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吾輩は猫である(わがはいはねこである)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 9:35:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        六

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利イギリスのシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入ふいり毛衣けごろもだけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事なぜにのかからない生涯しょうがいを送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水ぎょうずいの一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾のれんくぐった事はない。折々は団扇うちわでも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢ぜいたくなものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、けて見たり、味噌みそをつけて見たり好んで余計な手数てすうを懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へせて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、かいこの御世話になったり、綿畠の御情おなさけさえ受けるに至っては贅沢ぜいたくは無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのはごう合点がてんが行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、ほうっておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好かっこうをこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾ずきんで包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うとくしとか称する無意味な鋸様のこぎりようの道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨ずがいこつの上へ人為的の区劃くかくを立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過してうしろまでみ出しているのがある。まるで贋造がんぞう芭蕉葉ばしょうはのようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角なわくをはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身うきみやつしてどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈ぼうだらのように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫よりひまなもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人ひまじんがよるとわると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣けごろもを着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全くつ過ぎる。
 これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察をおこたったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪あくせくする様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分しょうぶんである。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向いっこう観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中うちじゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法ぶさほうな真似をやるものはほかにはない。迷亭にきまっている。
 いよいよ来たな、これで今日半日はつぶせると思っていると、先生汗をいて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥くしゃみ君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へほうり出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、めぬ眼をわざと※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはって座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布さつまじょうふを着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらしゃいまし」と云ったが少々狼狽ろうばいの気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三おさんに水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日りょうさんちは、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「わたくしなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気のんきな事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「わたしなんざ、寝たくない、たちでね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見るとうらやましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上にせてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。まげの重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好かっこうから露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日きのうはね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日てんぴは思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣ひとえでは寒いくらいでございましたのに、一昨日おとといから急に暑くなりましてね」「かになら横にうところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行とうこうして逆施げきしすまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐かいがない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。「むかしハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘ギリシャにまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ているに、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋かじやですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾しっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼をまして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、うしろへうしろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変らず午睡ひるねですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数おてすうだがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴ふいちょうする。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走をあつらえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人しろうとには出来そうもない事を述べる。細君はたった一言ひとこと「まあ!」と云ったがそのまあうちには驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数てすうが省けてありがたいと云うまあが合併している。
 ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかにかれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交あくびまじりに仏頂面ぶっちょうづらをする。「いや御目覚おめざめかね。鳳眠ほうみんを驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言のまま座に着いて寄木細工よせぎざいく巻煙草まきたばこ入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふとむこうすみに転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥さんこの帽子は重宝ちょうほうですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨げんこつをかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとくこぶしほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚くもなく、このたびは拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張るとかまの頭がぽかりとんがる。次には帽子を取ってつばと鍔とを両側からつぶして見せる。潰れた帽子は麺棒めんぼうした蕎麦そばのように平たくなる。それを片端からむしろでも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一きてんさいしょういちの手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口そでぐちから引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底をせてくるくると廻す。もうめるかと思ったら最後にぽんとうしろへげてその上へっさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念けねんらしい顔をする。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもしわしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったらうござんしょう」と注意をする。得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好かっこうにたちまち回復する。「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦藁むぎわらの奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏みつぶしてしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい[#「惜しい」は底本では「措しい」]事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段ねだんを知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
 迷亭君は今度は右のたもとの中から赤いケース入りのはさみを取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝ちょうほうな奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運やくうんまぬかれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖ぎょうこうの仕合せだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形みかづきがたの欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規じょうぎの用をする。またの裏には度盛どもりがしてあるから物指ものさしの代用も出来る。こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪をりまさあ。ようがすか。このきを螺旋鋲らせんびょうの頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌かなづちにも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付くぎづけの箱なんざあ苦もなくふたがとれる。まった、こちらの刃の先はきりに出来ている。ここんとこは書き損いの字をけずる場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここにはえの眼玉くらいな大きさのたまがありましょう、ちょっと、のぞいて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だがだまされたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? いやですか、ちょっとでいいから」とはさみを細君に渡す。細君は覚束おぼつかなげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりにねらいをつけている。「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっとせろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向あおむいて恐ろしいせいの高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人はおおいき込んで細君に食って掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三おさんが御客さまの御誂おあつらえが参りましたと、二個の笊蕎麦ざるそばを座敷へ持って来る。
