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口笛を吹く武士(くちぶえをふくぶし)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/23 9:37:58 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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綿流し独り判断 一 が、すぐ門のそとに立ちどまって、往来の左右へ眼をやった。 年の瀬を控えて、通行人の跫音のあわただしい街上だ。 「東西南北――はて、どっちへ行ったものかな?」 笑いをふくんだ眼で、狂太郎はそうひとり言をいって首を傾げた。 狂太郎は、その綿を、二つまみ三摘み ![]() あるかなしの風。綿は、その風に乗って、白い蛾のように 本所二つ目の橋のほうへ飛んだ。 「東か――。」ぶらりと歩き出した。「そうだ。面白い。ひとつ、東海道筋へ 二 海が見える。灰いろの海だ。舟が出ている。道は、ちょっと登りになって、天狗の面を背負った六部がひとり、町人ていの旅ごしらえが二人、せっせといそぎ足に、ひだり手には、杉、 「お泊りさんは、こちらへ――まだ程ヶ谷までは一里九丁ござります。」 「仲屋でございます。お休みなすっていらっしゃいまし。お茶なと召しあがっていらっしゃいまし。おとまりは、ただいまちょうどお風呂が口あきでございます。」 神奈川の宿だ。その中ほどに、掛け 「いや、江戸に といっている、四十四、五のでっぷりした、温厚な人物は、近江の豪農、垣見吾平という触れ込みで泊まりこんでいる大石 かれの甥、垣見左内と変称して、そばでにこにこしている少年は、 「変りましたでございましょうな、江戸も。」 「さ、手まえは、しばらく振りの、まったく、三年目の江戸でござりましてな。初下りも同然で――。」 「こちらは、はじめて――。」 「甥はもう、 廊下を通る人影を意識して、聞こえよがしの高ばなしだ。 この男売り物 一 「ほ! 何だ、ありゃあ。」 佐原屋の二階の、おもて 「おい、ちょっと来て見ろ。」 この数カ月武林は、大阪にかくれていた原惣右衛門、京都に潜んでいた片岡源吾、それから、江戸の堀部安兵衛らと、ひそかに、あちこち往来して、一挙の時期を早める硬論を唱道してきたのだ。それが、こうして 同じ商人ていにつくった 「 「いや、驚いた。なんでもいい。来てみろ早く。」 「騒々しいやつじゃな。」 と、起って来た。 唯七は、笑いながら、しきりに 男が通っているのである。浪人体の武士である。その背中に、「この男売物」と大きく書いた半紙が、貼ってあるのだ。 白い紙に、墨黒ぐろと――いかにも変な文句。が、何度見ても「この男売物」と読める。 男は、その「売りもの」貼り紙を背なかにしょって、大威張りで歩いているのである。 新六も、いっしょに笑い出して、 「何だい、あいつぁ。 といった、その、気ちがいかというのが、ちょっと声が高かった。ちょうど真下をとおりかかっていた男に聞えて、かれは、立ち停まって振り仰いだ。 大たぶさに かれは、何がな人眼をひく方策を編み出し、それによって、この街道すじの旅人のあいだに、なにか口を利く機会をつくろうと、いろいろ考えた末、この貼紙を思いついて、江戸から来るこの一つ手まえの宿、川崎の立場茶屋で、半紙を貰い、墨を借りて、これを書いたのだった。 そして、飯粒で、その紙看板を紋つきの背に貼りつけて、往き来の人の驚愕と、 眼のまえの、佐原屋とある宿屋の二階をふり仰ぐと、町人の男がふたり、欄干から見おろしてにやにや笑っているので、狂太郎は、待ちかまえていたように、ぐっと 「こら、てめえら、笑ったな。何がおかしい! 貴様ら素町人に、吾輩の真意がわかるか。禄を失って路頭に迷えばこそ、恥を忍び、節を屈して、かくは自分を売りに出したのだ。何とかして食おうとする人間の真剣な努力が、何でそんなにおかしいのだ、ううん?」 「お侍さん、何ぼお困りでも、あんまり 急に町人めかした口調で、そういい出した唯七の袖を、新六は、懸命に引いて、 「止せ。相手になるな。変に文句をつけられると、うるさいから。」 下では、狂太郎が、大声に、 「この男売りものてえのを笑う以上、お前たちに買う力があるのであろう。よし。そんなら一つ、おれをこのまま、買ってもらうことにする。」 許せ――と、聞こえて、その、あぶれ者の浪人は、もう、佐原屋の土間口へ踏みこんだ様子だ。 二 垣見吾平、左内の大石父子と、小野寺十内は、初対面らしくよそおって、それぞれ身分を明かしなどしてから、道中の話しや、これから下って行く江戸の噂や、わざと大声に、雑談に耽っていた。 すこし離れた、はしご段のとっつきの小暗い一間から、 「だからよ、いわねえこっちゃあねえ。そう毎晩、毎晩、首根っこの白い 「まあ、兄い。そうぽんぽんいうなってことよ。勘弁してくんな。その代り、おいらが明日から、おまはんの振り分けも と、さかんに高声を洩らしている、お伊勢詣りの帰りと見える熊公、がらっ八といった二人伴れが、いかにもそれらしい拵えの大高源吾と、 と思うと、中庭をへだてた向うの部屋では、 「はい。 医者に化けた村松喜平である。 なるほど、武者修業めいたいでたちの菅谷半之丞が、となりの部屋から話しに来て、何かとうまく相槌を打っている。 そのほか、富森助右衛門、真瀬久太夫、岡島八十右衛門など、同志の人々は、こうして町人、郷士、医師と、思い思いに身をやつして同勢二十一名、きょうこの神奈川の佐原屋に泊まっているのだ。 