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湯ヶ原より(ゆがわらより)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 9:11:45 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


『おきぬさんは最早もうませんよ、』とてゝばた/\とげてつた。あはれなるかな、これがぼく失戀しつれん弔詞てうじである! 失戀しつれん?、失戀しつれんいてあきれる。ぼくこひしてたのだらうけれども、ゆめに、じつゆめにもおきぬをどうしやうといふことはなかつた、おきぬた、ぼくくからずおもつてたらう、けつしてそれ以上いじやうのことはおもはなかつたにちがひない。
 ところ其夜そのよ女中ぢよちゆう[#「女中ぢよちゆう」は底本では「女中ぢうちゆう」]どもがぼく部屋へやあつまつて、宿やどむすめた。おきぬはなして、おきぬ愈々いよ/\小田原をだはらよめにゆくことにまつた一でうかされたときぼく心持こゝろもちぼく運命うんめいさだまつたやうで、今更いまさらなんともへぬ不快ふくわいでならなかつた。しからば矢張やはり失戀しつれんであらう! ぼくはおきぬ自分じぶんもの自分じぶんのみをあいすべきひとと、何時いつにか思込おもひこんでたのであらう。
 土産物みやげもの女中ぢよちゆうむすめ分配ぶんぱいしてしまつた。彼等かれらたしかによろこんだ、しかぼくうれしくもなんともない。
 翌日よくじつあめあさからしよぼ/\とつて陰鬱いんうつきはまる天氣てんき溪流けいりうみづしてザア/\と騷々さう/″\しいこと非常ひじやう晝飯ひるめし宿やどむすめ給仕きふじて、ぼくかほわらふから、ぼくわらはざるをない。
貴所あなたはおきぬひたくつて?』
可笑をかしいことひますね、昨年さくねんあんなに世話せわになつたひとひたいのは當然あたりまへだらうとおもふ。』
はしてげましようか?』
難有ありがたいね、何分なにぶんよろしく。』
明日あしたきつとおきぬさんうちますよ。』
たらよろしく被仰おつしやつください、』とぼく眞實ほんたうにしないのでむすめだまつてわらつてた。おきぬ此娘このむすめ從姉妹いとこどうしなのである。
 午後ごゝんだがれさうにもせずくもふようにしてぶ、せまたに益々ます/\せまくなつて、ぼく牢獄らうごくにでもすわつて坐敷ざしきすわつたまゝこともなく茫然ぼんやりそとながめてたが、ちらとぼくさへぎつてまた隣家もより軒先のきさきかくれてしまつたものがある。それがおきぬらしい。ぼくそとた。
 いしばかりごろ/\した往來わうらいさびしさ。わづかに十けんばかりの温泉宿をんせんやど其外そのほかの百姓家しやうやとてもかぞえるばかり、ものあきないへじゆんじて幾軒いくけんもない寂寞せきばくたる溪間たにま! この溪間たにま雨雲あまぐもとざされてものこと/″\ひかりうしなふたとき光景くわうけい想像さう/″\たまへ。ぼく溪流けいりう沿ふてこのさびしい往來わうらいあてもなくるいた。ながれくだつてくも二三ちやうのぼれば一ちやう其中そのなかにペンキで塗つたはしがある、其間そのあひだを、如何どん心地こゝちぼくぶらついたらう。温泉宿をんせんやど欄干らんかんつてそとながめてひとしさうな顏付かほつきをしてる、軒先のきさき小供こどもしよつむすめ病人びやうにんのやうで小供こどもはめそ/\といてる。陰鬱いんうつ! 屈托くつたく! 寂寥せきれう! そしてぼくには何處どこかに悲慘ひさんかげさへもえるのである。
 おきぬには出逢であはなかつた。あたまへである。ぼくその翌日よくじつしさうなそらをもおそれず十國峠じつこくたうげへと單身たんしん宿やどた。宿やどものそうがゝりでめたがかない、ともれてけとすゝめても謝絶しやぜつやまくもなかぼくくものぼつもりで遮二無二しやにむにのぼつた。
 ぼく今日けふまでんな凄寥せいれうたる光景くわうけい出遇であつたことはない。あししたから灰色はひいろくもたちまあらはれ、たちまえる。草原くさはらをわたるかぜものすごくつてみゝかすめる、くも絶間絶間たえま/\からえるもの山又山やままたやま天地間てんちかんぼくにんとりかず。ぼくしばらく絶頂ぜつちやういしつてた。このときこひもなければ失戀しつれんもない、たゞ悽愴せいさうかんえず、我生わがせい孤獨こどくかざるをなかつた。