「奥さんこれが僕の自弁じべんの御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀ていねいに御辞儀をする。真面目なような巫山戯ふざけたような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦そばは毒だぜ」と云った。「なあに大丈夫、好きなものは滅多めったあたるもんじゃない」と蒸籠せいろふたをとる。「打ち立てはありがたいな。蕎麦そばの延びたのと、人間のが抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味やくみツユの中へ入れて無茶苦茶にき廻わす。「君そんなに山葵わさびを入れるとらいぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩うどんが好きだ」「饂飩は馬子まごが食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸すぎばしをむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心しょしんの者に限って、無暗むやみツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃せいぞろいをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂すだれの上に纏綿てんめんしている。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユ三分一さんぶいちつけて、一口に飲んでしまうんだね。んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉のどすべり込むところがねうちだよ」と思い切ってはしを高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手ゆんでに受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんにひたすと、アーキミジスの理論によって、蕎麦のつかった分量だけツユかさが増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入はいっているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分しはんぶんつからない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗をる五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでもおろせばツユこぼれるばかりである。迷亭もここに至って少し※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちゅうちょていであったが、たちまち脱兎だっとの勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思うもなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛のどぶえが一二度上下じょうげへ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻めじりから頬へ流れ出した。山葵わさびいたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際てぎわを激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度たたいたが「奥さんざるは大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数てすうを掛けちゃうまく食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。
 ところへ寒月君が、どう云う了見りょうけんかこの暑いのに御苦労にも冬帽をかぶって両足をほこりだらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来ごにゅうらいだが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座しゅうじんかんざうちにあって臆面おくめんもなく残った蒸籠をたいらげる。今度は先刻さっきのように目覚めざましい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠せいろ二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もそのあとから「金田令嬢がお待ちかねだから早々そうそう呈出ていしゅつしたまえ」と云う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑をらして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力のる研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に真面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球めだまの電動作用に対する紫外光線しがいこうせんの影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球はふるってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡たんかんなものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子ガラスたまをこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々反身そりみになる。「元来えんとか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、したらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上つかえないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだんって少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側むこうがわが長くなる。そいつを骨を折ってようやくつぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎りんごほどな大きさのものがだんだん小さくなっていちごほどになります。それでも根気よくやっていると大豆だいずほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々ちょうちょうと述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老梅ろうばい君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用こようがしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求しんせんもうぎゅうに是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子ようすじゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気のんきに見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」
 寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。実は二三日にさんち前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易へきえきていであったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切とぎれた時、きまりの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両三日りょうさんち前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯しょうがい恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。随分軽蔑けいべつなさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だって恋煩こいわずらいなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりゃ僕の艶聞えんぶんなどは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方きみがたの記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学こうがくのために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。
「僕のも大分だいぶ神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談じょうだんじゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一言いちごんも云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡かんばらごおり筍谷たけのこだにを通って、蛸壺峠たこつぼとうげへかかって、これからいよいよ会津領あいづりょう[#ルビの「あいづりょう」は底本では「あいずりょう」]へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。「だまって聴いていらっしゃいよ。面白いから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋をたたいて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭はだかろうそくを僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶるとふるえたがね。僕はその時から恋と云う曲者くせものの魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金ぶんきん高島田たかしまだに髪をいましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。「這入はいって見ると八畳の真中に大きな囲炉裏いろりが切ってあって、そのまわりに娘と娘のじいさんとばあさんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹おなか御減おへりでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯へびめしでもいて上げようと云うんです。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟りくつにばかり拘泥こうでいしてはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中からかにが出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分の僕は随分あくもの食いの隊長で、いなご、なめくじ、赤蛙などは食いきていたくらいなところだから、蛇飯はおつだ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へなべをかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはそのなべふたを見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、うまい工夫をしたものだ、田舎いなかにしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きなざるを小脇にい込んで帰って来た。何気なくこれを囲炉裏のそばへ置いたから、その中をのぞいて見ると――いたね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろきくらをやってかたまっていましたね」「もうそんな御話しはしになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作むぞうさにつかまえて、いきなり鍋の中へほうり込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴がふさがったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味きびの悪るい」と細君しきりにこわがっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱しんぼうしていらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首かまくびがひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中なべじゅう蛇のつらだらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子しゃくしでもって飯と肉を矢鱈やたらぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君はにがい顔をして「もうしになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯しょうがい忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分御饌ごぜんも頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅のつかれもある事だから、おおせに従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「それから明朝あくるあさになって眼をさましてからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草まきたばこをふかしながら裏の窓から見ていると、向うのかけひそばで、薬缶頭やかんあたまが顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜ゆうべの娘なんだもの」「だって娘は島田にっているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議のきょく内心少々こわくなったから、なお余所よそながら容子ようすうかがっていると、薬缶はようやく顔を洗いおわって、かたえの石の上に置いてあった高島田のかずらを無雑作にかぶって、すましてうちへ這入はいったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢はかなき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿はげであったのは千秋せんしゅう恨事こんじですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼きんがんになりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀ていねいいている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えてもいまだに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。「まるではなの話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
 迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡さるぐつわでもめられないうちはとうてい黙っている事が出来ぬたちと見えて、また次のような事をしゃべり出した。
「僕の失恋もにがい経験だが、あの時あの薬缶やかんを知らずに貰ったが最後生涯の目障めざわりになるんだから、よく考えないと険呑けんのんだよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出みいだす事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬しょうけいしたり※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)しょうきょうしたりひとりでむずかしがらないで、とくと気を落ちつけてたまるがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易へきえきしたような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅ろうばい君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいてうけたまわる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気のんきだが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏おなつさんと云う有名な別嬪べっぴんがいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜すいかが食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんとうなったが少しも利目ききめがないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄てんちげんこうとかいう千字文せんじもんを盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝あくるあさになって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日きのう申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬ローマの詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者はちりである。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものはである。――よく穿うがってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味りきんで見せる。これをうけたまわった細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだかめるのだか曖昧あいまいな事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍ふえんして、しものごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それならおしを女房にしていると同じ事で僕などは一向いっこうありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名かいみょうはことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体もうろうたいで出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女がかならずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれよりはげしかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目でたらめじゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子とうなすのようにかごへ入れて天秤棒てんびんぼうかついで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじがを付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町あぶらまちから通町とおりちょうへ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴どなってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源いせげんと云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間でくら戸前とまえあって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋おふくろが三日前にくなりましたと云うような顔をして帳場の所へひかえている。甚兵衛君の隣りにははつさんという二十四五の若いしゅが坐っているが、この初さんがまた雲照律師うんしょうりっし帰依きえして三七二十一日の間蕎麦湯そばゆだけで通したと云うような青い顔をしている。初さんの隣りがちょうどんでこれは昨日きのう火事でき出されたかのごとく愁然しゅうぜん算盤そろばんに身をもたしている。長どんとならんで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚きだんがあるんだが、それは割愛かつあいして今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日こんにちと明治初年頃の女子の品性の比較についてだいなる参考になる材料だから、そんなに容易たやすくやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物しまいものはどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒てんびんぼうをおろして汗をいているのさ。見ると籠の中には前に一人うしろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎あいにく今日はみんな売りつくしてたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子とうなすか何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭をたたいて見て、ははあかなりな音だと云った。それからいよいよ談判が始まって散々さんざ価切ねぎった末おやじが、買っても好いが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがねうしろにかついでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段ねだんを引いておきますと云った。僕はこの問答をいまだに記憶しているんだがその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日こんにちこんな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放してうしろへかついだ方は険呑けんのんだなどと云う事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西たいせい文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
 寒月君は返事をする前にまず鷹揚おうよう咳払せきばらいを一つして見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、そんな八百屋やおやのお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売いたくはんばいをやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢すうせいですから、私などはおおいに喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う方だって頭をたたいて品物は確かかなんて聞くような野暮やぼは一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数てすうをする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、おおいに当世流の考を開陳かいちんしておいて、敷島しきしまの煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の煙くらいで辟易へきえきする男ではない。「仰せの通り方今ほうこんの女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けないところが敬服の至りだ。僕の近所の女学校の生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖つつそで穿いて鉄棒かなぼうへぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代希臘ギリシャの婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しているから仕方がない。美学者と希臘とはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時亜典アテンの法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい、その――何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手をこまぬいて考え込んだね。ちょうど三日目の暁方あけがたに、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟かつぜんたいごして、それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義をききおおせて、もう大丈夫と云うところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行はやりましたね。あちらでもおぎゃあと生れるこちらでもおぎゃあと生れる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変もうかった。ところが人間万事塞翁さいおうの馬、七転ななころ八起やおき、弱り目にたたり目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上おかみ御法度ごはっとを破ったと云うところで、重き御仕置しおきに仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」「なかなかうまいでしょう。ところが亜典アテンの女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もそう木で鼻をくくったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令おふれさえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君相形そうごうを崩して笑っていると、格子戸こうしどのベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違いに座敷へ這入はいって来たものは誰かと思ったらご存じの越智東風おちとうふう君であった。
 ここへ東風君さえくれば、主人のうち出入でいりする変人はことごとく網羅しつくしたとまで行かずとも、少なくとも吾輩の無聊ぶりょうを慰むるに足るほどの頭数あたまかず御揃おそろいになったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体もったいない。運悪るくほかの家へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かずに死んでしまうかも知れない。さいわいにして苦沙弥先生門下の猫児びょうじとなって朝夕ちょうせき虎皮こひの前にはんべるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至ないし東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事ただごとではすまない。何か持ち上がるだろうとふすまの陰からつつしんで拝見する。
