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道徳の観念(どうとくのかんねん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-7 22:32:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 だがそれにも拘らず、ホッブズ倫理学の人間性論[#「人間性論」に傍点]が、長くイギリス倫理学の根本課題として残されたことは、重大である。先に云った一連の道徳感情論的倫理学は正にここから出発したのであったし、イギリスの政治学や経済学も亦これなしには発育しなかった(ロック・ヒューム・スミス・等を見よ)。そして人間性の善悪[#「善悪」に傍点]の問題(ホッブズに於ては人間性悪説だった)は、道徳の問題を善悪の価値対立問題として、その後の倫理学を支配した(ベンサムの功利主義に立つ最大多数の最大幸福説――之はベッカリーアの思想から糸を引いていると云われる――を見よ)。そして最後に、ホッブズが善悪の対立を法不法の対立に還元することによって、道徳を少なくとも何よりも道徳律[#「道徳律」に傍点]として理解せねばならなかったことを注目しなければならぬ。之も亦その後のブルジョア倫理学に於ける常識的道徳観念の一つの形態をなすものである(之はカントによって探究された形態の「道徳論」だ)。
 だが、道徳がその本質を社会[#「社会」に傍点]の内に持っているということは、ホッブズの倫理説によって初めて真向から取上げられた処の、忘るべからざる特色なのである。この特色は事実上唯物論(機械論)的倫理学と必然的な関係があるものであって、後にエルヴェシウスなどは十八世紀に於けるその代表者でなければならぬ。尤も機械的唯物論は道徳の歴史的[#「歴史的」に傍点]発達を理解し得ないのを常とする。従って之によっては道徳の社会的本質は、本当の処を理解し得ないのが当然だ。之は機械論的唯物論的倫理学の最大の根本的欠陥であると共に、同時に又、ブルジョア観念論的倫理学にとって略々共通の(ヘーゲルは除く)根本的遺漏に他ならない。
 かくて吾々は、ホッブズの倫理学とそれに基くブルジョア倫理学なる独立領域の成立との内に、近代ブルジョア通俗常識[#「通俗常識」に傍点]による道徳観念の、根本的な諸規定(夫を私は第一章で述べた)の殆んど一切の萌芽を見ることが出来ると云っていいだろう。――だがそれにも拘らずここにはまだ、近代ブルジョア観念論的倫理学の、最も大切な二三の根本問題が盛られていないのである。現にホッブズのは本来が唯物論的倫理学に他ならなかった。近代ブルジョア観念論が最も愛好する倫理学的テーマが、それにはまだ欠けているのだ。そしてこの特有に近代倫理学的なテーマを介して、ブルジョア観念論一般が、ブルジョアジーの通俗常識を踏み越えるようにさえ見せかける筈である。――一体ホッブズ倫理学では、すでに古典的に現われた道徳の諸問題を、何と云ってもあまりに機械的にそして簡単に、片づけて了った憾みがあっただろう。

 ブルジョア倫理学の観念的代表者は他ならぬI・カントである。尤もカント哲学は必ずしも純粋なブルジョアジーの哲学ではなくて、それのプロシャ的啓蒙君主的変容に相当するものであるが、併しカント哲学の新鮮味はヨーロッパ・イギリス・ブルジョアジーの生活意識を積極的に吸収した処に存する。彼の世界市民[#「世界市民」に傍点]の理想は之を最もよく云い表わしているだろう。
 ホッブズでもそうであったが、カントの倫理思想はその国家・法律・政治の理論と密接な関係に立っている。又彼はホッブズと同じく、自然法の正統にぞくしている。だがカントの特色は、そうした国家・法律・政治等々の理論とは比較的独立[#「比較的独立」に傍点]に、「実践理性」の領域を、「道徳」(Sitte)の領域を、取り出し得ると考えた処にあるのである。カントの手によって「実践理性批判」とか「道徳の形而上学的原理」とか「倫理学」とかいうものが、独自な封鎖された学問領域として掲げられた。――カントは主として、道徳の世界を自然界・経験界から峻別した。この区別はカントの考え方の至る処に、体系的に貫かれているのである。だから又、カントによる倫理学の独立[#「倫理学の独立」に傍点]は、極めて体系的な根拠を有っていることを忘れてはならない。
 カントによれば理論理性は夫が経験的に用いられる時、と云うのは感性的な直観乃至知覚と結合して用いられる時、経験界の自然科学的な認識を齎す。之以外に正当に経験とか認識とか呼ばれるべきものはない。つまりこのような現象界に就いてしか、吾々は経験や認識を有てないわけなのである。現象界の背景にあるかのように考えられる本体界(物そのものの世界)は理論理性の対象ではあり得ない。之を無理に理論理性の対象としようとすると、二律背反というような困難が発生するのだ、と彼は云う。処でこの本体界(ノウメナ)に這入り得るものは、理論理性ではなしに正に実践理性[#「実践理性」に傍点]なのである。この実践理性の世界が道徳界に他ならない。
