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難船小僧(エス・オー・エス・ボーイ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-8 14:07:48 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 一つの波の絶頂に乗上げると、岩と氷河で固めた恐ろしい恰好かっこうセントエリアスが直ぐ鼻の先に浮き上る。文句なしに手が届きそうに見える。これは、空気が徹底的に乾燥しているから、そんなに近くに見えるんだが、水蒸気の多い日本から行くと特別にソンナ感じがするんだ。望遠鏡でのぞいてもチットもかすんで見えない。山腹をありまで見えやしまいかと思うくらいハッキリと岩の角々が太陽に輝いている……と思う間に、その大山脈の絶頂から真逆落まっさかおとしに七千噸の巨体が黒煙くろけむり棚引たなびかせてすべり落ちる。スキーの感じとソックリだね。高い高い波の横っ腹に引き残して来る推進器スクリュウの泡をジイッと振り返っていると、七千噸の船体が千噸ぐらいにしか感じられなくなって来る。
 ……と思ううちに、やがて谷底へ落ち付いた一刹那せつな、次の波の横っ腹に艦首トップを突込んでドンイイインと七噸から十噸ぐらいの波に艦首トップ甲板デッキをタタキ付けられる。グーンと沈んで甲板をザアザアザアと洗われながら次の大山脈のドテッ腹へもぐり込む。なんしろ船脚ふなあしがギッシリと重いのだから一度、大きなやつにたたかれると容易に浮き上らない。船室ケビンという船室ケビンの窓が、青い、水族館みたいな波の底の光線にとざされたまま、堅板パーテカルや、内竜骨キールソンが、水圧でもって……キイッ……キイッ……キシキシキシキシと鳴るのを聞いていると、それだけの水圧を勘定に入れた、材料強弱ストレングス・オブ・マテリヤルスの公式一点張りで出来上っている船体だとわかり切っていても決していい心持ちはしない。そのうちにヤット波の絶頂まで登り詰めてホットしたと思う束の間に、又もスクリュウを一シキリ空転さして、潮煙しおけむり捲立まきたてながら、文字通り千仭せんじんの谷底へ真逆落しだ。これを一日のうちに何千回か何万回か繰返すと、機関室の寝床ベッドにジッと寝転んでいても、ヘトヘトに疲れて来る。
「オイオイ。機関長か……」
 船長室から電話がかかる。
「僕です。何か用ですか」
「ウン。もっとスピードが出せまいか」
「出せますが、何故なぜですか」
「船がチットも進まんチウて一等運転手チーフメートが訴えておるんだ」
「今十六ノット出ているんですがね。義勇艦隊のスピードですぜ」
「馬鹿。出せと云ったら出せ」
「ドレ位ですか」
「十八ばっか出しちくれい」
最大限フルですね」
「ウン。石炭すみは在るかな」
「まだ在ります。全速力フルで四五日分……」
「……ヨシ……」
 ガチャリと電話が切れたと思うと、やがて船腹ふなばら震撼しんかんする波濤なみ轟音おとが急に高まって来た。タッタ二ノットの違いでも波が倍以上大きくなったような気がする。又実際、船体のコタエ方は倍以上違って来るので、石炭の消費量でもチットやソットの違いじゃない。
 そのうちに高緯度の癖で、いつとなく日ばボンヤリと暮れて、地獄座のフットライト見たいなオーロラがダラダラと船尾スターンにブラ下った。その下の波の大山脈の重なりを、夜通しがかりで白泡しらあわみながら昇ったり降ったり、シーソーを繰り返してあくる朝の薄明りになってみると、不思議な事に船体ふねは、昨日きのうの朝の通りセントエリアスとフェア・ウェザーの中間に船首を固定さしている。昨日きのうから固定していたんだか、夜の間に逆戻りしたんだかわからない。
「どうしたんだ」
「シッカリしろ」
 とか何とか運転手と文句を云い合っているうちに、昨日きのうの朝の通りの白い太陽がギラギラと出て来た。空気が乾燥しているから岸の形がハッキリしている。山腹をありの影法師まで見えそうである。
