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愛は神秘な修道場(あいはしんぴなしゅうどうじょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-2 10:28:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 恋愛は、実に熱烈で霊感的な畏ろしいものです。
 人間の棲む到る処に恋愛の事件があり、個人の伝記には必ずその人の恋愛問題が含まれてはいますが、人類全般、個人の全生活を通観すると、それらは、強いが烈しいが、過程的な一つの現象と思われます。
 恋愛経験の最中にある時、或は何かの理由で恋愛的雰囲気に対して非常に敏感になっているとき、私共は自分にもひとにも第一、気になるのは恋愛のことばかりだと云う風に思います。けれども、じっと見るとどんな熱情的な恋愛をしている人でも、人間として他方面の必然な生活条件は満しています。生活の大河は、その火花のような恋、焔のような愛を包括してたるみなく静かに流れて行く。確かに重大な、人間の霊肉を根本から震盪しんとうするものではあっても、人間の裡にある生活力は多くの場合その恋愛のために燃えつきるようなことはなく、却って酵母としてそれを暖め反芻し、個人の生活全般を豊富にする養液にしてしまいます。
 また恋愛は、独特な創造力を持っているとも思われます。恋愛は決して百年同一の状態に止ることをしません。必ず或る消長があります。草木が宇宙の季節を感じるように、一日に暁と白昼と優しい黄昏たそがれの愁があるように、推移しずにはいません。いつか或るところに人間をつき出します。それが破綻であるか、或いは互いに一層深まり落付き信じ合った愛の団欒だんらんか、互いの性格と運とによりましょが、いずれにせよ、行きつくところまで行きついてそこに新たな境地を開かせる本質が恋愛につきものなのです。

 自然は、人間の恋愛を唯だ男性と女性との+《プラス》だけでは終らせず、精神に於て、男をA、女をBとすれば A+A×B:B+B×A[#「A+A×B:B+B×A」は横書き]という風な関係にすると思われます。そして、数学と全然違うところは、これらの関係がまるで逆になって、+《プラス》のところがマイナスになり、×《タイム》が÷《デバイデッド》となっても、一度真面目に恋愛した人間の心では、決して元の杢阿彌もくあみの単一なAならA、BならBには還ることがないと云うことです。きっと、より宏い人生への理解、愛、認識が加えられています。恋愛ばかりは、真に主観的な豊富さから見ると、失っても得ても、ともに尊い、有難いものと云えます。その一段深まり拡った人間と自然との生存を味わせようとして、神は人間に複雑な全心的な恋愛の切な情を与えたのかと思われることさえある程です。
 恋愛の真実な経験は間違いなく生活内容を増大させます。けれども、私には、恋愛生活ばかり切りはなして、それ自身全般的なものとは考えられません。恋愛過程を含む或る人の生活とは云えても。人間は生れるときから死ぬまで恋愛ばかりに没頭しているのではありません。又、他人の恋愛問題と自分のそれとは全然個々独立したもので、それぞれ違った価値と内容運命とを持っている筈のものです。恋愛とさえ云えば、十が十純粋な麗わしい花であるとも思えません。
 私は、恋愛生活と云うものを余り誇張してとり扱うのは嫌いです。恋愛がそれに価いしないと云うのではなく、正反対に、本当の恋愛は人間一生の間に一遍めぐり会えるか会えないかのものであり、その外観では移ろい易く見える経過に深い自然の意志のようなものが感じられ、又よき恋愛をすることは容易な業ではないと感じているからです。

 恋愛生活と芸術創造とは何処か似たところがあります。
 よき作品も創りたいとあせって、外に求めても時が熟さなければ、何より大切な心の準備が出来ない。つつましい、引しまった、鋭い精神の上に、徐々日の出のように方向が見え、自分の意企が輝いて来たら、嬉しさではしゃいではいけない。じっと心を守り、余分な精力と注意は一滴も他に浪費しないように、念を入れ心をあつめて、ペンならペン、絵筆なら絵筆を執るべきでしょう。
 恋愛に対してもそうであろうと思われます。決して卑しく求むべきではないし、最上とか何とか先入的な価値の概念は持つべきでないし、同時に、恋愛の本質に素直でそこから自分の誠実さが感じ理解出来るだけのものを余りなく得て全生活を浄め豊かにするだけの、視野の宏大な愛、人間、自分への信任が大切と思われます。
 恋愛が人間にとって、先験的な重大さを持つ点では、男性も女性も同じと思います。その人々が一生をつくして仕上げたいと思う生存の目標に向って進む自己を悦びにより、苦しみにより一層豊饒にし、賢くしてくれる恋愛、それから発足した範囲の広い愛の種々相に対して、私共は礼讚せずにはいられませんが、無限な愛の一分野と思われる恋愛ばかりを(まして今日世俗で意味するだけの内容で)天地に漲り、それなくしては生きるに甲斐ないと云うもののように考えるのは、不自然すぎると思います。
〔一九二四年二月〕





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「女性」
   1924(大正13)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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