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源氏物語(げんじものがたり)52 東屋

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/11/6 10:12:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

源氏物語

東屋

紫式部

與謝野晶子訳




ありし世の霧来て袖を濡(ぬ)らしけりわり
なけれども宇治近づけば  (晶子)

 源右大将は常陸守(ひたちのかみ)の養女に興味は覚えながらも、しいて筑波(つくば)の葉山繁山(しげやま)を分け入るのは軽々しいことと人の批議するのが思われ、自身でも恥ずかしい気のされる家であるために、はばかって手紙すら送りえずにいた。ただ弁の尼の所からは母の常陸夫人へ、姫君を妻に得たいと薫(かおる)が熱心に望んでいることをたびたびほのめかして来るのであったが、真実の愛が姫に生じていることとも想像されず、薫のすぐれた人物であることは聞き知っていて、この縁談の受けられるほどの身の上であったならと悲観を母はするばかりであった。
 常陸守の子は死んだ夫人ののこしたのも幾人かあり、この夫人の生んだ中にも父親が姫君と言わせて大事にしている娘があって、それから下にもまだ幼いのまで次々に五、六人はある。上の娘たちには守(かみ)が骨を折って婿選びをし、結婚をさせているが、夫人の連れ子の姫君は別もののように思って、なんらの愛情も示さず、結婚について考えてやることもしないのを、妻は恨めしがっていて、どうかしてすぐれた良人(おっと)を持たせ、姫君を幸福な人妻にさせてみたいと明け暮れそれを心がけていた。容貌(ようぼう)が十人並みのものであって、平凡な守(かみ)の娘と混ぜておいてもわからぬほどの人であれば、こんなに自分は見苦しいまでの苦労はしない、そうした人たちとは別もののように、もったいない貴女(きじょ)のふうに成人した姫君であったから、心苦しい存在なのであると夫人は思っていた。娘がおおぜいいると聞いて、ともかくも世間から公達(きんだち)と思われている人なども結婚の申し込みに来るのがおおぜいあった。前夫人の生んだ二、三人は皆相当な相手を選んで結婚をさせてしまった今は、自身の姫君のためによい人を選んで結婚をさせるだけでいいのであると思い、明け暮れ夫人は姫君を大事にかしずいていた。守(かみ)も賤(いや)しい出身ではなかった。高級役人であった家の子孫で、親戚(しんせき)も皆よく、財産はすばらしいほど持っていたから自尊心も強く、生活も派手(はで)に物好みを尽くしている割合には、荒々しい田舎(いなか)めいた趣味が混じっていた。若い時分から陸奥(むつ)などという京からはるかな国に行っていたから、声などもそうした地方の人と同じような訛(なまり)声の濁りを帯びたものになり、権勢の家に対しては非常に恭順にして恐れかしこむ態度をとる点などは隙(すき)のない人間のようでもあった。優美に音楽を愛するようなことには遠く、弓を巧みに引いた。たかが地方官階級だと軽蔑(けいべつ)もせずよい若い女房なども多く仕えていて、それらに美装をさせておくことを怠らないで、腰折歌(こしおれうた)の会、批判の会、庚申(こうしん)の夜の催しをし、人を集めて派手(はで)に見苦しく遊ぶいわゆる風流好きであったから、求婚者たちは、やれ貴族的であるとか、守の顔だちが上品であるとか、よいふうにばかりしいて言って出入りしている中に、左近衛(さこんえ)少将で年は二十二、三くらい、性質は落ち着いていて、学問はできると人から認められている男であっても、格別目だつ才気も持たないせいで、第一の結婚にも破れたのが、ねんごろに申し込んで来ていた。常陸夫人は多くの求婚者の中でこれは人物に欠点が少ない、結婚すれば不幸な娘によく同情もするであろう、風采(ふうさい)も上品である、これ以上の貴族は、どんなに富に寄りつく人は多いとしても、地方官の家へ縁組みを求めるはずはないのであるからと思い、姫君のほうへその手紙などは取り次いで、返事をするほうがよいと認める時には、書くことを教えて書かせなどしていた。