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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)53 新カチカチ山

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:55:44  点击:  切换到繁體中文


     六

「なかなか入り組んだ話ですね」と、私はここまで聞かされてひと息ついた。
「さあ、入り組んでいるようですが、筋は真っ直ぐです」と、半七老人は笑った。「ここまでお話しすれば、あなた方にも大抵お判りでしょう」
「まだ判らないことがたくさんありますよ。これまでのお話によると、そのお信という女が自分の恋の邪魔になるお早という妾を殺そうとして、叔父の清吉を口説くどいて船底に機関からくりを仕掛けたというわけですね。かたきの片割れだから、お嬢さまも一緒に沈めてしまう……」
「殿さまを殺す気はなかったが、あいにく其の日に限って、殿さまも船で帰ったので、云わば傍杖そばづえの災難に出逢ったのですよ。運の悪いときは仕方のないものです」
「お信は大阪屋花鳥の二代目ですね」
「そうです。子供のときから築地の河岸かしに育ったので、相当に水心みずごころがあったと見えます。こんにちでは海水浴が流行はやって、綺麗な女がみんなぼちゃぼちゃやりますが、江戸時代には漁師の娘ならば知らず、普通の女で泳ぎの出来るのは少なかったのです。花鳥もお信も泳ぎを知らなかったら、悪いことを思い付かなかったかも知れません」
「そこで千太という船頭はどうしました」
「それには又お話があります」と、老人は説明した。「千太は親方の指図だからいやとは云われません。もちろん相当の金轡かねぐつわまされたんでしょう。ともかくもこの役目を引き受けて、浅井の人たちを砂村の下屋敷へ送り付けて、その帰りを待っているあいだに船底をくり抜いて置いたんです。いざというときに自分は泳いで逃げ、一旦は三河屋へ帰ったんですが、いろいろの詮議を受けると面倒だというので、親方の指図で姿を隠してしまったんです」
「そうして、どこに隠れていたんです」
「友達の寅吉の家へ逃げ込んで、戸棚のなかに隠れていたそうです。寅吉も悪い奴で、万事を承知で千太をかくまい、千太の使だと云って時々に三河屋へ無心に出かけていたんですが、この寅吉を斬った者がよく判りません。寅吉の出入りをけていた幸次郎の話によると、寅吉が山本町の橋の袂へ来かかった時に覆面の侍が足早に追って来て、一刀に斬り倒したのだそうで、恐らく菅野の屋敷の者だろうと云うんです。菅野は前にも申した通り、浅井の奥さまの里方で深川の浄心寺わきに屋敷を持っている。そこへ今度の一件を種にして、寅吉は何か強請ゆすりがましい事でも云いに行ったらしい。屋敷の方でも面倒だと思って、一旦は幾らか握らせて帰して、あとからけて行ってばっさり……。わたくしは門前払いを喰っただけでしたが、寅吉は命を取られてしまいました。なにしろ寅吉がられてしまったので、千太はどうすることも出来ない。よんどころなく其処を逃げ出して、それからそれへと友達のところを転げ歩いていたんですが、どこでも係り合いを恐れて長くは泊めてくれない。そのうちに親方の清吉がわたくしの手に挙げられたという噂を聞いて、もう逃げおおせられないと覚悟したのでしょう。自分で尋常に名乗って出ましたが、吟味中に牢死しました」
「お信は清吉の女房の里に隠れていたんですか」
「お信は岸へ泳ぎ着いて、濡れた着物の始末をして、自分だけ助かったつもりにして屋敷へ帰る筈だったんですが……。それが俄かに気が変ったのは、船がいよいよ沈むという時に、お妾のお早がただ一言ひとこと『信』と云って、怖い眼をして睨んだそうです。さては覚られたかと思うと、お信は急におそろしくなって、夢中で岸までは泳ぎ着きながらも、もう再び屋敷へ戻る気になれなくなったということです。暫く何処にか隠れていて、暗くなるのを待って下谷の稲荷町、すなわち清吉の女房の里へ尋ねて行って、そこに五、六日隠まって貰って、それから又こっそりと築地の三河屋へ戻って来て、その二階に忍んでいたんです。わたくしが最初に三河屋へ出張って、船頭の金八を詮議していた時、お信は二階に隠れていたわけです、が、その儘うっかり帰って来たのはわたくしの油断でした。
 そこで、お信がどうして浅井の若殿さまを誘い出したのか、それは清吉も知らない。若殿さまは唯だしぬけに尋ねて来たのだと云っていましたが、何かの手だてを用いて呼び出したに相違ないと思われます。若殿さまは三河屋の二階に泊まって、その夜のうちにお信と一緒にぬけ出して、例の屋根船のなかで心中したんですが、清吉はそれをちっとも知らなかったと云う。これも甚だ怪しいと思われます。第一、若殿さまを自分の家に泊めるという法はない。その屋敷はすぐ近所にあるんですから、夜がけても送り帰すのが当然であるのに、平気で自分の二階に泊まらせて、こんな事を仕出来しでかしたのは、重々申し訳のない次第です。浅井の屋敷では二日前に家出したと云い、清吉はその晩に来たと云い、その申し口が符合しないんですが、或いは二日前から三河屋に忍ばせて置いたのかも知れません。
 それらのことを考えると、お信はしょせん自分の望みは叶わないと覚悟して、叔父の清吉と相談の上で、若殿さまを冥途めいどの道連れにしたらしい。清吉も姪が可愛さに、若殿さまを二階に忍ばせて、十分に名残なごりを惜しませた上で、二人を心中に出してやったんだろうと思われます。船の一件が露顕すれば、清吉もお信もどうで無い命、殊にお信はしっかり者だけに執念深い。それにこまれた若殿さまはお気の毒のようですが、この人は女に惚れられるような美男に生まれ付いただけに、体も弱く、気も弱いたちで、年もまだ十七、無事に家督を相続したものの、親や妹には不意に死に別れ、お信はゆくえ知れず、唯ぼんやりとしているところへ、死んだと思ったお信が突然にあらわれて来て、それにいろいろ口説かれたので、ついふらふらと死ぬ気になったんでしょう。今更のことじゃあないが、女に惚れられると恐ろしい。若殿さまがお信という女に惚れられた為に、これほどの大事件が出来しゅったいして、三千石の家は見ごとに潰れてしまいました」
「お嬢さまの死骸はとうとう揚がらなかったんですか」と、わたしは最後にいた。
「いや、そのお春というお嬢さまは……」と、老人はいたましそうに顔をしかめた。「何処をどう流れて行ったのか知れませんが、房州の沖で見付かりました。これは後に聞いたことですが、房州の漁師が沖へ出て、大きな鮫を生け捕って来て、その腹を裂いてみると、若い女の死骸がころげ出た。その時には何者か判らなかったんですが、着物や持ち物が証拠になって、その女は浅井のお嬢さまだということが知れたそうです。揃いも揃って何という運の悪いことか、まったくお話になりません。浅井の奥さまのお蘭という人は里方の菅野家へ戻りましたが、亭主は水死、息子は心中、娘は右の始末ですから、いよいよ半気違いのようになってしまって、それから間もなく死んだということです。三河屋の清吉も千太と同様、吟味中に牢死しました」





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月11日公開
2004年3月1日修正
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