 流石さすがに沈着な船長もコレには少々驚いたらしい。船橋ブリッジのぼって、珍らしそうに白い太陽を凝視している。その横に一等運転手がカラも附けないまま寒そうに震えている。
「逆戻りしたんだな」
「イヤ。波に押し戻されているんです。十八ノット速力スピードがこの波じゃチットモ利かないんです」
「そんな馬鹿な事が……」
「いや実際なんです。去年の波とはタチが違うらしいんです」
「おんなじ波じゃないか」
「イヤ。たしかに違います」
 一等運転手と船長がコンナ下らない議論をしているところへ、俺は危険をおかして梯子ラダを這い登って行った。船長は、真向いのセントエリアスの岩山に負けない位のゴツゴツした表情で云った。
「モウ……スピードは出ないな。機関長おやかた……」
「出ませんな。安全弁バルブが夜通しブウブウいっていたんですから」
「……弱ったな……」
 この船長が、コンナ弱音を吐いたのを俺はこの時に初めて聞いた。
「……妙ですねえ。今度ばかりは……変テコな事ばかりお眼にかかるじゃないですか」
「あの小僧を乗せたせいじゃないかな。チョットでも……」
 と一等運転手がヨロケながら独言ひとりごとのように云った。蒼白あおじろい、わばった顔をして……俺は強く咳払せきばらいをした。
「エヘン。そうかも知れねえ。しかし最早もう船には居ねえ筈だからな」
 船長は何も云わなかった。苦い苦い顔をしたまま十八倍の双眼鏡をセントエリアスに向けた。
 三人はそのまま気拙きまずい思いをして別れたが、それから第三日目の朝になっても、依然としてフェア・ウェザーとセント・エリアスが真正面に見えた時には、流石さすがの俺も、ジイイーンとしびれ上るような不思議を、脳髄の中心に感じた。同時に何ともいえない神秘的な気持になって、胸がドキドキした事を告白する。自分の魂が、船体と一所に、どうにもならない不可思議な力にガッシリとつかまれているような気がしたからだ。

 石のようにこわばった俺と、一等運転手チーフメートと、船長の顔がモウ一度、船長室でブツカリ合った。
「ここいらを北上する暖流の速力が変ったっていう報告はまだ聞きませんよ」
 運転手が裁判の被告みたような口調で船長に云った。船長が他所事よそごとのようにネービー・カットの煙を吹いた。
「ムフムフ。変ったにしたところが、一時間十八ノットの船を押し流すような海流が、地球表面上に発生しる理由はないてや」
 と飽くまでも科学者らしくうそぶいた。俺もエンチャントレスに火を付けながら首肯うなずいた。
「とにかく俺のせいじゃないよ。石炭はたしかに減っているんだからな」
 一等運転手チーフメートも眼を白くしてコックリと首肯うなずいた。同時に一層青白くなりながら白い唇を動かした。
「……何か……あの小僧の持物でも……船に……残っているんじゃ……ないでしょうか」
 船長は片目をつむって、唇をゆがめて冷笑した。しかし一等運転手は真顔まがおになって、真剣に腰をかがめながら、船長室内のそこ、ここをのぞきまわり初めた。おしまいには船長と俺が腰をかけている寝台ねだいまでも抱え上げて覗いたが、寝台の下には独逸ドイツ仏蘭西フランスの科学雑誌が一パイに詰まっているキリであった。ボーイのスリッパさえ発見出来なかった。
 とうとう船全体が、動かす事の出来ない迷信にとらわれて、スッカリ震え上がらせられてしまった。乗組員の眼付めつきみんなオドオドと震えていた。
 ……船が動かない……S・O・S小僧のたたりだ……。
 晴れ渡った青い青い空、澄み渡った太陽。静かな、切れるようなめたい風の中で、碧玉へきぎょくのような大濤おおなみに揺られながらの海難……。
 ……行けども行けどもてしのない海難……S・O・Sの無電を打つ理由もない海難……理由のわからない……前代未聞の海難……。
「サアサア。みんな文句云うところアねえ、在りったけの石炭すみ悉皆みんな汽鑵かまにブチ込むんだ。それで足りなけあ船底ダンブロの木綿の巻荷ロールをブチ込むんだ。それでも足りなけあ俺から先に汽鑵かまの中へい込むんだ。ハハハ。サアサア。みんな石炭すみ運びだ石炭すみ運びだ……」