夫人はひとりぎめをして、守は愛さないでも自分は姫君の婿を命がけで大事にしてみせる、姫君の美しい容姿を知ったなら、どんな人であっても愛せずにはおられまいと思い立って、八月ぐらいと仲人(なこうど)と約束をし、手道具の新調をさせ、遊戯用の器具なども特に美しく作らせ、巻き絵、螺鈿(らでん)の仕上がりのよいのは皆姫君の物として別に隠して、できの悪いのを守の娘の物にきめて良人(おっと)に見せるのであったが、守は何の識別もできる男でなかったからそれで済んだ。座敷の飾りになるという物はどれもこれも買い入れて、秘蔵娘の居間はそれらでいっぱいで、わずかに目をすきから出して外がうかがえるくらいにも手道具を並べ立て、琴や琵琶の稽古(けいこ)をさせるために、御所の内教坊(ないきょうぼう)辺の楽師を迎えて師匠にさせていた。曲の中の一つの手事が弾(ひ)けたといっては、師匠に拝礼もせんばかりに守は喜んで、その人を贈り物でうずめるほどな大騒ぎをした。派手(はで)に聞こえる曲などを教えて、師匠が教え子と合奏をしている時には涙まで流して感激する。荒々しい心にもさすがに音楽はいいものであると知っているのであろう。こんなことを少し物を識(し)った女である夫人は見苦しがって、冷淡に見ていることで守は腹をたてて、俺(わし)の秘蔵子をほかの娘ほどに愛さないとよく恨んだ。
 八月にと仲人から通じられていた左近少将はやっとその月が近づくと、同じことなら月の初めにと催促をして来た時、守の実の子でなく、母である自分一人が万事気をもんできた娘であることを言い、その真相を前に明らかにしておかねば婿になる人は、そんなことでのちに失望をすることがあるかもしれぬと思い、夫人は初めから仲へ立っていたその男を近くへ呼んで、
「今度お相手に選んでくださいました子につきましては、いろいろ遠慮がありましてね、こちらからお話を進める心はなかったのですが、前々からおっしゃってくださいますのを、先が並み並みの方でもいらっしゃらないためにもったいなくお気の毒に思われまして、お取り決めしたのですが、お父様の今ではない方なのですから、私一人で仕度(したく)をしていまして、そんなことで不都合だらけでお気に入らぬことはないかと今から心配をしています。娘は何人もありますが、保護者の父親(てておや)のあります子は、そのほうで心配をしてくれますことと安心していまして、この方の身の納まりだけを私はいろいろと苦労にして考えていまして、たくさんの若い方をそれとなく観察していたのですが、不安に思われることがどこかにある方ばかりで、結婚にまで話を進められませんでしたのに、少将さんは同情心に厚い性質だと伺いまして、こちらの資格の欠けたのも忘れてお約束をするまでになったのですが、私の大事な方を愛してくださらないようなことが起こり、世間体までも悪くなることがあっては悲しいだろうと思われます」
 と語った。
 仲介者はさっそく少将の所へ行って、常陸夫人の言葉を伝えた。すると少将の機嫌(きげん)は見る見る悪くなった。
「初めから実子でないという話は少しも聞かなかったじゃないか。同じようなものだけれど、人聞きも一段劣る気がするし、出入りするにも家の人に好意を持たれることが少ないだろう。君はよくも聞かないでいいかげんなことを取り次いだものだね」
 と少将が言うので仲人はかわいそうになり、
「私はもとよりくわしいことは知らなかったのですよ。あの家の内部に身内の者がいるものですから話をお取り次ぎしたのです。何人もの中で最も大切にかしずいている娘とだけ聞いていましたから、守の子だろうと信じてしまったのですよ。奥さんの連れ子があるなどとは少しも知りませんでした。容貌(ようぼう)も性質もすぐれていること、奥さんが非常に愛していて、名誉な結婚をさせようと大事がっていられることなどを聞いたものですから、あなたが常陸家に結婚を申し込むのによいつてがないかと言っていらっしゃるのを聞いて、私にはそうしたちょっとした便宜がありますとお話ししたのが初めです。決していいかげんなことを言ったのではありませんよ。それは濡衣(ぬれぎぬ)というものです」
