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超人鬚野博士(ちょうじんひげのはかせ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/11/10 9:55:47 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     拳骨辻占

「まあ……どうも飛んだ失礼を致しまして……場所慣れない若いものばかりなもんですから……お見外(みそ)れ申しまして……さあどうぞ……ほんとにお久し振りでしたわねえ。御無沙汰ばかり……」
「馬……馬鹿云え。お珍らしいって俺あ初めてだぞ。お前みたいな人間には生れない前から御無沙汰つづきなんだぞ……テンデ……」
「オホホホホホホホ……」
 女将の嬌笑が暗い部屋に響き渡った。その背後(うしろ)の浅黄幕(あさぎまく)の間から、ビックリ人形じみた女たちの顔が、重なり合って覗いている。
「オホホホ……恐れ入ります。まったくで御座いますよ先生。この町中の水物屋(みずものや)で、先生のお顔を存じ上げない者は御座いませんよ」
「ハハア。俺に似た喰逃(くいにげ)の常習犯でも居るのか……」
「まあ、御冗談ばかり……それどころでは御座いませんよ先生。先生のお払いのお見事な事は皆、不思議だ不思議だって大評判で御座いますよ」
「ううむ。扨(さて)は夜稼(よかせ)ぎ……という訳かな」
「そればかりでは御座いませんよ。いつも一杯めし上ると声色(こわいろ)使いや辻占(つじうら)売り、右や左なんていう連中にまで、よくお眼をかけ下さるので、そのような流し仲間では先生のお姿を拝んでいるので御座いますよ。先生は福の神様のお生れ変りで、いつもニコニコしておいでになるから縁起(えんぎ)がよいと申しましてね。どこの店でも心の中で先生のお出でを願っているので御座いますよ先生……」
「……ああ、いい気持ちだ。汗ビッショリになっちゃった。本気にするぜオイ……」
「嫌(いや)で御座いますよ先生。私がまだ十一か十二の時に、両親の病気を介抱しいしいコチラの遊廓で辻占を売っておりました時分に……」
「アッ。君はあの時の孝行娘さんかえ。これあ驚いた。そういえばどこやらに面影が残っている。非道(ひど)いお婆さんになったもんだね」
「まあ。お口の悪い……でも先生はあの時からチットも御容子(おようす)がお変りになりませんわね。昔の通りのお姿……」
「アハハ。貴様の方がヨッポド口が悪いぞ。変りたくとも変れねえんだ」
「アラ。そんな事じゃ御座いませんわ」
「おんなじ事じゃないか」
「……でも、そのお姿を見ますとあの時の事を思い出しますわ。『ウーム。貴様が新聞に出ていた孝行娘か。こっちへ来い。美味(うま)いものを喰わせてやる』と仰言(おっしゃ)って、お煙草盆に結(ゆ)った私の手をお引きになって、屋台のオデン屋へ連れてってお酌をおさせになるでしょう。それから私の手をシッカリ掴んで廓の中をよろけ廻りながら御自分で大きな声をお出しになって『河内(かわち)イ――瓢箪山(ひょうたんやま)稲荷(いなり)の辻占ア――ッと……ヤイ。野郎……買わねえか』と云う中(うち)に通りすがりの御客を、お捕まえになるでしょう。あんな怖い事は御座いませんでしたわ。『何をパチクリしていやがるんだ篦棒(べらぼう)めえ。マックロケのケエの手習草紙みたいな花魁(おいらん)の操(みさお)に、勿体ない親御様の金を十円も出しやがる位なら、タッタ二銭でこの孝行娘の辻占を買って行きやがれ。ドッチが無垢(むく)の真物(ほんもの)だか考えてみろ。ナニイ、五十銭玉ばっかりだア。嘘を吐(つ)け。蟇口(がまぐち)を見せろ。