「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者どんちょうやくしゃのようにも見えるが、白い小倉こくらはかまのゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪しかつめらしく穿いているところは榊原健吉さかきばらけんきちの内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分のうちらしい挨拶をする。「先生には大分だいぶ久しく御目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛おさかんかね。その御宮おみやにゃなりませんか。あれはうまかったよ。僕はおおいに拍手したぜ、君気が付いてたかい」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまでぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八両月ふたつきは休んで九月には何かにぎやかにやりたいと思っております。何か面白い趣向はございますまいか」「さよう」と主人が気のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだろうが、一体何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部だいぶやかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇はいげきと云うのを作って見たのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少けむかれてひかえている。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これもごく簡単なのがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へからすを一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人がひとごとのように心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へしばり付けておくんです。でその下へ行水盥ぎょうずいだらいを出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰がその女になるんだい」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければ構わんじゃありませんか。そんな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこありません」「しかしあれは稽古のためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生方がそんな事を云った日には日本もまだ駄目です。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術です」と寒月君大いに気焔きえんを吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見りょうけんと見えて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高浜虚子たかはまきょしがステッキを持って、白い灯心とうしん入りの帽子をかぶって、透綾すきやの羽織に、薩摩飛白さつまがすり尻端折しりっぱしょりの半靴と云うこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御用達ごようたし見たようだけれども俳人だからなるべく悠々ゆうゆうとして腹の中では句案に余念のないていであるかなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生おおいに俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木ひょうしぎを入れて幕を引く。――どうだろう、こう云う趣向は。御気に入りませんかね。君御宮おみやになるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏うえだびん君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国のいんだそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室でたまを磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国のいんじゃ駄目だ」寒月君は少々むっとして、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女に惚れる烏かなと烏をとらえて女に惚れさしたところがおおいに積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作むぞうさに言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟ひっきょう自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水ぎょうずいしているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違かんちがいをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。
 主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本こうほんを幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包ふくさづつみを出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に

世の人に似ずあえかに見え給う
   富子嬢に捧ぐ
と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のままながめているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながらのぞき込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりにめる。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎あいにく先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君この捧げ方は少しまずかったね。このあえかにと云う雅言がげんは全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱かよわいとかたよわくと云う字だと思います」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気にと云う事だぜ。だから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとでは大変感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君はしかねたところを無理に納得なっとくしたていにもてなす。
 主人は無言のままようやく一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。
んじてくんずる香裏こうりに君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、からきこの世に
あまく得てしか熱き口づけ

「これは少々僕には解しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。
「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日こんにちの詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義くんぎは学究のやる事で私共の方ではとんと構いません。せんだっても私の友人で送籍そうせきと云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧もうろうとして取りめがつかないので、当人に逢ってとくと主意のあるところをただして見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡たんかんに送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は吾々仲間のうちでも取除とりのけですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけとついをとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕迹こんせきが見えます」「あまいからいと反照するところなんか十七味調じゅうしちみちょう唐辛子調とうがらしちょうで面白い。全く東風君独特の伎倆で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
 主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士てんねんこじ墓碑銘ぼひめいならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
大和魂やまとだましい! と叫んで日本人が肺病やみのようなせきをした」
「起し得て突兀とっこつですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸すりが云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸ドイツで大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士てんねんこじ以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂をっている。肴屋さかなやの銀さんも大和魂を有っている。詐偽師さぎし山師やまし、人殺しも大和魂を有っている」
「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰もった者がない。大和魂はそれ天狗てんぐたぐいか」
 主人は一結杳然いっけつようぜんと云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人はかろく「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
 不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平まっぴらだ」と答えたぎり、先刻さっき細君に見せびらかしたはさみをちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌をんでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友ほうゆうからインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。むかしから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分だいぶ下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂かまきりを探しに出た。梧桐あおぎりの緑をつづる間から西に傾く日がまだらにれて、幹にはつくつく法師ぼうしが懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。

        七

 吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんていた風だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちょっと申し聞けるが、そうう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人ぶじこれきにんとかとなえて、懐手ふところでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下やにさがって暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞をくらえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかり出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮世の風中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にけ合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうである。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時をいきどおる吾輩などにくらべると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間のろまきまっている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々ようよう運動の功能を吹聴ふいちょうしたり、海水浴の利益を喋々ちょうちょうして大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何びきおるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかったためしがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがかなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちるとなえ、人間の寂滅じゃくめつごねると号している。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。いくら往復したって一匹も波の上に今呼吸いきを引き取った――呼吸いきではいかん、魚の事だからしおを引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭をいてがしてあるいても古往今来こんらい一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来る。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはない。すぐ分る。全く潮水しおみずを呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著けんちょである。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席そくせき全快と大袈裟おおげさな広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。ただし今はいけない。物には時機がある。御維新前ごいっしんまえの日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日こんにちの猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇そうぐうしておらん。せいては事を仕損しそんずる、今日のように築地つきじへ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗むやみに飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤きょうらんどとうに対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫がんだと云う代りに猫ががったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん。