 意地が悪くて多弁な男であったから、こんなふうに息まいてくるのを聞いていて、少将は上品でない表情を見せて言うのだった。
「地方官階級の家と縁組みをすることなどは人がよく言うことでないのだが、現代では貴族の婿をあがめて、後援をよくしてくれることに見栄(みえ)の悪さを我慢する人もあるようになったのだからね。どうせ同じようなものだとしても、世間には、わざわざ継(まま)娘の婿にまでなってあの家の余沢をこうむりたがったように見えるからね。源少納言や讃岐守(さぬきのかみ)は得意顔で出入りするであろうが、こちらはあまり好意を持たれない婿で通って行くのもみじめなものだよ」
 仲人(なこうど)は追従男で、利己心の強い性質から、少将のためにも、自身のためにも都合よく話を変えさせようと思った。
「守の実の娘がお望みでしたら、まだ若過ぎるようでも、そう話をしてみましょうか。何人もの中で姫君と言わせている守の秘蔵娘があるそうです」
「しかしだね、初めから申し込んでいた相手をすっぽかして、もう一人の娘に求婚をするのも見苦しいじゃないか。けれど私は初めからあの守の人物がりっぱだから感心して、後援者になってほしくて考えついた話なのだ。私は少しも美人を妻にしたいと思ってはいないよ。貴族の家の艶(えん)な娘がほしければたやすく得られることも知っているのだ。しかし貧しくて風雅な生活を楽しもうとする人間が、しまいには堕落した行為もすることになり、人から人とも思われないようになっていくのを見ると、少々人には譏(そし)られても物質的に恵まれた生活がしたくなる。守に君からその話を伝えてくれて、相談に乗ってくれそうなら、何もそう義理にこだわっている必要もまたないのだ」
 少将はこう言った。仲人は妹が常陸家の継子(ままこ)の姫君の女房をしている関係で、恋の手紙なども取り次がせ始めたのであったが、守に直接逢(あ)ったこともないのだった。
 仲人はあつかましく守の住居(すまい)のほうへ行って、
「申し上げたいことがあって伺いました」
 と取り次がせた。守は自分の家へ時々出入りするとは聞いているが、前へ呼んだこともない男が、何の話をしようとするのであろうと、荒々しい不機嫌(ふきげん)な様子を見せたが、
「左近少将さんからのお話を取り次ぎますために」
 と男が言わせたので逢った。仲人は取りつきにくく思うふうで近くへ寄って、
「少将さんは幾月か前から奥さんに、お嬢さんとの御結婚の話でおたよりをしておいでになったのですが、お許しになりまして、今月にと言ってくだすったものですから、吉日を選んでおいでになりますうちに、そのお嬢さんは奥さんのお子さんであっても常陸守さんのお嬢さんでない、公達(きんだち)が婿におなりになっては、世間でただ物持ちの余慶をこうむりたいだけで結婚したと悪くばかり言われるでしょう。地方官の婿になる人は私の主君のように大事がられて、手に載せるばかりにされるのを望んで縁組みをする人たちがあるのに、さすがにその望みも貫徹されず、あまり好意をも持たれぬ一段劣った婿で出入りをされるのはよろしくないとまあこんなふうな忠告をある人がしたのだそうです。それはその人だけでなく何人となく皆同じことを言ったそうで、少将さんは今どうすればいいかと煩悶(はんもん)をしておられます。初めから自分は実力のある後援者を得たいと思って、それに最も適した方として選んだ家なのだ。実子でないお嬢さんがあるなどとは少しも知らなかったのだから、初めからの志望どおりに、まだ年のお若い方が幾人かいらっしゃるそうだから、そのお一人との結婚のお許しが得られたらうれしいだろう、この話を申し上げて思召(おぼしめ)しを伺って来いと申されたものですから」
 などと言った。常陸守は、