ホオラ一円札があるじゃないか。コイツを一枚よこせ。釣銭なんかないよ。お釣が欲しかったら明日(あした)の朝、絹夜具の中で花魁から捻(ね)じ上げろ。ナニ、高価(たけ)え?……シミッタレた文句を云うな。勿体なくも河内瓢箪山稲荷の辻占だ。罰が当るぞ畜生。運気、縁談、待人、家相、病人、旅立の吉凶(よしあし)、花魁の本心までタッタ一円でピッタリと当る。田舎一流拳骨(げんこつ)の辻占だ。親の罰より覿面(てきめん)にアタル……この通り……ポコーン……』とか何とか仰言って、買ってくれた人の横ッ面(つら)を……」
「ハハハ。そんな事があったっけなあ。酔払っていたものだから忘れてしまったわい」

     支那料理

「あれから私いろいろと苦労致しましたわ。両親に死別れてから芸妓(げいしゃ)になったり、落語家(はなしか)の兄さんとくっ付いて料理屋を始めたり、それから上海に渡って水商売をやったりして、いくらか大きく致しておりますうちに、上海の戦争で亭主の行方がわからなくなりますし、御贔屓(ごひいき)の旦那様からは見放されるしでね。いくらかスコ焼けになりまして……先生にお隠ししたって始まりませんから、真実(ほんと)のところを申上げるんですけど……私を見放した人には怨(うら)みが残っておりますし、ここに居ります娘さん達が、私から離れませんものですから、一つ乗るか反(そ)るかで日本へ帰りまして、やっと二三箇月前にこんな横ッチョへ店を開きましたのに、モウ先生がお出で下さるなんて縁起がいいどころじゃ御座いませんわ。あたしゃ嬉しくって嬉しくって、胸がモウ一パイ……」
 と云ううちに吾輩の胸へ縋(すが)り付きメソメソ泣き出した。
「いい加減にしろよ。若い女たちが見てるじゃないか。モウ一遍俺の手に縋って辻占を売りに出る年でもあるめえ」
「……これからもドウゾこの店の事を、よろしくお頼み申上ます……誰も……どなたも……相談相手になって下さる方がないのですから」
「フウム、成る程。そういえば何もかも新しいようだナ。何だってコンナ処に支那料理屋なぞ作ったんだ」
「ホホホ。恐れ入ります。どうも表通りにはいい処が御座いませんので、それに支那料理なんて申しますと、どうも横町じみた処が繁昌いたしますようで……」
「イカニモなあ、ところでホントに支那料理が在るのか」
「オホホ。御冗談ばかり。チャント御座いますわ」
「怪しいもんだぜ。真昼間(まっぴるま)、表を閉めて、女将さんが二階でグウグウ午睡(ひるね)をしている支那料理といったら大抵、相場はきまってるぜ」
「ホホ。相変らずお眼鏡で御座いますわねえ。どうぞ御遠慮なく御贔屓に……ヘヘヘヘ……」
「変な笑い方をするなよ。今日は飯を喰いに来たんだ。腹が減って眼が眩(くら)みそうなんだよ」
「……まあ……気付きませんで……御酒(ごしゅ)はいかが様で……」
「サア。酒を飲むほど銭(ぜに)があるかどうか」
「ホホホ。御冗談ばかり。いつでも結構で御座いますわ。見つくろって参りましょうね」
「ウム。早いものがいいね。それから今のお嬢さん達もこっちへ這入って火に当らせたらどうだい。相手は俺だから構うことはない。裸体(はだか)ズレがしているルンペン様だから恥かしい事はないよ。素裸体(すっぱだか)の方が気楽でいいんだ。序(ついで)に生命(いのち)の洗濯をさしてやろう。面白い話があるんだから……」
「オホホ。あの子たちは今日お天気がいいもんですから、お客の少ない昼間のうちに申合せて着物のお洗濯をしているのですよ。その着換えが御座いませんので、仕方なしにゆもじ一つでストーブへ当っておりますところへ、先生が入(い)らっしたもんですから、ビックリして逃げて行ったので御座いますよ。ホホホ。でもねえ、まさか先生の前に裸体で出られやしませんからね、若い女ばかりですから……」
