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近松半二の死(ちかまつはんじのし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 10:39:01  点击:  切换到繁體中文

 
庄吉 (あたまを掻く)はい、はい。では、早速ながら先生に申上げます。大かたお聞き及びでもござりませうが、この正月の芝居は「新薄雪物語しんうすゆきものがたり」と「加々見山かゞみやま」でござりました。何分にも「新薄雪」は蒸返し物の上に、「加々見山」は江戸仕込みで、上方かみがたの人氣にしつくりと合はぬところがござりましたせゐか、どうも思はしくござりませんでした。
染太夫 氣の毒にも座元はかなりの痛手を負つて、その跡始末に困つてゐるやうに見受けられるが……。
庄吉 お察しの通りで、唯今使を出して遣つたのも、その金策の件でござります。
吉治 さなきだに景氣の引き立たないところへ、又ぞろ座元に痛手を負はせてまつたく氣の毒だ。
染太夫 わたし等もかゝり合ひだから、なんとか景氣を盛返してみせたいと、色々に燥つてはゐるものゝ、何分にも歌舞伎といふ大敵に蹴壓されて、殘念ながらどうにもならない。まつたく平家の壇の浦だ。
半二 (ため息をつく)その壇の浦はわたしもよく知つてゐる。(更にため息をつく)この正月もやはり不入りであつたか。
(奧よりお作とおきよは茶碗と菓子鉢を運び出で、人々に茶をすすめる。)
お作 ほかに御用はござりませんか。
(半二はうなづく。女二人は奧に入る。染太夫等はしばらく默つて茶をのんでゐる。鶯の聲。)
染太夫 おゝ、鶯が鳴く。こゝらは矢はり閑靜でいゝな。大阪のやうな土地に住んでゐると、なんだか苛々いら/\して氣が落ちつかない。いつそ太夫の商賣をやめて、かういふ靜なところに隱居するかな。
吉治 その苛々するといふのも、操りの衰微をあまりに苦に病むからのことだ。藝人は藝に遊ぶといふ心持を忘れてはならない。勿論興行の入り不入りを何うでも構はないと云ふのではないが、けふは今日に生き、明日は、あしたに生きて、自分の藝を樂しんでゐれば好いのだ。
染太夫 おまへの悟りにはいつも感心させられるが、この年になつても私には、どうもその悟りが開けないのだ。
庄吉 悟りが開けても開けないでも、太夫さんが商賣をやめるなどは大禁物で、この上にもせい/″\働いて貰はなければなりません。それから今のお話でございますが、もうかうなるとどうしても、先生にお縋り申すほかはござりません。就きましては舊冬からお願い申して置きました伊賀いがの仇討でござりますが……。(云ひにくさうに又あたまを掻く)御病氣中おせき立て申すのは餘りに心ないやうで、なんとも申兼ねる次第でござりますが……。(あとを云ひ兼ねて又躊躇してゐる)
染太夫 御病氣を知りながら、押して無理を願ふのは餘りに勝手過ぎるやうだとわたし等も一應は止めてみたが、何分にも座元の方では必死の場合で、今度は是非とも先生の新淨瑠璃を出したい。さもなければ次興行の蓋をあける見込みが立たないと云ふのでな。
吉治 庄吉殿ひとりでは何うも行きにくいとか、云ひ辛いとか云ふのでわたし等もよんどころなく連れ出されて、お見舞ながらお頼みに出たわけですが……。この御樣子ではなあ。(染太夫と顏をみあはせる)
半二 (興奮して)いや、さう聞けば猶さら書かなければなりません。あの淨瑠璃は去年の暮に六つ目までの草稿をお渡し申して、正月中には殘らず書き上げてしまふ筈のところを、この通りの始末でだん/\におくれました。かうしてゐても、そればかりが氣になるので、醫者から叱られるのも構はずに、枕元に机を控へて、どうやら七つ目と八つ目を書いてしまひましたよ。
庄吉 (乘り出して机の上を覗く)では、もう七つ目と八つ目が出來ましたか。
半二 まだ清書は出來ないが、けふの午頃までに八つ目の草稿は出來上つた。(笑ひながら)八つ目は岡崎の段で、政右衞門の人形を手一杯に働かせなければならない。それだけに、ちつと手堪へのある場であつたが、先づ思ひ通りに書けたらしい。その次は伏見ふしみの宿屋と大詰おほづめの仇討……。それで十段物がとゞこほりなくまとまるのだ。
庄吉 (手をついて)ありがたうござります。有難うござります。天を拜し地を拜しとは全くこの事で、わたくしも先づほつといたしました。座元も定めて大喜びでござりませう。歸りましたら早速に、表看板だけでも揚げて置いて、前景氣を附けたいと存じますが、その外題げだいはどういふことに決まりました。