「そんな話の進行していたことなどを私はくわしく知りませんでした。私としては実子と同じようにしてやらなければならない人なのですが、つまらぬ子供もおおぜいいるものですから、意気地(いくじ)のない私は力いっぱいにその者らの世話にかかっていますと、家内は自身の娘だけを分け隔てをして愛さないと意地悪く言ったりしたことがありまして、私にいっさい口を入れさせなくなった人のことですから、ほのかに少将さんからお手紙が来るということだけは聞いていたのですが、私を信頼してくだすっての思召しとは知りませんでした。それは非常にうれしいお話です。私の特別かわいく思う女の子があります。おおぜいの子供の中に、その子だけは命に代えたいほどに愛されます。申し込まれる方はいろいろありますが、現代の人は皆移り気なふうになっていますから、娘に苦労をさせたくない心から、まだ相手をよう決めずにいます。どうにかして不安の伴わない結婚をさせたいと、毎日そればかりを思っていましたが、少将様におかせられては、御尊父様の故大将様にも若くからおそば近くまいっていた縁もありまして、身内の者としてお小さい時からおりこうなお生まれを知っておりましたから、今もお邸(やしき)へ伺候もしたく思いながら、続いて遠国に暮らすことになりましてからは、京にいますうちは何をいたすもおっくうで参候も実行できませんでしたような私へ、ありがたいお申し込みをしてくださいましたことは返す返す恐縮されます。仰せどおりに娘を差し上げますのはたやすいことですが、今までの計画を無視されたように思って家内から恨まれるという点で少しはばかられます」
 とこまごまと述べた。さいさきがよさそうであると仲人(なこうど)はうれしく思った。
「そんなことまでもお考えになる必要はございませんでしょう。少将さんのお心は、お母様はとにかく、お嬢さんのお父様お一人のお許しが得たいと願っていらっしゃるのでして、お年は若くても御実子のお嬢様で、たいせつにあそばしていらっしゃる方と御結婚の御同意が得られますことで十分満足されることでしょう。御実子でない方と連れ添って、まがい物の婿のようになることはしたくないと仰せになりました。人物はまことにごりっぱで、世間の評判もたいした方ですよ。若い公達(きんだち)といいましても、あの方だけは女に取り入ろうと気どることなどはなさらない。下情にもよく通じておられます。領地は何か所もおありになるのですよ。現在の御収入は少ないようでも、貴族は家についた勢いというものがあるのですから、ただの人の物持ちになっていばっているのなどその比じゃありませんとも。来年は必ず四位(しい)におなりになるでしょう。この次の蔵人頭(くろうどのかみ)はまちがいなくあの方にあたると帝(みかど)が御自身でお約束になったんですよ。何の欠け目もない青年朝臣(あそん)でいて妻をまだ定(き)めないのはどうしたことだ、しかるべく選定して後見の舅(しゅうと)を定めるがいい。自分がいる以上高級官吏には今日明日にでも上げてやろうとそう帝は仰せになるのですよ。だれよりもいちばん帝の御信任を受けていられるのはあの少将さんなのですよ。実際御性格だってすぐれた重々しい人ですよ。理想的な婿君ではありませんか。幸いあちらからお話があるのですから、この場合にぐずぐずしていずに話をお定めになるのが上策でしょう。実際あちらには縁談が降るほどあるのですからね。あなたの躊躇(ちゅうちょ)して渋っておられるのが知れましたら、ほかの口の話をお定めになるでしょう。私はただあなたのためにこの御良縁をお勧めするのですよ」
 仲人が出まかせなよいことずくめを言い続けるのを、驚くほど田舎(いなか)めいた心になっている守であったから、うれしそうに笑顔(えがお)をして聞いていた。
「現在の御収入の少ないことなどはお話しになる要はない。私が控えている以上は、頭の上へまでもささげて大事にしますよ。決して足らぬ思いはさせません。いつまでもお尽くしすることができずに中途で私が亡(な)くなることがあっても、遺産の領地は一つだってあの娘以外に与えるものではありませんから、御安心くだすっていいのです。子供はおおぜいおりますが、あの娘にだけ私は特別な愛情を持っているのです。真心をもって愛してくださる方であれば、大臣の位置を得たく思いになり、うんと運動費を使いたくおなりになった時にも事は欠かせますまい。現在の帝がそれほど愛護される方では、もうそれで十分で、私などが手を出す必要もないくらいのものでしょう。帝の御後見以外のものは少将さんのためにも私の女の子のためにもたいした結果になりますまい」
