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鉛筆日抄(えんぴつにっしょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 7:12:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

   八月二十九日

▲黄瓜
 松島の村から東へ海について行く。此れは東名とうなの濱へ出るには一番近い道なので其代りには非常に難澁だといふことである。磯崎から海と離れて丘へ出た。丘をおりるとすぐに思ひ掛けぬ小さな入江の汀になつた。青田があつて蘆の穗も茂つて居る。蘆のなかにはみそ萩の花がしをらしく交つて居る。畦を拾つて行くと田甫が盡きて小徑もなくなつた。仕方がないから楢の木の間を心あてに登つたら往來があつた。丁度いゝ鹽梅に鰌賣でもあらうかと思ふ男が天秤を肩に乘せた儘ぶらつと兩手をさげて左の方から坂をのぼつて來たから一所になつて噺をしながら歩いた。男は松島のホテルへ鰻を賣つて歸りだとのことである。此所らの近道は此邊の人でも知つて知らずだのに能くわかつたと彼はいつた。鰻賣が教へてくれた道を來たら雜木の間で低い草葺のたつた一軒家へ出た。縁先では白い手拭をかぶつた娘が一人で絲を※(「竹/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82)こわくに掛けて居る。ぼくり/\と音がするので家のなかを覗いて見たら十五六の舍弟らしいのが土間で麥を搗いてるのであつた。余は此一軒家が何となく面白く感じたので縁の隅へ腰を掛けると娘は急いで小※(「竹/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82)と共に膝をずらして余に席を與へた。小※(「竹/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82)の側には胡瓜が五六本轉がつて居るので一本剥いて見たくなつたから無心をすると娘は小※(「竹/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82)の手をやめて戸袋の蔭から柄の短い錆びた鉈を出してくれた。此れで皮をむけといふのである。狹い庭には糠交りの麥が筵へ二枚干してあつて其先には鳳仙花がもさ/\と簇つて居る。其下が崕である。余はすゞろに興を催しながら鳳仙花の傍に立つて此の意外な庖丁を持つて木か竹でも削るやうにして皮をむいた。胡瓜の眞白な肌に錆のあとがほのかに移つた。然し喉が乾いて居たので非常に佳味かつた。簇つた花の上には糊をつけた白糸が三括りばかり竿に掛けて干してある、余は此邊の人は出稼ぎでもするのかと娘にきいて見たら此邊一般の鼻に掛つた言葉でうつむいたまゝ低くいつたのだからよくは分らなかつたが「出はつて居りやヘン」といふやうに聞えた。崕をおりて田甫へ出たら富山の寺がすぐ頭の上にあつた。

     仝 三十日

東海美人しうり[#ルビの「しう」にママの注記]
 草の露がまだ乾かぬうちから暑くなつた。宮戸島の宿を立つて東名の濱へもどる一錢の渡しまで來ると干潮で水が非常に淺くなつて見える。草鞋も脚絆もとつて危ぶみながら徒渉して見ると水は漸く膝のあたりまでしかなかつた。徒渉して見たのが何となく嬉しかつた。昨日の渡守は今白帆を揚げて沖へ出て行く所である。渡しは舟の必要もなくなつたので漁でもしようといふのであらう。弓なりの砂濱が遙かにつゞいて居る。白泡のさし引く汀を行くと草鞋の底から足袋のうらがしめつて心持がよい。だん/\行くとそこにもこゝにも東海美人が打ちあがつて居る。東海美人といふと何だか洒落れて居るが合せ目に毛が生えた滑稽な貝である。五寸もあるのが目の前に轉がつて居る。余は嘗て蛤位の大きさより外は知らなかつたので餘り珍しく思つたから笠も蓙もほうつて波打際をあさつた。大きいのがあれば曩に拾つた小さいのは棄てゝ濱一杯にあさつた。見返ると笠も※[#「蓙」の左側の「人」に代えて「口」、334-6]も遙かの遠くになつて居た。遠くといへば沖はぼんやり薄霧がなびいて居る。貝は手拭の兩端へしつかり括つて手に提げた。
 砂濱の盡きる所が松林で、松林を出ると野蒜である。野蒜から石の卷街道へ出る積で或小村へ來ると今の東海美人は毒だといはれたので惜しかつたが棄てゝしまつた。婆さんが笊へ玉蜀黍を五六本入れて提げて來た。それは生かと聞いたら茹でたので直ぐにたべられるのだから買つてくれといつた。そんなら買はうといつたら婆さんは路傍の民家の淺い井戸で余の砂だらけの手拭を洗つて其玉蜀黍を括つてくれた。馬の齒のやうな玉蜀黍である。

