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美しい村(うつくしいむら)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/25 15:31:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 そんな鬱陶(うっとう)しいような日々も、相変らず私の小説の主題は私からともすると逃げて行きそうになるが、私はそれをば辛抱(しんぼう)づよく追いまわしている。私が最初に計画していたところの私自身を主人公とした物語を書くことはとっくに断念していたけれど、私はそれの代りに、その物語の主人公には一体どんな人物を選んだらいいのか、それからしてもう迷っていた。……どうにか一方の老嬢(ろうじょう)は私の物語の中に登場させることは出来ても、もう一方の方は台所で皿(さら)の音ばかりさせているきりで、何時まで経(た)ってもヴェランダに出て来ようとしない二人の老嬢たちの話、冬になるとすっかり雪に埋(うず)まってしまうこんな寒村に一人の看護婦を相手に暮(く)らしている老医師とその美しい野薔薇(のばら)の話、ときどき気が狂(くる)って渓流のなかへ飛び込(こ)んでは罵(ののし)りわめいているという木樵(きこり)の妻とその小娘の話、――そういうような人達のとりとめもない幻像(イマアジュ)ばかりが私の心にふと浮(うか)んではふと消えてゆく……
 或る午後、雨のちょっとした晴れ間を見て、もうぽつぽつ外人たちの這入りだした別荘(べっそう)の並(なら)んでいる水車の道のほとりを私が散歩をしていたら、チェッコスロヴァキア公使館の別荘の中から誰かがピアノを稽古(けいこ)しているらしい音が聞えて来た。私はその隣(とな)りのまだ空いている別荘の庭へ這入りこんで、しばらくそれに耳を傾(かたむ)けていた。バッハのト短調の遁走曲(フウグ)らしかった。あの一つの旋律(メロディ)が繰(く)り返され繰り返されているうちに曲が少しずつ展開して行く、それがまた更に稽古をしているために三四回ずつひとところを繰り返されているので、一層それがたゆたいがちになっている。……それを聴(き)いているうちに、私はまるで魔(ま)にでも憑(つ)かれたような薄気味のわるい笑いを浮べ出していた。そのピアノの音のたゆたいがちな効果が、この頃(ころ)の私の小説を考え悩(なや)んでいる、そのうちにそれがどうやら少しずつ発展して来ているような気もする、そう言った私のもどかしい気持さながらであったからだ。

     ※(アステリズム、1-12-94)

 或る朝、「また雨らしいな……」と溜息(ためいき)をつきながら私が雨戸を繰ろうとした途端に、その節穴(ふしあな)から明るい外光が洩(も)れて来ながら、障子(しょうじ)の上にくっきりした小さな楕円形(だえんけい)の額縁(がくぶち)をつくり、そのなかに数本の落葉松(からまつ)の微細画(ミニュアチュア)を逆さまに描いているのを認めると、私は急に胸をはずませながら、出来るだけ早くと思って、そのため反(かえ)って手間どりながら雨戸を開けた。私が寝床(ねどこ)のなかで雨音かと思っていたのは、それ等の落葉松の細かい葉に溜(たま)っていた雨滴が絶えず屋根の上に落ちる音だったのだ。私はさて、まぶしそうな眼つきで青空を見上げた。私は寝間着のまま一度庭のなかへ出てみたが、それから再び部屋に帰り、そしてフラノの散歩服に着換(きか)えながら、早朝の戸外へと出て行った。私は教会の前を曲って、その裏手の橡(とち)の林を突(つ)き抜けて行った。私はときどき青空を見上げた。いかにもまぶしそうに顔をしかめながら。
