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楢ノ木大学士の野宿(ならのきだいがくしののじゅく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-29 16:30:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


ならノ木大学士は宝石学の専門だ。
ある晩大学士の小さなうちへ、
「貝の火兄弟けいてい商会」の、
赤鼻の支配人がやって来た。
「先生、ごく上等の蛋白石たんぱくせきの注文があるのですがどうでせう、お探しをねがへませんでせうか。もっともごくごく上等のやつをほしいのです。何せ相手がグリーンランドの途方もない成金ですから、ありふれたものぢゃなかなか承知しないんです。」
大学士は葉巻を横にくはへ、
雲母紙うんもしを張った天井を、
斜めに見上げて聴いてゐた。
「たびたびご迷惑で、まことに恐れ入りますが、いかゞなもんでございませう。」
そこで楢ノ木大学士は、
にやっと笑って葉巻をとった。
「うん、探してやらう。蛋白石のいゝのなら、流紋玻璃りうもんはりを探せばいゝ。探してやらう。僕は実際、一ぺんさがしに出かけたら、きっともう足が宝石のある所へ向くんだよ。そして宝石のある山へ行くと、奇体に足が動かない。直覚だねえ。いや、それだから、かへって困ることもあるよ。たとへば僕は一千九百十九年の七月に、アメリカのヂャイアントアーム会社の依嘱を受けて、紅宝玉ルビーを探しにビルマへ行ったがね、やっぱりいつか足は紅宝玉ルビーの山へ向く。それからちゃんと見附かって、帰らうとしてもなかなか足があがらない。つまり僕と宝石には、一種の不思議な引力が働いてゐる、深くうづまった紅宝玉ルビーどもの、日光の中へ出たいといふその熱心が、多分は僕の足の神経に感ずるのだらうね。その時も実際困ったよ。山から下りるのに、十一時間もかかったよ。けれどもそれがいまのバララゲの紅宝玉坑ルビーかうさ。」
「ははあ、そいつはどうもとんだご災難でございました。しかしいかゞでございませう。こんども多分はそんな工合ぐあひに参りませうか。」
「それはもうきっとさう行くね。たゞその時に、僕が何かの都合のために、たとへばひどく疲れてゐるとか、おほかみに追はれてゐるとか、あるいはひどく神経が興奮してゐるとか、そんなやうな事情から、ふっとその引力を感じないといふやうなことはあるかもしれない。しかしとにかく行って来よう。二週間目にはきっと帰るから。」
「それでは何分お願ひいたします。これはまことに軽少ですが、当座の旅費のつもりです。」
貝の火兄弟商会の、
鼻の赤いその支配人は、
ねずみ色の状袋を、
上着の内衣嚢うちポケットから出した。
「さうかね。」
大学士は別段気にもとめず、
手を延ばして状袋をさらひ、
自分の衣嚢かくしに投げこんだ。
「では何分とも、よろしくお願ひいたします。」
そして「貝の火兄弟けいてい商会」の、
赤鼻の支配人は帰って行った。
次の日諸君のうちのたれかは、
きっと上野の停車場で、
途方もない長い外套ぐゎいたうを着、
変な灰色の袋のやうな背嚢はいなうをしょひ、
七キログラムもありさうな、
素敵な大きなかなづちを、
持った紳士を見ただらう。
それはならの木大学士だ。
宝石を探しに出掛けたのだ。
出掛けたためにたうとう楢ノ木大学士の、
野宿といふことも起ったのだ。
三晩といふもの起ったのだ。