「馬鹿云え。先祖譲りの揃いの肉襦袢(にくじゅばん)が何が恥かしいんだ。俺だってこの二重マントの下は褌(ふんどし)一つの素っ裸体なんだぞ。構わないからみんなこっちへ這入らせろ」
「ホホホホホホホホホ。かしこまりました」
 女将は嬌笑しいしいイソイソとコック部屋へ引上げると間もなくポーンと瓦斯焜炉(がすこんろ)へ火の這入る音がした。この家(うち)の支那料理は女将が自身で作ると見える。序(ついで)にヒソヒソと女達へお説教をしている声がハッキリと聞えて来る。
「サアサアみんな先生の処へ行っといで。あの先生を知らないのかい。鬚野先生と云って有名な方だよ。トテモさっぱりしたお方なんだよ。弱い女や貧乏人の味方ばっかりしておいでになる福の神様なんだよ。先生に顔を見覚えて頂くだけでキットいい事があるんだよ」
「だって女将さん……」
「何ぼ何だってこのままじゃあんまりだわ」
 吾輩は隙(す)かさず立上って怒鳴った。
「ナアニ構わん構わん。そのまんまでこっちへ這入れ。お前たちと話してみたいんだ。俺が今引受けている素敵なローマンスの話をして、お前たちの意見を聞いてみたいんだ。這入れ這入れ。這入ってくれ。風邪を引くぜ」
「……ほら……ね。あんなに仰言るんだから構わないんだよ。あの先生は人間離れした方なんだから。恥かしい事なんか無いんだよ」
「さあさあイラハイイラハイ。大人は十銭、子供は五銭、ツンボは無代償(ただ)。吾輩がこれから自作の歌を唄って聞かせる。ルンペンの歌だ。裸ん坊の歌だ。昭和十年の超人の歌だ。エヘンエヘン。さあさあ這入って来たり這入って来たり。

ああああああああア
歌が聞きたけあア――野原へお出(い)でエ――
青空の歌ア――恋の歌ア――
あああああああア
生命(いのち)棄てたけア――満洲へお出でエ――
遠い野の涯エ――河の涯エ――
 アハハハハ。どうだい。いい声だろう。出て来なけあ、まだまだイクラでも唄ってやるぞ。ハハハハハ」

 ソッと聞いていた女たちが、一人一人恐る恐る眼をマン丸にして這入って来た。吾輩の歌に感心したらしく、気抜けしたような恰好で、吾輩の周囲(まわり)を取巻きながら、椅子に腰を卸(おろ)した。
 そうして一心に吾輩の姿を見上げている半裸の若い女たちの姿を見まわすと吾輩は、森の妖精(ニンフ)に囲まれた半獣神(パン)みたような気持になった。
「いい声ねえ。おみっちゃん」
「上海(しゃんはい)にだって居ないわ」
「惜しいわねえ。コンナに町をブラブラさして……ホホ」
 ……ソレ見ろ……と吾輩はすこし得意になった。イキナリ椅子から立上って山高帽を冠り直したもんだ。
「エエ。こちらはJORK東京放送局であります。只今……エート……只今午後二時二十七分から、支那料理が出来上ります。空腹のお時間を利用して、昼間演芸放送を致します。演題は『街頭歌二曲』、最初は野尻雪情(のじりせつじょう)氏作『銀座の霧』、次は南原黒春(みなみはらこくしゅん)氏作『赤い帽子』、デタラメ・レコード会社専属鬚野房吉氏作曲、自演……了々軒ストーブ前から中継放送……誰だい手をタタク奴は。
   銀座の霧
夜の銀座にふる霧は ほんに愛(いと)しや懐かしや
敷石濡らし灯(ひ)を濡らし 可愛いあの娘(こ)の瞳(め)を濡らす
夜の銀座にふる霧は ほんに嬉しや恥かしや
帽子を濡らし靴濡らし 握り合わせた手を濡らす

   赤い帽子
この世は枯れ原ススキ原 ボーボー風が吹くばかり
赤い帽子を冠ろうよオ――
赤い帽子が真実(ほんとう)の タッタ一つの泣き笑い
道化踊りを踊ろうよオ――
ああくたびれた」

