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未帰還の友に(みきかんのともに)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-24 17:41:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

       一

 君が大学を出てそれから故郷の仙台の部隊に入営したのは、あれは太平洋戦争のはじまった翌年、昭和十七年の春ではなかったかしら。それから一年って、昭和十八年の早春に、アス五ジ ウエノツクという君からの電報を受け取った。
 あれは、三月のはじめ頃ではなかったかしら。何せまだ、ひどく寒かった。僕は暗いうちから起きて、上野駅へ行き、改札口の前にうずくまって、君もいよいよ戦地へ行くことになったのだとひそかに推定していた。遠慮深くて律義りちぎな君が、こんな電報を僕に打って寄こすのは、よほどの事であろう。戦地へ出かける途中、上野駅に下車して、そこで多少の休憩の時間があるからそれを利用し、僕と一ぱい飲もうという算段にちがいないと僕は賢察していたのである。もうその頃、日本では、酒がそろそろ無くなりかけていて、酒場の前に行列を作って午後五時の開店を待ち、酒場のマスタアに大いにあいそを言いながら、やっと半合か一合の酒にありつけるという有様であった。けれども僕には、吉祥寺きちじょうじに一軒、親しくしているスタンドバアがあって、すこしは無理もきくので、実はその前日そこのおばさんに、「僕の親友がこんど戦地へ行く事になったらしく、あしたの朝早く上野へ着いて、それから何時間の余裕があるかわからないけれども、とにかくここへ連れて来るつもりだから、お酒とそれから何か温かいたべものを用意して置いてくれ、たのむ!」と言って、承諾しょうだくさせた。
 君とったらすぐに、ものも言わずに、その吉祥寺のスタンドに引っぱって行くつもりでいたのだが、しかし、君の汽車は、ずいぶん遅れた。三時間も遅れた。僕は改札口のところで、トンビの両袖りょうそでを重ねてしゃがみ、君を待っていたのだが、内心、気が気でなかった。君の汽車が一時間おくれると、一時間だけ君と飲む時間が少くなるわけである。それが三時間以上も遅れたのだから、実に非常な打撃である。それにどうも、ひどく寒い。そのころ東京では、まだ空襲は無かったが、しかし既に防空服装というものが流行していて、僕のように和服の着流しにトンビをひっかけている者は、ほとんど無かった。和服の着流しでコンクリートのたたきにうずくまっていると、すそのほうから冷気がいあがって来て、ぞくぞく寒く、やりきれなかった。午前九時近くなって、君たちの汽車が着いた。君は、ひとりで無かった。これは僕の所謂いわゆる「賢察」も及ばぬところであった。
 ざッざッざッという軍靴の響きと共に、君たち幹部候補生二百名くらいが四列縦隊で改札口へやって来た。僕は改札口の傍で爪先つまさき立ち、君を捜した。君が僕を見つけたのと、僕が君を見つけたのと、ほとんど同時くらいであったようだ。
「や。」
「や。」
 という具合になり、君は軍律もクソもあるものか、とばかりに列から抜けて、僕のほうに走り寄り、
「お待たせしまスた。どうスても、逢いたくてあったのでね。」と言った。
 僕は君がしばらく故郷の部隊にいるうちに、ひどく東北なまりの強くなったのに驚き、かつはあきれた。
 ざッざッざッと列は僕の眼前を通過する。君はその列にはまるで無関心のように、やたらにしゃべる。それは君が、僕に逢ったらまずどのような事を言って君自身の進歩をみとめさせてやろうかと、汽車の中で考えに考えて来た事に違いない。
「生活というのは、つまり、何ですね、あれは、何でも無い事ですね。僕は、学校にいた頃は、生活というものが、やたらにこわくて、いけませんでしたが、しかス、何でも無いものであったですね。軍隊だって生活ですからね。生活というのは、つまり、何の事は無い、身辺の者との附合いですよ。それだけのものであったですね。軍隊なんてのは、つまらないが、しかス、僕はこの一年間にいて、生活の自信を得たですね。」
 列はどんどん通過する。僕は気が気でない。
「おい、大丈夫か。」と僕は小声で注意を与えた。
「なに、かまいません。」と君は、その列のほうには振り向きもせず、「僕はいま、ノオと言えるようになったですね。生活人の強さというのは、はっきり、ノオと言える勇気ですね。僕は、そう思いますよ。身辺の者との附合いに於いて、ノオと言うべき時に、はっきりノオと言う。これが出来た時に、僕は生活というものに自信を得たですね。先生なんかは、未だにノオと言えないでしょう? きっと、まだ、言えませんよ。」
「ノオ、ノオ。」と僕は言って、「生活論はあとまわしにして、それよりも君、君の身辺の者はもう向うへ行ってしまったよ。」
「相変らず先生は臆病だな。落着きというものが無い。あの身辺の者たちは、駅の前で解散になって、それから朝食という事になるのですよ。あ、ちょっとここで待っていて下さい。弁当をもらって来ますからね。先生のぶんももらって来ます。待っていて下さい。」と言って、走りかけ、また引返し、「いいですか。ここにいて下さいよ。すぐに帰って来ますから。」