 私が小さな美しい流れに沿うて歩き出すと、その径(みち)にずっと笹縁(ささべり)をつけている野苺(のいちご)にも、ちょっと人目につかないような花が一ぱい咲いていて、それが或る素晴(すば)らしいもののほんの小さな前奏曲(プレリュウド)だと言ったように、私を迎えた。私は例の木橋の上まで来かかると、どういう積りか自分でも分からずに二三度その上を行ったり来たりした。それから、漸(や)っと、まるで足が地上につかないような歩調で、サナトリウムの裏手の生墻(いけがき)に沿うて行った。私は最初のいくつかの野薔薇の茂(しげ)みを一種の困惑(こんわく)の中にうっかりと見過してしまったことに気がついた。それに気がついた時は、既(すで)に私は彼等の発散している、そして雨上りの湿(しめ)った空気のために一ところに漂いながら散らばらないでいる異常な香(かお)りの中に包まれてしまっていた。私は彼等の白い小さな花を見るよりも先に、彼等の発散する香りの方を最初に知ってしまったのだ。しかし私は立ち止ろうとはせずになおも歩き続けながら、私は今すれちがいつつある一つの野薔薇の上に私のおずおずした最初の視線を投げた。私は、私の胸のあたりから何かを訴(うった)えでもしたいような眼つきで私をじっと見上げている、その小さな茂みの上に、最初二つ三つばかりの白い小さな花を認めたきりだった。が、その次の瞬間(しゅんかん)には、私はその同じ茂みのうちに殆ど二三十ばかりの花と、それと殆ど同数の半ば開きかかった莟(つぼみ)とを数えることが出来た。それはごく僅(わず)かの間だったが、そんな風に私が自分の視線のなかに自分自身を集中させてしまってからと言うもの、そんなにも簇(むら)がっているそれ等の花がもう先刻(さっき)のように好い匂(におい)がしなくなってしまっていることに私は愕(おどろ)いた。そうして改めてそれを嗅(か)ごうとすると、そうするだけ一層それは匂わなくなって行くように見えた。――私は注意深く歩き続けながら、順ぐりにいくつかの野薔薇の木とすれちがって行ったが、とうとう私はいつかレエノルズ博士がその上に身を跼(こご)めていた一つの茂みの前まで来た。私は思わずそこに足を停(と)めた。――
 そうして私はその野薔薇の前に、ただ茫然(ぼうぜん)として、何を考えていたのか後で思い出そうとしても思い出せないようなことばかり考えていた。どれよりも最も多くの花を簇がらせているように見えるその野薔薇とそっくりそのままのものを何処(どこ)かで私は一度見たことがあるように思えて、それをしきりに思い出そうとしていたかのようでもあった。――それはすこし長い放心状態の後では、しばしば私にやってくるところの一種独特の錯覚(さっかく)であった。放心のあまりに現在そのものの感じがなくなり、私は現在そのものをしきりに思い出そうとして焦(あせ)っているのかも知れなかった。――それから私は再び我に返って歩き出した。私の沿うて行く生墻には、それらの野薔薇が、同じような高さの他の灌木(かんぼく)の間に雑(まじ)りながら、いくらかずつの間を置いてはならんでいるのだった。あたかも彼等が或る秘密な法則に従ってそう配置されてでもいるかのように。そうしてその微妙(びみょう)な間歇(かんけつ)が、ほとんど足が地につかないような歩調で歩きつつある私の中に、いつのまにか、ほとんど音楽の与えるような一種のリズミカルな効果を生じさせていた。……そうしてそれに似た或る思い出をこんどはさっきと異って、鮮明(せんめい)に私のうちに蘇(よみがえ)らせるのであった。……十年ぐらい前の或る夏休みに、私が初めてこの村へ来た時のこと、宿屋の裏から水車場のある道の方へ抜けられるようになっている、やっと一人(ひとり)だけ通れるか通れない位の、狭(せま)い、小さな坂道を上って行こうとした途中(とちゅう)で、私はその坂の上の方から数人の少女たちが笑いさざめきながら駈(か)け下りるようにして来るのに出遇(であ)った。私はそれを認めると、そういう少女たちとの出会(であい)は私の始終夢(ゆめ)みていたものであったにも拘(かかわ)らず、私はよっぽど途中から引っ返してしまおうかと思った。