあとへのこります」
「なに? なぜじゃ。末始終離れまじと誓った筈なのに、そなたひとりがあとへ残るとは何としたのじゃ」
「誓って馴れ初(そ)めました仲ではござりますなれど、わたくしは家つきのひとり娘、御領主様の御恩も忘れてはなりませぬ。親共が築きましたる宿の差配もせねばなりませぬ。いいえ、いいえ、祖先の位牌をお守りせねばならぬわたくし、三とせ前に契るときから、江戸隠密とは承知の上で、こうした悲しい別れの日も覚悟の上で思い染め馴れ染めた仲でござります。――俊二郎さま! お身お大切に! 坊は、この児はあなたと思うて、きっとすこやかに育てまする……。では、さようなら……、さようなら……」
「天晴れぞや。――俊二郎とやら、陸奥(みちのく)の秋風はまたひとしお身にしみる喃」
 そこへのっしのっしと来合わしたのは英膳です。
「おう。こちらも御無事で!」
「そちもか。英膳、悲しい別れをそちも泣いてつかわせ」
 ひと目でことの仔細を知ったか、早矢の達人の目にも、キラリ露の雫(しずく)が光りました。――吹くは風、吹くは五十四郡の秋風である



底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:大野晋
ファイル作成:野口英司
2001年5月21日公開
2001年6月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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