 守(かみ)がおおげさに承諾の意を表したために、仲人はうれしくなって、妹にこの事情も語らず、夫人のほうへも寄って行かずに帰り、仲人は守(かみ)の言ったことを、幸福そのものをもたらしたようにして少将へ報告した。少将は心に少し田舎者(いなかもの)らしいことを言うとは思ったが、うれしくないこともなさそうな表情をして聞いていた。大臣になる運動費でも出そうと言ったことだけはあまりな妄想(もうそう)であるとおかしかった。
「それについて奥さんのほうへは話して来たかね。奥さんの考えていた人と別な人と結婚をしようというのだからね。私の利己主義からそうなったなどと中傷をする人もあるだろうから、このことはどんなものだかね」
 少し躊躇(ちゅうちょ)するふうを見せるのを仲人は皆まで言わせずに、
「そんな御心配は無用です。奥さんだって今度のお嬢さんを大事にしておられるのですからね。ただいちばん年長の娘さんで、婚期も過ぎそうになっている点で、前の方のことを心配して、そちらへ話をお取り次ぎになっただけのものですよ」
 と言うのであった。今まではその人のことを特別に大事にしている娘であると言っていた同じ男の口から、にわかにこう言われるのを信じてよいかどうかわからぬとは少将も思ったが、やはり利己的な考えが勝ちを占めて、一度は恨めしがられ、誹謗(ひぼう)はされても、一生楽々と暮らしうることは願わしいと処世法の要領を得た男であったから、決心をして、夫人と約束をした日どりまでも変えずにその夜から常陸守(ひたちのかみ)の娘の所へ通い始めることにした。
 夫人は良人(おっと)にも言わず一人で姫君の結婚の仕度(したく)をして、女房の服装を調べさせ、座敷の中などを品よく飾り、姫君には髪を洗わせ、化粧をさせてみると、少将などというほどの男の妻にするのは惜しいようで、憐(あわれ)むべき人である、父宮に子と認められて成長していたなら、たとえ宮のお亡(かく)れになったあとでも、源大将などの申し込みは晴れがましいことにもせよ、受け入れなくもなかったはずである、しかしながら自分の心だけではこうも思うものの、ほかから見れば守の子同然に思うことであろうし、また真相を知っても私生児と見てかえって軽蔑(けいべつ)するであろうことが悲しいなどと夫人は思い続けていた。どうすればいいのであろう、婚期の過ぎてしまうことも幸福でない、家柄のよい無事な男が今度のように懇切に言って来たのであるから与えるほうがいいのであろうかなどと、結局そのほうへ心が傾いたというのも、仲人が守へ言ったと同じようなよいことずくめの話に、まして女の人はやすやすと欺(あざむ)かれたからであるかもしれぬ。もう明日(あす)か明後日(あさって)になったかと思うと、心が落ち着かず忙がしく、どこにもひとところにじっとしておられず夫人がいらいらとしている所へ、外から守がはいって来て、長々と雄弁に次のようなことを言った。
「私を除(の)け者にしておいて、私の大事な娘の求婚者を自分の子のほうへ取ろうとあなたはしたのか、ばかばかしく幼稚な話だ。あなたのりっぱな娘さんを入り用だと思う公達(きんだち)はなさそうだね。卑賤な私風情(ふぜい)の女の子をぜひ妻にと言ってくださるので、うまく計画をしたつもりだろうが、それは初めの精神と違うと言ってほかの縁談を定(き)めようとされていたから、それなら思召しどおりこちらの子のほうにと言って私は定めてしまった」
 何の思いやりもなく守はこの奇怪な報告を得意になって妻へした。夫人はあきれてものも言われない。そんなことであったかと思うと、人生の情けなさが一時に胸へせき上がってきて涙が落ちそうにまでなったから、静かに立って歩み去った。姫君の所へ行ってみると、可憐(かれん)な美しい姿でその人はすわっていた。夫人はなんとなく安心を覚えた。どんな運命がここに現われてきても、この人がだれよりも不遇で置かれるはずはないと思われるのである。姫君の乳母(めのと)を相手に夫人は、
「いやなものは人の心だね。私は同じようにだれも娘と思って世話をしているものの、この方と縁を結ぶ人には命までも譲りたい気でいるのだのに、父親がないと聞いて、軽蔑(けいべつ)をして、まだ年のゆかない、でき上がっていない子などを、この方をさしおいて娶(めと)るというようなことができるものなんだねえ。そんな人をまた婿にすることなどは絶対にもう私はいやだけれど、守が名誉に思って大騒ぎしているのを見ると、それがちょうど似合いの婿(むこ)舅(しゅうと)だと思われるよ。私はいっさい口を入れないつもりよ。私はこの家でない所へ当分行っていたい」