私は躊躇(ちゅうちょ)していた。そういう私を見ると、少女たちは一層笑い声を高くしながら私の方へずんずん駈け下りて来た。そんなところで引っ返したりすると余計自分が彼女たちに滑稽(こっけい)に見えはしまいかと私は考え出していた。そこで私は思い切って、がむしゃらにその坂を上って行った。するとこんどは少女たちの方で急に黙(だま)ってしまった。そうしてやっと笑うのを我慢(がまん)しているとでも言ったような意地悪そうな眼つきをして、道ばたの丁度彼女たちのせいぐらいある灌木の茂みの間に一人一人半身を入れながら、私の通り過ぎるのを待っていた。私は彼女たちの前を出来るだけ早く通ろうとして、そのため反(かえ)って長い時間かかって、心臓をどきどきさせながら通り過ぎて行った。……その瞬間私は、自分のまわりにさっきから再び漂いだしている異常な香りに気がついて愕いた。私がそんな風に私の視線を自分自身の内側に向け出して、ひょいと野薔薇(のばら)のことを忘れていたら、そういう気まぐれな私を責め訴えるかのように、その花々が私にさっきの香りを返してくれたのだった。そう、それ等の少女たちの形づくった生墻(いけがき)はちょうどお前たちにそっくりだったのだ! ……
 私はその朝はどうしたのかクレゾオルの匂のぷんぷんするサナトリウムの手前から引返した。その向うには、その思いがけない美しさでひととき私の心を奪(うば)っていたアカシアの花が、一週間近い雨のためにすっかり散って、それが川べりの道の上にところどころ一塊(ひとかたま)りになりながら落ちているのがずっと先きの先きの方まで見透(みとお)されていた。
 それから数日間、こんどはお天気のいい日ばかりが続いていた。毎朝私は起きるとすぐその辺まで散歩に行った。しかし私はその花をつけた生墻の前にあんまり長いこと立ちもとおっていないで、それに沿うて素通(すどお)りして来るきりの方が多かった。私は言わば、唯(ただ)、その生墻に間歇(かんけつ)的に簇(むら)がりながら花をつけている野薔薇の与える音楽的効果を楽しみさえすればよかったのであるから。だから或る時などは、それのみを楽しむために、私は故意(わざ)とよそっぽを見ながら歩いたりした。
 或る朝、私はそんな風にサナトリウムの前まで行ってすぐそのまま引っ返して来ると、向うの小さな木橋を渡り、いまその生墻に差しかかったばかりのレエノルズ博士の姿を認めた。すぐ近くの自宅から病院へ出勤して来る途中らしかった。片手に太いステッキを持ち、他(ほか)の手でパイプを握(にぎ)ったまま、少し猫背(ねこぜ)になって生墻の上へ気づかわしそうな視線を注ぎながら私の方へ近づいて来た。が、私を認めると、急にそれから目を離(はな)して、自分の前ばかりを見ながら歩き出した。そんな気がした。私も私で、そんな野薔薇などには目もくれない者のように、そっぽを向きながら歩いて行った。そうして私はすれちがいざま、その老人の焦点(しょうてん)を失ったような空虚(うつろ)な眼差(まなざ)しのうちに、彼の可笑(おか)しいほどな狼狽(ろうばい)と、私を気づまりにさせずにおかないような彼の不機嫌(ふきげん)とを見抜(みぬ)いた。
 それから数日後の或る朝だった。だんだんに夏らしい色を帯び出して来た美しい空が、私にだけ、突然物悲しく閉(とざ)されてしまったように見えた。毎朝のようにそれに沿うて歩きながら、しかし、よく注意して見ようとはしないでいた野薔薇の白い小さな花が、いつの間にやら殆ど全部蝕(むし)ばまれて、それに黄褐色(おうかっしょく)のきたならしい斑点(はんてん)がどっさり出来てしまっていることに、その朝、私は始めて気がついたのだった。

     ※(アステリズム、1-12-94)