  野宿第一夜

四月二十日の午后四時ころ
例の楢ノ木大学士が
「ふん、の川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」
とひとりぶつぶつ言ひながら、
からだを深く折り曲げて
一杯にみひらいて、
足もとの砂利をねめまはしながら、
うさぎのやうにひょいひょいと、
葛丸くずまる川の西岸の
大きな河原をのぼって行った。
両側はずゐぶんけはしい山だ。
大学士はどこまでものぼって行く。
けれどもたうとう日も落ちた。
その両側の山どもは、
一生懸命の大学士などにはお構ひなく
ずんずん黒く暮れて行く。
その上にちょっと顔を出した
遠くの雪の山脈は、
さびしい銀いろに光り、
てのひらの形の黒い雲が、
その上を行ったり来たりする。
それから川岸の細い野原に、
ちょろちょろ赤い野火がひ、
たかによく似た白い鳥が、
鋭く風を切ってけた。
ならノ木大学士はそんなことには構はない。
まだどこまでも川を溯って行かうとする。
ところがたうとう夜になった。
今はもう河原の石ころも、
赤やら黒やらわからない。
「これはいけない。もう夜だ。寝なくちゃなるまい。今夜はずゐぶん久しぶりで、愉快な露天に寝るんだな。うまいぞうまいぞ。ところで草へ寝ようかな。かれ草でそれはたしかにいゝけれども、寝てゐるうちに、野火にやかれちゃ一言いちごんもない。よしよし、この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔らかだ。いゝ寝台ねだいだぞ。」
その石は実際柔らかで、
又敷布のやうに白かった。
そのかはり又大学士が、
腕をのばして背嚢はいなうをぬぎ、
ひぢをまげて外套ぐゎいたうのまゝ、
ごろりと横になったときは、
外套のせなかに白い粉が、
まるで一杯についたのだ。
もちろん学士はそれを知らない。
又そんなこと知ったとこで、
あわてて起きあがる性質でもない。
水がその広い河原の、
向ふ岸近くをごうと流れ、
空の桔梗ききゃうのうすあかりには、
山どもがのっきのっきと黒く立つ。
大学士は寝たまゝそれをながめ、
又ひとりごとを言ひ出した。
「ははあ、あいつらは岩頸がんけいだな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
そこで大学士はいゝ気になって、
仰向けのまゝ手を振って、
岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早くふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸ちょっとくびを出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつはけだし簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩ようがんを流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。ははあ、面白いぞ、つまりそのこれは夢の中のもやだ、もや、もや、もや、もや。そこでそのつまり、ねずみいろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並んで、お互に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしてゐるのは、大変おもしろい。ふふん。」
それは実際その通り、
向ふの黒い四つの峯は、
四人兄弟の岩頸で、
だんだん地面からせり上って来た。
ならノ木大学士の喜びやうはひどいもんだ。
「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。よくわかった。ラクシャンの四人兄弟だ。よしよし。」
注文通り岩頸は
丁度胸までせり出して
ならんで空に高くそびえた。
一番右は
たしかラクシャン第一子
まっ黒な髪をふり乱し
大きな眼をぎろぎろ空に向け
しきりに口をぱくぱくして
何かどなってゐる様だが
その声は少しも聞えなかった。
右から二番目は
たしかにラクシャンの第二子だ。
長いあごを両手に載せてねむってゐる。
次はラクシャン第三子
やさしい眼をせはしくまたたき
いちばん左は
ラクシャンの第四子しし、末っ子だ。
夢のやうな黒いひとみをあげて
じっと東の高原を見た。
ならノ木大学士がもっとよく
四人を見ようと起き上ったら
にはかにラクシャン第一子が
雷のやうに怒鳴り出した。
「何をぐづぐづしてるんだ。つぶしてしまへ。いてしまへ。こなごなに砕いてしまへ。早くやれっ。」
楢ノ木大学士はびっくりして
大急ぎで又横になり
いびきまでして寝たふりをし
そっと横目で見つゞけた。
ところが今のどなり声は
大学士に云ったのでもなかったやうだ。
なぜならラクシャン第一子は
やっぱり空へ向いたまゝ
素敵などなりを続けたのだ。
「全体何をぐづぐづしてるんだ。砕いちまへ、砕いちまへ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。火をどしゃどしゃ噴くんだ。熔岩ようがんの用意っ。熔岩。早く。畜生。いつまでぐづぐづしてるんだ。熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度をしないか。」
しづかなラクシャン第三子が
兄をなだめてう云った。
「兄さん。少しおやすみなさい。こんなしづかな夕方ぢゃありませんか。」
兄は構はず又どなる。
「地球を半分ふきとばしちまへ。石と石とを空でぶっつけ合せてぐらぐらする紫のいなびかりを起せ。まっくろな灰の雲からかみなりを鳴らせ。えい、意気地なしども。降らせろ、降らせろ、きらきらの熔岩で海をうづめろ。海からのぼあわで太陽を消せ、生き残りの象から虫けらのはてまで灰を吸はせろ、えい、畜生ども、何をぐづぐづしてるんだ。」
ラクシャンの若い第四子しし
微笑わらって兄をなだめ出す。
「大兄さん、あんまりおこらないで下さいよ。イーハトブさんが向ふの空で、又笑ってゐますよ。」
それからこんどは低くつぶやく。
「あんな銀の冠を僕もほしいなあ。」
ラクシャンの狂暴な第一子も
少ししづまって弟を見る。
「まあいゝさ、お前もしっかり支度をして次の噴火にはあのイーハトブの位になれ。十二ヶ月の中の九ヶ月をあの冠で飾れるのだぞ。」
若いラクシャン第四子は
兄のことばは聞きながし
遠い東の
雲をかぶった高原を
星のあかりに透し見て
なつかしさうにつぶやいた。
「今夜はヒームカさんは見えないなあ。あのまっ黒な雲のやつは、ほんたうにいやなやつだなあ、今日で四日もヒームカさんや、ヒームカさんのおっかさんをマントの下にかくしてるんだ。僕一つ噴火をやってあいつを吹き飛ばしてやらうかな。」
ラクシャンの第三子が
少し笑って弟に云ふ。

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