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悟浄出世(ごじょうしゅっせ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/17 11:29:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

寒蝉敗柳(かんせんはいりゅう)に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵(さんぞう)は二人の弟子にいざなわれ嶮難(けんなん)を凌(しの)ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返(わきかえ)りて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河(りゅうさが)の三字を篆字(てんじ)にて彫付け、表に四行の小楷字(かいじ)あり。

 八百流沙界(はちひゃくりゅうさのかい)
 三千弱水深(さんぜんじゃくすいふかし)
 鵞毛飄不起(がもうただよいうかばず)
 蘆花定底沈(ろかそこによどみてしずむ)
――西遊記――


       一

 そのころ流沙河(りゅうさが)の河底に栖(す)んでおった妖怪(ばけもの)の総数およそ一万三千、なかで、渠(かれ)ばかり心弱きはなかった。渠(かれ)に言わせると、自分は今までに九人の僧侶(そうりょ)を啖(く)った罰で、それら九人の骸顱(しゃれこうべ)が自分の頸(くび)の周囲(まわり)について離れないのだそうだが、他の妖怪(ばけもの)らには誰にもそんな骸顱(しゃれこうべ)は見えなかった。「見えない。それは※(「人べん+爾」、第3水準1-14-45)(おまえ)の気の迷いだ」と言うと、渠(かれ)は信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪(ばけもの)らは互いに言合うた。「渠(あいつ)は、僧侶(そうりょ)どころか、ろくに人間さえ咋(く)ったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。鮒(ふな)やざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らは渠(かれ)に綽名(あだな)して、独言悟浄(どくげんごじょう)と呼んだ。渠(かれ)が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛(さいな)まれ、心の中で反芻(はんすう)されるその哀(かな)しい自己苛責(かしゃく)が、つい独(ひと)り言となって洩(も)れるがゆえである。遠方から見ると小さな泡(あわ)が渠(かれ)の口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼が微(かす)かな声で呟(つぶや)いているのである。「俺(おれ)はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使(だてんし)だ」とか。
 当時は、妖怪に限らず、あらゆる生きものはすべて何かの生まれかわりと信じられておった。悟浄がかつて天上界(てんじょうかい)で霊霄殿(りょうしょうでん)の捲簾(けんれん)大将を勤めておったとは、この河底で誰言わぬ者もない。それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪(ばけもの)の中で渠(かれ)一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだといっていいのだろうか? 第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、どこが同じなのだ。身体(からだ)が同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、いったい、魂とはなんだ? こうした疑問を渠(かれ)が洩(も)らすと、妖怪(ばけもの)どもは「また、始まった」といって嗤(わら)うのである。あるものは嘲弄(ちょうろう)するように、あるものは憐愍(れんびん)の面持ちをもって「病気なんだよ。悪い病気のせいなんだよ」と言うた。

 事実、渠(かれ)は病気だった。
 いつのころから、また、何が因(もと)でこんな病気になったか、悟浄(ごじょう)はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭(いと)わしいものが、周囲に重々しく立罩(たちこ)めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭(いと)わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴(ほらあな)に籠(こも)って、食を摂(と)らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻(まわ)り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解(わか)らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏(まと)まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。
 医者でもあり・占星師(せんせいし)でもあり・祈祷者(きとうしゃ)でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじ)めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘(しょうしんしょうめい)の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺(おれ)は俺を俺と思うのか? 他(ほか)の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候(ちょうこう)じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