 事実石炭は最早もう、残りがイクラも無かったのだ。横浜はま積込つみこんだ時の苦労を逆に繰返して、飛んでもない遠方から掘り出すようにしいしい、機関室へ拾い集めるのであったが、その作業を初めると間もなく、残炭のこり下検分したみに廻わった二等機関士のチャプリンひげが、俺の部屋へ転がり込んで来た。
「……タ……大変です。S・O・Sの死骸が見つかりました」
「ナニ。S・O・S……伊那の死骸がか……」
「エエ。そうなんです……ああ驚いた。ちょっとその水を一パイ。ああたまらねえ」
「サア飲め。意気地無し。どこに在ったんだ」
「ああ驚いちゃった。料理部屋の背面うしろなんです。あすこの石炭すみの山の上にエムプレス・チャイナの青い金モール服を着たまんま半腐りの骸骨になって寝ていたんです。イガ栗頭の恰好かっこうがあいつに違いないんですが」
「骸骨……?……」
「ええ。あそこは鉄管パイプがゴチャゴチャしていてステキに暑いもんですから腐りが早かったんでしょう。白い歯を一パイにき出してね。うじ一匹居なかったんですが……随分臭かったんですよ」
 俺は黙って鉄梯子てつばしごを昇って、中甲板ちゅうかんぱんの水夫部屋に来た。入口につかまって仁王立におうだちになったまま大声で怒鳴った。
「おおい。兼公かねこう居るかア。出歯でっぱの兼公……生首なまくびの兼公は居ねえかア……」

「おおおオ――……」
 と隅ッコの暗い寝台棚かいこだなから、寝ぼけたらしい声がした。
「誰だあ……」
「おれだあ……」
「おお。地獄の親方さんか。これあどうも……」
「済まねえが一寸ちょっと、顔を貸してくれい」
「ウワアア。とうとう見付かったかね」
「シッ……」
 と眼顔で制しながら兼公を水夫食堂へ誘い込んだ。天井の綱にブラ下りながら兼に金口煙草きんぐちを一本れた。兼はしきりに頭をいた。
「どうも横浜はまじゃ、警察がわーがしたからね。つい秘密ないしょにしちゃったんで……」
石炭すみ運びの途中でったんか」
図星ずぼしなんで……ヘエ。もっとも最初はじめからる気じゃなかったんで、みんながあの小僧は女だ女だって云いましたからね。仕事にかからせる前にチョット調べて見る気であすこに引っぱり込んだんで……ヘエ……」
「馬鹿野郎……そんで女だったのか」
「それがわからねえんで……あすこへじ伏せて洋服を引んめくりにかかったら恐ろしく暴れやがってね」
当前あたりまえだあ……それからどうした」
「イキナリ飛び付きやがって、ここんとこをコレ……コンナにい切りやがったんで……」
 兼は菜葉服なっぱふくとメリヤスの襯衣シャツをまくって、左腕の力瘤ちからこぶの上の繃帯ほうたいを出して見せた。
「まだれてんで……ズキズキしてるんですがね……恐ろしいもんですね」
「間抜けめえ。そん時に手前てめえ裸体はだかだったのか」
「エヘヘヘヘヘ」
「変な笑い方をしるねえ。それからどうした」
「わっしゃカーッとなっちゃってね。コイツ、降りるといったって他の船へ乗れあ、又、災難わざをしやがるんだからここで片付けた方が早道だ。男だか女だかおとしてから検査しらべた方が早道だと思っちゃったところへ、血だらけの口をしたS・O・Sの野郎が、私の横ッつらへ喰い切った肉をパッと吹っかけて「悪魔」とか何とか悪態をきやがったんで……手前てめえの悪魔は棚へ上げやがってね。……おまけに後で船長おとっさん告訴いいつけてやるから……とか何とかかしやがったんでイヨイヨ助けておけないと思って、首ッ玉をギューッと……まったくなんで……ヘエ……」
非道ひどい事をするなあ。そんで女だったかい」
「……それがその……野郎なんで……」
「プッ。馬鹿だなあ。それからどうしたい」
「それっきりでさ。……ウンザリしちゃってったらかして来ちゃったんです」
何故なぜ海にほうり込まねえ」
「それが誰にも見つからねえように放り込みたかったんで……親方や機関室ダンブロ兄貴あにき達にも申し訳ねえし、おまけに上海シャンハイで、あっしが談判に行った時に船長おやじが入歯をガチガチさして、こんな事を云ったんです。あの小僧をタタキ殺すのに文句はないが……」