 歸路かへり眞闇まつくらしげつたもりなかとほときぼくんなことおもひながらるいた、ぼくあしべらして此溪このたにちる、んでしまう、中西屋なかにしやではぼくかへらぬので大騷おほさわぎをはじめる、樵夫そま※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)やとふてぼくさがす、このくら溪底たにそこぼく死體したいよこたはつてる、東京とうきやう電報でんぱうつ、きみ淡路君あはぢくんんでる、そしてぼくかれてしまう。天地間てんちかん最早もはや小山某こやまなにがしといふかきの書生しよせいなくなる! とぼくおもつたときおもはずあしとゞめた。あたまうへ眞黒まつくろしげつたえだからみづがぼた/\ちる、墓穴はかあなのやうな溪底たにそこではみづげきしてながれるおとすごひゞく。ぼくのよだつをかんじた。
 死人しにんのやうなかほをしてぼくかへつてたのをて、宿やどもの如何どんなにおどろいたらう。其驚そのおどろきよりもぼくおどろいたのは此日このひきぬたが、午後ごゝまた實家じつかかへつたとのことである。
 其夜そのよからぼくねつ今日けふ三日みつかになるが快然はつきりしない。やまのぼつて風邪かぜいたのであらう。
 きみよ、きみいま時文じぶん評論家ひやうろんかでないから、この三日みつかあひだとこなか呻吟しんぎんしてときかんがへたことをいてれるだらう。
 こひちからである、ひと抵抗ていかうすることの出來できないちからである。此力このちから認識にんしきせず、また此力このちからおさるとおもひとは、此力このちかられなかつたひとである。その證據しようこにはかつこひめにくるしもだえたひとも、ときつて、普通ふつうひととなるときは、何故なにゆゑ彼時あのとき自分じぶんこひめにくまで苦悶くもんしたかを、自分じぶんうたがうものである。すなはかれこひちかられてないからである。おなひとですら其通そのとほり、いはんやかつこひちかられたことのないひと如何どうして他人たにんこひ消息せうそくわからう、そのたのしみわからう、其苦そのくるしみわからう?。
 こひまよふをわらひとは、あやしげな傳説でんせつ學説がくせつまよはぬがよい。こひひと至情しゞやうである。この至情しゞやうをあざけるひとは、百萬年まんねんも千萬年まんねんきるがい、御氣おきどくながら地球ちきうかはたちま諸君しよくんむべくつてる、あわのかたまり先生せんせい諸君しよくんぼく諸君しよくんこの不可思議ふかしぎなる大宇宙だいうちうをも統御とうぎよしてるやうな顏構かほつきをしてるのをると冷笑れいせうしたくなるぼく諸君しよくんいますこしく眞面目まじめに、謙遜けんそんに、嚴肅げんしゆくに、この人生じんせいこの天地てんち問題もんだいもらひたいのである。
 諸君しよくんこひわらふのは、畢竟ひつきやうひとわらふのである、ひと諸君しよくんおもつてるよりも神祕しんぴなる動物どうぶつである。ひとこゝろ宿やどところこひをすらわらふべくしんずべからざるものならば、人生じんせいつひなんあたひぞ、ひとこゝろほど嘘僞きよぎものいではないか。諸君しよくんにしてし、月夜げつやふえいて、諸君しよくんこゝろすこしにても『永遠エターニテー』のおもかげうつるならば、こひしんぜよ。し、諸君しよくんにして中江兆民なかえてうみん先生せんせいどうしゆであつて、十八零圍氣れいゐき振舞ふりまはして滿足まんぞくしてるならば、諸君しよくんなん權威けんゐあつて、『はるみじかなに不滅ふめついのちぞと』云々うん/\うたひと自由じいう干渉かんせふるぞ。『わかときは二はない』としようしてあらゆる肉慾にくよくほしいまゝにせんとする青年男女せいねんだんぢよ自由じいう干渉かんせふるぞ。
 内山君うちやまくん足下そくか此位このくらゐにしてかう。さてかくごとくにぼくこひ其物そのもの隨喜ずゐきした。これは失戀しつれんたまものかもれない。明後日みやうごにちぼく歸京きゝやうする。
 小田原をだはらとほときぼく如何どんかんがあるだらう。

小山生





底本:「定本 国木田独歩全集 第二巻」学習研究社
   1964(昭和39)年7月1日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1995(平成7)年7月3日増補版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年11月7日公開
2004年7月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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