       二

 文字の発明は疾(と)くに人間世界から伝わって、彼らの世界にも知られておったが、総じて彼らの間には文字を軽蔑(けいべつ)する習慣があった。生きておる智慧(ちえ)が、そんな文字などという死物で書留められるわけがない。(絵になら、まだしも画(か)けようが。)それは、煙をその形のままに手で執(と)らえようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられておった。したがって、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候(しるし)として斥(しりぞ)けられた。悟浄が日ごろ憂鬱(ゆううつ)なのも、畢竟(ひっきょう)、渠(かれ)が文字を解するために違いないと、妖怪(ばけもの)どもの間では思われておった。
 文字は尚(とうと)ばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙(ごい)ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。彼らは流沙河(りゅうさが)の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、この河底には一脈の哲学的憂鬱が漂うていたほどである。ある賢明な老魚は、美しい庭を買い、明るい窓の下で、永遠の悔いなき幸福について瞑想(めいそう)しておった。ある高貴な魚族は、美しい縞(しま)のある鮮緑の藻(も)の蔭(かげ)で、竪琴(たてごと)をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃(たた)えておった。醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄(ごじょう)は、こうした知的な妖怪(ばけもの)どもの間で、いい嬲(なぶ)りものになった。一人の聡明(そうめい)そうな怪物が、悟浄に向かい、真面目(まじめ)くさって言うた。「真理とはなんぞや?」そして渠(かれ)の返辞をも待たず、嘲笑(ちょうしょう)を口辺に浮かべて大胯(おおまた)に歩み去った。また、一人の妖怪――これは※魚(ふぐ)[#「魚+台」、135-7]の精だったが――は、悟浄の病を聞いて、わざわざ訪(たず)ねて来た。悟浄の病因が「死への恐怖」にあると察して、これを哂(わら)おうがためにやって来たのである。「生ある間は死なし。死到(いた)れば、すでに我なし。また、何をか懼(おそ)れん。」というのがこの男の論法であった。悟浄はこの議論の正しさを素直に認めた。というのは、渠(かれ)自身けっして死を怖(おそ)れていたのではなかったし、渠の病因もそこにはなかったのだから。哂(わら)おうとしてやって来た※[#「魚+台」、135-12]魚の精は失望して帰って行った。

 妖怪(ばけもの)の世界にあっては、身体(からだ)と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいなかったので、心の病はただちに烈(はげ)しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた。堪えがたくなった渠(かれ)は、ついに意を決した。「このうえは、いかに骨が折れようと、また、いかに行く先々で愚弄(ぐろう)され哂(わら)われようと、とにかく一応、この河の底に栖(す)むあらゆる賢人(けんじん)、あらゆる医者、あらゆる占星師(せんせいし)に親しく会って、自分に納得(なっとく)のいくまで、教えを乞(こ)おう」と。
 渠(かれ)は粗末な直綴(じきとつ)を纏(まと)うて、出発した。

 なぜ、妖怪(ばけもの)は妖怪であって、人間でないか? 彼らは、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡(つりあい)を絶して、醜いまでに、非人間的なまでに、発達させた不具者だからである。あるものは極度に貪食(どんしょく)で、したがって口と腹がむやみに大きく、あるものは極度に淫蕩(いんとう)で、したがってそれに使用される器官が著しく発達し、あるものは極度に純潔で、したがって頭部を除くすべての部分がすっかり退化しきっていた。彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執(こしゅう)していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿(たど)るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。それゆえ、流沙河(りゅうさが)の水底では、何百かの世界観や形而上(けいじじょう)学が、けっして他と融和することなく、あるものは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望(ねがい)はあれど希望(のぞみ)なき溜息(ためいき)をもって、揺動(ゆれうご)く無数の藻草(もぐさ)のようにゆらゆらとたゆとうておった。

       三

 最初に悟浄(ごじょう)が訪ねたのは、黒卵道人(こくらんどうじん)とて、そのころ最も高名な幻術(げんじゅつ)の大家(たいか)であった。あまり深くない水底に累々(るいるい)と岩石を積重ねて洞窟(どうくつ)を作り、入口には斜月三星洞(しゃげつさんせいどう)の額が掛かっておった。庵主(あんじゅ)は、魚面人身(ぎょめんじんしん)、よく幻術を行のうて、存亡自在、冬、雷を起こし、夏、氷を造り、飛者(とり)を走らしめ、走者(けもの)を飛ばしめるという噂(うわさ)である。悟浄はこの道人に三(み)月仕えた。幻術などどうでもいいのだが、幻術を能(よ)くするくらいなら真人(しんじん)であろうし、真人なら宇宙の大道を会得(えとく)していて、渠(かれ)の病を癒(いや)すべき智慧(ちえ)をも知っていようと思われたからだ。しかし、悟浄は失望せぬわけにいかなかった。洞(ほら)の奥で巨鼇(きょごう)の背に座った黒卵道人(こくらんどうじん)も、それを取囲む数十の弟子たちも、口にすることといえば、すべて神変不可思議(しんぺんふかしぎ)の法術のことばかり。また、その術を用いて敵を欺(あざむ)こうの、どこそこの宝を手に入れようのという実用的な話ばかり。悟浄の求めるような無用の思索の相手をしてくれるものは誰一人としておらなんだ。結局、ばかにされ哂(わら)いものになった揚句(あげく)、悟浄は三星洞を追出された。

