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大脳手術(だいのうしゅじゅつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 6:26:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第11巻 四次元漂流
出版社: 三一書房
初版発行日: 1988(昭和63)年12月15日
入力に使用: 1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷
校正に使用: 1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷

 

美しきすね

 いちばん明るい窓の下で、毛脛けずねを撫でているところへ、例によって案内もわず、友人の鳴海三郎なるみさぶろうがぬっと入ってきた。
「よう」と、鳴海はいつもと同じおきまりの挨拶声あいさつごえを出したあとで、「そうやって、君は何をしているんだ」といた。
「うん」
 と、私は生返事をしただけで、やっぱり前と同じ動作を続けていた。近頃すっかり脂肪あぶらのなくなったわがすねよ。すっかり瘠せてしまって、ふくらっはぎの太さなんか、威勢のよかったときの三分の一もありはしない。
「つまらん真似まねはしないがいいぜ」
 そういって鳴海は、私に向きあって胡坐あぐらをかいたが、すぐ立上って、部屋の隅から灰皿を見付けてきて、元の座にすわり直した。私は毛脛を引込めて、たくしあげてあったズボンを足首の方まで下ろした。
「……」
「まさか君は、大切な二本の脚を……」
「何だと」
「君の大切な脚を、迎春館げいしゅんかんへ売飛ばすつもりじゃないんだろうね。もしそうなら、僕は君にうんといってやることがある」
 私は友のけわしい視線を、中性子の嵐の如く全身に感じた。頭の中の一部が、かあっと熱くなった。
「迎春館? ほう、君は迎春館を知っていたのかい」
「あんな罪悪の殿堂は一日も早くぶっつぶさにゃいかん。何でも腕一揃が五十万円、脚一揃なら七十万円で買取るそうじゃないか」
「ふふふふ、もうそんなことまで君の耳に入っているのか」
「迎春館などという美名をかかげて、そういうひどい商売をするとはしからぬ。そうして買取った手足は、改めて何十倍何百倍の値段をつけて金持の老人たちに売りつけるのだろうが……」
「だがねえ鳴海。この世の中には、そういう商売も有っていいじゃないか。老境に入って手足が思うようにきかない。方々の機能がおとろえて生存に希望が湧いてこない。そういう時に、若々しい手足や内臓が買取れて、それが簡単なそして完全な手術によって自分の体に植え移され、たちまち若返る。移植手術、大いに結構じゃないか」
「いや、僕は何も移植手術そのものが悪いといっているのじゃない。移植手術のすばらしい進歩は、人類福祉のために大いに結構だ。しかしこの種の手術を施行しこうするについては、瀬尾せお教授のやっておられるように、くまで公明正大でなければならぬと思う。つまり瀬尾教授の場合は、例えばここに交通事故があって肝臓を破って死にひんした男があったとすると、これを即時手術してその肝臓を摘出てきしゅつして捨て、それに代って、在庫の肝臓を移植する。その肝臓というのは、肝臓病ではない死者から摘出し、ねて貯蔵してあったものであり、そしてそれはその遺族が世界人類の幸福のために人体集成局部品部へ進んで売却したものなんだ。まあこういうのが公明正大で、瀬尾教授の手術を受ける者は一点の後めたいところもない。これでなくちゃいかんよ」
 と鳴海三郎は、真剣な顔付になって大いに弁じた。しかし私は一向感心しなかった。移植手術に公明正大か否かを問う必要はない。要するに移植手術を受けた者は幸福になれるのだから、それでいいのだ。むしろ問題は、その手術の手際てぎわ如何いかんにあるだろう。
「どうだ闇川やみかわ。聴いているのか」
「うん、聴いている。で、君は迎春館の話を一体誰から仕入れて来たのかね」
「或る新聞記者からさ。もっともその記者は、倶楽部クラブで仲間からの又聴きなんだそうな。その話によると、迎春館は表通を探しても見つからないそうだが、一度その中へ飛込んだ者はその繁昌ぶりにおどろかされるそうだ。そして何でも、僕たち小説家仲間に、迎春館のことについてとても詳しい奴がいるんだそうな、生憎あいにくその名前を聞くのを忘れたがね。おや、何を笑うんだ」
 私はぎくりとして、笑いを引込めた。そして硬い顔になっていった。
「事実、迎春館主の和歌宮鈍千木氏わかみやどんちきし技倆ぎりょうは大したもんだ。和歌宮鈍千木氏は……」
「そのワカミヤ、ドンチキとかいうのは主任医なのかね」
「そうだ。頭髪も頬髭顎髯も麻のように真白な老人だ。しかし老人くさいのは毛髪だけで、あとの全身は青春そのもののように溌溂としている。尤もお手のものの移植手術で修整したんだろうが……」
あきれた、呆れた。いつの間に、君はそんな悪魔と近づきになったんだい。悪いことはいわん。その和歌宮館主には、もう近づくなよ。そんなところへ出入りをしていると、すえにはとんでもない目にあうぞ」
 純情一本気の友は、私をにらみつけるようにしていった。
「君も一度、和歌宮先生に会ってみるのがいいよ。すると、きっと今の言葉を取消すだろう」
「ちえっ、誰がそんな汚い奴の傍へ近づくものか」
「その和歌宮先生が、私の長い脛をつくづく見ていうのだ。“あなたの脛は非常に立派だ。四十三センチという長い脛は比較的めずらしい方に属するばかりか、あなたの脛骨けいこつ腓骨ひこつの形が非常に美しい。脛骨の正面なんか純正双曲線をなしている”とね。そして、もしこれを売る意志があるのだったら、九十九万円には買取るというのだ」
「ばかなことは、よせ。ここではっきりいって置くぞ。天からさずかった神聖な躯を売却していいと思うか。それも物質的欲望のために売却するなんて、猛烈に汚いことだ。万一君がそんなことをすれば、もう絶交だぞ」
 鳴海は、膝で畳をどんどん叩いてほこりをひどく舞上らせながらわめいた。でも私はいってやった。
「売った方がいいという事情があれば、売ってもいいじゃないか。それにそういうものを売るか売らないかは、僕ひとりが決めていいのだ」
「それは許せない。売ってはならない。それに……それに、もし珠子たまこさんがそれを知ったら、どんなに嘆くと思う。君達の間に、きっとひびが入るぞ、それも別離の致命傷の罅が……」
「そんなことが有ってたまるか」
「大いに有りさ。考えても見給え、珠子さんが……」
「珠子が、それを望んでいるとしたら、君はまだ何かいうことが有るかね」
「……」

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