 ……数年前までは半分壊(こわ)れかかった水車がごとごと音を立てながら廻(まわ)っていた小さな流れのほとりには、その大抵(たいてい)が三四十年前に外人の建てたと言われる古いバンガロオが雑木林(ぞうきばやし)の間に立ちならんでいたが、そこいらの小径(こみち)はそれが行きづまりなのか、通り抜けられるのか、ちょっと区別のつかないほど、ややっこしかったので、この村へ最初にやって来たばかりの時分には、私はひとりで散歩をする時などは本当にまごまごしてしまうのだった。確かに抜け道らしいんだが、その小径は突然外人たちのお茶などを飲んでいるヴェランダのすぐ横を通ったりするのだった。そういう私道なのか、抜け道なのか分からないような或る小径に又しても踏(ふ)み込(こ)んでしまった私は、私の背ぐらいある灌木の茂みの間から不意に私の目の前が展(ひら)けて、そこの突きあたりにヴェランダがあり、籐(とう)の寝椅子(ねいす)に一人の淡青色(たんせいしょく)のハアフ・コオトを着て、ふっさりと髪(かみ)を肩(かた)へ垂らした少女が物憂(ものう)げに靠(もた)れかかっているのを認め、のみならず、その少女が私の足音を聞きつけてひょいと私の方を振(ふ)り向いたらしいのを認めるが早いか、私は顔を赤らめながら、その少女をよく見ずに慌(あわ)てて其処(そこ)から引っ返してしまった。――その時若(も)し私がその少女をもっとよく見たら、それが数日前に私が宿屋の裏の狭い坂道ですれちがった数人の少女たちの中の一人であることに気がついて、私の狼狽はもっと大きかっただろうに。……
 この頃刈(か)ったばかりらしい青々とした芝生(しばふ)が、その時にはその少女の坐(すわ)っていたヴェランダをこっちからは見えなくさせていた一面の灌木の茂みに代えられて、そうしていま私のぼんやり立っているこの小径(こみち)からその芝生を真白(まっしろ)い柵(さく)が鮮(あざ)やかに区限(くぎ)って。……そのように、すべてが変っていた。いま私にまざまざと蘇って来たところの、そう言うような、最初に私が彼女(かのじょ)に会った当時の彼女のういういしい面影(おもかげ)と、数カ月前、最後に会った時の、そしてその時から今だに私の眼先にちらついてならない彼女の冷やかな面影と、何と異って見えることか! 彼女の容貌(ようぼう)そのものがそんなにも変ったのか、それとも私の中にその幻像(イマアジュ)が変ったのか、私は知らない。しかし何もかも、恐(おそ)らく私自身も変ってしまったのだ。……
 私はそのとき向うの方から何かを重そうに担(にな)いながら私の方に近づいてくる者があるのを認めた。それは羊歯(しだ)を背負っている宿の爺(じい)やであった。私はいつか彼の話していた羊歯のことを思い出した。
 私は爺やの言うがままに、彼についてその庭の中へおずおずと這入(はい)って行った。そうして爺やが庭の一隅にその羊歯を植えつけている間、私は黙ってヴェランダの床板に腰(こし)かけていた。爺やはときどき羊歯を植えつける場所について私に助言を求めた。その度毎(たびごと)に、私の胸はしめつけられた。
 一通りみんな植えつけてしまうと、爺やは私のそばに腰を下ろした。私の与えた巻煙草(まきたばこ)を彼は耳にはさんだきり、それを吸おうとはせずに、自分の腰から鉈豆(なたまめ)の煙管(きせる)を抜(ぬ)いた。
 私はふだんの無口な習慣から抜け出ようと努力しながら、これもまた機嫌買いらしい爺やを相手に世間話をし出した。
「爺やさん、峠(とうげ)の途中に気ちがいの女がいるそうだけれど、それあ本当なのかい?」
「へえ、可哀(かわい)そうにすこし気が変なんでございますよ、――先(せん)にはうちでもちょいちょい何かくれてやりましたもので、よく山からにこにこしながら、いろんな花を採って来てくれたりしましたっけが。……ただ、そいつの亭主(ていしゅ)というのが大へんな奴(やつ)でしてね、こっちからわざわざ何か持って行ってやったりしますと、いつも酔払(よっぱら)っていちゃあ、『くれるというものなら貰(もら)っといたらいいじゃねえか』と、嬶(かかあ)の気の毒がるのを叱(しか)りつけようてった調子なんですからね。……それで、こっちでもだんだん情が通わなくなって来て、この頃じゃ、もう、ちっとも構いませんです」
