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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)10夷堅志(宋)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 17:49:54  点击:  切换到繁體中文

底本: 中国怪奇小説集
出版社: 光文社文庫、光文社
初版発行日: 1994(平成6)年4月20日
入力に使用: 1994(平成6)年4月20日初版1刷

 

中国怪奇小説集

夷堅志

岡本綺堂




 第八の男は語る。
「わたくしはそうで『夷堅志』をえらみました。これは有名の大物でありますから、とても全部のお話は出来ません。そのなかで自分が面白く読んだものの幾分を御紹介するにとどめて置きます。この作者は宋の洪邁こうまいであります。この家は、父の洪皓こうこうをはじめとして、せがれの※(「しんにゅう+舌」、第4水準2-89-87)こうかつ洪遵こうしゅん、洪邁の一家兄弟、揃いも揃って名臣であり、忠臣であり、学者であること、実に一種の異彩を放っていると申してもよろしいくらいでありまして、宋朝がきんに圧迫せられて南渡の悲運におちいるという国家多難の際にあって、皆それぞれに忠奮の意気をあらわしているのは、まったく尊敬に値いするのであります。
 しかしここでは『夷堅志』の作者たる洪邁一人について少々申し上げますと、彼はあざな景盧けいろといい、もちろん幼にして学を好み、紹興しょうこうの中年に詞科に挙げられて、左司員外郎さしいんがいろう累進るいしんしました。彼が金に使いした時に、敵国に対するの礼を用いたので、大いに金人のために苦しめられましたが、彼は死を決して遂に屈しなかった事などは、有名の事実でありますから詳しく申すまでもありますまい。
 後にゆるされて帰りまして、所々の知州などを勤めた末に、端明殿学士たんめいでんがくしとなって退隠しました。死して文敏ぶんびんおくりなされて居ります。その著書や随筆はすこぶる多いのですが、一般的に最もよく知られているのは、この『夷堅志』であります。原本は四百二十巻の大作だそうですが、その大部分は散佚さんいつして、今伝わるものは五十巻、それでもなかなかの大著述というべきでしょう。
 そうして、その敵国たる金の元遺山げんいざんが更に『続夷堅志』を書いているのは、頗るおもしろい対照というべきであります。どちらも学者で忠臣でありますから、元遺山もひそかに彼を敬慕していたのかも知れません。あまりに前置きが長くなりましては御退屈でございましょうから、ここらで本文ほんもんに取りかかります」

   妖鬼を祭る

 州のおう氏の息子が番陽はようから州へ行って、建徳けんとく県に宿ろうとした。その途中、親しい友をたずねて酒の馳走になっているうちに、行李こうりはすでに先発したので、汪はひとりで馬に乗って出ると、路を迷ったものとみえて、行けども行けども先発の従者に逢わないので、草深い森の奥へ踏み込んでしまった。
 そのうちに日が暮れかかると、草むらから幾人の男があらわれて、有無うむをいわさずに彼を捕虜とりこにしてき去った。行くこと何百里、深山の古い廟のなかへ連れ込まれて、汪はその柱へうしろ手に縛り付けられた。何を祭ってあるのか知らないが、かれらは香をき、酒を酌んで、神像の前にうやうやしく礼拝して言った。
「どうぞ御自由にねがいます」
 かれらは廟門をとざして立ち去った。かれらは人を供えて妖鬼を祭るのである。汪は初めてそれをさとったが、今更どうすることも出来ないので、日ごろ習いおぼえた大悲のじゅを唱えて、ただ一心にその救いを祈っていると、その夜半に大風雨がおこって、森の立ち木も震動した。
 廟門は忽ちにおのずから開かれて、何物かがはいって来た。その眼のひかりは松明たいまつのようで、あたりも輝くばかりに見えるので、汪は恐るおそる窺うと、それは大きい蟒蛇うわばみであった。蛇は首をもたげて生贄いけにえに進み寄って来るので、汪は眼をとじて、いよいよ一心に念誦ねんじゅしていると、蛇は一丈ほどの前まで進んで来ながら、何物にかさえぎられるように逡巡しりごみした。一進一退、おなじようなことを三度も繰り返した後に、蛇は遂に首を伏せて立ち去ってしまった。
 汪もこれでひと息ついて、ひたすらに夜の明けるのを待っていると、表がようやくしらんで来た時、太鼓をたたき、しょうを吹いて、大勢の人がここへ近づいた。そのなかには昨夜の男もまじっていた。
 かれらは汪が無事でいるのを見て大いにおどろいた。汪からその子細を聞かされて、かれらは更に驚嘆した。
「あなたは福のあるお人で、われわれの神にささげることは出来ないのです」
 かれらは汪のいましめを解いて、昨夜来の無礼をあつく詫びた上に、官道までつつがなく送り出して、この事はかならず他言して下さるなと、堅く頼んで別れた。

   床下の女

 そう紹興しょうこう三十二年、劉子昂りゅうしこう和州わしゅうの太守に任ぜられた。やがて淮上わいしょうの乱も鎮定したので、独身で任地にむかい、官舎に生活しているうちに、そこに出入りする美婦人と親しくなって、女は毎夜忍んで来た。
 それが五、六カ月もつづいた後、劉は天慶観てんけいかんへ参詣すると、そこにいる老道士が彼にいた。
「あなたの顔はひどく痩せ衰えて、一種の妖気を帯びている。何か心あたりがありますか」
 劉も最初は隠していたが、再三問われて遂に白状した。
「実はしょうを置いています」
「それで判りました」と、道士はうなずいた。「その婦人はまことの人ではありません。このままにして置くと、あなたは助からない。二枚の神符しんぷをあげるから、夜になったら戸外に貼りつけて置きなさい」
 劉もおどろいて二枚の御符を貰って帰って、早速それを戸の外に貼って置くと、その夜半に女が来て、それを見て怨み罵った。
「今まで夫婦のように暮らしていながら、これは何のことです。わたしに来るなと言うならば、もう参りません。決して再びわたしのことをおもってくださるな」
 言い捨てて立ち去ろうとするらしいので、劉はまた俄かに未練が出て、急にその符を引っぱがして、いつもの通りに女を呼び入れた。
 それから数日の後、かの道士は役所へたずねて来た。かれは劉をひと目見て眉をひそめた。
「あなたはいよいよ危うい。実に困ったものです。しかし、ともかくも一応はその正体をごらんに入れなければならない」
 道士は人をあつめて数十の水を運ばせ、それを堂上にぶちまけさせると、一方の隅の五、六尺ばかりの所は、水が流れてゆくと直ぐに乾いてしまうのである。そこの床下を掘らせると、女の死骸があらわれた。よく見ると、それはかの女をそのままであるので、劉は大いに驚かされた。彼はそれから十日を過ぎずして死んだ。


 

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