秋
私は震災後、しばらく父と二人きりで、東京から一里ばかり離れたY村で暮らしていた。その小さな、汚い、湿気の多い村は、A川に沿っていた。その川向うは、すぐその沿岸まで、場末のさわがしい工場地帯が延びてきていた。私の父方の親類の家がその村にあったので、私は幼い頃、ときどき父に連れられて写真機などを肩にしては、この辺へも遊びに来たものだった。が、それっきり、その地震の時まで、私は殆んどこの村を訪れたことがなかった。――そんなに足場の悪い、貧弱な村も、その地震の直後は、避難民たちで一ぱいになり、そのひっそりした隅々まで引っくり返されたように見えたが、二週間たち、三週間たちしているうちに、それらの人々も、或るものは焼跡へ帰って行ったり、又、他のものは田舎の、それぞれに縁故のある村へ立ち退いて行ったりして、この村も、丁度コスモスの咲き出した頃には、漸くその本来のもの静かな性質を取り戻しつつあった。 私は父とその村に小さな家を借りて、しばらく落着いていることにしたのだが、その頃私はと言えば、何んとも言いようのない、可笑しな矛盾に苦しめられていた。私は私の母を、その地震によって失ったばかりであった。それにもかかわらず、私には自分がその事からさほど大きな打撃を受けているとはどうしても信じられなかったのだ。私自身にもそれが意外な位であった。そうしてそれは、その村で私の出遇った昔の知人どもが、「まあ、お可哀そうに……」と言いたげな顔つきで私を見ながら、私に何か優しい言葉をかけてくれたりすると、その度毎に、私は殆んど気づまりなような思いをした位であった。――しかし、そのための打撃はその頃私の信じていたほど、決して軽いものではなかったのだ。その本当の結果は、唯、私の意識の閾の下で徐々に形づくられつつあったのだ。そして村全体が平穏になり、私の心の状態も漸く落着いて、殆んど平生どおりになったと思えるような時分になってから、突然、その苦痛ははっきりした形をとり出して来たのである。
この小さな物語の始まる頃には、その村はいま言ったように、漸く静かな呼吸をしだしていた。 といってまだ、それはすっかり旧に復していたとも言えなかった。その村には以前には無かったものが附け加えられているように見えた。丁度洪水の引いた跡にいつまでもあちこちに水溜りが残っているように、この村にはまだ何処ということなしに悲劇的な雰囲気が漂っていたのだ。…… 例えば、村の人々の間にはこんな噂がされ出していた。この頃、この村へ地震のために気ちがいになった一人の女が流れ込んできている。その女は、地震の際にその一人娘からはぐれてしまい、それきりその娘が見つからないのでもう死んだものと思い込んでいた矢先き、焼跡でひょっくりその娘に出会い、その言いようのない嬉しさのあまり、其処にあった瓦でその娘を撲り殺してしまったと言うことだった。――その噂は私をどきりとさせた。「母親というのはそんなものかなあ……」とそれから私はそれを胸を一ぱいにさせながら考え出していた。――或る日、私はその小さな村を真ん中から二等分している一すじの掘割に、いくつとなく架けられている古い木の橋の一つの袂に、学校帰りらしい村の子供たちが一塊りになっているのを認めた。私が何気なくそれに近づいて行くと、環のようになっていた子供たちがさっと道を開いた。見ると、その子供たちに取り囲まれているのは、襤褸をまとった、一人の五十ぐらいの女だった。髪をふりみだし、竹で出来ている手籠のようなものを腕にぶらさげていた。その中には何んだかカンナ屑のようなものが一ぱい詰まっているきりだったが、それがその女には綺麗な花にでも見えているのかも知れないと思えるほど、大事そうにそれを抱えているのが私を悲しませた。のみならず、その籠には何処か孔でもあいていると見えて、その女の歩いてきた跡には細かいカンナ屑がちらほらと二三片ずつ落ち散っていた。その女はしかし、そんなものも、それから自分を取り囲んでいる村の子供たちをすら殆んど認めていないような、空虚な目つきで、じっと自分の前ばかり見まもりながら、いかにも上機嫌そうに、ふらりふらりと歩いていた。――私は村びとの噂にばかり聞いていたその気ちがいの女をこうして目のあたりに見、そしてそれが私の死んだ母と殆んど同じ年輩で、そのせいか、どこやら私の母と似通っているような気もされてくるや否や、急に私の胸ははげしく動悸しだして、どうにもこうにもしようがなくなった。私は暫くじっとその場に立ちすくんだきりでいた。そうして、母の死が私に与えた創痍も殆んどもう癒されたように思い慣れていたこんな時分になって、突然、そんな工合にひょっくり私のうちに蘇ったその苦痛が、今までのよりずっとその輪廓がはっきりしていて、そしてその苦痛の度も数層倍烈しいものであることを知って私は愕いたのであった。 私はその村で、それきりその気ちがいの女を見かけなかった。あのような苦痛を私に与えたその女に再び出会うことはどうも恐ろしいような気がしていたが、一方では又、その時の苦痛くらい生き生きと母の俤を私のうちに蘇らせたものがないので、私は妙にその気ちがいの女を見たいような気もしていたのだった。……