     仝 三十一日

山雉やまどりの渡し
 鮎川の港からだら/\と上つて勾配の急な坂をおりる。杉の木の間を出ると茶店がある。茶店の前を行き過ぎやうとすると女房があとから呼びかけてお山へ渡るなら草鞋を買うて鹿の土産を持つて行けといつた。此れはお山の砂を草鞋へつけて來ることは昔から禁じてあるので島へ渡るものは皆新しい草鞋を穿いて、もどりの船に乘る時にはぬぎ捨てる筈だ相である。鹿の土産といふのは小さな煎餅の括つたのである。渚へおりると船頭小屋には四五人で榾火を焚いて居る。客が集らねば船は出さないといつて一向に取り合はぬ。小船が一艘動搖しつゝある。雨が降つて來た。突兀たる岸の巖には波がだん/\強く打ちつけて小船が更に動搖する。雨が大粒になつた。幻の如く見えた金華山は復た雲深く隱れて裾だけが短く表はれた。山の裾はなつかしい程近い。桐油を着た道者がぞろ/\と余の後からおりて來た。各自に背中を高くして小荷物を背負つて居る。一行の饒舌るのを聞いて船頭のうちの老人が一行のものを米澤ぢやないかといつた。米澤の山の中だといつたので言葉でどこのものでも分ると老人は頗る得意である。道者が來ても船はまだ出さうともせぬ。海がだん/\惡くなり相なので何故出さないのだといふと此日の渡しは此れ限りなので金華山から鮎川へ酒買に渡つたものが戻るまで待つて居るのだといふのである。鮎川に二人で酒を飮んでるのがあつたがあれなら迚ても今日のうちには歸り相はないと道者の一人がいつた。遂には船頭も待ちあぐんで一人が南京米の袋をかぶつて出て行つた。所がそれも沙汰がない。屹度あいつも引つ掛つたに違ひない。呑氣なにも程があるといつて道者等が頻りに呟いて居る。幾ら待つても島の酒買は來ないのでやつとのことで船が漕ぎ出された。三人が艪を押して舳の一人が櫂をとる。巉巖に添うて船が進む。鹿渡しの岬に近づくと波は澎湃として船が思ひ切つて搖れる。岬に打ちつける波は花崗岩の如き白い柱を立てる。北方に開けた海上には江の島列島が大小相並んで狹い瀬戸の間から見える。列島は彼の穗に隱れては復あらはれる。桐油を頭からかぶつて余と向き合ひになつてた男は目がどろつとしてさつきから下唇が垂れた儘であつたが遂に桐油でぐるつと顏をくるんで轉がつてしまつた。他の道者も顏が眞蒼になつて小縁へしがみついた儘反吐をついて居る。老人の押して居た艪は艪べそが外れた。老人は狼狽して嵌めやうとしたが船の動搖が激しいので幾らあせつても嵌らぬ。止めろ/\いゝや/\と兩肩からうんと力を入れた男が聲にも力が籠つて叱りつけるやうにいつた。老人は極りわるげに船の底に蹲つた。雲が一方からだん/\に禿げると三角に握つた握飯のやうな金華山が頭から押へつけるやうに聳えて居る。中腹の神社から下には鋏で梢を刈り込んだやうな木立が青い芝の間に鹽梅されて庭園の如く見える。常盤木の繁茂した山上には綿打ち弓から飛ぶ綿のやうな雲がちぎれて居る。船が岸へつくと道者は一同に漸く生き返つたといふ鹽梅で「船ぢや我折がをつたやア」といひながらばら/\と勢よく馳けあがつた。青い芝は地にひつゝいた樣になつて居て糸薄の草村が連つて居る。道者は口々に鹿々と呼んだら思はぬ糸薄の中から大きな角が動いて鹿が五六匹あらはれた。土産を出して見せると五六尺の近くまで寄る。こちらから更に近づくとついと逃げる。投げてやればたべる。一行の旅裝が黄色な桐油を掛けたり笠をかぶつたりして居るので氣味が惡いのであらう。鹿が煎餅をたべる所を道者が三四人で手と手をつないで鹿を坂の下へ追ひつめようとしたが鹿は輕く飛び退いてけろつと立つて居る。道者はこんなことをしては騷いで船の中に居た時とは別人のやうである。よく見ると鹿は糸薄の中にそこにもこゝにもけろつとして立つて居る。其斑紋の美しいことは奈良の鹿などの到底及ばぬ所である。顧れば一行の乘つて來た船は追手に帆を揚げて雨の中に遙かに隔つて居る。木立にはひると庭木のやうに見えたのは皆二抱三抱の樹ばかりであつた。
 雨はしと/\として深更までもやまぬ。厠へ立つたら目の前をひらりと飛ぶものがあつた。驚いて見ると鹿である。手を出したら鹿は指のさきへ鼻づらをこすりつけた。