 君はどういう意味か、紫の袋にはいった君の軍刀を僕にあずけて、走り去った。僕は、まごつきながらも、その軍刀を右手に持って君を待った。しばらくして君は、竹の皮に包まれたお弁当を二つかかえて現れ、
「残念です。嗚呼ああ、残念だ。時間が無いんですよ、もう。」
「何時間も無いのか? もう、すぐか?」と僕は、君の所謂いわゆる落着きの無いところを発揮した。
「十一時三十分まで。それまでに、駅前に集合して、すぐ出発だそうです。」
「いま何時だ。」君の愚かな先生は、この十五、六年間、時計というものを持った事が無い。時計をきらいなのでは無く、時計のほうでこの先生をきらいらしいのである。時計に限らず、たいていの家財は、先生をきらって寄り附かない具合である。
 君は、君の腕時計を見て、時刻を報告した。十一時三十分まで、もう三時間くらいしか無い。僕は、君を吉祥寺のスタンドバアに引っぱって行く事を、断念しなければいけなかった。上野から吉祥寺まで、省線で一時間かかる。そうすると、往復だけで既に二時間を費消する事になる。あと一時間。それも落着きの無い、絶えず時計ばかり気にしていなければならぬ一時間である。意味無い、と僕はあきらめた。
「公園でも散歩するか。」泣きべそをくような気持であった。
 僕は今でもそうだが、こんな時には、お祭りに連れて行かれず、家にひとり残された子供みたいな、天をうらみ、地をのろうような、どうにもかなわないさびしさに襲われるのだ。わが身の不幸、などという大袈裟おおげさな芝居がかった言葉を、冗談でなく思い浮べたりするのである。しかし、君は平気で、
「まいりましょう。」と言う。
 僕は君に軍刀を手渡し、
「どうもこのひもは趣味が悪いね。」と言った。軍刀の紫の袋には、真赤な太い人絹の紐がぐるぐる巻きつけられ、そうして、その紐の端には御ていねいに大きいふさなどが附けられてある。
「先生には、まだ色気があるんですね。恥かしかったですか?」
「すこし、恥かしかった。」
「そんなに見栄坊みえぼうでは、兵隊になれませんよ。」
 僕たちは駅から出て上野公園に向った。
「兵隊だって見栄坊さ。趣味のきわめて悪い見栄坊さ。」
 帝国主義の侵略とか何とかいう理由からでなくとも、僕は本能的に、あるいは肉体的に兵隊がきらいであった。或る友人から「服役中は留守宅の世話云々うんぬん」という手紙をもらい、その「服役」という言葉が、懲役ちょうえきにでも服しているような陰惨な感じがして、これは「服務中」の間違いではなかろうかと思って、ひとに尋ねてみたが、やはりそれは「服役」というのが正しい言い習わしになっていると聞かされ、うんざりした事がある。
「酒を飲みたいね。」と僕は、公園の石段を登りながら、低くひとりごとのように言った。
「それも、悪い趣味でしょう。」
「しかし、少くとも、見栄ではない。見栄で酒を飲む人なんか無い。」
 僕は公園の南洲の銅像の近くの茶店にはいって、酒は無いかと聞いてみた。有るはずはない。お酒どころか、その頃の日本の飲食店には、既にコーヒーも甘酒も、何も無くなっていたのである。
 茶店の娘さんに冷く断られても、しかし、僕はひるまなかった。
「御主人がいませんか。ちょっと逢いたいのですが。」と僕は真面目まじめくさってそう言った。
 やがて出て来た頭の禿げた主人に向って、僕は今日の事情をめんめんと訴え、
「何かありませんか。なんでもいいんです。ひとえにあなたの義侠心ぎきょうしんにおすがりします。たのみます。ひとえにあなたの義侠心に、……」という具合にあくまでもねばり、僕の財布の中にあるお金を全部、その主人に呈出した。
「よろしい!」とその頭の禿げた主人は、とうとう義侠心を発揮してくれた。「そんなわけならば、私の晩酌用のウィスキイを、わけてあげます。お金は、こんなにたくさんりません。実費でわけてあげます。そのウィスキイは、私は誰にも飲ませたくないから、ここに隠してあるのです。」
 主人は、憤激しているようなひどく興奮のていで、矢庭やにわに座敷の畳をあげ、それから床板を起し、床下からウィスキイの角瓶を一本とり出した。「万歳!」と僕は言って、拍手した。
 そうして、僕たちはその座敷にあがり込んで乾杯した。
「先生、相変らずですねえ。」
「相変らずさ。そんなにちょいちょい変ってはたまらない。」
「しかし、僕は変りましたよ。」
「生活の自信か。その話は、もうたくさんだ。ノオと言えばいいんだろう?」
「いいえ、先生。抽象論じゃ無いんです。女ですよ。先生、飲もう。僕は、ノオと言うのに骨を折った。先生だって悪いんだ。ちっとも頼りになりやしない。菊屋のね、あの娘が、あれから、ひどい事になってしまったのです。いったい、先生が悪いんだ。」
「菊屋? しかし、あれは、あれっきりという事に、……」
「それがそういかないんですよ。僕は、ノオと言うのに苦労した。実際、僕は人が変りましたよ。先生、僕たちはたしかに間違っていたのです。」
 意外な苦しい話になった。

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