 こう歎きながら言うのであった。乳母も腹がたってならない。姫君が軽蔑されたと思うからである。
「いいのですよ奥様。これも結局お姫様の御運が強かったから、あの人と結婚をなさらないで済むことになったのですよ。そんな人にはこの方の価値(ねうち)はわかりますまい。お姫様はものの理解の正しい同情心の厚い方にお嫁(とつ)がせいたしとうございます。源右大将様の御風采(ふうさい)をほのかにしか拝見いたしませんでしたが、まるで命も延びそうな気がいたしましたよ。親切なお申し込みもあるのですから、御運に任せてあの方を婿君になさいましよ」
「まあ恐ろしい。人の話に聞くと、長い間すぐれた女性とでなければ結婚をしないとお言いになって、左大臣、按察使(あぜち)大納言、式部卿(しきぶきょう)の宮様などから婿君にといって懇望されていらっしゃったのを無視しておいでになったあとで帝の御秘蔵の宮様を奥様におもらいになった方だもの、どんなにすぐれたように見える人だってほんとうに愛してくださるものかね。あのお母様の尼宮の女房にして時々は愛してやろうとは思ってくださるだろうがね。それはごりっぱな所だけれど、そんな関係に置かれているのは苦しいものだからね。二条の院の奥様を幸福な方だと人は申しているけれど、やはり物思いのやむ間もないふうでおありになるのを見ると、どんな人でもいいから唯一の妻として愛してくださる良人(おっと)よりほかは頼もしいもののないことは私自身の経験でも知っている。お亡(な)くなりになった八の宮様は情味のある方らしく見えて、美男で艶(えん)なお姿はしていらしったけれど、私を軽いものとしてお扱いになったのが、どんなに情けなく恨めしかったことだったろう。守は言語道断な情味の欠けた醜い人だけれど、私を一人の妻としてほかにはだれも愛していないことで、私は絶対な安心が得られて今日まで来ましたよ。何かの時に今度のような、ぶしつけな、愛想(あいそう)のないことをするのはしかたがないがね、物思いをさせられたり、嫉妬(しっと)を覚えさせられたりすることもなく、よく双方で口喧嘩(くちげんか)はしても、しかたのないと思うことは、またよくあきらめてしまうのが私ら夫婦なのだ。高級のお役人、親王様と言われて、優美に、高雅な生活をしていらっしゃる方を対象としていても、こちらに資格がなくてはつまらないものよ。すべてのことは自身の世間的価値によって定(き)まることなのだと思うと、この方がどこまでもかわいそうに思われるがね、どうかして人笑いにならない幸福な結婚をさせたいと思う」
 二人は姫君の将来のことをいろいろと相談し合った。
 守(かみ)は婿取りの仕度(したく)を一所懸命にして、
「女房などはこちらにいいのがたくさんあるようだから、当分あちらの娘付きにさせておくがいい。帳台の帛(きれ)なども新調しただろう、にわかなことで間に合わないから、それをそのまま用いることにして、こちらの座敷を使おう」
 西座敷のほうへもそんなことを言いに来て、大騒ぎに騒いでいた。夫人が感じよくさっぱりと装飾しておいた姫君の座敷へ、よけいに幾つもの屏風(びょうぶ)を持って来て立て、飾り棚(だな)、二階棚なども気持ちの悪いほど並べ、そんなのを標準にしてすべての用意のととのえられているのを、夫人は見苦しく思うのであるが、いっさい口出しをすまいと言い切ったのであったから、傍観しているばかりであった。姫君は北側の座敷へ移っていた。
「あなたの心は皆わかってしまった。同じあなたの子なのだから、どんなに愛に厚薄はあっても、今度のような場合に打ちやりにしておけるものでないだろうと思っていたのはまちがいだった。もういいよ。世間には母親のある子ばかりではないのだから」
 と守は言い、愛嬢を昼から乳母(めのと)と二人で撫(な)でるようにして繕い立てていたから、そう醜いふうの娘とは見えなかった。今が十五、六で、背丈(せたけ)が低く肥(ふと)った、きれいな髪の持ち主で、小袿(こうちぎ)の丈(たけ)と同じほどの髪のすそはふさやかであった。その髪をことさら賞美して撫でまわしている守であった。