     九月一日
▲猿
 社務所から出た一行十人ばかり白衣の先達に案内されて金華山を登る。坂が極めて峻しい。曉の霧がひや/\と梢を渡つて雨がはら/\とかゝる。老樹の鬱然として濕つぽい間を行くので深山のやうな淋しい心持がする。忽ち後の方で猿々と呶鳴るものがあつたので振りかへると一行のうちの三四人が立ちどまつて梢を仰いで居る。余も急いでおりて行つて見ると五六匹の猿が樅の喬木に枝移りをして居る所であつた。猿はゆさ/\と枝を搖しながら四つ足を立てゝこちらを見おろして居る。赤い顏がほのかに見える。余は猿の樹に居るのを見たのは此がはじめてゞある。からかつても見たい樣な氣もした。一行のものは皆樹の下へ集つて口々にオンツアマ、オンツアマと呶鳴つて手を叩いたり樹を搖ぶる眞似をしたりして騷いだけれど彼等は一向平氣で枝をゆさ/\と搖して居る。猿といふものは何處で見ても剽輕なものである。道者の一行が騷いで居るうちに先達は一人で行つてしまつたかして後姿も見えなくなつた。ばら/\と先達の後を追ひ掛けながら道者の一人がいふのを聞くと、此前に來た時は猿が丁度栗を搖り落した所へ通りかゝつたのでみんな拾つてしまつたら枝から糞をかけられたといふのであつた。

▲烏
 山巓の小さな社のえんへ腰をかけて一行の者は社務所で呉れた紙包の握飯をひらいた。縁先には僅かに二坪ばかりの芝生がある。何處から來たか烏が二羽來て一羽は芝生のめぐりに立つた樹木のとある枯枝へとまつて一羽は足もとへおりた。おりた烏は嘴をあげたり首を曲げたりして握飯が欲し相に見て居る。余は鹿の土産がまだあつたので投げてやつたら、ひよいと一跳ね跳ねてそれを咥へて元の處へ戻つて足で押へて啄むのである。さうして又嘴をあげたり首を曲げたりして見て居る。握飯を包んだ紙を投げてやつたら嘴で引返し/\して其紙の中の飯粒を啄むのである。幾百千の參詣者が繰り返し/\登山するので烏までがこんなに馴れてしまつたものであらうが、深い木立の間を雲霧にぬれて漸く山巓について何となし人寰を離れた感じで居る所へこんな烏が飛んで來たのは更に別天地のやうに思はれた。一人が握飯の食ひ殘しを呉れたら何と思つたかそれを咥へた儘霧深い谷をさして飛んでしまつた。飛ぶ時に咥へた握飯がぼろりと缺けて芝の上へ落ちた。枯枝に止つて居た一羽はこちらを見おろして居たが遂におりては來なかつた。さうして此も大きな聲で鳴いたと思つたらついと芝の上の飯をさらつて飛んで行つた。外洋の霧は山陰の梢を吹きあげて蓬々として更に吹きおろす。木の葉が交つて飛び散る。

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