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花嫁の訂正(はなよめのていせい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 8:40:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 

 B夫婦が、A夫婦の泊っている海岸の宿屋についたのは、もう大分遅かったので、四人は極く短い時間を談笑してからそれぞれの部屋に寝た。
 翌朝、起き抜けに、Bの細君はAに案内を頼んで、浜辺へ散歩に出た。
 濃い朝霧の中に、上天気の朝日のさしている砂丘に並んで腰を降ろして、Bの細君は昨日の汽車の中のことをすっかり話した。
 Aは果して狼狽した。
「僕は、もう当分あなた方に会うまいと思って此処へ来たのだったに!」
「奥さんは、御存知なのですか?」
「僕が残らず喋ってしまったんです。けれども、彼女は何もかも仕方がないと云ってゆるしてくれました。そして、此処へ着くとすぐ自分が勝手にあなた方へ手紙を書いたのです。」
「お互に覚悟を決めようじゃなくって? あたしあなたとなら海へ飛び込むことも出来ますわ。」
「Bは僕を卑怯者だと云ったのですか?」
「あの人は、少しでも曲ったことを許して置けない性分なの。それに、冷静に計画を遣り遂げることが出来ると云っていました。」
「僕は、これ以上卑怯者と譏(そし)られないために、もう逃げ隠れはしません。Bが僕に復讐を決心したのなら、平気でそれを受けて見せます。」
「――あたしたちは、お互に、未だ結婚してから一月と経たないのよ。それだのに!……なぜ、神さまは、最初にあたしとあなたとを会わせて下さらなかったのでしょう。……」
 二人は抱き合って、今更ながら余りに理不尽と思える運命のからくりを嘆いた。それから昔のけなげな恋の受難者たちのように、最後迄勇気を失さぬことを誓い合って、砂丘を降りた。
 朝食が済んだ後で、霧がはれて、海がギラギラ青い鋼鉄(はがね)色に煌きはじめると、二組の夫婦はそろって海水浴に出かけた。
 Bは何事も云い出しそうな素振りを見せなかった。むしろ、皆の中で一番気楽そうに振舞った。それでも、他の誰とよりも、やはりAの細君と口数多く喋った。
「Bさん、お家にいらしても、こんなにお元気? Aをごらんなさい。どうしたわけか、あんなに悄げています。まるであべこべね……」
 そう云ってAの細君が笑った。
「Aは屹度海が怖いのでしょうよ。」とBが答えるのであった。
「尤も、僕なんかでも、ひどく自然の姿に恐怖を感ずることがありますがね。人間の卑屈な知恵や小力が、どう悪あがきしても侮[#底本では【悔】と誤記]り難い強大な意志に圧迫されるのでしょうな。……」
 Aは、それを聞いて苦笑いをしたが、直ぐに歯をギリギリ音を立てて噛み鳴らした。
 やけた砂の上に足を投げ出しながら、Bは自分の細君に何気ない調子で訊ねた。
「Aに、例のことを話したのかね?」
「ええ――」Bの細君は思わず頬を硬ばらせた。
「ふむ――」
 BはそこでAの方を振り向いて云った。
「A。君とはあんまり泳いだことがないが、どの位泳げるんだ?」
「そうだな。子供の時分なら相当泳げた方だが、併しそれも大てい河ばかりで泳いだものだ。」
「それなら確だ。どうだ、一つ遠くへ出て見ようじゃないか?」
「うむ。――」
 Aが応じて立ち上がりかけると、その途端にAの細君の足がAの目の前に延びた。Aは彼女の白い足裏に、焚火の残りの消炭か何かで黒く、(アブナイ!)と書かれてあるのを認めた。だが、彼は躊躇してはいなかった。
 二人は肩をそろえて沫を切りながら、沖を目がけて泳いだ。やがて安全区域の赤い小旗の線を越した。沖の方の水は蒼黒く小さい紆りを立てていて、水温も途中から俄かに変って肌がピリピリする程だった。Bは脇目もふらずに無表情な頤を波の上につき出して進んで行った。Aは実際は、それ程水練に熟練していなかったので、間もなく手足に水の冷たさが堪(こた)えた。そして、だんだん草臥れて、息が乱れて来るのがわかった。だが、弱音を吐かずに我慢しなければならなかった。初めの中こそ二人並んでいたのだが、直きにBは可なりの距離を残してAの先に立った。決して、蒼ざめ果て顔を引歪めているAの方を振り返って見なかった。Aはその中に、幾度か塩水を飲み込んで噎せた。そして到頭、右の脚をこむら[#「こむら」に傍点]返りさせて、ぶくぶく沈みはじめた。
 Aの叫び声を聞いて、たちまちBは引き返して来ると、浪の下にもみこまれているAの腕を危く掴まえて浮んだ。そして折よく近くにい合せた小舟に救い上げてもらった……
 Aが、宿屋の床の中で、はっきり吾に返った時、枕元について看護していたのは、Bの細君一人だけだった。
「僕は、どうして助かったのですか?」
「Bが助けました。」
「…………」
「Bは大へん心配していました。あなたに、人のいないところで泳ぎながら、あのお話をするつもりだったのですって。」
「うちの女房はどうしたでしょう?」
「奥さんは何も御存知ないの。あなた方が泳ぎはじめると、直ぐに『眩暈がする』と仰有って、宿に戻ったのですけれど、それっきり皆を置いてきぼりにして家へ帰ってしまったらしいの。帳場で聞いたら、ただあなたに『急に思い出したことがあるから――』と云うお言伝だったそうです。」
「Bは?」
「自分の部屋にいます。」
「呼んで来てくれませんか。」
 Bの細君は、Bを呼びに立ったが、直き一人で、右手に黒いガラスの小壜を持って引返して来た。
「Bも帰ってしまいました!――」と彼女は震え声で、やっとそれだけ云った。
「何とも断らないでですか?」
 彼女は點頭(うなず)いて、黒いガラス壜を差し出して見せた。小いさな髑髏(どくろ)の印のついたレッテルに、赤いインキで(空虚の充実。お役に立てば幸甚!)と書かれてあった。
 二人は容易にその意味を理解した。そしてその夜、壜の中の赭黒い錠剤を一個ずつ飲んで、天の花園へ蜜月旅行に旅立つために、二人はあらためて、花嫁となり花婿となった。……だが、何時間経っても、ただ一度Aが苦い※気を出した以外に、薬の効き目はあらわれなかった。夜が明けかけても、二人の男女は少しも悪い容体にならずに、現世(このよ)に存(ながら)えている。Aは到頭我慢が出来なくなって、もう一度薬を飲むことにした。併し、三錠目は壜の中にパラフィン紙がつまっていて、なかなか出て来なかった。マッチの棒を使って漸くパラフィン紙ごと出してみると、今度は白い錠剤だった。
「これが本物らしい。屹度、さっきのは解毒剤だったのかも知れませんね。」と男が云った。
 女は白い錠剤を手の掌に載せて眺めていたが、やがて長い溜息と一緒に首を振った。
「ここにアスピリンと書いてあってよ――」
 こころみに噛んで味ってみる迄もなく、なる程アスピリンに違いなかった。Aは偶と、パラフィン紙の皺を伸ばしてみた。すると、それには鉛筆でこう書いてあった。
「――刃物、縊死、鉄道往生、その他いろいろ自殺の方法を、このあまりに感情的だった動物は考え出した。だが、まあ、君たちが飲んだ亜刺此亜(アラビヤ)風の薬の効き目はあらたかだったに違いないと信ずる。……さあ、直ぐに君たちの祝福された住居へ帰って来たまえ。(ねつさましなど飲む必要はないよ。)」