私たちのしばらく借りて住んでいた田舎家は、赤茶けた色をした小さな沼を背にしていた。私の父は本所に小さな護謨工場を持っていた。それが今度すっかり焼けてしまったので、その善後策を講ずるために、殆んど毎日のように父は出歩いていたので、私はいつも一人で留守番をしていた。私は僅かな本を相手に暮らしていた。「猟人日記」が好きになったのも、この時であった。私の部屋の窓からは、いまにも崩れそうな生墻を透かして、一棟の貧しげな長屋の裏側と、それに附属した一つの古い井戸とが眺められた。しかし、井戸端と私の窓との間には、数本、石榴の木やなんかがあったり、コスモスなどが折から一ぱい花を咲かせながら茂るがままになっていたので、その井戸に水を汲みに来る女たちのむさくるしい姿はどうにか見ずにすんだが、彼女等が濁った声で喋舌り合っているのは絶えず聞えてきた。その話し声は気になりだすと、どうもうるさくて仕方がなかったが、それでいて何を話しているのか聞いてやろうとすると、いくら耳を傾けても、はっきり聞きとれないほどの、それは遠さであった。それが私にはなんだか解りにくい田舎訛りで喋舌られているかのように思えた。 或る日、私の父は私に、いつまでこうしていてもしようがないから、私の学校の始まるまで、ひとつ田舎でも旅行して来ようかという相談を持ちかけた。何んでも父の話では、二三の地方のお得意先きに貸し放しになっている所があるから、それを取り立てながら田舎へ旅をして廻ろうと言うのであった。その旅行の計画は私をすっかり有頂天にさせた。それらの見知らない地方、見知らない風景、その行く先き先きで私の出会うかも知れないさまざまな冒険、それらのものが私の心を奪ったのだ。私はまだ、真の人生というものは、そんな遠い見知らない土地にばかりあるものと思っていた年頃だったから。 が、その旅行の計画は、そのうち急に焼跡にバラックを建てることになり、父はその監督をしなければならなくなったので、中止になった。私の子供らしい夢は根こそぎにされた。そればかりでなしに、それは前よりも一層私の田舎暮らしの惨めさを掻き立てるような結果にさえなった。 私の父は、大抵日の暮れる時分に焼跡から帰ってきた。もう薄暗くなり出しているのに、電燈もつけないで、読みさしの本を伏せたまま、私がぼんやり横になっているのを見ると、私の父は気づかわしそうな目つきで私を見下ろしながら、しかしその優しい感情を強いて隠そうとするような、乾いた声で私を叱るのだった。
十月になった。村はますます静かになって行った。そうしてその頃までまだ何処かしらに漂っているように見えた悲劇的な雰囲気がだんだん稀薄になればなるほど、その村に於ける私の悲しい存在はますますそのなかで目立って来そうに思えた。そして私自身にとっても、日が経てば経つほど、あべこべに、私の周囲はますます見知らない場所のように思われて来てならない位であった。 私は或る日、同じ村の、おじさんの家へ遊びに行って、その物置小屋に古い空気銃が埃りまみれになっているのを見つけた。私はそれを携えて、近所の雑木林の中へぶらつきにいった。私は、「猟人日記」の作者の真似をしようとした。私は林のなかで、それが何んという名前の小鳥だかも如らずに、見つけ次第、出たらめに打った。一羽もあたらなかったが、そんなことは私にはどうでもよかったのだ。そうしてひさしぶりに快く疲れて、日の暮れ方、私は空気銃を肩にしながら、掘割づたいに、小さなきたない農家のならんでいる、でこぼこした村道を帰ってきた。その途中、私はそれらの家の一つの前を通り過ぎながら、ふと、それだけが他の家からその家を区別している緑色にペンキを塗った窓から、十七八の、小さく髪を束ねたひとりの少女が、ぼんやりおもての方を見ているのを認めた。窓枠を丁度いい額縁にして、鼠がかった背景の奥からくっきりとその白い顔の浮び出ているのが非常に美しく見えたので、私はおもわず眼を伏せた。 