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三角形の恐怖(さんかくけいのきょうふ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 16:21:32  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第1巻 遺言状放送
出版社: 三一書房
初版発行日: 1990(平成2)年10月15日
入力に使用: 1990(平成2)年10月15日第1版第1刷

 

それじゃ今日は例の話をいよいよすることにしますかな。罪ほろぼしにもなりますからね。そうです。罪ほろぼしです。私の若い時のね。いや艶っぽいことなんか身に覚えはありませんから、アテられるなんて事はありませんよ。それは罪は罪だと思いますよ、今でもね。そうです、もう二十年も昔になりましょうか。先帝陛下が御崩御になって中野なかのの先の浅川あさかわ御陵ごりょうが出来た頃の話なんですよ。
 その当時私はW大学へ通っていました。随分若こうござんしたよ。今見たいにこんなにデクデク肥っちゃいませんが、中肉中背という奴で頬っぺたも赤くて、桜のつぼみかなんぞのように少しふくらんでいましたよ。くなった姉のお友達に電車の中なぞで行き合うと、
宗夫むねおさんはいつ見てもコドモさんですわねえ」
 となつかしがられたものですよ。やあこんな風なことは言わない御約束でしたね。これは失敬。
 其のころ私の家は東中野にありました。中野の辺を省線電車で通りますと、淀橋の瓦斯ガスタンクより右の方へ三十度ばかりかたむいたところにこんもりとした森が見えますが、あの森のぐ下でした。御承知の通り関東一帯に特有な大きい杉の森でして、近所では他のどこの場所よりも高いこずえを持っていまして、遠方から見ると天狗てんぐの巣でもありやしないかと思われる位でした。私の家は、そのとうの森と呼ばれる真暗な森と、玉川上水のあとである一筋の小川をへだてて向い合っていました。どっちかと言うと一寸陰気な、そして何となく坊主頭ぼうずあたまに寒い風が当るともいったような感じのするところでした。
 ですから学校に居る間は大学生の中にもこんなふざけ方をして喜んでいる無邪気な奴が居るかと思われるように陽気ようきに振舞っていましたが学校がすんでから電車を東中野駅で捨てて、それから家まで五六丁ほどの道のりを歩いて行くうちにいつとはなく考え込んでしまうのです。帰って来て小川のふちに立ちかぶさるようにひろがった塔の森を仰ぐと今までの快活が砂地に潮がひくかのようにすっと消えてしまって、眼の下に急に黒いくまが出来たような気になるのでした。
 そうなるといつまでも黙りむっつりとして其の日教わって来た数学の定理の証明を疑ってみたり、其の頃流行の犯罪心理学の書物に読みふけったり、啄木ばりの短歌を作ったりしていました。
 そんな調子の生活の中から私は遂に一つのトピックスをみつけ出したものです。それは例の犯罪心理学の書物と、自分の勉強している数学との両方から偶然に醗酵して来たものであったのです。私の考えでは人間が脅迫きょうはくの観念に襲われる場合に其の対象となるものは、平常其の人間がついうっかり忘れていたとか、気をつけていなかったものに偶然注意が向けられた結果、急に其のものに対する注意が鈍くなって遂に一つの脅迫観念がえ上って行くのであって、其の対象となるものが単純で、且つ至るところに存在しているもの程、脅迫観念を加速度的に生長せしめるのではないかと思ったのです。いや思ったどころか次の瞬間には必ずそうに違いないと考えました。そうなるとそのままではほうっておけないような気がして、早速これを実験して事実の上にも明かな結果を出してみたくなりました。
 私はそれから色々と「単純で、至るところに存在するもの」であって、人間が「うっかり忘れているもの」をあれやこれやと考えて見ました。考えてゆくうちに私は一つの面白い目標にカチリとつき当りました。
「三角形! そうだ」
 三角形は三つの線分で作りあげることの出来る最も簡単な空間であります。私たちのように数学を、しょっちゅう勉強しているものには三角形なんて忘れようとしたって忘れることの出来ないものですけれど、数学に縁の遠い人なら此の最も簡単な空間であるところの三角形をついうっかり忘れているかも知れないと思いました。それに三角形の現わす奇異な感情は、円とか五角形とかのあらわすところとは余程よほど趣きを異にしていて、如何にも我が意を得たる絶好の対象物だと思ったのでした。
 私は小さい頃から南京豆なんきんまめの入っているあの三角形の袋が好きでした。駄菓子屋だがしやの店先などに丸いざるの中に打ち重ねて盛りあげられた南京豆の三角形の紙袋を見ると買わずには通り過ぎることが出来ない位でした。あの下の方へ細っそりとした鋭角えいかくはノウノウとした気分でいる子供の食慾を引きつけずには置かないのでした。鋭角と子供の食慾との間には必ずや或る真理がよこたわっていると私は思っていたのです。こんな日頃の感じが今の場合のヒントを与えてれたのかも知れません。かく私は「三角形の恐怖」といったようなものを或る人間に抱かせてみようと決心したのです。