「お待遠(まちどお)様。やっとお料理が出来ました。御酒(ごしゅ)は何に致しましょうか。老酒(ラオチュ)、アブサン、サンパンぐらいに致しましょうか」
「ウワア。そんなに上等の奴はイカン。第一銭(ぜに)が無い」
「オホホ。恐れ入ります。御心配なさらなくともいいんですよ。[#「いいんですよ。」は底本では「いいんすよ。」]これはJORKからのお礼ですから」
「そんなに煽(おだ)てると今度は踊りたくなるぞ」
「どうぞ今日はお願いですから御存分に皆を遊ばしてやって下さいまし。さあさあお前達は何をボンヤリしているの……お酌をして上げなくちゃ」
「アハハハ。これあ愉快だ。裸一貫のお酌は天(あま)の岩戸(いわと)以来初めてだろう」
「妾(わたし)にもお盃を頂かして下さい」
「オイ来た。ところでお肴(さかな)に一つ面白い話があるんだが聞かしてやろうか」
「相済みません。先生にお酌を願って……どうぞ伺わして下さい」
「ウム。スレッカラシの君が聴いてくれるとあればイヨイヨありがたい。アハハ、憤(おこ)るなよ。スレッカラシというのは世間知りという意味だよ」
「面白いお話って活動のお話ですか」
「そんなチャチなんじゃない。ありふれた小説や芝居とは違うんだ。みんな現在、お前さんたちの眼の前で……この吾輩の椅子の上で進行中の事件なんだ。しかも、そこいらの活動のシナリオよりもズット面白い筋書が現在こうして盃を抱えながら進行しているんだから奇妙だろう――」
「まあ。それじゃ妾たちもその事件の中で一役買っているので御座いますか」
「もちろんだとも。しかもその筋書の中でも一番重要な役廻りを受持って、これから吾輩を主役としたスバラシイ場面を展開すべく、タッタ今活動を始めたばかりなんだ。モウ逃げようたって逃げる事が出来なくなっているんだ」
「まあ。否(いや)で御座いますよ先生、おからかいになっちゃ……気味の悪い……」
「イヤ。断然、真剣なんだ。まあ聞け……コンナ訳だ」
 吾輩はそこで今朝(けさ)からの出来事を出来るだけ詳しく話して聞かせた。
「どうだい。みんなわかったかい。だから詰まるところこうなるんだ。今度の事件は一切合財、みんな偶然の出鱈目(でたらめ)ばかりで持ち切っているんだ。吾輩が断髪令嬢の御秘蔵の犬と知らずに掻(か)っ払(ぱら)ったのも偶然なら、その犬を断髪令嬢の恋敵(こいがたき)の医学士の所へ持って行って売付けたのも偶然だ。しかもその犬が世界に二匹と居ない名犬だったのも偶然なら、その犬が肺病の第三期にかかったのも偶然。そこへ羽振医学士が又、偶然に来合わせて、吾輩が振りまわす拳固(げんこ)を高い鼻の頭で受け止めたのも偶然だ。つまるところ、そこに神様の思召(おぼしめし)が働いているに違いないと思うんだが、ドウダイ議員諸君……」
 議員諸君が顔と顔を見合わせ始めた。
「まあ……羽振っていう人は、あのウチへ来る医学士さんじゃないの……男ぶりのいい……ねえ女将(おかみ)さん」
「あのバレンチノさんよ。ね、お神さん。キットそうよ」
 女将が眼を白くして首肯(うなず)きながら襟元を突越した。椅子の上から一膝(ひとひざ)進めた。
「まあ。只今の先生のお話は、みんな本当で御座いますの」
「何だ。今まで作りごとだと思って聞いていたのかい」
「……ド……どこに居りますの。その医学士は……憎らしい」
「オットット、そう昂奮するなよ。何も直接にお前たちと関係のある話じゃないだろう」
「それが大ありなんですよ、馬鹿馬鹿しい」
 と女将が大見得(おおみえ)を切った。
「ふうん。女将さんと関係があるのかい」
