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教育と文芸(きょういくとぶんげい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 8:30:45 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。およそ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、すぐにお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切ごこんせつの御招待ですから義理にもと思いまして体だけ出けて参りました。別に面白いお話も出来ません、ぜん申した通り体だけ義理にもと出かけたわけであります。
 私のやる演題はこういう教育会の会場での経験がないのでこまりました。が、名が教育会であるし、引受ける私は文学に関係あるものであるから、教育と文芸という事にするがいと思いまして、こういう題にしました。この教育と文芸というのは、諸君が主であるからまげて教育をさきとしたのであります。
 よく誤解される事がありますので、そんな事があっては済みませんから、ちょっと注意を申述もうしのべて置きます。教育といえばおもに学校教育であるように思われますが、今私の教育というのは社会教育および家庭教育までも含んだものであります。
 また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえばまず小説戯曲ぎきょくであると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別してあい比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念をただちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家ほんけとして、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。
 なおくわしくいいますと聖人といえば孔子、ほとけといえば釈迦しゃか節婦せっぷ貞女忠臣孝子は、一種の理想のかたまりで、世の中にあり得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝にじゅうしこうを引き出して子供をいましめると、子供は閉口へいこうするというような風であります。それで昔は上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある、これはくない、親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。妻が夫に臣が君に対する理想はなかったのです。即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味ぎんみせずにこれをおこなってったというのである。また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、ひとつは所がへだたっていてのあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大こだいして考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家たいかと見られるであろう。
 さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒じょうしょの教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到せいしんいっとう何事なにごとか不成ならざらんというような事を、事実と思っている。意気天をく。怒髪どはつ天をつく。へいとして日月じつげつ云々うんぬんという如き、こういうことばを古人はさかんに用いた。感激的というのはこんな有様ありさまで情緒的教育でありましたから一般の人の生活状態も、エモーショナルで努力主義でありました。そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何どうかというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主ぼうずとなり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よりこれが日本の主眼とする所でありました、それが明治になって非常にことなってきました。
 四十余年間の歴史を見ると、昔は理想から出立しゅったつした教育が、今は事実から出発する教育に変化しつつあるのであります、事実から出発する方は、理想はあるけれども実行は出来ぬ、概念的の精神に依って人は成立する者でない、人間は表裏ひょうりのあるものであるとして、社会もおのれも教育するのであります。昔はこうでもでも何でも皆孝で押し通したものであるが今は一面に孝があれば他面に不孝があるものとしてやって行く。即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わする教育である、西洋ではまよいより覚めるという、日本では意味が違うが、まあディスイリュージョン、さめる、というのであります。なぜ昔はそんな風であったか。話は余談に入るが、独逸ドイツの哲学者が概念を作って定義を作ったのであります。しかし巡査の概念として白い服を着てサーベルをさしているときめると一面には巡査が和服で兵児帯へこおびのこともあるから概念できめてしまうと窮屈になる。定義できめてしまっては世の中の事がわからなくなると仏国ふつこくの学者はいうている。
 物は常に変化して行く、世の中の事は常に変化する、それで孔子という概念をきめてこれを理想としてやって来たものが後にこれが間違であったということをさとるというような場合も出来て来る。こういう変化はなぜ起ったか、これは物理化学博物はくぶつなどの科学が進歩して物をよく見て、研究して見る。こういう科学的精神を、社会にも応用して来る。また階級もなくなる交通も便利になる、こういう色々な事情からついに今日の如き思想に変化して来たのであります。
 道徳上の事で、古人の少しもゆるさなかったことを、今の人はよほど許容する、我儘わがままをも許す、社会がゆるやかになる、畢竟ひっきょう道徳的価値の変化という事が出来て来た。即ち自分というものを発揮してそれで短所欠点ことごとくあらわす事をなんとも思わない。そして無理の事がなくなる。昔は負惜まけおしみをしたものだ、残酷な事も忍んだものだ。今はそれが段々なくなって、自分の弱点をそれほど恐れずに世の中に出す事を何とも思わない。それでいにしえの人のへいはどんな事かというと、多少いつわりの点がありました。今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もまたこれをれて来たのであります。昔は一遍いっぺん社会からほうむられた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであります。社会の制裁がゆるんだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、これに寛容的の態度を示したのであります。畢竟ひっきょう無理がなくなり、概念の束縛がなくなり、事実が現われたのであります。昔スパルタの教育に、狐を隠してその狐が自分のはらわたをえぐり出しても、なお黙っていたということがあるが、今はそういう痩我慢やせがまんはなくなったのである。現今の教育の結果は自分の特点をも露骨に正直に人の前に現わす事を非常なる恥辱ちじょくとはしないのであります。これは事実という第一の物が一元的でないという事をあらかじめ許すからである。私の家へよく若い者が訪ねて参りますがその学生が帰って手紙を寄こす。その中にあなたの家を訪ねた時に思いきって這入はいろうかイヤ這入るまいかと暫く躊躇ちゅうちょした、なるべくならお留守であればよい、更に逢わぬといってくれればいと思ったというような露骨な事が書いてある。昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思うてもそういう事をその人の前に告白するような正直な実際的な事はしなかったものである。痩我慢をして実は堂々たるものの如くよそおって人の前にもこれを吹聴ふいちょうしたのである。感激的教育概念にとらわれたる薫化くんかがこういう不正直な痩我慢的な人間を作り出したのである。
 さて一方文学を攷察こうさつして見まするにこれを大別たいべつしてローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴をおなじゅうし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相かようのであります。以前文芸は道徳を超絶ちょうぜつするという議論があり、またこれを論じた大家もあったのでありますけれども、これはおおいなる間違で、なるほど道徳と文芸は接触しない点もあるけれども、大部分は相連あいつらなっている。ただ僅かに倫理と芸術と両立せないで、どちらかを捨てねばならぬ場合がないではありません。例えば私がこの机を推している、何時いつしかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があってしかるべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事はあきらかである。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨てねばならぬ場合に、滑稽趣味の上にこれを観賞するは、一種の芸術的の見方であります。けれども私が、脳振盪のうしんとうを起して倒れたとすれば、諸君のわらいは必ず倫理的の同情に変ずるに違いありますまい。こういう風に或程度まで芸術と倫理と相離るる部分はあるけれども、最後または根柢には倫理的認容がなければならぬのであります。従って小説戯曲の材料は七分まで、徳義的批判に訴えて取捨選択しゅしゃせんたくせられるのであります。恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりでぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩はんもんおうのうするというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処そこが感激派の小説で、ある情緒を誇大して、即ち抽象的理想を具体化したようなものを作り上げたのであります、事実からは遠いけれど感激は多いのであります。

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