 なる程この道徳界は経験界(自然界)と全く無関係なものとは云えない。事実道徳界は経験的現象界を通じて見出される他はないだろう。人間は道徳界にぞくするものとして自由[#「自由」に傍点]である、だがこの自由も因果律に従って行動する経験的な人間自身が持つ処のものだ。で、二つの世界は無論無関係ではない、ただ全くその世界秩序が別なのだ、と考えられている。――だがこの全く別な秩序界の間の、体系的な関係は何か。両者が無関係でなくどこかに接触点があるということと、この接触が体系的に明らかであるということとは別だ。この意味で道徳界と経験(自然)界、倫理学の領域と経験科学的認識の領域とは、どう関係するか。この問題は当然カント哲学全般の体系的な構造が何であるかを尋ねることだ。処がカント自身によっては、実はこの関係が殆んど全く有機的に解かれていないのである。なる程例の『判断力批判』は理論理性と実践理性との総合を問題にしているように見える。だが実は、この第三批判が丁度第一批判と第二批判との中間に位する問題[#「位する問題」に傍点]を取り扱っているというまでで、この問題自身が両者の総合や結合を意味するというわけではない。この意味からいうと、カントの批判哲学の「体系」は彼自身の手によっては与えられていなかったと云わねばならぬ(カント哲学の体系づけを試みた良書としては田辺元『カントの目的論』がある)。
 こうしてカントの倫理学は、認識理論や芸術理論から殆んど全く独立な領域として現われる。その結果は而も社会・国家・政治・法律からさえ、独立した一つの封鎖領域なのである。――処でこの関係は二つの結果を必然にする。一つは倫理学の形式化[#「形式化」に傍点]であり、一つは倫理学の固有問題[#「固有問題」に傍点]の設定である。と云うのは、倫理学の内に実質的内容を入れて考えるとすれば、他領域との関係が這入って来なくてはならなくなるし、倫理学だけに固有で他の学問では取り扱えないような問題がいくつか見出されなければ、倫理学という特別な専門領域は無用になるだろうからだ。
 カントの倫理学に於ける形式主義は有名であるが、之はブルジョア倫理学にとって決してただの偶然ではない。ブルジョア倫理学が倫理学という固有領域を確保するためには絶対に夫が必要だったのだ。まず経験的因果の連鎖を取り除き、次に人間的欲望の性向(傾向)を取り除き、それから道徳律=根本命題の特殊な中味を取り除く。かくて倫理学は極めて貧弱なものとなるように見えるのだが、実は却って之によって、倫理学という特殊領域が、いつでもどこにでも口を容れることが出来るような特権を獲得するのである。場所・歴史的時代・社会階級などとは全く無関係に、この倫理理論は通用出来るわけだし、又如何なる社会現象の根柢としても、この形式的な倫理学は、形式的であるが故に必ず想定されて構わぬものとなる。社会が倫理的[#「倫理的」に傍点]に見られるためには、即ち、社会が観念論的[#「観念論的」に傍点]に特徴づけられるためには、倫理学は形式主義を取らねばならぬわけだ。であるからK・カウツキーが近代のブルジョア哲学にぞくする倫理学の中から、特にカントを長々と取り出して、専らその形式的普遍主義を指摘したのは、当っているだろう(カウツキー『倫理学と唯物史観』はマルクス主義=唯物論的文献に於ける唯一のやや系統的な道徳論だ)。
 併しいつでもどこにでも口を容れることが出来るためには、倫理学は自分でなければ取り扱えない諸問題、而も一切の他領域に於て根本的な役割を有つだろう諸問題、を有っていなくてはならぬ。この問題を掘り下げた者が、カントであった。自律・自由・人格・性格[#「自律・自由・人格・性格」の「・」を除く部分に傍点]などの根本概念が之だ。意志の自由の問題はすでにストイック学派にも見られるが、最も深刻な意義のものはアウグスティヌスの神学的観念による夫であった。カントは之を人間理性の自律の内に発見したのである。この自律による自由の主体が人格であり、人格の特色をなすものが性格だ。道徳乃至倫理とは要するに、この人格を以て、手段ではなくてそれ自身目的であるように、行動することに他ならぬ。人格は経験的には何であろうと倫理的にはそういう目的[#「目的」に傍点]であるというのだ(カントは経験的性格と英知的性格とを対立させる)。
 かくて倫理学とは、自由[#「自由」に傍点]や人格[#「人格」に傍点]やを、そしてこの根本概念に基いて道徳律や善悪の標準やを、研究する処の、一つの独立な封鎖された学問のこととなる。道徳律や善悪標準の問題はブルジョア通俗常識の問題でしかない、だが之を倫理学という専門的な学問は、自由や人格という範疇の検討を以て、裏づけるというのだ。――処がその裏づけの結果は倫理学に一種のブルジョア的光栄を齎すものだ。なぜなら、一切の人間関係・社会関係は、之によって、人格[#「人格」に傍点]の結合や「目的の王国」や理想[#「理想」に傍点]の体系界というような根本的意義を与えられることになるので、つまりこのブルジョア観念論的倫理学は、一切の社会理論の根柢をなすものだということになるのである。観念論は一般にだから、この倫理学を利用さえすれば仕事は極めて簡単となる。
 自由や理想や人格は、今日の道徳常識では寧ろ平凡な観念になっていると云っていいだろう(自由に就いてはヴィンデルバント『意志の自由』――戸坂訳が参考になろう)。世間の人達が唯物論に反対するために考えつく根拠も、唯物論が之等の問題を(この正に倫理学的な道徳の問題を)、解こうとしないという論拠である。この批難に意味のないことは、いずれ明らかになることだが、併しこの種の倫理学的範疇にもう一つ「我」というカテゴリーをつけ加えたフィヒテのことを忘れてはならぬ。フィヒテはその純粋我[#「純粋我」に傍点]なるものの存在の仕方を論じることによって、行・実践[#「行・実践」の「・」を除く部分に傍点]なる倫理学的規定を強調するに至った。之は「我」という倫理的主体にとって必然な倫理学的規定だ。処が之は恰も極めて倫理学的な規定であることを見落してはならぬ。なぜというに、ここで行なう行とか実践とかは、何等人間的活動としての産業や政治活動を意味するのではなくて、単に自覚的に考えたり身体を動かしたりするということにすぎないからだ。何でも自覚的にやりさえすれば夫が実践だというわけだ。――だがそれにも拘らず「我」(之は必ずしも社会に対する個人[#「個人」に傍点]というだけのものではないが)は、人格という観念と共にブルジョア・イデオロギーを代表する処の有力な合言葉である。道徳の問題を我[#「我」に傍点]へまで持って行くことはそれ自身意味のあることだ。併しこのフィヒテの我たるものが、極度に独立した独身の自発性を有ったもので、一切の世界がこの自我からの発展だというのである。我はフィヒテにとっては、ドイツ哲学的主観的観念論のパンドーラの箱に他ならない。而もこの我がフィヒテの倫理学の枢軸だったのだった。