 そうなると此度は試験台になる人間を見付けなければなりません。それからと言うものは学校の行きかえりに「三角形の恐怖」を容易にひきおこしそうな人物を一生懸命で物色したものです。十日ほどの辛抱しんぼうののち私は頃合いの犠牲者を到頭とうとう見付けることが出来ました。これが例の細田弓之助という人物です。この細田氏の名前が弓之助であることや、其の時三十三歳であったことは、後に例の新聞記事が出た時始めて知ったような訳なのでした。三十三歳とは見えぬ位、細田氏は私の拝見した当時からふけ込んでいました。背は高くて後を向くと肩が寒そうにいかっていました。別に寒い日でもないのに青い顔に黒いマスクをけて、私と同じように中野駅におずおずと落付かぬ様子で降り立ったのを見付けたのが、恰度ちょうど例のことを念じてから十日目でした。
 私は細田氏が東中野駅の附近に家を持っていて呉れればよいと思いました。其の人が特に其の日だけたまたま此の駅に降りたのであったら、其の住居の方へ追いかけて見てもあまり遠いところなら私の実験を行う上においていろいろと不便が感ぜられるに違いありませんでした。が幸にも細田氏はあの駅を下りて私の方とは反対の側に行ったところなんですけれども駅から二丁ばかりのところにあって可成かなり大きな家を構えて居りました。これは段々わかった事ですが、細田氏は当主とうしゅの次男であって、当主は数年前からここに居を構えていられたのでした。
 私はまず此の実験を行うに当って出来るだけ細田氏の行動を観察して其の性格を理解したいと思いました。又其の職業も私のように理科や工科の人であったり、或いは画家であっても困ると思って細田氏の行く先々にも度々ついて行きましたが、都合のよい事に細田氏は無職で毎日何をするという事もなくブラブラしている身分で、たまに出掛ける先は病院であったり、買物であったりして、友人も案外少いことが判りました。
 大体そんなことが判ると私はいよいよこの犠牲者に対して実験を行うことに取りかかりました。恰度学年試験が漸く済んで一寸一ヶ月の休暇が私に与えられていました。私の探偵したところによると、其頃細田氏は毎朝神田の白十字会病院まで注射をうけに行くということが判っていましたので、私は躊躇ちゅうちょするところなく事を始めました。
 最初の日は私はわざわざ下町で買い求めて来た正三角形の皮製蟇口かわせいがまぐちを犠牲にすることにしました。この蟇口を細田氏の歩む道路上に捨てて置いて拾わせようという考えです。私は其の日予定の時間に三角形の蟇口を懐中に忍ばせて細田氏の邸の方へ出向きました。細田氏の宏壮なかまえの前には広い空地あきちがあって其の中を一本の奇麗な道が三十間程続いてその向うに小ぢんまりとした借家しゃくやが両側に立ち並んでいました。駅へ出るには、細田氏はどうしてもこの道を歩かねばなりません。
 神経質な細田氏が病院へ出かける時間は大体午前九時三十分に決っていて、必ず其の時間には紋切型に氏の長身が太い御影石の門に現われるのでした。私は細田氏に拾われることを信じながらも万一他の御用聞きなぞに拾われることをも覚悟の中に入れて定刻二分前に門前十歩ほどの路上に其の三角形蟇口を落しておきました。そして直ぐさま身をひるがえすようにして門前につづく広い空地の片隅にたたずんで細田氏の姿の現われるのを今や遅しと待っていました。
 果して間もなく細田氏は例の力なさそうな姿を門前にあらわすと、スタコラと白い路をすすみ出ましたが、どんな無神経ものの眼にでも気がつかずにいない赤い三角形の蟇口はやすやすと細田氏の注視のまととなり、氏のきりの下駄はかつと鳴って、三角形蟇口の前に止りました。直ぐ拾い上げるだろうと予想した事ははずれて細田氏はステッキでちょいちょいと其の蟇口をいじって見ましたが、突然顔をあげて辺りを見廻しました。勿論もちろん私の姿も目に入るに違いなかったので私はつと横の路次ろじの方へ大急ぎで飛び込んでゆきました。私は細田氏が何か大声をあげて私を呼びはしないかと思いましたが、一向声もきこえず、いつ迄たっても元のように静かでした。
 それから五分程過ぎたので私は路次から顔を出してうかがいますと、細田氏の姿はもうありませんでした。私はすっかり計画が当ったのに雀躍こおどりしながら、さりげなく蟇口を棄てたところに近付いてみますと、其の蟇口は側のみぞの中に転って居ました。それは多分ステッキで上から押して見て何も入っていないと知るとステッキのさきでこの溝へはじき込んだものにちがいありませんでした。私はとも角も其の蟇口を拾い上げて逸早いちはやく其場を立ちのくと共に、細田氏の眼底に、この毒々しい赤い三角形が刻み込まれたことを信ぜずには居られませんでした。
 うしておいて其の翌日は、細田氏に三角形の原質的な記憶を呼び起さしめるために同じような時間に出向いて、あれから少しはなれた道路の上に、小さいセルロイド製の三角定規さんかくじょうぎを落して置きました。