「チョット待ってくれ。たたき殺すのに文句はないって云ったんだね」
「そうなんで……しかし死骸は勿論、髪の毛一本でも外へ持ち出したらただはおかないぞッ……てね。そう云って船長おやじ白眼にらみ付けられた時にゃ、あっしゃゾッとしましたぜ。あんな気味の悪いつらア初めてお眼にかかったんで……ヘエ……まったくなんで……」
「フーム。妙な事を云ったもんだな」
「そう云ったんで……何だかわからねえけども……万一見付かって首になっちゃ詰まらねえ。事によるとあの二ちょうのパチンコで穴をけられちゃかなわねえと思って、そのまんまにしといたんです。まったくなんです」
「案外意気地がねえんだな……手前てめえは……」
「まったくなんで……それからっていうものあの死骸の事が気になって気になって今日は運び出そうか、明日あすは片付けようかと思ううちに、だんだん船にケチが附いて来るでしょう……死骸は腐って手が付けられなくなって来るし、わっしゃもう少しで病気になるところだったんで……もうりしました。どうぞ勘弁かんべんしておくんなさい。あやまっても追付おっつくめえけんど……」
「ハハハ。そんなこたアもうどうでもいいんだ。今日は文句はねえ。手前てめえ行って大ビラであの死骸コツを片付けて来い。船長おやじには俺が行って話を付けてやる」
「ヘエッ。本当ですかい親方ア」
「同じ事を二度たあ云わねえ」
「……ありが……ありがとう御座ござんす。すぐに片付けます。……ああサッパリした」
「馬鹿野郎……片付けてからサッパリしろ」
 兼はS・O・Sの金モールの骸骨コツ胴中どうなかから真二まふたつにスコップでたたきって、大きなバケツ二杯に詰めて出て来た。甲板に出て生命綱いのちづなつかまり掴まり二つのバケツを海の上へ投げ出したが、その骨の一片が、波にぶつかって、又、兼の足元へ跳ね返って来た時、兼は真青になってその骨を引掴ひっつかむとあぶなくツンノメリながら、
南無阿弥陀仏なむあみだぶつッ……」
 と遠くへ投げた。
 それは兼の一生懸命の震え上った念仏らしかったが、とてもその恰好かっこう滑稽こっけいだったので、見ていた俺はたった一人で腹を抱えさせられた。
 アラスカ丸は、それから何の故障もなくスラスラと晩香坡バンクーバへ着いた。
 同じ波の上を、同じスピードで……馬鹿馬鹿しい話だが、まったくなんだ。
 ところで話はこれからなんだ。

 船長の横顔は見れば見るほど人間らしい感じがなくなって来るんだ。
 骸骨コツを渋紙でり固めてワニスで塗り上げたような黒光りする凸額おでこの奥に、硝子玉ガラスだまじみたギラギラする眼球めだま二個ふたつコビリ付いている。それがマドロス煙管パイプを横一文字にギューとくわえたまま、船橋ブリッジ欄干てすりに両ひじたせて、青い青い空の下を凝視しているんだ。その乾涸ひからびた、固定した視線の一直線上に、雪で真白になった晩香坡バンクーバの桟橋がある。その向う一面に美しい燈火ともしびがズラリと並んでいようという……ところまで、やっとぎ付けたんだがね。文字通りに……。
 その桟橋の上に群がっている人間は、五日ほど遅れて着いたアラスカ丸をどうしたのかと気づかって、待ちかねていた連中なんだ。
「S・O・Sの野郎……骸骨ほねになってまでたたりやがったんだナ……」
 船長おやじ突然だしぬけに振返って俺の顔を見た。白い義歯いればを一ぱいにき出して物凄ものすご哄笑こうしょうしたもんだ。
「アハハハハ。イヤ……面白い実験だったね。やっぱり理外の理って奴は、あるもんかなあ……タハハハ。ガハハハハハ……」





底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年3月24日第1刷発行
※表題の「難船小僧」には、「S・O・S・BOY」とルビがふられています。
入力:柴田卓治
校正:kazuishi
2004年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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