 フィヒテの哲学及び倫理説が、カント哲学の体系的発展(実践理性によって理論理性を統一しようという)であったことは、云うまでもない。フィヒテに次ぐドイツ観念論者はシェリングであるが、晩年のシェリングはヘーゲルとの論争に沿って、自由意志論の展開を試みた。だが夫は極めて宗教的哲学思索であって、もはや道徳に関する倫理学的な常識観念の他へ出て了っている。――でつまり近代ブルジョア倫理学の内、道徳に関する倫理学的問題・倫理学的根本概念、を最も積極的に展開するものは、カント(乃至フィヒテ)であったということになる。現代の群小諸倫理学は、多少ともこの影響に立たないものはない(T・リップス其の他)。
 だが最後に、ごく近代的な倫理学の一傾向として、生命[#「生命」に傍点]の倫理学を数えておかねばならぬ。その一つはダーヴィン主義的倫理学であり(カウツキー前掲書参照)、その二つは例えばギュイヨーの夫だ(「義務も制裁もなき道徳の考察」其の他)。形式主義的倫理学に了る道徳観念の代りに、生命内容による闘争や生活意識の高揚やを導き入れたことがその特色であるが(特にギュイヨーの如きは道徳を道徳律中心主義的な又善悪対立主義的な観念から解放した)、道徳の歴史的発展[#「歴史的発展」に傍点]に就いての積極的な体系は全く之を欠いている。之は、この種の「生」の倫理学が依然として形式主義的倫理学と共に分つ宿命なのである。之はだから実は本当に内容的な[#「内容的な」に傍点]倫理学ではあり得ないわけだ。この点現象学的[#「現象学的」に傍点]倫理学其の他のもの(M・シェーラーの如き)になれば、もっと明らかだろう。
 極めて最近では、倫理学を人間学乃至「人間の学」と見做すことも行なわれるが(例えば和辻哲郎博士)、こうした人間学[#「人間学」に傍点]は要するに社会を倫理[#「倫理」に傍点]に解消する代りに、之を人間[#「人間」に傍点]に解消するためのもので、明らかにこの点で従来のブルジョア観念論倫理学の代用物としての機能を有つ、夫が改めて今時、倫理学と見立てられるのは尤もだと云わねばなるまい。――倫理思想を歴史的[#「歴史的」に傍点]に導いて来なければならぬと云って、東洋倫理や日本倫理学を説く者が、今日の国粋反動復古時代に多かりそうなことは、誰しも思い付くことだ。西晋一郎博士によれば、「東洋倫理」は科学や学問ではなくて教え[#「教え」に傍点]であり教学[#「教学」に傍点]であるという。この教学主義の体系が今日の日本に於ける典型的な半封建的ファシズム・イデオロギーの帰着点であり、特色ある観念論組織の尤なるものであることは論外としても、この種の歴史的(?)な倫理学が、実は何等の歴史学的認識に立つものでもないことは、一目瞭然たるものであろう。古代支那の習俗と支那訳印度仏教教理との結合が、二十世紀の資本主義強国日本の生活意識だというのであるから(其の他、日本の師範学校教師式倫理学の大群に就いては、ここに語る必要はあるまい)。
 さて、道徳に関する倫理学的観念、特に又ブルジョア観念論的ブルジョア倫理学から眺められた道徳観念、その特色ある典型を私は見たのであるが、この倫理学なるものが如何に独立独歩の専門的学問であり、その根本問題(自由とか人格とか理想とか)が如何に倫理学にだけ特有なものであったとしても、結局それによって生じる道徳なるものの観念は、今日のブルジョア常識による道徳観念の、埒外へ出るものではない。道徳は非歴史的で超階級的で、普遍的で形式的であり、真に社会的な何ものでもない。在るものは個人主義道徳(個人道徳)か、個人主義道徳の単なる社会的拡大でしかない(R・ナトルプの「社会理想主義」の如きが後者だ)。このおかげで道徳は、今日の観念論の権威と神秘との聖殿に他ならぬものとなっている。何か倫理学的な独立封鎖領域があって、凡ての社会理論はこの聖地を訪れることによって初めて人間的価値を受け取る。そして而もその際、道徳とは、多くの場合(一二の例外は別として)、道徳律や修身的徳目のことでしかなく、善悪の標準のことでしかなかったのだ。
 倫理学はこのようにして、道徳という常識観念をただ哲学的に反覆するものであるにすぎない。道徳的常識の批判どころではない所以である。――道徳は倫理学によって、全く卑俗な矮小な憐むべき無力なガラクタとなる。之が総じてブルジョア社会特有な個人主義[#「個人主義」に傍点]のおかげであることは、改めて説明するまでもないことだ。だが之が神聖なるものの事実であったのだ。
 私はこの卑小な道徳の観念を超えて、道徳に就いての、もっと生きたスケールの大きな観念を見ねばならぬ。それは今日の社会科学(特に史的唯物論=唯物史観)が約束する処のものである。
[#改頁]

 第三章 道徳に関する社会科学的観念