「あるどころじゃないんですよ、阿呆(あほ)らしい。あの羽振といったらトテモ非道(ひど)いカフェー泣かせなんですよ。男ぶりがいいのと、医学士の名刺に物をいわせて、方々のカフェーを引っかけまわって、この家(うち)にだっても最早(もう)、二百円ぐらい引っかかりがあるんですよ。新店(しんみせ)だもんですから、スッカリ馬鹿にされちゃったんですよ。口惜しいったらありゃしない」
「フーム。そんな下等な奴だったのかい、アイツは……そんならモット手非道(てひど)く頬桁(ほおげた)をブチ壊してやれあよかった」
「そして……ド、どこに居るんですか」
「多分、耳鼻咽喉科かどっかに入院しているだろう」
「……あたし行って参りますわ。直ぐそこですから……ちょっと失礼……」
「ちょっと待て……」
「いいえ、棄てておかれません。今まで何度となく勘定書を大学に持って行ったんですが、どこに居るかサッパリわかりませんし……タマタマ姿を見付けても案内のわからない教室から教室をあっちへ逃げ、こっちに隠れしてナカナカ捕まらないのですよ。入院していれあ何よりの幸いですから……ちょっと失礼して行ってまいります」
「ま……ま……待て……待てと云ったら……いい事を教えてやる。確実に勘定の取れる方法を教えてやる。アイツは現金なんか持ってやしないよ」
「それはそうかも知れませんわねえ」
 女将は、すこし張合抜けがしたように椅子へ引返した。
「それよりもねえ、彼奴(あいつ)の親父の処へ勘定を取りに行くんだ」
「まあ。彼奴の家(うち)を御存じですの……それがわからないお蔭で苦労しているんですよ。誰なんですか一体、羽振さんの親御さんは……」
「知らないのかい」
「存じませんわ。教えて下さいな」
「あの有名な貴族院議員さ」
「まあああああ――アアア」
 五六人の女が部屋の空気を入れ換えるくらい大きな溜息をした。そのマン中に女将は頭を下げた。
「ありがとう御座います鬚野先生……ありがとう御座います。それさえ解れば千人力……」
「ま……ま……まあ早まるな。相手の家はわかっても、なかなかお前たち風情(ふぜい)が行って、おいそれと会ってくれるような門構えじゃないよ。万事は吾輩の胸に在る。それよりも落付いて一杯注(つ)げ……ああいい心持になった。どうも婆(ばばあ)のお酌の方が実があるような気がするね」
「お口の悪い。若い女でも実のあるのも御座いますよ。ここに並んでおります連中なんか、上海でも相当の手取りですからね」
「アハハハ。あやまったあやまった。お見外(みそ)れ申しました。イヤ全くこんな酒宴(さかもり)は初めてだ」
「日本は愚か、上海にも御座いませんよ」
「ところでどうだい。最前からの話の筋の中で、羽振医学士の方は、吾輩の拳骨一挺で簡単に型が付いた訳だが、今一人居る断髪令嬢の許嫁(いいなずけ)の小伯爵、唖川歌夫の方はドウ思うね、諸君。その親孝行の断髪令嬢のお婿(むこ)さんに見立てて、差支え無いだろうか。吾輩は赤ゆもじ議員諸君の御意見通りに事を運びたいのだが……」
「ほんとに貴方は神様みたいなお方ですわねえ。何もかも見透して……」
「ところが、今度の事件に限って吾輩は、すこし取扱いかねているのだ。未だその断髪令嬢の涙ながらの話を聞いただけなんでね。唖川小伯爵がドンナ人間だか一つも知らずにいるんだ。そこへ取りあえず羽振医学士にぶつかって、コイツはイケナイと気が付いたから、筋書の中から叩き出してしまった訳なんだが、しかし、これから先がどうしていいかわからないので困っているんだ」
「まったくで御座いますわねえ、わたくし共でも、見当が付きかねますわ」
「ウム。だから実は君等にこうして相談してみる気になったもんだがね、一つ考えてくれよ。いいかい。この吾輩が詰まるところ運命の神様なんだ。そうして君等の指図通りにこの事件の運命を運んでみようと思ってこうして相談を打(ぶ)っているんだ。ドンナ無理な筋書でも驚かない。ドンナ無鉄砲な場面でも作り出して見せようてんだから、一つ大いに意見を出してもらいたいね」