 

 半信半疑の気持で、二人が帰ってみると、先に帰っていた二人が仲よく肩を押し並べて彼等を迎えた。
「ねえ、Aの奥さん。あなた方の新家庭の飾りつけは、もう今朝の中に、あたし共がして置きましたわ――」とBの細君に向って、Aの細君が云うのであった。
「まあ!」
 Aの家の中には、これ迄そこに見慣れた女主人の持ち物と入れ代りに、もとBの家に飾ってあった女の道具が残らずキチンとそれぞれの場所に、新しい女主人を待ち受けていたではないか。
「ねえ、Aの奥さん。うちの先生はあなたとAさんと、タンゴ・ダンスを踊るのが見たいんですって?」
「まあ、いやですわ。Bの奥さんたら。あたしたちこそ、あなたの先生の優しい助手振りを拝見させて頂きたいものよ。」
 と云う工合に、彼女たちの接頭詞が互に入れ違ってしまったのである。
「どうだね、これで魚は水に、蝶は花に棲めるわけだ。君も満足だろう。」とBは親しげにAの肩を敲いて云った。
「ああ! 君には何とお礼を云っていいのかわからないよ。」Aは古い友人の親切に全く感激していた。「こんな僕の我儘をこれ程まで寛大に許してくれるなんて!」
「我儘を許す? 莫迦云っちゃいかん。これが正しい生活さ。我々は、ちょっとした間違いでも、気がついたなら即座に訂正しなければならないのだ……」
 彼等は、さてそれから、楽しい新婚祝賀の晩餐会を開いて、夫々の新しい幸福の永遠性を祈った。



底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
   1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」1929年9月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
ファイル作成:もりみつじゅんじ
1999年9月14日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

苦い※気

第3水準1-15-23

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