 すでに見たように、道徳というものが日常生活・日常常識にとってまず第一に意識される形は、一種の外部的な強制力としてであった。之は原始人に就いて最もよく見られる処だ。自分はその欲望、情操、理性、其の他に基いてある一定の自由を欲している、所が社会から来る外部的な抑圧がこの自由を抑圧している、と感じる。この感じの内に悪意は含まれていないにしろ、或いは寧ろ大抵の場合好意と得意とが含まれているにしろ、又はそういう好悪に全く無関心であるにしろ、この感じ自体がこの際の原始的な道徳観なのである。ここではまだ夫が善いことか悪いことかさえ考えられてはいない。なる程この一定の道徳的強制(道徳律)を破ることは、色々な意味で悪いことだと解せられる。夫は自分や自分が属する部族氏族又家族に、ある一定の不幸を齎すかも知れない、神やスピリットは怒るかも知れない、からだ。併しそれだからと云って別に、この強制そのものがそれ自身に善なのだというような、合理的な理由による価値評価があるわけではない。だがそれにも拘らず之は立派に道徳――原始的な――なのである。でもし、原始社会を専らこの社会的強制という一フェースからだけ考察するならば、原始社会の機構は道徳的で又宗教的なものだということにもなるだろう(E・デュルケム『宗教生活の原始的諸形態――オーストラリアのトーテム組織』――邦訳あり――参照)。
 この原始的な道徳観念は実はやがて、現代人が道徳に就いてもつ最も原始的な観念でもあったのである。処でここに注意しておかなくてはならぬ点は、この道徳がこの際(夫が原始宗教の形をとる場合でもよい)、他ならぬ社会的[#「社会的」に傍点]強制だったという点である。道徳はここでは全く社会的[#「社会的」に傍点]なものと考えられているのである。処が道徳に就いての観念がもう少し進歩すると(そしてこの進歩は実に社会そのものの進歩の結果に相応するものだが)、道徳は単なる社会的強制ではなくて、更に強制される自分の主観自身がその強制を是認する、という点にまで到着する。この時初めて、道徳に就いて本当の価値感が成り立つのである。そしてこうして道徳の観念が構成される際の一つの方向は、道徳を主観の道徳感情・道徳意識に伴う価値感そのものだと考えることに存するようになる。こうして良心とか善性とかいう主観的な道徳観念が発生する。所謂「倫理学」は、こうした主観的な道徳観念を建前とする段階の常識に応ずる処の、道徳理論だったのだ。
 従ってこの「倫理学」は、道徳が有っている最も原始的な又は最も要素的な、例の社会的強制という性質を、殆んど全く忘れて了い勝ちなので、あとから社会道徳[#「社会道徳」に傍点]とか個人の対社会的義務とかいうことをいくら口にするにしても、その出発点に於ては、倫理学は前社会的又は超社会的・脱社会的な道徳観念に立脚しているのである。だから夫が社会的理論にぞくさずに、独立した倫理学となれるのだ。主観の名に於て社会を忘れ、個人主体から社会的な事物をも説明しようというのが、ブルジョア・イデオロギーの一つの基本的な特色で、之はヘーゲルの適切な言葉を借りれば、個人のアトミスティクである処の「市民社会」の物の考え方の特徴だ。わが倫理学(ブルジョア倫理学)も亦、その一例に過ぎぬ。尤も問題を本当に主観の圏内だけに限ったような倫理学は、実は寧ろないと云った方がよいかも知れぬ。もしそういうものがあったなら、夫は貧弱極まる倫理学としてあまりに露骨に見え透くからだ。併し如何に云わば客観的な倫理学でも、その原理=端初は、主観的なので、倫理学が観念論の論拠の不可欠な一環として利用されるのも、ここに関係があったわけだ。
 併し道徳が社会的強制であるという観念から、道徳の本来の価値感を惹き出すのには、主観的な方向の他に、もう一つの方向が可能である。夫は社会的強制によって強制された主観の強制感ではなしに、この強制自身の方が自分自身で何かの合理的意義を有つものだ、と考えようとする方向である。道徳は主観の心情に求められるのではなくて、社会的強制そのもののもつ神的又は理性的な意義根拠の方向に求められる。一般に社会に関する自然法[#「自然法」に傍点]的評価(この自然が本当の天然であろうと理性であろうと又神によって与えられた理性であろうと)が之であって、道徳は社会の自然法として取り出されることとなる。でこの際の道徳観念は、再び全く社会に即して見出されるわけだ。
 処でこの後の方向に於ては、道徳が社会と直接に結合していると見られるのだから、そこでの倫理学は社会理論と不可避に結びついている筈である。で、この種の倫理学は、夫が一方に於て道徳という観念によってごく常識的に主観的心情としての道徳感を表象し勝ちな処から(なぜなら自然法の道徳的価値も結局は道徳感によって評価される他ないからだ)、その点あくまで所謂倫理学なのだが、にも拘らずこの倫理学はもはや単なる倫理学ではなくて、実は同時に社会理論でもなければならなくなってくる。否、この社会理論に結びつくのでなければ、倫理学自身も成り立たない、という関係になって来るのだ。それだけではない、たとい倫理学の方は成り立たなくても、社会理論は立派に独立に成立出来そうだ、という状態になって来るのだ。その実例は、トーマス・ホッブズを述べた際などに最もよく見られたことと思う。