 次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士(しゃこういんし)のところだった。これは、年を経た蝦(えび)の精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、三(み)月の間、この老隠士に侍して、身の廻(まわ)りの世話を焼きながら、その深奥(しんおう)な哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。
「世はなべて空(むな)しい。この世に何か一つでも善(よ)きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟(りくつ)を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩(おうのう)、恐怖、幻滅、闘争、倦怠(けんたい)。まさに昏々昧々(こんこんまいまい)紛々若々(ふんぷんじゃくじゃく)として帰(き)するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停(と)まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢(はか)ない希望が、名前を得ただけのものじゃ。」
 悟浄の不安げな面持ちを見て、これを慰めるように隠士(いんし)は付加えた。
「だが、若い者よ。そう懼(おそ)れることはない。浪(なみ)にさらわれる者は溺(おぼ)れるが、浪に乗る者はこれを越えることができる。この有為転変(ういてんぺん)をのり超えて不壊不動(ふえふどう)の境地に到ることもできぬではない。古(いにしえ)の真人(しんじん)は、能(よ)く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生(ふしふしょう)の域に達しておったのじゃ。が、昔から言われておるように、そういう境地が楽しいものだと思うたら、大間違い。苦しみもない代わりには、普通の生きものの有(も)つ楽しみもない。無味、無色。誠(まこと)に味気(あじけ)ないこと蝋(ろう)のごとく砂のごとしじゃ。」
 悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂(めやに)の溜(たま)った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢(げり)ののちに、この老隠者(いんじゃ)は、ついに斃(たお)れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺(まっさつ)できることを喜びながら……。
 悟浄は懇(ねんご)ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