「何だってね、――その気ちがいって、ときどき川のなかへ飛び込むんだってね?」
「へえ、そんな人騒(ひとさわ)がせなこともときどきやりますが、あれあどうも少し狂言(きょうげん)らしいんで……」
「そうなのかい? ――どうしてまたそんな……」
 私はふと口ごもりながら、あの林のなかの空地にあった異様な恰好(かっこう)をした氷倉(こおりぐら)だの、その裏の方でした得体(えたい)の知れない叫(さけ)び声だのを思い浮べた。そうしてそれ等(ら)のものを今だにこんなにも異常に私に感じさせている、峠の子供たちの不思議な領分の上を思った。――子供たちよ、よし大人(おとな)たちにはそういう狂行が贋(にせ)ものに見えようとも、お前たちは、そんな大人たちには鎖(とざ)されている、お前たちだけのその領分の中で遊べるだけ遊んでいるがいい。
 爺やとの話は、私の展開さすべく悩んでいた物語のもう一人の人物の上にも思いがけない光を投げた。それはあの四十年近くもこの村に住んでいるレエノルズ博士が村中の者からずっと憎(にく)まれ通しであると言うことだった。或(あ)る年の冬、その老医師の自宅が留守中に火事を起したことや、しかし村の者は誰(だれ)一人それを消し止めようとはしなかったことや、そのために老医師が二十数年もかかって研究して書いていた論文がすっかり灰燼(かいじん)に帰したことなどを話した、爺やの話の様子では、どうも村の者が放火したらしくも見える。(何故(なぜ)そんなにその老医師が村の者から憎まれるようになったかは爺やの話だけではよく分からなかったけれど、私もまたそれを執拗(しつよう)に尋(たず)ねようとはしなかった。)――それ以来、老医師はその妻子だけを瑞西(スイス)に帰してしまい、そうして今だにどういう気なのか頑固(がんこ)に一人きりで看護婦を相手に暮しているのだった。……私はそんな話をしている爺やの無表情な顔のなかに、嘗(か)つて彼自身もその老外人に一種の敵意をもっていたらしいことが、一つの傷のように残っているのを私は認めた。それは村の者の愚(おろ)かしさの印(しる)しであろうか、それともその老外人の頑(かたくな)な気質のためであろうか? ……そう言うような話を聞きながら、私は、自分があんなにも愛した彼の病院の裏側の野薔薇(のばら)の生墻(いけがき)のことを何か切ないような気持になって思い出していた。
 私はヴェランダの床板(ゆかいた)に腰かけたきり、爺やがまた何処(どこ)からか羊歯を運んで来るまで、さまざまな物思いにふけりながら待っていた。それからまた爺やの羊歯を植えつけるのをしばらく見守っていた。しかし今度は黙ったままで。そうして私は老人の動かしている無気味に骨ばった手の甲(こう)を目で追っているうちに、ふいと「巨人(きょじん)の椅子(いす)」のことを思い浮(うか)べた。――私は爺やが羊歯をすっかり植えおえるのを待とうとしないで爺やと別れた。
 それから数分後に、私はその巨(おお)きな岩を目(ま)のあたりに見ることのできる、例の見棄(みす)てられたヴィラの庭のなかに自分自身を見出(みいだ)した。そのヴィラに昔(むかし)住んでいた二人の老嬢(ろうじょう)のことについては爺やも私に何んにも知らせてくれなかった。「ああ、セエモオルさんですか」と言ったきりだった。何か知っていそうだったがもう忘れてしまったらしかった。そうしてただ不機嫌そうに黙っていた。「そうすると、それを知っているのはお前だけだがなあ……」と私は、いま私の下方に横(よこた)わっている高原一帯を隔(へだ)てて、私と向い合っている、遥(はる)か彼方(かなた)の「巨人の椅子」を、あたかもそのあたりに見えない巨人の姿を探してでもいるかのような眼つきで、まじまじと見まもっていた。