「……センセー……ホントに妾(わたし)たちの考え通りにして下さる?」
 吾輩の横に腰をかけていた一番若い、美しい、切前髪(きりまえがみ)の娘が瞳(め)を光らして云った。
「するともするとも。キットお前達の註文通りに筋書を運んで見せるよ。実物を使って実際に脚色して行くという斬新奇抜、驚天動地の世界最初の実物創作だ。喜劇でも悲劇でもお望み次第に実演させて見せる……」
「でもねえ先生……」
 女将の横に居る肥(ふと)っちょの一番肉感的な女が、細長い眉を昂(あ)げて、薄い唇を飜した。
「あたし疑問が御座いますわ」
「あたしもよ……どうも初めっからお話が変なのよ」
「あら、あたしもよ」
「ほう、みんな吾輩の話に疑問があるって云うんだな。ふうむ、面白い。念のために断っておくが、俺はチットばかりアルコールがまわりかけている。しかしイクラ酔っ払っても、話を間違えた事は一度も無い男だぞ」
「アラ、先生。そうじゃないんですよ。先生のお話がヨタだなんて考えてるんじゃありませんわ。先生のお話が真実百パーセントとして聞いても、あたし達の常識が受け入れられないところがあるから……」
「ウワア、こいつは驚いた。恐しく八釜(やかま)しいのが出て来た。何かい、君は弁護士試験か、高文試験でも受けた事があるのかい」
「そんなことありませんわ。これだけ五人でお給金を貯(た)めて上海の馬券を買って、スッカラカンになったことがあるだけですよ」
「イヤ、これはどうもオカカの感心、オビビのビックリの到りだ。君等にソレだけの見識があろうとは思わなかった」
「まったくこの五人は感心で御座いますよ。上海でこの店が駄目になりかけた時に、五人が腕に撚(より)をかけて、旦那を絞り上げて日本へ帰る旅費から、この店を始める費用まで作ってくれたので御座いますよ」
「……吾輩……何をか云わんやだ。この通りシャッポを脱ぐよ。君等こそプロレタリヤ精神の生(き)ッ粋(すい)だ。日本魂の精華だ。人間はそうなくちゃならん。その精神があれば日本は亡びてもこの了々亭だけは残るよ」
「そんな事どうでもいいじゃありませんか先生。それよりも今のお話ですね」
「うんうん。どこが怪しい」
「怪しいって先生……その唖川歌夫っていう人も、いい加減気の知れない人ですけど、そのコンクリート市会議員の断髪令嬢っていうのが、一番怪しい人物だと思いますわ」
「ふうむ。これは驚いた。何で怪しい。この事件の女主人公(ひろいん)が怪しいとは言語道断……」
「あたし久し振りに日本に帰って来たんですから、今の女の人の気持はよくわかりませんけどね、ソンナに内気な親孝行な人が、そんな年頃になるまで断髪しているものでしょうか……許嫁の人から貰った犬が居なくなったといって泣くような人が……」
「フウウム、これは感心したな。ナカナカ君等の観察は細かい。そこまでは考えなかった」
「ええ、きっと眉唾もんよ、そのお嬢さんは……」
「あたし日本の断髪嬢嫌いよ、テンデ板に附いていないんですもの。汚ない腕なんか出して……」
「アハハ、これあ手厳しい」
「当り前よ。腕を出すんなら子供の時分から腕を手入れしとかなくちゃ駄目よ。イクラ立派な肉附きの腕だっても、葉巻のレッテルみたいな種痘(ほうそう)のアトが並んでいたり、肘(ひじ)の処のキメが荒いくらいはまだしも、馬の踵(かかと)みたいに黒ずんで固くなって捻(つね)っても痛くも何ともないナンテいう恐ろしいのを丸出しにしているのは、国辱以外の何ものでもアリ得ないと思うわ」
「ヒヤア、これは恐れ入った。国辱国辱、正に国辱。銀座街頭の女はみんな落第だ」