 海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取りめた。どうも二十世紀の今日こんにち運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助おりすけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做みなされている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する。吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲ひんしつとくると真逆まっさかさまにひっくり返る。ひっくり返ってもつかえはない。物には両面がある、両端りょうたんがある。両端をたたいて黒白こくびゃくの変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである。方寸かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌あいきょうがある。あま橋立はしだて股倉またぐらからのぞいて見るとまた格別なおもむきが出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。たまには股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向いっこう不思議はない。ただ猫が運動するのをいた風だなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかも知れんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来ん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買うわけに行かない。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いちもんいらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいはまぐろの切身をくわえてけ出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり単簡たんかんで興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をがす者だろうと思う。勿論もちろんただの運動でもある刺激のもとにはやらんとは限らん。鰹節競争かつぶしきょうそう鮭探しゃけさがしなどは結構だがこれは肝心かんじんの対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然さくぜんとして没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい。吾輩はいろいろ考えた。台所のひさしから家根やねに飛び上がる方、家根の天辺てっぺんにある梅花形ばいかがたかわらの上に四本足で立つ術、物干竿ものほしざおを渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつるべって爪が立たない。うしろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動のひとつだが滅多めったにやるとひどい目に逢うから、高々たかだか月に三度くらいしか試みない。紙袋かんぶくろを頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味のとぼしい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引きく事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある。第一に蟷螂狩とうろうがり。――蟷螂狩りは鼠狩ねずみがりほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏のなかばから秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂かまきりをさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作ぞうさもない。さて見付け出した蟷螂君のそばへはっと風を切ってけて行く。するとすわこそと云う身構みがまえをして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。ところを一足いっそく飛びにきみうしろへ廻って今度は背面から君の羽根をかろく引きく。あの羽根は平生大事にたたんであるが、引き掻き方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無洒落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところをねらいすまして、いやと云うほど張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる。蟷螂君かまきりくんはまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げまどうのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みる事がある。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語ドイツごのごとくごうも実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない。御免蒙ごめんこうむってたちまち前面へけ抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたままたおれる。その上をうんと前足でおさえて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦しちきんしちしょう孔明こうめいの軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へくわえて振って見る。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまりうまい物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩とうろうがりに次いで蝉取せみとりと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎あぶらやろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくてかん。みんみんは横風おうふうで困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。くちほころびから秋風あきかぜが断わりなしにはだでてはっくしょ風邪かぜを引いたと云う頃さかんに尾をり立ててなく。く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取る。これを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん。地面の上に落ちているものには必ずありがついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中をとらえるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもつかえはない。ただ声をしるべに木をのぼって行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分だいぶ吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫ばっそんたる人間にもなかなかあなどるべからざる手合てあいがいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君かまきりくんと違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何のえらむところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼をねらってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際まぎわいばりをつかまつるのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物ほりものを見せ、主人が羅甸語ラテンごを弄するたぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となる。これも蝉学上ゆるかせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐ちんぷだからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐あおぎりである。漢名を梧桐ごとうと号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇うちわくらいなおおきさであるから、彼等がい重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡ぞくようはとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉ふたまたになっているから、ここで一休息ひとやすみして葉裏から蝉の所在地を探偵する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々ようよう二叉ふたまたに到着する時分には満樹せきとして片声へんせいをとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気せみけがないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、またの上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつのにか眠くなって、つい黒甜郷裡こくてんきょうりに遊んだ。おやと思って眼がめたら、二叉の黒甜郷裡こくてんきょうりから庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来る。ただ興味の薄い事には樹の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方おおかた死んでいる。いくらじゃらしても引っいても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしいくんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたりちぢましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にある。この時つくつくくんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はつくつく君を抑えるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免をこうむって口の内へ頬張ほおばってしまう。蝉によると口の内へ這入はいってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑まつすべりである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元来松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじ御馳走ごちそうをしてから以来今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸つまがかりのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成いっきかせいあがる。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一はのぼったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見りょうけんでは、どうせ降りるのだから下向したむきに馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越ひよどりごえとしたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑けいべつするものではない。猫の爪はどっちへ向いてえていると思う。みんなうしろへ折れている。それだから鳶口とびぐちのように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹のいただきとどまるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これすなわち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、の差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのをゆるめて降りなければならない。すなわちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪はぜん申す通り皆うしろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢にさからって利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易みやすき道理である。しかるにまた身をさかにして義経流に松の木ごえをやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなる。ここにおいてかせっかく降りようとくわだてた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越ひよどりごえはむずかしい。猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである。最後に垣巡かきめぐりについて一言いちげんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側えんがわと平行している一片いっぺんは八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやりそこなう事もままあるが、首尾よく行くとおなぐさみになる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜べんぎがある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三べんやって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなるたびに面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほどまわりかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推参な奴だ。人の運動のさまたげをする、ことにどこの烏だかせきもない分在ぶんざいで、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおいきたまえと声をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭をながめている。三羽目はくちばしを垣根の竹でいている。何か食って来たに違ない。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予ゆうよを与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留とうりゅうするだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分だいぶつかれている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束くろしょうぞくが、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合だ。いよいよとなればみずから運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体にんていである。口嘴くちばしおつとんがって何だか天狗てんぐもうのようだ。どうせたちのいい奴でないにはきまっている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向ひだりむけをした烏が阿呆あほうと云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧ごていねいにも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過かんか出来ない。第一自己の邸内で烏輩からすはいに侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。ことわざにも烏合うごうの衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸をえて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪かんしゃくさわる。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくらおこっても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上からくちばしそろえて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。にらめつけてやったが一向いっこうかない。背を丸くして、少々うなったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのだが生憎あいにく相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公がふんをひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすとかぬ者で、からだ全体が何となくしまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴からみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根にあぶらのようにねばり付く。背中せなかがむずむずする。汗でむずむずするのとのみってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所ならむ事も出来る、足の達する領分は引きく事も心得にあるが、脊髄せきずいの縦に通う真中と来たら自分の及ぶかぎりでない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈やたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一をえらばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間はなものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安めやすにして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるからでられ声で膝のそばへ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがすままに任せるのみか折々は頭さえでてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中もうちゅうにのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへほうり出される。わずかに眼にるからぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想あいそをつかしたと見える。手をひるがえせば雨、手をくつがえせば雲とはこの事だ。高がのみの千びきや二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変がぜんひょうへんしたので、いくらゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮しょうひ摩擦法まさつほうをやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側えんがわから降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松にはやにがある。このやにたるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延まんえんする。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊たんぱくを愛する茶人的猫ちゃじんてきねこである。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深しゅうねんぶかい奴は大嫌だ。たとい天下の美猫びみょうといえどもご免蒙る。いわんや松脂まつやににおいてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞とえらぶところなき身分をもって、この淡灰色たんかいしょく毛衣けごろもだいなしにするとはしからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣きづかいはない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっている。こんな無分別な頓痴奇とんちきを相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い。今において一工夫ひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかも知れない。何か分別はあるまいかなと、あしを折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸シャボンをもって飄然ひょうぜんといずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧もうろうたる顔色がんしょくが少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦むさくるしい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目ききめがあるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳なんげつ夭折ようせつするような事があっては天下の蒼生そうせいに対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひまつぶしに案出した洗湯せんとうなるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだからろくなものでないにはきまっているがこの際の事だから試しに這入はいって見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量こうりょうがあるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入はいるくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ひとま容子ようすを見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭をくわえて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。
 横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立きつりつして先から薄い煙を吐いている。これすなわち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯ひきょうとか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬しっと半分にはやし立てるごとである。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成ほうの第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑けいべつしてはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪まつまきが山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、さかなを食ったり、けものを食ったりいろいろのあくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫ふびんである。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中をのぞくとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側むこうがわで何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓ガラスまどがあって、そのそとに丸い小桶こおけが三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意をりょうとした。小桶の南側は四五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂おあつらえの上等である。よろしいと云いながらひらりと身をおどらすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、いまだ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至ないし四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目しにめわなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観きかんはまたとあるまい。
 何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観だ。この硝子窓ガラスまどの中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃せいばんである。二十世紀のアダムである。そもそも衣装いしょうの歴史をひもとけば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年ぜんこれも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体をしっしている。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等しょうらは出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂こめつきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具けしょうどうぐである。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布くろぬのを三十五反八分七はちぶんのしち買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事とどこおりなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日こんにちに至るまで一日も裸体になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘ギリシャ羅馬ローマの遺風が文芸復興時代の淫靡いんびふうに誘われてから流行はやりだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常ふだんから裸体を見做みなれていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとはごうも思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸ドイツ英吉利イギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となったのちに、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、けだものと思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做みなせばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。しからん事だ。十四世紀頃までは彼等のちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師かるわざし流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々とくとくたるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的とんちんかんてき作用さようによって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜くやしければ日中にっちゅうでも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸でかけるではないか。その因縁いんねんを尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものにはかれろ、強いものには折れろ、重いものにはされろと、そうれろ尽しでは気がかんではないか。気がかんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物ばけもの邂逅かいこうしたようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身がおおいに困却する事になるばかりだ。そのむかし自然は人間を平等なるものに製造して世の中にほうり出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸あかはだかである。もし人間の本性ほんせいが平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐かいがない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消たまげる物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股さるまたを発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日こんにちの車夫の先祖である。単簡たんかんなる猿股を発明するのに十年の長日月をついやしたのはいささかな感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙昧もうまいの世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」というにでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧ちえには出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩かっぽするのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうである。猿股期、羽織期のあとに来るのが袴期はかまきである。これは、何だ羽織の癖にと癇癪かんしゃくを起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもとてらしんきそって、ついにはつばめの尾にかたどった畸形きけいまで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心のってさまざまの新形しんがたとなったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りにかぶっているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空をむごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥もくあみの公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。帰った連中を開明人かいめいじんの目から見れば化物である。仮令たとい世界何億万の人口をげて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸あかはだかは赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。
 しかるに今吾輩が眼下がんか見下みおろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至ないしはかまもことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視しゅうもくかんしうちに露出して平々然へいへいぜんと談笑をほしいままにしている。吾輩が先刻さっき一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一般を紹介するの栄を有する。
 何だかごちゃごちゃしていてにから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽ゆぶねから述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、ながさは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入はいっている。何でも薬湯くすりゆとか号するのだそうで、石灰いしばいを溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。あぶらぎって、重たに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水をえないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯のよしだがこれまたもって透明、瑩徹えいてつなどとは誓って申されない。天水桶てんすいおけぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分だいぶ骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造わかぞうが二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いいなぐさみだ。双方共色の黒い点において間然かんぜんするところなきまでに発達している。この化物は大分だいぶ逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりをで廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」た左肺さはいの方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺をたたいて見せると、金さんは「そりゃ疝気せんきだあね」と云った。ところへ二十五六の薄いひげやした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸シャボンあかと共に浮きあがる。鉄気かなけのある水をかして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈をとらえて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者にはかなわないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながらふねからあがる。ひげやしている男は雲母きららのようなものを自分の廻りにき散らしながらひとりでにやにや笑っていた。入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中せなかに模様画をほり付けている。岩見重太郎いわみじゅうたろう大刀だいとうを振りかざしてうわばみ退治たいじるところのようだが、惜しい事に竣功しゅんこうの期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒べらぼうるいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色けしきとも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶あいさつをする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、けえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれでっぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町しろかねちょうにも古い人がくなってね、今じゃ桶屋おけやの元さんと煉瓦屋れんがやの大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際つきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入おおいりで、湯の中に人が這入はいってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々ゆうゆうかんかんたる物で、先刻さっきから這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよくおけの中を見渡すと、左の隅にしつけられて苦沙弥先生が真赤まっかになってすくんでいる。可哀かわいそうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色けしきも見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気ゆけにあがるがと主思しゅうおもいの吾輩は窓のたなから少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちとき過ぎるようだ、どうも背中せなかの方から熱い奴がじりじりいてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないときません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭をたたんで凸凹頭でこぼこあたまをかくした男が一同に聞いて見る。「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気ごうぎだあね」と云ったのはせた黄瓜きゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等きょうなどは這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男である。これは多分垢肥あかぶとりだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇体きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
 湯槽ゆぶねの方はこれぐらいにして板間いたまを見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んでおのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向あおむけに寝て、高いかりとりながめているのと、腹這はらばいになって、みぞの中をのぞき込んでいる両アダムである。これはよほどひまなアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいるとうしろから、小坊主がしきりに肩をたたいている。これは師弟の関係上三介さんすけの代理をつとめるのであろう。本当の三介もいる。風邪かぜを引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形こばんなりおけからざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽ごろ垢擦あかすりをはさんでいる。こちらの方では小桶こおけを慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸シャボンを使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内わとうないの時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変がくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明たいみんを攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊をしてくれろと云うと、三代様さんだいさまがそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎じょろうを見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を云うのかさっぱり分らない。そのうしろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物はれものか何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌しゃべってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中せなかが見える。尻の中から寒竹かんちくを押し込んだように背骨せぼねの節が歴々ありありと出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤くただれて周囲まわりうみをもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際てぎわにはその一斑いっぱんさえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易へきえきしていると入口の方に浅黄木綿あさぎもめんの着物をきた七十ばかりの坊主がぬっとあらわれた。坊主はうやうやしくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩ごゆっくり――どうぞ白い湯へ出たり這入はいったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌あいきょうものだね。あれでなくては商買しょうばいは出来ないよ」とおおいに爺さんを激賞した。吾輩は突然このな爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今あがての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴をげてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒きほうを転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずにんだげな。御巡おまわりさんか夜番でも見えたものであろう」とおおいに泥棒の無謀を憫笑びんしょうしたがまた一人をらまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶のうちから消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。見るとまぎれもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これはまさしく熱湯のうちに長時間のあいだ我慢をしてつかっておったため逆上ぎゃくじょうしたに相違ないと咄嗟とっさの際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為せいならとがむる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声どうまごえを出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気なまいき書生を相手に大人気おとなげもない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入はいっていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎たかやまひこくろうが山賊をしっしたようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもってみずからおらん以上は予期する結果は出て来ないにきまっている。書生はうしろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊としてののしり返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻さっきからこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、いた風の事ばかりならべていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人のおけへ汚ない水をぴちゃぴちゃねかす奴があるか」とかっし去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉かいさいを呼んだが、学校教員たる主人の言動としてはおだやかならぬ事と思うた。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたきがら見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山をえる時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へをかけて火をいて、柔かにしておいて、それからのこぎりでこの大岩を蒲鉾かまぼこのように切ってとどこおりなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目ききめのある薬湯へだるほど這入はいっても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙ひあぶりにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固がんこなおりっこない。この湯槽ゆぶねに浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構わない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息せいそくする娑婆しゃばへ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色かんげんゆしょく円転滑脱えんてんかつだつの世界に逆戻りをしようと云う間際まぎわである。その間際ですらかくのごとく頑固がんこであるなら、この頑固は本人にとってろうとして抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正きょうせいする事は出来まい。この病気をなおす方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事すなわちこれなり。免職になれば融通のかぬ主人の事だからきっと路頭に迷うにきまってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌だいきらいである。死なない程度において病気と云う一種の贅沢ぜいたくがしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞとおどかせば臆病なる主人の事だからびりびりとふるえ上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。
 いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯いっぱん君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察をおこたっていると、突然白い湯槽ゆぶねの方面に向って口々にののしる声が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口ざくろぐち一寸いっすんの余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。折から初秋はつあきの日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立てめる。かの化物のひしめさまがその間から朦朧もうろうと見える。熱い熱いと云う声が吾輩の耳をつらぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互にかさなりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内にみなぎらす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声である。吾輩は茫然ぼうぜんとしてこの光景に魅入みいられたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返しているむれの中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼のたけを見るとほかの先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔からひげえているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらをり返して、日盛りにがねをつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々ふんぷんもつれ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁とうりょうだ。と思って見ていると湯槽ゆぶねうしろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらにひとみをそらすと、暗憺あんたんとして物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介さんすけが砕けよと一塊ひとかたまりの石炭をかまどの中に投げ入れるのが見えた。竈のふたをくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなる。同時に三介のうしろにある煉瓦れんがの壁がやみを通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物凄ものすごくなったから早々そうそう窓から飛び下りていえに帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、はかまを脱いで平等になろうとつとめる赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
 帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐ばんさんを食っている。吾輩が椽側えんがわから上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、ぜにのない癖に二三品御菜おかずをならべている。そのうちにさかなの焼いたのが一ぴきある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日きのうあたり御台場おだいば近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘ざんぜんたもつ方がよほど結構だ。こう考えて膳のそばに坐って、すきがあったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとくよそおっていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないとあきらめなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をしてはしを置いた。正面にひかえたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下じょうげに運動する様子、主人の両顎りょうがく離合開闔りごうかいこうの具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっとって見ろ」と主人は突然細君に請求した。
「撲てば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」
 こうですかと細君は平手ひらてで吾輩の頭をちょっとたたく。痛くも何ともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一ぺんやって見ろ」
「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかとまいる。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩にはとんと了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々気味ぎみで「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。
 細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物ぐぶつだからいやになる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数てすうはしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただって見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎だかつのごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾こうかつきょくでたのではない。つまり智慧ちえの足りないところからいた孑孑ぼうふらのようなものと思惟しいする。飯を食えば腹が張るにまっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだからてば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅てんぷらを食えば必ず下痢げりする事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚みなされては猫と生れた甲斐かいがない。まず腹の中でこれだけ主人をへこましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。
 すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。
 細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁きんじょがっぺき有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張がんばっている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々ぶたぶたと呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君にむかって呈出するのも、主人に取っては朝食前あさめしまえの小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君はけむかれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
 細君は吃驚びっくりして「はい」と答えた。
「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例のさかなをむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚といものにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑だいけいべつの調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」とさかずきを出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もう大分だいぶ赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」
「ええ、さきの関白太政大臣でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」
出鱈目でたらめでしょう」
「出鱈目なものか、希臘語ギリシャごだ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただつづりだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
 他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗むやみにのむ。平生なら猪口ちょこに二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸やけひばしのようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々にがにがしい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月おおまちけいげつが飲めと云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文いちもんの価値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいにきまっているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」
「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少しおっとを大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入はいり次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその豚肉三片みきれと塩焼の頭を頂戴した。

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