「家内がほかの計画を立てていた人をわざわざ実子の婿にせずともいいとは思ったが、あまりに人物がりっぱなもので、われもわれもと婿に取りたがるというのを聞いて、よそへ取られてしまうのは残念だったから」
 と、あの仲人(なこうど)の口車に乗せられた守の言っているのも愚かしい限りであった。
 左近少将もこの派手(はで)な舅(しゅうと)ぶりに満足して、夫人のほうもやむをえず同意したことと解釈をし、以前に約束のしてあった夜から来始めた。守の妻と姫君の乳母はあさましくこれをながめていたのであった。ひがんだようには見られまいと夫人は世話に手を貸そうとも思っていたが、それをするのも気が進まないままに、二条の院の中の君へまず手紙を送ることにした。
用事がございませんで手紙を差し上げますのもなれなれしくいたしすぎることになり、失礼かと存じまして、御機嫌(ごきげん)はどうかと始終気にいたしながらお尋ねも申し上げませんでした。あの方に謹慎の日がまわってまいりまして、しばらくどこかへ所を変えさせたいと思うのでございますが、そっとおそばへまいらせていただいていてはどんなものでしょう。人目につかぬお部屋(へや)が拝借できますれば非常にうれしいことと存じます。つまらぬ私には十分の保護もできませんで、あの方を苦しい立場に置きますことのしばしばある悲しい世でございますのに、お助け所と考えられますのはまずあなた様だけでございます。
 泣きながら書かれたものであるこの手紙を、中の君は哀れと思ったが、父宮が、あくまで子とあそばさなかった人を、父や姉の異議の聞きようのない世になって、自分が姉妹(きょうだい)としてつきあうのも気のとがめることであるが、また自分がかまわずにおいた結果、低い女房勤めなどをするようになることも心苦しいことに思われるであろう、自分の計らい方一つから姉妹がちりぢりになってしまうことも父宮のためにお気の毒なことであると思い悩まれるのであった。常陸(ひたち)夫人は大輔(たゆう)のところへも姫君についての心苦しさをやや強く書いて言って来たのであったから、
「何かわけがあることでございましょう。冷淡に断わっておしまいになってはいけません。ああした劣った人から生まれた方が姉妹(きょうだい)の中に混じっておいでになることは、どこにも例のあることでございます。先方が無情だと思いますような処置をおとりになってはなりません」
 などと夫人に取りなして、
それではお居間から西のほうに目だたぬ場所をこしらえましたから、いいお座敷ではありませんがごしんぼうをなさいますならしばらくお預かりになろうとおっしゃいます。
 と昔の朋輩(ほうばい)の中将へ返事をした。その人はうれしく思ってさっそく姫君を二条の院の夫人へ預ける決心をした。姫君も姉君と親しみたくてならぬ心であったから、かえって少将の問題が機会を作ったのを喜んだ。
 常陸守は婿の少将の三日の夜の儀式をどんなふうに派手(はで)に行なおうかと思案をしたのであるが、高尚(こうしょう)なことは何もわからぬ男であったから、ただ荒い東国産の絹を無数に投げ出し、酒肴(しゅこう)も座が狭くなるほどにも運び出すような歓待(もてなし)ぶりをしたのを、卑しい従者らは大恩恵に逢(あ)ったように思って喜んだから、主人の少将もけっこうなことに思い、りこうな舅(しゅうと)の持ち方をしたと喜んだ。常陸夫人はこの儀式のある間は外へ出て行くのも意地の悪いことに思われるであろうと我慢をして、ただ父親がするままを見ていた。婿君の昼の座敷、侍の詰め所というような室(へや)を幾つも用意するために、家は広いのであるが、長女の婿の源少納言が東の対(たい)を使っていたし、そのほかに男の子も多いのであるから空室(あきま)もなくなった。今まで姫君のいた座敷へ四日めからは婿が住み着くことになっていては、廊座敷などという軽々しい所へ姫君を置くのはどうしても哀れでしんぼうのならぬことと夫人に思われて、考えあぐんだ末に中の君へ預けようとしたのである。だれもが八の宮の三女として姫君を見ないところから、私生児として軽蔑(けいべつ)するのであろうと思い、お認めにならなかった宮の御娘の女王(にょおう)の所を選んでしいて姫君の隠れ場所にしたのであった。