 こういうわけで、倫理学は社会理論(=社会科学)と結合し、やがて之へ移行する。従って道徳の倫理学的[#「倫理学的」に傍点]観念は道徳の社会科学的観念[#「社会科学的観念」に傍点]にまで接触し、やがて之へ移行する。之は私がこの本で倫理学的な道徳観念の次に社会科学的な道徳観念を持って来なければならぬ根拠であるが、実は又之が、ホッブズから(カントを通って)ヘーゲルを経、更にマルクス・エンゲルスに至る社会科学的道徳理論の発展をも物語っているのだ。と云うのは、ホッブズでは倫理学とその社会理論とはズルズルベッタリに絡み合っている。之をハッキリと一刀両断したのがカントである。それをもう一遍絡み合わせて整頓したものがヘーゲルの「法の哲学」なのである。そして遂に科学としての社会理論を打ち建てることによって、倫理学の独立性を廃棄したものがマルクス主義者だ、というのである。――因みに近世に於ける社会理論乃至社会科学の発展は、一方に於て倫理学乃至道徳理論と直接関係が少なくないと共に、本質に於てやはり一種道徳論的乃至倫理的である処のユートピア(非科学的社会主義・前科学的社会科学)との関係を離れては考えられない。そして之は又歴史哲学との交渉からも見られねばならぬものを持っている(この発達史に就いてはH・クーノー『マルクス・歴史・社会・国家学説』が一応の便宜を提供する)。

 さて、ホッブズ(及びカント)に就いてはすでに簡単に述べたから省くとして、まずヘーゲルを見よう。ヘーゲルに於ては道徳が如何に取り扱われたかを。――元来道徳はすでに云ったように、極めて広範な領域を占有するものであるだけでなく、所謂道徳という名のつかない領域にも接着して現われる処のものだ。風俗習慣がまず第一に道徳である。裸で街を歩くことは風俗壊乱だから不道徳なのだ。日本では左側を、外国では右側を歩くのが交通道徳である。こうした単なる便宜的な約束さえが道徳なのだ。云うまでもなく法律も道徳的なものである。犯罪は凡て道徳的な悪として説明される、支配者は政治犯や思想犯も、なるべく之を道徳上の干犯に見立てようとしている。そして良心や人格や性情が道徳であるのは初めから当り前だろう。処で道徳の観念に関するこういう一切のニュアンスを、極めて組織的に見渡し得た最初の人が、ヘーゲルだと云わねばなるまい。
 まずヘーゲルに於て、道徳の問題が所謂道徳というテーマの下にではなく、もっと広く法[#「法」に傍点](必ずしも[#「必ずしも」は底本では「心ずしも」と誤記]法律[#「律」に傍点]には限らぬ――丁度道徳が道徳律[#「律」に傍点]に限らぬように)というテーマの下に持ち出されていることを見ねばならぬ。即ち彼に於ては道徳の理論はもはや倫理学ではなくて正に「法の哲学」なのだ。ヘーゲルのこの法律哲学が所謂法律[#「法律」に傍点]の哲学でないことは云うまでもない(初期の労作を除けばヘーゲルの法乃至道徳理論は『法の哲学の綱要』――一八二〇年乃至一年――と『エンチクロペディー』第二版――一八二七年――とであるが、両者は殆んどその組み立てを同じくする)。
 元来ヘーゲルが法乃至道徳と考えるものは正確には客観的精神[#「客観的精神」に傍点]と呼ばれている処のものだ。今日広く文化形象一般を客観的精神とも呼んでいるが、ヘーゲルでは、所謂文化(芸術・宗教・哲学)は客観的精神よりも一段高い精神の段階たる絶対精神にぞくせしめられている。そしてこの客観的精神より一段低い精神の段階は主観的精神であって、人間学や現象学や心理学の世界は之にぞくするのである。処で精神[#「精神」に傍点]なるものは実はヘーゲルによると理性の(或いは思考・イデー・概念の)最も高い段階に他ならない。理性乃至概念が最も直接に最もさし当りの姿態で即ち又抽象的に自己を自覚し自己を現わしたものが、「論理の科学」の世界たる論理[#「論理」に傍点]であり、この論理が一旦自分を投げ出して自分とは別になったものの内に却って自分を見出すような関係にまで具体化された段階が、「自然の哲学」の世界たる自然[#「自然」に傍点]であるとして、更に、この自然とは実は概念乃至理性が自分で自分を引き離したものに過ぎなかったのであり、自然それ自身はもはや概念乃至理性とは別なものではないという関係をもう一遍具体的に実現した(自覚した)段階が、「精神の哲学」の世界たるこの精神[#「精神」に傍点]なのである。――客観的精神とは主観的精神が外界へ自分をなげ出して、そこに却って初めて身分の形ある姿を発見するという関係にある精神のことだ。そして法乃至道徳が恰も之だ。
 さてこの客観的精神即ち法乃至道徳(必ずしも法律や道徳律に限らぬ)は、ヘーゲルによると元来、理性乃至概念の発展段階の一つであったが、それ故に又自分自身の内に、三つの発展段階を含んでいる。第一は「法」(乃至「抽象的法」)であり、第二は「道徳性」であり、第三は「習俗性」(「人倫」と訳されている)だというのである。この三つの段階が例のアンジッヒ・フューアジッヒ・アンウントフューアジッヒ・の弁証法的連関に於て叙述されていることは勿論だ。
 法(Recht)乃至抽象法は、日本語で普通或る意味で法律と呼んでいるものに相当する。と云うのは、法律という日本語はGesetz――法文・法律[#「律」に傍点]ばかりでなく、法文・法律[#「法律」の「法」に傍点]が云い表わすRecht――狭義に於ける法[#「狭義に於ける法」に傍点]をも意味するから。この狭義の法乃至或る意味での所謂法律が、まず道徳(吾々が今その観念を探ねている処の)の第一の現われ方だ、というわけである。法というヨーロッパ語は同時に権利[#「権利」に傍点]を意味していることを忘れてはならぬが、事実、権利のブルジョア社会機構に伝えられた一等著しいものは所有権だ。所有[#「所有」に傍点]は契約[#「契約」に傍点]と共にブルジョア社会(市民社会)機構の二つの根本的な法的道徳的現われだろう。この場合、市民社会に於ける反社会的不道徳は何かと云うと、所有権の否定や契約の不履行という不法[#「不法」に傍点]でなければならぬ。で、所有・契約・不法・の三つが法(法律・乃至抽象法)の三段階をなすとヘーゲルは書いている。