 だんだんに日が暮(く)れだした。私のすぐ足許(あしもと)の、いつかその赤い屋根に交尾(こうび)している小鳥たちを見出したヴィラは、もう人が住まっているらしく、窓がすっかり開け放たれて、橙色(だいだいいろ)のカアテンの揺(ゆ)らいでいるのが見えた。ときおり御用聞きがその家のところまで自転車を重そうに押(お)し上げてくるらしい音が私のところまで聞えて来た。もうそろそろ私もこれまでのようにこの空家の庭でぼんやりしていられそうもないなと思った。そんな気がしだすと、何んだかもうこれがその最後の時ででもあるかのように、私は、私のすべての注意を、半分はこの荒廃(こうはい)したヴィラそのものに、半分はこの高みから見下ろせる一帯の美しい村、その森、その花咲(さ)ける野、その別荘(べっそう)、それからもう霞(かす)みながらよく見えなくなり出した丘々(おかおか)の襞(ひだ)、それだけがまだ黒々と残っている「巨人の椅子」などに傾(かたむ)け出していた。それにも拘(かか)わらず、私はときどきややもするとそれ等(ら)のものことごとくを見失い、そしてまるっきり放心状態になっている自分自身に気がついて、思わずどきっとするのだった。
 突然(とつぜん)、ちょうど私の頭上にある、その周囲だけもうすっかり薄暗(うすぐら)くなっている大きな樅(もみ)の、ほとんど水平に伸(の)びた枝(えだ)の一つに、ばたばたとびっくりするような羽音をさせながら、一羽の山鳩(やまばと)が飛んできて止まった。そうしてそんなところに私のいることに向うでも愕(おどろ)いたように、再びすぐその枝から、薄暗いために一層大きく見えながら、それは飛び去って行った。あたかも私自身の思惟(イデエ)そのものであるかのごとく重々しく羽搏(はばた)きながら、そしてその翼(つばさ)を無気味に青く光らせながら……。


[#改ページ]



   夏

 突然、私の窓の面している中庭の、とっくにもう花を失っている躑躅(つつじ)の茂(しげ)みの向うの、別館(べっかん)の窓ぎわに、一輪の向日葵(ひまわり)が咲きでもしたかのように、何んだか思いがけないようなものが、まぶしいほど、日にきらきらとかがやき出したように思えた。私はやっと其処(そこ)に、黄いろい麦藁帽子(むぎわらぼうし)をかぶった、背の高い、痩(や)せぎすな、一人の少女が立っているのだということを認めることが出来た。……誰かを待っているらしいその少女は、さっきから中庭のあちらこちらに注意深そうな視線をさまよわせていたが、最後にその視線を、離れの窓から彼女の方をぼんやり見つめていた私の上に置いた。そんな最初の出会(であい)の時には、大概(たいがい)の少女たちは、自分が見つめられていると思う者からわざとそっぽを向いて、自分の方ではその者にまったく無関心であることを示したがるものだが、そんな羞恥(しゅうち)と高慢さとの入り混った視線とは異って、私の上に置かれているその少女の率直(そっちょく)な、好奇心(こうきしん)でいっぱいなような視線は、私にはまぶしくってそれから目をそらさずにはいられないほどに感じられたので、私はそのときの彼女――最初に私の目の前に現れたときの彼女に就(つ)いては、そのやや真深かにかぶった黄いろい帽子と、その鍔(つば)のかげにきらきらと光っていた特徴(とくちょう)のある眼(まな)ざしとよりほかには、殆(ほと)んど何も見覚えのない位であった。……やがて別館から彼女の父らしいものが姿を現した。そしてその二人づれは私の窓の前を斜(なな)めに横切って行ったが、見ると、彼女はその父よりも背が高いくらいであった。そしてその父らしいものが彼女にしきりに話しかけるのに、彼女はいかにも気がなさそうに返事をしながら、いつまでも私の方へ躑躅(つつじ)の茂みごしにその特徴のある眼ざしをそそぎつづけていた。……その二人が中庭を立ち去ってしまった跡(あと)も、私はしばらく、今しがたまでその少女が向日葵(ひまわり)のように立っていた窓ぎわの方へ、すこし空虚(うつろ)になった眼ざしをやっていたが、ふと気づくと、そこいらへんの感じが、それまでとは何んだかすっかり変ってしまっているのだ。私の知らぬ間に、そこいら一面には、夏らしい匂(にお)いが漂(ただよ)い出しているのだった。……