「この村にもこんな娘がいたのかなあ……」 私はこの日頃、父との旅行の計画を立てながら、あんなにも夢みていた、そしてそれは遠い見知らないところにのみあると思っていた「人生」が、私からつい数歩向うの窓に倚りかかっているのを、こんなに思いがけず発見して、私はなんだかどぎまぎしていた。そして私は、その娘のもの珍らしげな視線をいつまでも自分の背中に感じながら、其処を通り過ぎていった。その日は、私は二三日前或る友人の送ってくれた、そのお古の、すこし小さくて私の体によく合わない、高等学校の制服をちょこんと着ていたし、おまけに空気銃などを肩にしていたので、そんな私の後姿がいかにもその娘に滑稽に見えそうでならなかった。 自分の家へ帰って来てからも、私は何もしないで、窓のすぐ向うの井戸端で、鶏が騒いだり、水を汲みに来ている女たちが口々にしゃべっているのをぼんやりと聞いていた。いつもは私の聞きづらがっている、それらの田舎言葉さえ、何んだか遠い見知らない土地に来てそれを聞いてでもいるかのように、私にはなつかしく思われた。…… 父が帰って来ると、私はいつになく、元気よく父と一しょに台所へ行って、さも面白いことでもするように、茶碗や皿を洗ったりした。 その日から、私は空気銃を肩にしては、毎日のように近くの林の中をぶらつき、日の暮れ方、その窓の前を少しおどおどしながら通った。それは村に一軒しかない医者の家だった。空気銃は、そんなものを子供らしく自分が肩にしているのをその娘に見られたくはないと思いながら、しかもそれはそんな私の散歩の唯一の口実にさえなっていた。――が、その後、私はその「窓の少女」をついぞ一ぺんも見かけなかった。
そのうちに、夏休みのまま、地震のために延ばされていた秋の学期がそろそろ始まりかけた。私は寄宿舎へ帰らなければならなかった。で、私はこれがもうこの村の最後の散歩かと思って、いつものように窮屈な服をつけ、空気銃を肩にして、何処に行ってもコスモスの咲いているその村をあちらこちらと歩き廻っていた。 そうしていると、秋ながら、汗の出てくるほどの好い天気だった。……すこし草臥れたので、私はとある小さな林の中にはいって、一本の松の木の根に腰をかけながら、足を休めていた。私は暫く其処にそうして、ときどき自分の頭上の木と木の間を透いて見える水のような空を見上げながら、ぼんやりと煙草をふかしていた。 そのとき私は向うから草の中を押し分けながら、すこし急ぎ足で、こっちへ近づいてくる一人の娘に気がついた。私はそれが村医者の娘であることを認めた。どうも私のいる林を目あてに近づいて来るらしい。だが、こんなところに不意に私を発見して、なんだか私が彼女を待ち伏せてでもいたようにとられはしないかと気を廻して、私はいきなり立ちあがった。そうして空気銃を肩にあてがって、何にもいやしないのに、そこに小鳥でも見つけたかのように、一本の木の梢を覗って、引金を引いた。乾いた銃声があたりのしっとりとした沈黙を破った。 私はその間も横目でこっそりと娘の方を窺いながら、自分の臆病な気持と闘っていた。その銃声でもってそこに私が居ることにやっと気がついて、彼女はちょっと逃げようとするような身振りをしたが、その瞬間、私は惶てて振りかえって、お辞儀をした。彼女は気まり悪そうに笑いながら、私の方に近づいてきた。 「ああ、逃がしちゃった。」私は再び頭を上げながら、すこし上ずった声でひとりごちた。 すると娘も私の見上げている木の梢を見上げながら、 「何をお打ちですの?」と私に応えた。 私たちの見上げている木の枝からは木の葉がひらひらと二三枚静かに落ちてきた。しかし、そこには小鳥なんぞの飛び立ったような気配はない。私のトリックは曝れそうだった。そのとき私は目ざとく、彼女の肩に一枚の木の葉がくっついているのを見つけて、 「やあ、肩に葉っぱがくっついてらあ!」と頓狂な声を出した。 気味のわるい虫でも肩についているのを見つけたような、私の大げさな言い方は、彼女の目を梢の先きから離れさせるには十分だった。しかし、ふり向いた途端に、その木の葉は彼女の肩から地面に落ちてしまった。私はさも困ったような顔をしていた。 このような娘と二人きりの林のなかでの出会は、私のあんなにも夢みていたものであったのに、さて、こうしてその娘と二人きりになってみると私はもう彼女から逃げることばかりしか考えなかった。何んと! その口実に私はこの娘はどうも自分の好きなタイプじゃないなどと唐突に考え出していた。そうしてそのまま二人は気づまりそうに黙り合っていた。そのうち娘の方でちらりと顔をしかめた。誰かが私の背後の灌木の茂みの向うの草の中をごそごそ云わせて近づいてくるのを私より先きに認めたからだった。…… 数分後、私は以前のように一人きりになって、再び松の木にぼんやり靠れかかりながら、私の背後の灌木の茂みの向うで、この村特有の訛りのある若者らしい声でこんなことを言っているのを、聞くともなく聞いていた。 「ずいぶん捜していたんだよ。」 「そう……」娘の返事はいかにも気がなさそうに見えた。 それっきり彼等は無言で、草をごそごそ踏み分ける音だけを立てながら、私からだんだん遠ざかって行った。