 噂(うわさ)によれば、坐忘(ざぼう)先生は常に坐禅(ざぜん)を組んだまま眠り続け、五十日に一度目を覚(さ)まされるだけだという。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めているときは、それを夢と思っておられるそうな。悟浄がこの先生をはるばる尋ね来たとき、やはり先生は睡(ねむ)っておられた。なにしろ流沙河(りゅうさが)で最も深い谷底で、上からの光もほとんど射(さ)して来ない有様ゆえ、悟浄も眼の慣れるまでは見定めにくかったが、やがて、薄暗い底の台の上に結跏趺坐(けっかふざ)したまま睡っている僧形(そうぎょう)がぼんやり目前に浮かび上がってきた。外からの音も聞こえず、魚類もまれにしか来ない所で、悟浄もしかたなしに、坐忘先生の前に坐(すわ)って眼を瞑(つぶ)ってみたら、何かジーンと耳が遠くなりそうな感じだった。
 悟浄が来てから四日めに先生は眼を開いた。すぐ目の前で悟浄があわてて立上がり、礼拝(らいはい)をするのを、見るでもなく見ぬでもなく、ただ二、三度瞬(まばた)きをした。しばらく無言の対坐(たいざ)を続けたのち悟浄は恐る恐る口をきいた。「先生。さっそくでぶしつけでございますが、一つお伺いいたします。いったい『我』とはなんでございましょうか?」「咄(とつ)! 秦時(しんじ)の※轢鑚(たくらくさん)[#「車+度」、139-16]!」という烈しい声とともに、悟浄の頭はたちまち一棒を喰(くら)った。渠(かれ)はよろめいたが、また座に直り、しばらくして、今度は十分に警戒しながら、先刻の問いを繰返した。今度は棒が下(お)りて来なかった。厚い唇(くちびる)を開き、顔も身体もどこも絶対に動かさずに、坐忘先生が、夢の中でのような言葉で答えた。「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものが※(「人べん+爾」、第3水準1-14-45)(おまえ)じゃ。冬になって寒さを感ずるものが※(「人べん+爾」、第3水準1-14-45)じゃ。」さて、それで厚い唇(くちびる)を閉じ、しばらく悟浄(ごじょう)のほうを見ていたが、やがて眼を閉じた。そうして、五十日間それを開かなかった。悟浄は辛抱強(しんぼうづよ)く待った。五十日めにふたたび眼を覚ました坐忘先生は前に坐(すわ)っている悟浄を見て言った。「まだいたのか?」悟浄は謹(つつ)しんで五十日待った旨を答えた。「五十日?」と先生は、例の夢を見るようなトロリとした眼を悟浄に注いだが、じっとそのままひと時ほど黙っていた。やがて重い唇が開かれた。
「時の長さを計る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外にないことを知らぬ者は愚かじゃ。人間の世界には、時の長さを計る器械ができたそうじゃが、のちのち大きな誤解の種を蒔(ま)くことじゃろう。大椿(たいちん)の寿(じゅ)も、朝菌(ちょうきん)の夭(よう)も、長さに変わりはないのじゃ。時とはな、我々の頭の中の一つの装置(しかけ)じゃわい」
 そう言終わると、先生はまた眼を閉じた。五十日後でなければ、それがふたたび開かれることがないであろうことを知っていた悟浄は、睡れる先生に向かって恭々(うやうや)しく頭を下げてから、立去った。

「恐れよ。おののけ。しかして、神を信ぜよ。」
 と、流沙河(りゅうさが)の最も繁華な四つ辻(つじ)に立って、一人の若者が叫んでいた。
「我々の短い生涯(しょうがい)が、その前とあととに続く無限の大永劫(だいえいごう)の中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・また我々を知らぬ・無限の大広袤(だいこうぼう)の中に投込まれていることを思え。誰か、みずからの姿の微小さに、おののかずにいられるか。我々はみんな鉄鎖に繋(つな)がれた死刑囚だ。毎瞬間ごとにその中の幾人かずつが我々の面前で殺されていく。我々はなんの希望もなく、順番を待っているだけだ。時は迫っているぞ。その短い間を、自己欺瞞(ぎまん)と酩酊(めいてい)とに過ごそうとするのか? 呪(のろ)われた卑怯者(ひきょうもの)め! その間を汝(なんじ)の惨(みじ)めな理性を恃(たの)んで自惚(うぬぼ)れ返っているつもりか? 傲慢(ごうまん)な身の程(ほど)知らずめ! 噴嚏(くしゃみ)一つ、汝の貧しい理性と意志とをもってしては、左右できぬではないか。」
 白皙(はくせき)の青年は頬(ほお)を紅潮させ、声を嗄(か)らして叱咤(しった)した。その女性的な高貴な風姿のどこに、あのような激しさが潜んでいるのか。悟浄は驚きながら、その燃えるような美しい瞳(ひとみ)に見入った。渠(かれ)は青年の言葉から火のような聖(きよ)い矢が自分の魂に向かって放たれるのを感じた。
「我々の為(な)しうるのは、ただ神を愛し己(おのれ)を憎むことだけだ。部分は、みずからを、独立した本体だと自惚(うぬぼ)れてはならぬ。あくまで、全体の意志をもって己の意志とし、全体のためにのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ」
 確かにこれは聖(きよ)く優(すぐ)れた魂の声だ、と悟浄は思い、しかし、それにもかかわらず、自分の今饑(う)えているものが、このような神の声でないことをも、また、感ぜずにはいられなかった。訓言(おしえ)は薬のようなもので、※(「やまいだれ+亥」、第3水準1-88-46)瘧(おこり)を病む者の前に※(「やまいだれ+重」、第4水準2-81-58)腫(はれもの)の薬をすすめられてもしかたがない、と、そのようなことも思うた。