たがいに未知を装って、ただ同じ方角へ向いて行く一連の旅人が、一時この旅籠に落ちあっただけ、という 関西に散らばって待機中だった同志が、前後して下ってきたのを、江戸に暗躍していた人々が途中まで迎いに出て、この二、三日、あとになり前になり、警戒にこころを砕きながら三々五々、やっと、江戸へ一 「この部屋だなっ!」 おもて二階に、大声が湧いて「この男売り物」の浪人が、がらりと、武林唯七と間新六の室の障子を、引きあけた。 口笛 一 「お侍さま、このとおり、お詫びを――。」 と、かれは、緊張して、顔いろが変っていた。大きな計画のまえに、いまこんなことで騒ぎになり、人眼をひいたりしてはならない。問題を起すようなことがあっては、同志に済まない。それに相手は、どんな人物であるかもわからないのだから――。 「とんでもない失礼なことを申しまして――。」 が、狂太郎は、黙ってはいってきて、その新六のそばを、畳を踏み鳴らしてとおり過ぎると、まだ窓ぎわに立ってにやにやしていた武林の胸を、とんと突いた。 「貴様か。いま何かいって笑ったのは。」 気の短い武林である。突っ立ったまま、むっとした顔で、なにかいっそう事態を悪くするようなことをいいそうな顔なので、新六は、はらはらした。 膝でにじり寄って、とり縋るように、 「いえ。つい、わたくしめが、お気にさわるようなことを申しましたので――。」 「黙っておれ。」 狂太郎は、武林唯七の襟をつかんで、ぐいと締め上げた。 「こいつ、騒がんな。体の構え、眼の配りが、どうも尋常でないぞ。」 それでも唯七は、狂太郎をにらんで、ぬうっと立ちはだかっている。 新六は、あわてた。 「これ、わしにばかり謝まらせておらんで、お前もすわって――いえ、お侍さま、これはすこし、変り者でございまして、気はしごくよろしいのでございますが。」 そして必死に、唯七へ眼くばせした。 すると狂太郎は、びっくりするほど大きな声で笑って、 「変り者か。うふふふ、変りものにゃあ違えねえ。武士が、町人の 武林と、ちらと素早い視線を交した新六が、 「滅相もないことを! わたくしどもは、正直正銘、生れながらの町人なんで。下谷の者でございます、へえ。商用で、ちょっと 狂太郎は、抜け上った唯七の額へ眼をやって、切り落とすようにいった。 「 唯七の指が、襟元を握っている狂太郎の手へ、しずかに掛かった。 「売り物なら、買おうか。」 「この男は売りもの――だが、止めた。もう、貴様らにゃあ売らねえ。」 「売る喧嘩なら、買おうかというのだ。」 新六が、叫ぶようにいって割りこんだ。 「お前は、まあ、相手も見ずに、お侍さんに何をいうのだ――。」 「ふん。」狂太郎は、小鼻をうごめかして、「この手、ほら、この、おれの手を取る手が――おめえ、 もう、止むを得ないと見て、新六は、押入れのほうへ行った。そこに、武林のと二本、道中差が置いてあるのだ。 変な侍が押し上ったので、心配してついてきた宿の番頭や女中たちのおどろいた顔が、廊下からのぞいていた。かれらは、武林と狂太郎の 二 しかし、どっちも刀を抜きはしなかった。間もなく、佐原屋の亭主と、同宿の長老というわけで、垣見吾平、小野寺十内、村松喜平などがその部屋へやって来て、二人のために、狂太郎のまえに頭を 狂太郎は、長いあいだ一同の顔を見まわしていたが、 「うむ。そうか。いや、大事の前の小事だからな。」 と 「斬ったほうがいい。」 唯七が、刀を引っ提げて起とうとするのを、垣見吾平がとめたとき、下の往来から、小鳥の啼くような不思議な声が聞えて、それがだんだん遠ざかって行った。狂太郎は、口笛を吹きながら、立ち去って行くのだった。口笛というものを、この人たちは、はじめて聞いたのだ。 吉良の屋敷内の長屋へ帰ってくると、狂太郎は弟の一角に、 「馬鹿あ見たよ。赤穂の浪士が江戸へはいって来る模様など、すこしもねえぞ。心配するな。それより、こんなに働いてまいったのだから、どうだ、一升買え、いいだろう一升――。」 三 この清水狂太郎のことは、いくら調べてみても、どうも ただ、日本橋石町三丁目の小山屋弥兵衛方に落ちついた大石の一味は、あとでは、この旅館の裏に借屋住いをして、あの潜行運動を進めたのだったが、吉良のスパイが、その付近に出没するようになった。 するとそのスパイがまた、何者にとも知れず、よく斬り殺されたものだが、そのときは必ず、口笛の音が聞えたそうである。 そして狂太郎は、相変らず、吉良邸の弟の部屋で、酒に酔って終日寝ていたと某書にあるから、十二月十四日の夜も、やはりそこにいたのであろう。するときっと、かれも、一角や小林平八郎、柳生流の使い手だった和久半太夫、新貝弥七郎、天野貞之丞、古留源八郎などと一しょに、相当眼ざましく働いて、斬り死にしたものに相違ない。はっきりした記録が残っていないからわからないが、奥田孫太夫が庭で相手取った一人に、青竹の先に百目蝋燭をつけたのを、寝巻のえり頸へさして、 翌朝、吉良の首を槍の柄に結んで、 「おい、 武林とおなじに、返り血で全身黒くなっている間新六も、歩をとめた。 「なに、口笛が――?」 「うむ、聞える。耳をすまして――ほら! どこからともなく、口笛が――ほら!」 底本:「一人三人全集 2 時代小説丹下左膳」河出書房新社 1970(昭和45)年4月15日初版発行 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:奥村正明 校正:小林繁雄 2002年12月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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