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センツアマニ(センツアマニ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-7 9:50:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

センツアマニ

FAMILIE OHNEHAND

マクシム・ゴルキイ Maksim Gorkii

森林太郎訳




 島は深い沈黙の中に眠つてゐる。海も死んでゐるかと思はれるやうに眠つてゐる。秘密な有力者が強い臂を揮つて、この怪しげな形をした黒い岩を、天から海へ投げ落して、その岩の中に潜んでゐた性命を、その時殺してしまつたのである。
 遠くから此島を見れば妙な形をしてゐる。遠くからと云ふのは、天の川の黄金色わうごんしよくをした帯が黒い海水に接した所から見るのである。そこから見れば、此島は額の広い獣のやうである。獣は曲つた毛むくじやらな背をしてゐる。それが恐ろしいあぎとを海にぺたりと漬けて、音も立てずに油のやうにつた水をつてゐるかと思はれる。
 十二月になつてからは、今宵のやうな、死に切つた静けさの闇夜が、カプリの島に度々ある。いかにも不思議な静けさなので、誰でも物を言ふに中音で言ふか囁くかせずにはゐられない。若し大きい声をしたら、この天鵝絨びろうどのやうな青い夜の空の下で、石の如き沈黙を守つて、そつと傍観してゐる何物かの邪魔をすることにならうかと憚るのである。
 だから今島の浪打際の、石のごろ/\した中にすわつてゐる二人も中音で話をしてゐる。一人は税務署附の兵卒である。黄いろいへりを取つた黒のジヤケツを着て、背に小銃を負つてゐる。此男は岩の窪みに溜まる塩を、百姓や漁師の取らぬやうに見張るのである。今一人は漁師である。色が黒くて、耳から鼻へ掛けて銀色の頬髯が生えてゐる。鼻は大きくて、鸚鵡のくちばしのやうに曲つてゐる。
 岩は銀象嵌をしたやうである。併しその白い金質きんしつうしほに触れて酸化してゐる。
 役人はまだ年が若い。年齢相応な、口から出任せの事を言つてゐる。老人は不精々々に返事をしてゐる。折々は不機嫌な詞も交る。
「十二月になつて色をする奴があるかい。もう子供の生れる時ぢやないか。」
「さう云つたつて、年の若いうちは、どうも待たれないからね。」
「それは待たなくてはならないのだ。」
「お前さんなんぞは待つたかね。」
「わしは兵隊ではなかつた。わしは働いた。世間を渡つてゐるうちに出逢ふ丈の事に出逢つて来た。」
「分からないね。」
「今に分かるよ。」
 岸から余り遠くない所に、天狼星てんらうせいが青く水に映つてゐる。其影のしみのやうに見える所を、長い間ぢつと見てゐると、ぢき側にたまの形をした栓の木の浮標が見える。人の頭のやうな形をして、少しも動かずに浮いてゐる。
「爺いさん、なぜ寝ないかね。」
 漁師は持ち古した、時代が附いて赤くなつた肩掛のきれを撥ね上げて、咳をしながら云つた。
「網が卸してあるのだよ。あの浮標を見ないか。」
「さうかね。」
「さきをとつひは網を一つ破られてしまつたつけ。」
海豚いるかにかね。」
「今は冬だぜ。海豚がかるものか。さめだつたかも知れない。それとも浮標か。分かりやあしない。」
 獣の脚で踏まれた山の石が一つえて落ちて、乾いた草の上を転がつて、とう/\海まで来てぴちやつと音をさせて水に沈んだ。このちよいとした物音を、沈黙してゐる夜が叮嚀に受け取つて、前後の沈黙との境界をはつきりさせて、永遠に記念すべき出来事でゞもあるやうに感ぜさせた。
 兵卒は小声で小唄を歌つた。
爺いさん。がなぜ寐られない。
わけを聞かせて下さいな。ウンベルトオさん。
ヰノ・ビアンカの葡萄酒を
若い時ちと飲み過ぎた。
「そんなのは己には嵌まらない」と、漁師はうるさがるやうにつぶやいた。
爺いさん。夜がなぜ寐られない。
わけを聞せて下さいな。ベルチノオさん。
恋と名の附く好い事を
し足りなかつた、若い時。
「ねえ、パスカル爺いさん。好い唄でせう。」
「お前にだつて、六十になつて見りやあ、今に分かる。だから聞かなくても好いのだ。」
 二人共長い間、夜とともに沈黙してゐた。それから漁師が煙管きせるを隠しから出して、吹殻の残つてゐたのを石に当ててはたき出した。そして何か物音を聴くやうにしてゐながら、乾燥した調子で云つた。「お前方のやうな若い者は勝手に人を笑つてゐるが好い。だがな、色事をするにしても、昔の人のしたやうな事が、お前方に出来るか、どうだか、それはちよいと分からないな。」
「驚いた。分かり切つてゐらあ。色事をするのはいつだつて同じ事ぢやないか。」
「さう思ふかい。所が物が本当に分かつてゐなくちやあ駄目だ。あつちのな、あの山の向うに、Senzamani と云ふ一族が住まつてゐる。今の主人の祖父いさんのカルロの遣つた事を聞いて見ると好い。お前もどうせ女房を持つのだから、あれを聞いて置いたら、ためになるだらう。」
「お前さんが知つてゐるのに、何も知らない人に聞きに往かなくても好いぢやないか。」
 目には見えぬに、どこかを夜の鳥が一羽飛んで通つた。誰かゞ乾いた額を手拭でふいたやうな、一種異様な音がしたのである。
 地の上の暗黒が次第に濃く、あたゝかに、しめつぽくなつて来た。天は次第に高くなつた。そして天の川の銀色の霧の中にある星は次第に明るくなつた。
「昔はもつと女を大切にしたものだ」と、漁師が云つた。
「さうかね。そんな事はわたしは知らなかつた。」
「それに戦争が度々あつたものだ。」
「そこで後家が大勢出来たと云ふのかね。」
「いや。そこで兵隊が遣つて来る。海賊が遣つて来る。ナポリには五年目位に新しい政府が立つ。女がゐると、錠前を卸した所に隠して置いたものだ。」
「ふん。今だつてさうして置く方が好いかも知れないね。」
「まあ、鶏かなんかを盗むやうに、女を盗んだものだ。」
「女は鶏よりか狐に似てゐるのだが。」
 漁師は黙つてしまつた。そして煙草に火を附けた。附木の火がぱつと燃え立つて、黒い曲つた鼻を照らした。間もなく甘みのある烟の白い一団が、動揺の無い空気の中に漂つた。
「それからどうしたのだね」と、ねむげな声で兵卒が聞いた。



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