 細田氏は例の如く急ぎ足に出て来ましたが今日は少しも立ちどまりもせず、下駄で蹴とばしもせず、棄てられたセルロイド製の三角定規の側を過ぎて行ってしまいました。その三角定規が細田氏の眼にうつらなかったのだか、或いはそれが充分意識せられ、私の思いどおりに昨日の記憶を呼び起して不審な気持をいだき乍らも何気なく立ち去ったのであるか、一向判りませんでした。
 これでは折角せっかくの計画も駄目だと思ったので、翌日はもう少し薬を強くきかせることに決心いたしました。この為めに私は真黒な羅紗紙らしゃがみを小さい乍らも鋭い角を持たせるように切りぬきまして、其の上に新聞紙から「呪」という字を苦心の末、やっと三つ見付けて来て、これをその三角の片隅に三つの文字が三角形をなすように貼りつけたものを作りました。これを懐にして出かけた私は大胆にも、細田氏の石の門のすぐ前にいかにも目につきやすく落しておきました。そのあとで例の路次からいまにも出て来るであろう細田氏の挙動きょどうを少しでも目から放さないようにしようと思いました。
 この露骨なくわだては到頭予期以上に成功したのです。細田氏は門のところへ、ツカツカと出て来るや否や、いきなり飛び上るように身を退いて、例の三角形の切抜きのある地上を見つめたではありませんか。私は一寸残忍性ざんにんせいを帯びた微笑をせずには居られませんでした。細田氏は四辺あたりをキョロキョロと見廻しましたが、身を屈めて例の黒い三角形を取上げると、クルリと後へ向いて再び門の中に消えてしまったのです。それから五分たっても十分たっても其の姿は現われませんでした。
 私は思いの外にうまく行った事を喜びました。医科の助教授連が学用モルモットを殺すときの気もちに似た残虐的ざんぎゃくてき快感に燃え立ったのでした。細田氏が十分間っても姿を現わさないのは恐らく氏が自分の室にかえりあの呪いの三角形を見て前日のことを思い浮べ外へ出る気にならないのだろうと思いました。あの分では細田氏は前日の三角定規も確かに認めたのに相違あるまいという事が考えられもしました。あのほそい神経の持ち主が、ここまで来ればもう一寸やそっとでは、此の三角形の脅迫観念から退れることはできまいという事も思い合わせることが出来ました。
 科学に縁遠えんどおい人間に、三角形に対する恐怖を抱かせることの出来た私は、もうそれで所信の点を充分確かめ得たわけですから、此所で手を引くのが当り前でした。しかしいつの間にやら私の興味はこういう概念的がいねんてきなことよりも、細田氏という一個の人間をあやつることの現実的興味に変じてしまっていたものと見えて、私は更にそれからそれへと三角形の恐怖の段取りを進めて行ったのです。それが為めに到頭後に御話するような取返とりかえしのつかない事件をひきおこしてしまったのでした。
 兎も角、それ以来というものは細田氏の病院通いがパタリと中止されました。私は邸前の路地や、空地の片隅に佇んだまま無駄な数日を送りました。表からは勿論のこと裏の木戸からも、細田氏の姿は一寸も現われることがありませんでした。私は今用意して来た恐怖刺戟の種が数日間も氏に供給せられないために、ここまではこんだ計画が途中でさまたげられてしまうんではないかと思って大いに気をくさらしましたが、よく考えて見ますと、あれからのちは私自身が手を下さなくとも、細田氏は自分でいつでも到る所、身のまわりに三角形の空間を見出して独りで三角形の恐怖を加速度的に増大させていたに違いはないのです。
 たとえばですね、時計の指針は一日に数十回に渡って鋭角を形作ります。窓から陽が斜に入れば三角形の影が沢山出来るわけです。用箋を繰れば、偶然にわく傾斜けいしゃをして紙と縁と三角形をなしていることもないとは言い切れぬことです。万年筆のさきも三角なら、女のひたいも三角形をなしているのでしょう。それからそれへと限りなくこの最も簡単な空間は細田氏の前に展開して氏の恐怖は地獄を駆けまわっていたことでしょう。
 細田氏が家から一歩も出ないという事が判ると私は更に手段を講じて氏を又別の方法で脅迫することを忘れませんでした。配達された郵便物の上に無気味ぶきみな三角のマークをつけることも、少々冒険ではありましたが、やって見ました。これは帽子もかむらず勝手口かってぐちの傍で草でもむしっているような恰好をすれば、郵便配達夫は何の疑いもなく郵便物を私に手渡して呉れます。また細田氏の窓に三角形のたこを飛ばせて引っかけたり、子供たちに紙でつくった三角形の帽子を被らせて庭で遊ばせたり、いろいろなことを試みました。
 しかし折角の試みも細田氏が外に姿を現わさないので、その恐怖がどの位まで氏に影響しているかをあからさまに知ることは六ケむつかしいことでした。これが活動写真かなにかなら私が変装でもして邸の中に入り込むのですが、それ程大胆な事は出来ない。学生らしい弱気も充分にあったのです。こんな訳で呼べども答えずといったような有様に私は少し興味を失いかけて、邸前の空地にあらわれることも何時とはなしにおろそかになって行きました。

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