「上海の乞食女(やち)にだってアンナのは一人も居やしないわ。どんな男でもあの肘の黒いトコを見たら肘鉄(ひじてつ)を喰わない中(うち)に失礼しちゃうわ」
「断髪だってそうよ。櫛目のよく通る日本人の髪を切るなんてイミ無いわ」
「まあ待て待て。脱線しちゃ困る。ほかの断髪嬢ならトモカク、あのテル子嬢の断髪なら、お母さん譲りだけあってナカナカ板に附いているぞ」
「おかしいわねえ。そんなお母さんだったら娘さんはイヤでも反感を起して日本髪に結(ゆ)うものだけど……妾(わたし)ならそうするわ」
「ちょいと先生。その伯爵様っていうのも妾、何だか怪しいと思うわ。先生のお話の通りだったら」
「フウン。容易ならん事がアトカラアトカラ持上って来るんだな、これあ。どこが怪しい、名探偵君……」
「だって、そんな冷淡な許嫁なんか恋愛小説にだって無いわ。せいぜい一日に一度ぐらいは訪ねて来なくちゃ嘘よ」
「それにねえ先生。その断髪令嬢のお父さんのコンクリート氏が引っぱられてからというもの、一度もそのお河童(かっぱ)さんの処に訪ねて来ないなんて、よっぽどおかしいわ」
「ねえ先生。これを要するにですねえ、先生」
 女将はボオッと来ているらしい。しきりに舌なめずりをして眼を据えた。
「ウフウフ。これを要しなくたっていいよ」
「いいえ。是非ともこれを要する必要が御座いますわ。どうも先生の仰言(おっしゃ)る実物創作の筋書っていうのは、カンジンの材料(テーマ)が二割引だと思いますわ」
「ヒヤッ。材料(テーマ)とおいでなすったね。どこでソンナ文句を仕入れたんだい」
「あたしの二代前の亭主が小説家だったんですもの。自然主義の大将とか何とか云われていたんですけど、創作なんか一度もしないで、実行の方にばかり身を入れちゃって、とうとう行方知れずになったんですからね。材料(テーマ)って言葉は、その悲しい置土産なんですの」
「ふむ。自然主義なら吾輩にもわかるが、とにかくこの創作を完成しなくちゃ話にならん」
「駄目よ先生。そんな創作無いわよ。モウすこし人物を掘下げてみなくちゃ。中心になっているお河童さんの恋愛だって、本物だかどうだか知れたもんじゃないわ」
「ウーン。そういえば何だか吾輩も不安になって来た。一つ探偵し直しに行ってみるかな」
「どこから探偵し直しをなさるの」
「さあ。そいつが、まだ見当が附いていないんだ。もう一度あのお河童令嬢に会ってもいい。犬のお悔みを申上げてお顔色拝見と出かけるかな」
「駄目よお、先生。又欺(だま)されに行くだけよ。第一印象でまいっていらっしゃるんですからね、先生は……」
「ねえ先生。思い切って小伯爵のお父さんか、お母さんに会って御覧になってはどうでしょう。そうして何も彼(か)も打明けて、意見を聞いて御覧になっては如何(いかが)でしょう」
「よし。それじゃ方針がアラカタきまったから出かける事にしよう」
「まあお待ちなさいよ。そんな恰好で入(い)らっしたって会えやしませんよ。伯爵なんてシロモノは……今電話をかけて来ますから……自動車を奢(おご)って上げますからね」
「エッ。自動車を奢る?」
「ええ。羽振の居所を教えて下すった、お礼ですよ。……まあ聞いていらっしゃい」
 女将が何かしらニコニコ笑って立上った。コック部屋の横の帳場に坐り込むと、電話帳を調べてから念入りにダイヤルをまわした。
 特別に品のいいオリイブ色の声を出した。
「モシモシ、モシモシイ。唖川伯爵様のお宅でいらっしゃいますか。ハイハイ、コチラはねえ、アノこちらはねえ、大学前の自働電話で御座いますがねえ……ハイハイ。私はねえ、唖川様の若様を存じ上げております女で御座いますがねえ……」

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