 その四つ辻(つじ)から程遠からぬ路傍(ろぼう)で、悟浄は醜い乞食(こじき)を見た。恐ろしい佝僂(せむし)で、高く盛上がった背骨に吊(つ)られて五臓(ごぞう)はすべて上に昇ってしまい、頭の頂は肩よりずっと低く落込んで、頤(おとがい)は臍(へそ)を隠すばかり。おまけに肩から背中にかけて一面に赤く爛(ただ)れた腫物(はれもの)が崩れている有様に、悟浄は思わず足を停(と)めて溜息(ためいき)を洩(も)らした。すると、蹲(うずくま)っているその乞食(こじき)は、頸(くび)が自由にならぬままに、赤く濁った眼玉(めだま)をじろりと上向け、一本しかない長い前歯を見せてニヤリとした。それから、上に吊上(つりあ)がった腕をブラブラさせ、悟浄の足もとまでよろめいて来ると、渠(かれ)を見上げて言った。
「僭越(せんえつ)じゃな、わしを憐(あわ)れみなさるとは。若いかたよ。わしを可哀想(かわいそう)なやつと思うのかな。どうやら、お前さんのほうがよほど可哀想に思えてならぬが。このような形にしたからとて、造物主をわしが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうしてどうして。逆に造物主を讃(ほ)めとるくらいですわい、このような珍しい形にしてくれたと思うてな。これからも、どんなおもしろい恰好(かっこう)になるやら、思えば楽しみのようでもある。わしの左臂(ひじ)が鶏になったら、時を告げさせようし、右臂が弾(はじ)き弓になったら、それで※(「号+鳥」、第3水準1-94-57)(ふくろう)でもとって炙(あぶ)り肉をこしらえようし、わしの尻(しり)が車輪になり、魂が馬にでもなれば、こりゃこのうえなしの乗物で、重宝(ちょうほう)じゃろう。どうじゃ。驚いたかな。わしの名はな、子輿(しよ)というてな、子祀(しし)、子犁(しれい)、子来(しらい)という三人の莫逆(ばくぎゃく)の友がありますじゃ。みんな女※(じょう)[#「人べん+禹」、142-16]氏の弟子での、ものの形を超えて不生不死(ふしょうふし)の境(きょう)に入ったれば、水にも濡(ぬ)れず火にも焼(や)けず、寝て夢見ず、覚めて憂(うれ)いなきものじゃ。この間も、四人で笑うて話したことがある。わしらは、無をもって首(かしら)とし、生をもって背とし、死をもって尻(しり)としとるわけじゃとな。アハハハ……。」
 気味の悪い笑い声にギョッとしながらも、悟浄は、この乞食こそあるいは真人(しんじん)というものかもしれんと思うた。この言葉が本物(ほんもの)だとすればたいしたものだ。しかし、この男の言葉や態度の中にどこか誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んでむりに壮語しているのではないかと疑わせたし、それに、この男の醜さと膿(うみ)の臭(くさ)さとが悟浄に生理的な反撥(はんぱつ)を与えた。渠(かれ)はだいぶ心を惹(ひ)かれながらも、ここで乞食(こじき)に仕えることだけは思い止まった。ただ先刻の話の中にあった女※[#「人べん+禹」、144-7]氏とやらについて教えを乞(こ)いたく思うたので、そのことを洩(も)らした。
「ああ、師父(しふ)か。師父はな、これより北の方(かた)、二千八百里、この流沙河(りゅうさが)が赤水(せきすい)・墨水(ぼくすい)と落合うあたりに、庵(いおり)を結んでおられる。お前さんの道心(どうしん)さえ堅固なら、ずいぶんと、教訓(おしえ)も垂れてくだされよう。せっかく修業なさるがよい。わしからもよろしくと申上げてくだされい。」と、みじめな佝僂(せむし)は、尖(とが)った肩を精一杯いからせて横柄(おうへい)に言うた。

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