 ヘーゲルによれば法律に次ぐ第二の段階が道徳性であるが、法律が社会の外部的乃至内部的強制として、法が云い表わす自由の観念にとって偶然であり、その意味で抽象的であるが、之に反して道徳性は、それに必然性の意識が裏打ちされているので、法概念がそれだけ尤もらしさを得、その意味で法概念がより具体的になったものだ。処で倫理学や常識の或る段階で道徳[#「道徳」に傍点]と呼んでいるものが、丁度この道徳性の世界のことで、之が決意[#「決意」に傍点](及び責任[#「責任」に傍点])・意図[#「意図」に傍点]と福祉[#「福祉」に傍点]・善悪[#「善悪」に傍点](及び良心[#「良心」に傍点])・の三段階を含んでいるのを見れば、この点すぐ判ると思う。決意や責任という自由意志[#「自由意志」に傍点]の問題や、幸福[#「幸福」に傍点]や健康[#「健康」に傍点]や利害[#「利害」に傍点]の問題や、善悪[#「善悪」に傍点]や良心[#「良心」に傍点]の問題は、倫理学的常識による道徳問題の凡てだったろう。
 処が道徳は決してこんな処に止まっているものでは事実ないのだ。道徳は他方に於て習慣[#「習慣」に傍点]的なコンヴェンションであり又風俗[#「風俗」に傍点]的な満足でもなければなるまい。そうした習俗[#「習俗」に傍点]が社会に於けるより具象的な道徳だ。実はこうした道徳にして初めて、法律の根柢にもなることが出来る。ローマ法は慣習(mores)と切っても切れない関係に立っているという(P・ヴィノグラドフ『慣習と権利』――岩波文庫・三〇頁)。ヘーゲルはこの第三のものを習俗性[#「習俗性」に傍点]と呼んでいるのである。処で社会の習俗で人間の生物的な存在がその先行条件をなすのは云うまでもない。人間とはまず生物的な人類だ。人類とは人間の間に自然的な繋帯として生みつけられる類=性(Gattung=Geschlecht)による人間的結合から来た命名法だ(例えば嬶――Gattin、媾合――Begatten、人類――Menschengeschlecht)。この性行為に基く社会的習俗がそして家族[#「家族」に傍点](乃至家庭[#「家庭」に傍点])でなければならぬ。――人倫の倫は比倫とか絶倫とか云って、「たぐい」であり類であり、根柢に於てそれが性関係に基くことを示しているだろう。旧約聖書的な父子兄妹相姦の如きものが最も非人倫的なものと考えられるのは、だからこの言葉の上から云って当を得ているわけだ。人間のこの性関係・類関係に基く社会的制度を、古代支那の制度(礼[#「礼」に傍点])の論者は、道徳の中心に置いて考えた。恐らく仁[#「仁」に傍点]の観念が夫だろう。仁とは从であり、人間関係に就いての現実的表象だ。之を修身的なものに浮き上がらせて了ったものは、少なくとも日本近世の封建的腐儒の輩だったろうと思うが、とに角、習俗性(Sittlichkeit)を人倫[#「人倫」に傍点]と訳すことには意味があるのだ。
 ヘーゲルの家族は結婚[#「結婚」に傍点]と家族財産[#「家族財産」に傍点]と子供[#「子供」に傍点](の教育[#「教育」に傍点])とを含んでいる。処がヘーゲルによると、子供の独立は家庭からの独立であり、その意味で家庭の解消に相当する。家庭は解消されて個々の個人[#「個人」に傍点]となる(之は近代社会の事実上の根本傾向でもあるだろう)。そしてこの個々人は社会では家庭とは別な習俗に従って結合を有つに至る。と云うのは夫が個人の原子論的な(相互の間に機械的な結合関係しかない処の)結合に這入るのである(F・テニエス風に云えば共同社会関係から利益社会関係へだ。――その著『共同社会と利益社会』)。処で之が市民社会[#「市民社会」に傍点]と云う第二の習俗性・人倫の段階である。
 市民社会は即ちブルジョア社会のことに他ならぬ。之は云わばヘーゲルが発見した範疇であって、彼はこの内容の内に、需要・労働・財産・身分・司法・警察・等々の凡ての重要観念を忘れてはいない。そして特にヘーゲルの烱眼は、之を国家[#「国家」に傍点]から区別したことだ。かくて国家が第三の習俗性=人倫の段階となる。ヘーゲルは国家の規定として単に国法乃至憲法のみならず、最後に世界史[#「世界史」に傍点]を置くのであるが、世界史とは民族[#「民族」に傍点]精神の統一的な歴史に他ならない。国家は習慣風俗人情を共通にする民族を離れては考えられ得ないことになっている。だからそれが習俗性=人倫の最高段階だと考えられるのは尤もだろう。従来の社会理論の多くは社会を以てすぐ様国家だと考えた。処が国家は実際いうと(之はヘーゲルに責任を有たせることではないが)、家族・氏族・部族・民族・の次に来る一つの[#「一つの」に傍点]社会形態に他ならないのである。だから少なくとも、とに角社会(このブルジョア社会)と国家とを区別したことは、ヘーゲルの重大な功績といわねばならぬ。

 以上のようなものがヘーゲルの道徳理論(「法の哲学」)の輪郭の単なる紹介であるが、之が道徳に関して従来普通有たれたような諸観念を、如何に理解と心配りとの行き届いた仕方で取り上げたか、如何に之が道徳に包括的な観念を提供するものであるか、吾々はこの点をまず何より先に認めねばならない。経済・法律・政治・等々と所謂道徳との関係、風俗習慣人情等々と所謂道徳との連関など、之によって略々一応の連絡がつけられているということが、尊重されねばならぬ点なのである。なぜかというと、こういう予備的な観念がない処に、道徳の社会科学的観念などは発生し得ないし、又理解もされ得ない根柢をも欠くだろうからだ。