夕方、家へ帰ってくると、私は窓をすっかり開けて、その窓の近くに負傷をした小さな獣のように転がっていた。そうしてその窓のそとからはいってくる、井戸端の女等の話し声や、子供の叫びや、土の匂いや、それからそれに混っている、コスモスのらしい匂いだのが、痛いほど私の傷に沁みて来るのを私はそのままにさせておいた。 父の帰りが私をそんな麻痺したような状態から蘇らせた。 「おい、そんなことをしていると風邪をひくぞ。」 父はいつもの、その優しい感情を強いて私に見せまいとするような、乾いた声で私を叱った。しかし私は前よりもっと小さくなって転がっていた。私の父は私がまた母のことを思い出してそんな風に悲しそうにしているのだと信じているらしかった。それが私には羞かしかった。……
私はこういうY村に於ける私の悲歌をいつか一ぺん書いて置きたいと思っていた。それから数年後の、或る秋晴れの日だった。私は自転車に乗って、その村を一周りして来ることを思いついた。私は地震のとき、跣足になって逃げて行った道筋のとおりに、うすぎたない場末の町のなかを抜けて行った。多くの工場が、入れかわり立ちかわり、同じようなモオタアの音をさせながら遠くまで私について来た。とうとう私は川に架っている一つの長い木の橋の上へ出た。Y村がやっとその川向うに見え出した。 私はその橋に差しかかりながら、その橋の真ん中近くに人立ちのしているのを認めた。橋の欄干がそこだけ折れていて、その代りに一本の縄が張られていた。私も自転車から降りて、人々の見下ろしている川の中を覗いて見た。数日前、そこから一台の貨物自動車が墜落したものらしかった。しかし、その橋の下には一面に葦が茂り、それが一部分折られているだけで、その他にはもう其処には何も見えなかった。それだのに、人々は何かが其処にまだ見えでもするかのように、その惨事の痕をじっと見入っていた。 私は再びペダルを踏みながら、やっとその長い橋を渡りきり、そしてそのままY村にはいって行った。遠くからその全体を見渡したときは、なんだか此処もこの数年間にすっかり変ってしまっているように思えた。それほど見知らない大きな工場が、沢山出来てしまっているのだ。が、その村を二等分している真っ黒な掘割に沿うてすこし行き出すや否や、ことにその上に架っている多くの小さな木の橋と橋との間に、いまを盛りにコスモスが咲きみだれ、そしてその側に誰もいないのに四つ手網だけがかかっているのを見出した時には、突然、その村でのさまざまな思い出が私のうちに一どきに蘇って来て、私は心臓がしめつけられるような気がした。そうして私は自転車ごと殆んど倒れそうになった。私にはとてもこれ以上先きへ進むことは出来そうもないように思えた。……そのとき、その道ばたの一軒の茅葺小屋の中から、襤褸をきた小さな子供が走り出してきて、その四つ手網を重そうに一人で持ち上げだした。その網の中には、きらきらと光りながら跳ねているのでそれと分るような、小さな魚が二三匹ひっかかっていた…… 私はやっと決心しながら、自転車を反対の方向に廻して、その村からずんずん引っ返していった。
註一 「わたくしは幼い時向島小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の家から土手へ往くには、いつも常泉寺の裏から水戸邸の北のはずれに出た。常泉寺はなじみのある寺である。
わたくしは常泉寺に往った。今は新小梅町の内になっている。枕橋を北へ渡って徳川家の邸の南側を行くと、同じ側に常泉寺の大きい門がある。わたくしは本堂の周囲にある墓をも、境内の末寺の庭にある墓をも一つ一つ検した。日蓮宗の事だから、江戸の市人の墓が多い。……」
これは鴎外の『澀江抽斎』の一節で、抽斎の師となるべき池田京水の墓を探し歩いたときの記事である。大正四年の暮のことだそうで、そのころ私は十二三になっていた。丁度毎日のようにその常泉寺のほとりで遊んでいたので、此処を読んだときは云い知れずなつかしい気がした。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
上一页 [1] [2] 尾页
|