 姫君には乳母(めのと)と若い女房二、三人がついて来た。西向きの座敷の北にあたった所を部屋に与えられた。長い間遠く離れていた間柄ではあるが、母方の血縁のある常陸夫人であったから、来た時には中の君も他人扱いにはせず、顔を見せずに隠れて話すようなこともせず、親王夫人らしい気品を持って、若君の世話などをする様子も近く見せられるのを、わが娘に比べて常陸夫人がうらやましく思うのも哀れである。自分も八の宮夫人と家柄の懸隔のあるわけではない、叔母(おば)と姪(めい)だったのではないか、女房になって仕えていたという点で、自分の生んだ姫君は宮の女王の一人に数えられず私生児として今度のように、露骨に人から軽侮の態度をとられることにもなったと思う心から、こんなふうにしいて親しみ寄ろうとするのも悲しい心である。
 その一室には物忌(ものいみ)という札が貼(は)られ、だれも出入りをしなかった。常陸夫人も二、三日姫君に添ってそこにいた。以前の訪問の時と違い、今度はこんなふうでゆるりと二条の院の生活を昔の中将は観察することができた。
 兵部卿(ひょうぶきょう)の宮が二条の院へおいでになった。好奇心から常陸夫人は物の間からのぞいて見るのであったが、宮は非常にお美しくて、折った桜の枝のような風采(ふうさい)をしておいでになった。自身が信頼して、強情(ごうじょう)で恨めしいところはあっても、機嫌(きげん)をそこねまいとしている常陸守よりも姿も身分もずっとすぐれたような四位や五位の役人が皆おそばに来てひざまずいて、いろいろなことを申し上げたり、御意を伺ったりしていた。また年若な五位などで、この夫人にはだれとも顔のわからぬお供も多かった。自身の継子の式部丞(しきぶのじょう)で蔵人(くろうど)を兼ねている男が御所の御使(みつか)いになって来た。こんな役を勤めながらも、おそば近くへはよう来ない。あまりにも普通人と懸隔のある高貴さに驚いて、これは人間世界のほかから降(くだ)っておいでになった方ではないかという気が常陸の妻にはされた。こんな方に連れ添っておいでになる中の君は幸福であると思った。ただ話で聞いていては、どんなりっぱな方でも女に物思いをおさせになってはよろしくないと、憎いような想像をしていた自分は誤りであった、このお美しい風采(ふうさい)を見れば、七夕(たなばた)のように年に一度だけ来る良人(おっと)であっても女は幸福に思わなくてはならないなどと思っている時、宮は若君を抱いてあやしておいでになった。夫人は短い几帳(きちょう)を間に置いてすわっていたが、その隔ての几帳を横へ押しやって話などを宮はしておいでになるのである。またもない似合わしい美貌(びぼう)の御夫婦であると見えるのであった。八の宮の豊かでおありにならなかった御生活ぶりに比べて思うと、同じ親王と申し上げても恵まれぬ方、恵まれた方の隔たりはこれほどもあるものかという気のする常陸夫人だった。几帳の中へおはいりになったあとでは乳母(めのと)などと若君のお相手をしていた。伺候した者の集まって来ていることが時々申し上げられても、疲れていて気分がよろしくないと仰せになって、夫人の室(へや)から宮はお出にならなかった。お食膳(しょくぜん)がこちらの室へ運ばれて来た。すべてのことが気高(けだか)く高雅であった。自身が姫君の生活に善美を尽くしていると信じていたことも、比較して見ていた目は地方官階級の趣味にほかならなかったと常陸夫人は思うようになった。自分の姫君もこうした親王とお並べしても不似合いでない容姿を備えていると思われる。財力を頼みにして父親がお后(きさき)にもさせようと願っている娘たちは、同じわが子であっても全然そうした美の備わっていないことを思うと、これからは姫君の良人を謙遜(けんそん)して選ぶ必要はない、自重心を持たなければならぬと一晩じゅういろいろな空想を常陸夫人はし続けた。



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