半二 外題は……。「伊賀越道中雙六いがごえだうちゆうすごろく」はどうだな。
庄吉 「伊賀越道中雙六」……。なるほど、それは結構でござりませう。
染太夫 むゝ。道中雙六は面白いな。
吉治 面白い、面白い。七つ目からの先は知りませんが、六つ目まででも確に近來の當り作だと、本讀みを聽いた者がみな感心してゐました。
(半二はだまつて笑つてゐる。)
染太夫 そこで、今度は吉治さんとわたしとが六つ目の沼津の段を受持つことになりました。(吉治をみかへる)この人も節附にはなか/\苦勞しましてな。けふこゝへ來るのを幸ひに、急所急所の節附を一度お互に入れて置きたいといふので、二人はそのつもりで出て來ました。
吉治 お氣に入るか何うかは判りませんが、先づ出來るだけは工夫してみました。せめてはおよねのサワリだけでも、一度お聽き下さいませんか。
半二 聽きませう。(形をあらためる)聽かせて下さい。
吉治 しかしこゝは少し狹いやうでな。殊に病人の枕元では餘りに騷々しからう。ほかにお座敷は無いかな。
庄吉 (上のかたの小座敷を指す)では、あすこではどうでござります。
吉治 むゝ、それがよからう。お前、案内してくだされ。
庄吉 はい、はい。(三味線を持ちて先に立つ)
吉治 では、染太夫さん。
染太夫 あい。すぐにあとから行きます。 
(吉治と庄吉は縁傳ひに、上のかたの小座敷に入る。染太夫はちかけて又坐る。)
染太夫 先生。さつきから見てゐるに、お顏の色がどうも好くないやうだが、そんなに無理をしても好うござりますか、くどくも云ふ通り、操りは今が壇の浦でその大事の時節に先生のやうなお人を失つたら、平家の運命末危ふしと、わたし等も常々から案じてゐますぞ。
半二 それはお前がたに云はれるまでもなく、わたしもふだんから案じてゐます。門左衞門先生から出雲、松洛。そのあとを受け繼いで兎も角もこゝまでつないで來たのは、及ばずながらこの半二の力で、見渡すところ操りの世界には私に代るほどの作者はない。
染太夫 それだから今度の御病氣が一倍案じられるのでござります。
半二 あやつりの作者では近松半二が最後の一人で、その亡い後が思ひやられる。流れる水にさからつて、今までどうにか漕ぎぬけて來たが、その船頭のない後は……。かいが折れるか船が沈むかその行末が眼にみえるやうで……。(嘆息して)まあ、お前がたが精出して働いて下さい。
染太夫 太夫や人形使ひばかりが幾ら働いても、好い作者がなくては……。いつも/\古い淨瑠璃の蒸返しばかりでは、いよ/\見物に飽きられるばかりですからな。
(上のかたの障子をあけて、庄吉が聲をかける。)
庄吉 もし、太夫さん、染太夫さん。
染太夫 あい、あい。
(薄く雨の音、染太夫は起ち上りて空を見る。)
染太夫 おゝ、たうたう降り出したか。
半二 降つたら今夜は泊まつておいでなさい。
染太夫 山科の里で春雨はるさめを聽きながら、一夜を明かすのも好いかも知れませんな。まつたくこつちは閑靜だ。
庄吉 太夫さん、太夫さん。
染太夫 はて、せはしない男だ。
(染太夫は上のかたの小座敷に入る。薄く雨の音。鶯の聲。やがて障子の内にて義太夫の三味線の調子をあはせる音がきこえる。半二は机に倚りかゝつてゐる。奧よりお作出づ。)
お作 あちらではお淨瑠璃が始まるのでござりますか。
半二 むゝ、今書きかけてゐる伊賀越の節附がもう出來たといふので、染太夫と吉治が六つ目を語つて聞かせるさうだ。
お作 それはよい所へまゐり合せました。
庄吉 (再び障子をあける)先生、これから沼津の段の口を鳥渡ちよつとお聽きに入れます。(障子をしめる)
(これより吉治が三味線をひき、染太夫が語るこゝろにて、伊賀の沼津の淨瑠璃がきこえる。)
※(歌記号、1-3-28)あづま路に、かうも名高き沼津の里、富士見白酒名物を、一つ召せ/\駕籠かごに召せ、お駕籠やろかい參らうか、お駕籠お駕籠と稻むらの蔭に巣を張り待ちかける、蜘蛛のならひと知られたり。浮世渡りはさま/″\に、草のたねかや人目には、荷物もしやんと供廻ともまはり、泊りをいそぐ二人連れ――
半二 あ、絲が切れたな。
お作 ほんに絲が切れたやうでござります。
庄吉 (又もや障子をあける)どうも相濟みません。絲が切れましたので、しばらくお待ち下さりませ。(障子をしめる)