 処がヘーゲルの社会理論(法の哲学)、夫が道徳理論に他ならぬのだと私は云って来たのだが、夫に一つの疑問が生まれて来はしないか。一体なぜ私は、社会をそうした(私が云う意味での)道徳でもあるように説明し得たかと云うと、それはヘーゲルのこの社会理論がつまり法の哲学だったからのことだ。いや、その法[#「法」に傍点]又は法の哲学[#「哲学」に傍点]なるものが、他ならぬ客観的精神[#「精神」に傍点]の現われや現われ方の叙述に他ならなかったからだ。つまり社会はヘーゲルによると絶対精神=理念=概念の自己発展段階に他ならなかったからである。だから社会的なの[#「社会的なの」に傍点]が皆法[#「法」に傍点]にぞくすると考えられているので、私は之を、私が今私かに予定している道徳の観念に照し合わせて、敢えて道徳の世界と合致するものと見做したのである。
 併し社会が道徳的なもの、というのは法的なもの、と称することは、他でもない、例の倫理学の建前に他ならなかった筈だ。従ってヘーゲルの法の哲学による道徳理論は、実はまだ充分倫理学的な夾雑物から自由になっていない。之は倫理学と社会科学とが月足らずの双生児として癒着したようなものだ。夫は即ち、まだ本当に社会科学的[#「社会科学的」に傍点]な道徳の観念に行き得ないことを意味するわけだが、それと云うのも、ヘーゲルの例の理性=絶対精神=概念の独自な自己発展という体系に責任があったことだ。
 この点はだが、凡ゆる機会に吾々が反覆聞かされている処である。ヘーゲル体系の弱点は、その方法(弁証法)とそれの使用の客観的な必然性とに拘らず、一つの封鎖された閉じた体系を与え得ようと欲する処に存する。その一例はヘーゲルの国家の概念であって、当時の現実のプロイセン的国家の諸規定が、他ならぬ国家のイデー[#「イデー」に傍点]にされて了っているのも、体系が現実に終りに到着出来ると考えたその有限的な弁証法(有機体説的全体説)の形式のおかげだが、こうした有機体説的弁証法を採用させたのは又、彼の愛好した体系なるものの性質の欠点からだ。この観念論的体系[#「観念論的体系」に傍点]が、その弁証法という方法をも、観念的なものたらしめた。――云われているように、ヘーゲルの体系の客観的意図は(ヘーゲル自身の主観的意図はとに角として)、従来の観念論通り、単に世界を解釈することにあって、世界を変革することにはなかった。解釈のための体系としてなら、世界を理性の自己発展と見ることは、最も面倒がなく手際よく行くものに相違ない。
 でこの解釈の哲学[#「解釈の哲学」に傍点]の体系に立つと、社会的な諸世界も凡て法という性格を有ち、客観的精神という本質のものになる。だから、この際社会的な諸世界は道徳に解消されると云っても、説き過ぎではあるまい。――ヘーゲル哲学の弱点は、その自然哲学に関する騒然たる批難嘲笑を除けば(これでもエンゲルスが自然弁証法を惹き出す歴史的根拠となったのだが)、正にこの「法の哲学」の内になければならぬ。即ち、丁度吾々が問題にしている道徳理論をめぐって、ヘーゲルの弱点と、それの批判克服とが、一般に必然性を有って来るわけだ。吾々の議論にとっては全く都合のよい事情である。
 ヘーゲルの「法の哲学」を系統的に批判しようとした者は他ならぬ初期のK・マルクスであった。『ヘーゲル法哲学の批判序説』(一八四四年)と『ヘーゲル国法の批判』(一八四三年)とが夫であるが、特に未完成な後者の方は、ヘーゲル『法の哲学の綱要』の二六一項から三一三項までを、逐条的に要点に就いて批判したもので、マルクスがヘーゲルの逆立ちを如何に足で立ち直らせようと試みたかの、よい見本と云っていい。当時のマルクスはまだマルクス主義者になり切っていないと考えられる時期の人だが、併しもはや三四年以前のマルクスのような一人のヘーゲル学徒にすぎぬ者でないことは、勿論だ。社会科学が法の哲学から分離し、従って倫理学の代りに社会科学的道徳理論が発生する一応の基礎は、この時出来ていたと見るべきだろう。社会科学的な道徳理論の原則乃至方法である史的唯物論は、『ドイツ・イデオロギー』を以てその基本的な労作とする。――だが実は、社会科学乃至マルクス主義による道徳問題プロパーに関する文献は、極めて乏しいことを告白せねばならぬ。
 E・A・プレオブラジェンスキーはパンフレット『道徳及び階級規範について』(希望閣訳版)で云っている。「道徳問題に関するマルクス主義文献は――云うに足りない。マルクス及びエンゲルスの著書及び手記の或る個所、並びに史的唯物論の理論に関するマルクス主義文献に於ける道徳方面について軽い論述の他には、K・カウツキーの有名なパンフレット『倫理と唯物史観』、G・V・プレハーノフの著作の或る部分、特にフランス唯物論者に関する部分、A・ボグダーノフの著作の或る部分、N・ブハーリンの著書『史的唯物論の理論』の或る頁、マルクス主義的見地からは完全に良いとは云われないのが、J・ディーツゲンの或る著作、を示すことが出来る。そしてこれで全部であるように思われる」云々。――無論広く道徳問題に直接関係のある特殊諸問題(例えば性問題とか文学と政治との関係の問題とか)については、論述は限りなくなるのだし、又一応の道徳理論の教程にも存するのだが、併し結局プレオブラジェンスキーのこの小さなパンフレットが最も纏ったもののように思われる。

 ヘーゲルは法乃至道徳を、自由なる絶対精神の発展段階の一つと見た。だが之は決して道徳についての説明[#「説明」に傍点]ではない。単に現前の道徳という諸事象の持つ形態を明らかにし、それが有つ一種の意義・意味を解釈したに過ぎない。ただの道徳意識や何かでなく、家族とかブルジョア社会とか国家とかいう、道徳的「実体」を見出したことは、確かにヘーゲルの卓見だが、処が折角のこの道徳的実体[#「実体」に傍点]も、絶対精神の現われだというのでは、之の分析を通じて夫が含む現実の諸問題を処理するのに、何の役にも立つまい。なる程こうした家族其の他の客観的な道徳的実体が人間の歴史にとって極めて重大な実質をなしているということは一つの事実だが、そういう事実を、歴史的に科学的・因果的・分析を用いて説明することと、この事実が単に世界史の発展の一段階だという意味を持っていると解釈することとは、別だ。そういう解釈ではこの道徳的実体の現実的な意味が解釈さえ出来ないのだ。
