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歴史ある町で古い橋を渡る時、これまでに行き交った人々の足音を聞くような思いがする。イタリアの古都フィレンツェで、「古い」橋を意味するベッキオ橋に立ち、ざっと500年前のルネサンス期を代表する3人の姿を想像したことがあった。
漫步走过历史名城的古桥时,常有仿佛听到了往昔那过往行人们的脚步声的感觉。我曾在意大利的古城佛罗伦萨,站在那“古”桥之意的贝奇欧桥上,想象过堪称500年前那场文艺复兴之代表的三杰的英姿。
「一五〇四年秋、二一歳のラファエッロが青雲の志を抱いてフィレンツェを訪れたとき、五二歳のレオナルドは『モナ・リザ』に霊筆をふるい、三〇歳になんなんとするミケランジェロは巨像『ダヴィデ』を仕上げたところであった」(佐々木英也監修『NHKフィレンツェ・ルネサンス』)。ラファエロは2人の巨匠の作品に学び、優美で流麗な独自の作風をつくり上げてゆく。
“1504年秋,年仅21岁的拉斐尔胸怀青云之志来到佛罗伦萨之时,52岁的列奥那多正挥动神笔描绘《蒙娜丽莎》,年满30的米开朗琪罗则刚刚完成他的巨型雕塑《大卫》”。(佐佐木英也主编《NHK佛罗伦萨·文艺复兴》)。拉斐尔通过对这2位巨匠的作品的揣摩学习,创出了自己独特的优美流丽的风格。
ラファエロは1483年の今日4月6日、中部イタリアのウルビーノに画家の子として生まれた。今、町には「ラファエロの生家」という建物がある。部屋が連なっていて日本なら邸宅の部類だ。絵の具を調合したという石の台や古びた井戸もあり、幼いころの画家に思いをはせることができる。
拉斐尔于1483年的今天,4月6日,出生在意大利中部城市乌比诺的画家之家。如今,在那里仍有一座被称作“拉斐尔出生之家”的建筑。那建筑房廊相连,要在日本则属豪门宅邸了。有据说调过颜料的石台以及幽深古井,颇能引发人们对少年画家的想象。
フィレンツェで開花したラファエロは法王庁に認められ、バチカンの壁画も描いた。「アテネの学堂」という絵では、ギリシャの哲学者らの群像の中にレオナルドとミケランジェロの肖像を描き入れた。
在佛罗伦萨崭露头角的拉斐尔得到了教皇的赏识,他还为梵蒂冈画了壁画。在那幅名为《雅典学院》的画中,他将列奥那多和米开朗琪罗肖像画入了希腊哲学家之中。
彼自身は隅の方につつましげに顔をのぞかせている。「先輩」の技を学び、あるいは盗んで大成したことを感謝しているかのようだ。新年度が始まった日本でも、そんな幸せな出会いが多くあるといい。
他也让自己在画的一个角落里神态谦恭地探出头来。似乎因自己向“前悲”学或偷技有成而在表示感谢。在新年度已经开始的日本,这样的动人的相遇相知也可谓多多益善。
1520年の誕生日にあたる4月6日、37歳で他界した。
1520年的4月6日,正值生日的那一天他去世了,年仅37岁。 |