半二 (お作に)絲が切れたので思ひ出したが、おまへに云つて置くことがある。わたしは我慢して八つ目までは書いたものゝ、無事に大詰まで書き負せるか何うだか、我ながら覺束おぼつかないやうに思はれる。
お作 え。なんでそんな事が……。
半二 誰がなんと云はうとも、自分のからだの事は自分が一番よく知つてゐる。萬一わたしが今夜にも倒れてしまつて……。中途で筆を捨てるやうなことがあつたら、あとはお前が書き足してくれ。
お作 あれ、飛んでもないことを……。御存じの通り未熟者がどうして先生の御作に書き足しなどが出來ませう。木に竹をつぐと世のたとへにも申すのは、ほんにこの事でござります。どなたか書く人を大阪からお呼びなされては……。
半二 いや、その大阪にも呼んで來るほどの者がゐないのだ、なまじひの者に繼ぎ足しをされるよりも、いつそお前に頼む方が好い。わたしが頼むから書いてくれ。九つ目の筋のあらましはかねて話してある筈だ。それを土臺にして大詰の仇討まで……。この淨瑠璃はおそらく私の絶筆であらう。それが中途で切れてしまつては、座元も困るに相違なく、わたしも殘念だ。おまへのことは庄吉にも話して置いたから遠慮はない。(すこし考へて)さうだ。おまへの名はお作といひ、それがわたしの作に書き加へるのだから、近松加作……。正本しやうほんには近松半二と名をならべて、近松加作と署名するがよからう。
お作 (感激したやうに)はい。
半二 好いか、きつと頼むよ。
お作 はい、萬一のときには一生懸命に書いてみます。
(障子の内にて又もや三味線の調子を合せる音きこえる。半二は咳き入る。)
庄吉 (又もや障子をあける)今度はお米のサワリのところを、鳥渡お聽きに入れたいと申します。(云ひかけて覗く)大分お咳が出るやうでござりますな。
半二 いや、かまはない。早く聽かせてくれ。(又咳き入る)
お作 お藥を持つてまゐりませうか。
半二 いや、お前もこゝで聽いてゐろ。
(障子の内にて又もや淨瑠璃がきこえる。)
※(歌記号、1-3-28)問はれてお米は顏をあげ、恥かしながら聞いて下さりませ。樣子やうすあつて云ひかはせし、夫の名は申されぬが、わたし故に騷動起り、その場へ立合ひ手疵てきずを負ひ、一旦本復ほんぷくあつたれど、この頃はしきりに痛み、いろ/\介抱盡せどもしるしなく、立寄るかたも旅の空、この近所で御養生。長いあひだに路銀も盡き、そのみつぎに身のまはり、くしかうがいまで賣り拂ひ、最前もお聽きの通り、悲しい金の才覺も男の病が治したさ。さきほどのお話に、金銀づくではないとの噂、ともしびの消えしより、あの妙藥はどうがなと、思ひつきしが身の因果。どうぞお慈悲にこれ申し、今宵のことはこの場ぎり、お年寄られしお前にまで、苦勞をかけし不孝の罪、けふや死なうか、あすの夜は、わが身の瀬川せがはに身を投げてと、思ひしことは幾たびか、死んだあとまでお前の嘆きと、一日ぐらしに日を送る。どうぞお慈悲に御料簡と、あづま育ちの張りも拔け、戀の意氣地いきぢに身を碎く、こゝろぞ思ひやられたり。
(この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをり/\に咳き入る。奧よりおきよは藥を持つて出づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚りかゝりながらぢつと聽いてゐる。そのうちに、だん/\弱つてゆくらしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、半二はやがてがつくりとなりて机の上にうつ伏す。お作とおきよは驚いて半二をかゝへ起さうとする。薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけてゐる。)
――幕――
(昭和三年十月「文藝春秋」)




 



底本:「日本現代文學全集34 岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集」講談社
   1968(昭和43)年6月19日発行
初出:「文藝春秋」
   1928(昭和3)年10月
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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