 解釈[#「解釈」に傍点]としては道徳は絶対精神の現われでよいかも知れぬ。ただ困るのは、それでは現実の道徳関係の理論的な説明にはならぬという点である。歴史はディルタイなどがそう云っている処とは反対に、正に説明[#「説明」に傍点]されるべきものであって単に解釈されるべきものではない。と云うのは、歴史に於ける事件の時間的前後相承の関係こそ、因果的[#「因果的」に傍点]に説明されることを必要とするものなのだ。歴史の発展を因果的に説明すること、丁度博物学・自然史が自然の歴史的進化を因果的に説明するように、社会の歴史的発展進化を因果的に社会の自然史的発達として説明すること、之こそ歴史の科学[#「歴史の科学」に傍点]の方法であり、史的唯物論の方法なのだ。
 さて道徳を社会の自然史の立場から科学的に説明しようとすると、之は一つのイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]に他ならぬものとなる。社会に於ける生産関係をその物質的基底として、その上に築かれた文化的・精神的・意識的・上部構築が一般にこの場合のイデオロギーという言葉の意味だが(尤もイデオロギーとは社会の現実の推移から取り残されたやがて亡びねばならぬ意識形態をも意味するが、道徳に就いてのこの意味でのイデオロギー性質も後になって意義を見出すだろう)、社会のこの上部構築としてのイデオロギーの一つが道徳現象だということになるのである。政治・法律・科学・芸術・宗教・それから社会意識、こうした文化乃至意識が夫々イデオロギー形態であるが、道徳はこの諸形態と並ぶ処の一イデオロギーだというのである。
 だがここで注意しておかなくてはならぬ点は、こうしたイデオロギーとしての道徳なるものが、他でもない一つの文化領域[#「領域」に傍点]を指しているものだという点である。ではどういう領域かと云うと、すでにヘーゲルが見たように、夫は客観的に見て、社会の習俗やその習俗が制度的な実体となった習俗性(人倫)――家庭とか市民社会とか国家とか――でもあれば、主観的に見て道徳意識のことでもある。それだけではなく例えば法律其の他という領域にもその背後には道徳が横たわっている。だから道徳を一つの領域と見るにしても、それがどういう限界を持った領域なのかは、事実容易に決定し難いのである。処が通俗常識は極めて常識的に、道徳というものを何か一定の決った又判った領域だと仮定する。事実又吾々は日常、常識に対しては融通を利かすという特権を許しているので、之が一応立派に通用するのだ。で今、道徳が法律や政治や科学・芸術・宗教・等々と異った一つのイデオロギーだという時、こうした領域としての道徳[#「領域としての道徳」に傍点]という常識を仮定し、之を借用利用しているわけである。無論之はさし当り少しも困ることでもなければ間違ったことでもない。実際吾々はこのような通俗常識的な、従って又倫理学的な、道徳の観念を、批判打倒するためにも、まずこの観念を一旦許してかからなければなるまい。社会科学によるイデオロギーとしての道徳[#「イデオロギーとしての道徳」に傍点]の観念は、丁度そういう克服の過渡期にぞくする処のものだ。夫は一方に於てこの常識的な道徳観念を想定し借用する(之は領域道徳主義から始めて例[#「例」に傍点]の道徳律主義や善悪価値中心主義其の他までを想定し借用することになるだろう)、と共に之を批判し克服することによって、そういう通俗常識的道徳観念をば消滅させる処の、理論にぞくする。そこで所謂道徳なるものは終焉[#「終焉」に傍点]するのだ。――で社会科学的道徳観念(「イデオロギーとしての道徳」の観念)は、それ自身が初め肯定したものを終局に於て否定するという、ディアレクティックな特色を、特別に著しく帯びている。つまり、社会科学にとっては、所謂道徳は大いに問題とされ得るとも見えるし、又道徳は問題にならぬとも見えるわけで、史的唯物論に於ける道徳理論が量的に貧弱なのは、この点から云っても単に偶然ではないだろう。
 道徳を一つのイデオロギーと考えるこの社会科学的道徳観念は、それが道徳を一領域と見做してかかるという点では、なる程通俗常識に沿うものなのだが、併し同時に道徳を一つの上部構築としてのイデオロギーと見ることは、通俗常識による道徳観念の最も包括的で根本的な特色であった処の、あの道徳の形而上学説、つまり道徳は不変不動であり従って絶対的で神聖な権威をもつ価値物だと思い込んでいる処のあの道徳観念を、残る処なく根こそぎに覆して了うことなのだ。イデオロギーとは、社会に於ける物的根柢の歴史的発展を原因として生じた歴史的結果であり歴史的一所産に過ぎないわけだから、通俗常識が道徳という観念で何より頼みにしていた道徳のあの絶対性は、道徳が一つのイデオロギーだというただ一つの言葉で、根柢から揺ぎ出すのである。社会科学的道徳観念が最初から通俗常識乃至ブルジョア倫理学による道徳観念を超克している点は、云うまでもなくここにあるのだ。――そのためイデオロギーとしての道徳という観念が、道徳の通俗常識の一切[#「一切」に傍点]の特色を悉く払い落して了ったものだ、というような感じも産まれて来るのだが、必ずしもそうばかりではないということを、私は今云った。

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