 その日の夕方の、別館の方への私の引越(ひっこ)し、(今まで私の一人(ひとり)で暮らしていた、古い離(はな)れが修繕(しゅうぜん)され始めるので――)その次ぎの日の、その少女の父の出発、それから他(ほか)にはまだ一人も滞在客(たいざいきゃく)のないそんな別館での、その少女と二人っきりの、背中合わせの暮らし……。
 しかし私は毎日のように、ほとんど部屋に閉じこもったきりで、自分の仕事に没頭(ぼっとう)していた。その私の書きつつある「美しい村」という物語は、六月頃からこの村に滞在している私が、そんなまだ季節はずれの、すっからかんとした高原で出会ったことを、それからそれへと書いて行ったものだった。そうして私は丁度いま、私がそれまで昔の恋人(こいびと)に対する一種の顧慮(こりょ)から、その物語の裏側から、そして唯(ただ)、それによってその淡々(たんたん)とした物語に或る物悲しい陰影(ニュアンス)を与(あた)えるばかりで満足しようとしていた、この村での数年前の彼女たちとの花やかな交際の思い出、ことにこの村での彼女たちとの最初の歓(よろこ)ばしい出会いを、とある日、道ばたに咲き揃(そろ)っている野薔薇(のばら)の花がまざまざと私のうちに蘇(よみがえ)らせ、それが遂(つい)に思いがけぬ出口を見つけた地下水のように、その物語の静かな表面に滾々(こんこん)と湧(わ)きあがってくるところを書き終えたばかりのところだった。そうしてそういう昔のさまざまな歓ばしい出会いの追憶(ついおく)に耽(ふけ)っている暇(ひま)もなく、すでに私から巣立っていったそれらの少女たち、ことにそのうちの一人との気まずい再会を恐れて、季節に先立ってこの村を立ち去ろうとする、そんな私の悲しい決心を、その物語の結尾として、私はこれから書こうとしているところだった。
 私の新しい部屋は、別館の二階の奥(おく)まったところで、南向きの窓があり、そしてその窓からは数本の大きな桜の幹ごしに向うの小高い水車の道に面しているいくつかのヴィラの裏側がちらちらと見えていた。そしてその窓のすぐ下を、私がそれらの少女たちと初めて出会ったところの、例の抜け道が、小さな坂になりながら、灌木(かんぼく)のなかに細々と通っているのだった。……私は私のやりかけている仕事から気持をそらすまいとして、私とたった二人きりでその別館の中に暮らしだしているその未知の少女とは、わざと背中を向き合わせてばかりいた。その癖(くせ)、私は私の窓のすぐ下を通っているその坂道を、毎朝、一定の時刻に、絵具箱をぶらさげながら、その少女が水車の道の方へと昇(のぼ)ってゆくのを見逃(みのが)したことはなかった。丁度、午前中のその時刻の光線の具合(ぐあい)で、木洩(こも)れ日(び)がまるで地肌(じはだ)を豹(ひょう)の皮のように美しくしている、その小さな坂を、ややもすると滑(すべ)りそうな足つきで昇ってゆくその背の高い、痩せぎすな後姿を見送りながら、その上の水車の道に出て、さて、それから彼女はどの小径(こみち)をどう通って、どんな場所へ絵を描きに行くのだろうかと、そこいらの林のなかの小径が実にややこしく、私自身も初めてこの村へ来た当時は、何度も道に迷ってしまった位ではあったし、それにまたそんなことからして一人の少女と私との奇妙(きみょう)な近づきが始まったりしたので、私は、絵を描く場所を捜(さが)しながらそんな見知らぬ小径をさまよっているらしい彼女のことを、何となく気づかわしく思っていた。

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