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憂鬱な家(ゆううつないえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:15:42  点击:  切换到繁體中文


    (三)

 牛達はこれまでは、寒い気候なので、牧舎の中で飼はれてゐたが近頃になつて、晴た天気がつゞくので、牛達は雪の上に散歩にだされた。そして嬉し気に毎日
 ――もう、もう、もう、もう。と鳴いてゐた。
 凡太郎はその牛の鳴き声を覚えこんだものらしい。
 何時も片眼をつむつて考へことをしてゐる、底意地の悪さうな牛の鳴き声を凡太郎が覚えこんだことを知ると、私の理想主義が谷底に転げ落たやうな失望を感じた。
『花』『お日さま』『星』『蝶々』などといふ、麗しいものを覚えこまずに病気のごろつき犬や、不吉な鴉や尻に汚らしい糞を皿のやうに、くつゝけて済ました顔をしてゐる牛共の言葉を覚えこむとは何事だらう。
 ――しかし考へて見れば、無理もないことだらう。
 と私は思ひ返したのであつた。
 教へ込ませようとした『花』などは、冬の真中にゐて、到底子供の眼になど触れることが出来ないものであつた。
『太陽』は雪雲の中に、姿を隠してゐて、少しも顔を見せず、地を照してゐる明りは、太陽の光りではなかつた、雲の明りと雪の反射であつたし。
『蝶々』などの、ひら/\陽炎かげろふの上を舞ふ春の季節には、まだ五ヶ月も経たなければならなかつたし。
 すべてがみな憂鬱な冬の姿の中の、静物のやうに、自分自身がもつてゐる光りで、僅かに自分の周囲の小さな部分を明るくして、生きていかなければならない、惨忍な季節であつたのだ。
 どうして幼い凡太郎が。
 生れてから、まだ一度も春にめぐり合つたことのない凡太郎が。『花』や『蝶々』や『星』の美しさを知る道理があるだらう。
 私の家の、唯一の訪問者である犬、鴉、牛、などの言葉を真似たことが、当然であつたのだ。
 ――色々の真似をするところを見ると、唖でもないやうですね。
 ――うむ。
 と私は妻に、うなづいて心の中で、
 ――今度は、きつと人間の言葉を覚えこむだらう。
 ことを期待してゐたのであつた。
 静かな日が何日も続いた。
 濃霧は、私達の家のめぐりを、とり囲んだ。
 この霧のたちこめた日は、私の感情をさま/″\に変へた。
 美しい夕方の薄い霧は、遠くの方を、幻のやうに見せて、なにか蜜のやうに、甘いものでもあるかのやうに、私をよろこばした。私は凡太郎を抱いて家の前に出て充分に凡太郎の小さい口に吸ひこました。
 すると凡太郎は、しまいには、しきりにくさめをするのであつた。
 怖ろしいのは夜更の濃い霧であつた、重い濡れた幕のやうに、小さな家の上に掩ひかぶさるやうな恐怖を感じた。
 その重いものは、はねのけてもはねのけても、匍つて来て屋根の上に白い獣のやうな腹を載つけた。
 硝子窓から、霧の戸外を覗いて見ると、一寸先も見えない。
 不意に霧の中に隠れてゐる何者かゞ、私達の家にむかつて、弾丸を撃ち込みはしないかといふ、不安に脅かされる日もあつた。
 私の家を訪ねるものは、獣や鴉の他に毎土曜日の、顔の黒ん坊のやうな、煙筒掃除人と、郵便配達の声位なものであつた。
 或る日、不意に二人のマルクスが私の家を訪ねて来た。

    (四)

 郊外になど住んでゐると、色々な物売が、女子供とみれば甘くみて、押つけがましく、恐喝らしく玄関先に品物を拡げ、買つてやらなければ何時までも立去らうとしないことが多い。
 殊に私を憤怒させるものは、神仏の押売をする人達であつた。
 性来神や仏といふものを嫌つてゐる私は、この神仏押売人の撃退策を、平素から妻に教へこんでゐた。
 ――わたしのところには神棚もお仏壇もありませんので、お札を頂戴してお粗末になつてはかへつて勿体ないと思ひますので。
 私はかう台詞を妻に教へこんであるのだ。
『天照皇太神宮』や『稲荷大明神』や『イヱスキリスト』などのお札売はチ※[#小書き片仮名ヱ、428-6]ッと忌ま/\しさうに舌打をして帰つてしまふのであつた。
 二人のマルクス(私達夫婦はこの二人の青年をマルクスと呼んでゐた)
 二人の青年が、私の家の玄関口を訪れたとき、妻は例の台詞でこのマルクスのお札売を追払つてしまはうとしたのであつたが、二人のマルクスは、一足飛に室の中に襲ひかゝつて来て、盛んにしやべり立たのであつた。
 一人のマルクスは瘠せこけてゐた。いま一人は肥えてゐた。
 肥えた方のマルクスの懐が妊婦のやうにふくらんでゐた。
 肥えたマルクスは、懐中からそのふくれたものを取出て
 ――ぢやらん、ぢやらん、ぢやらん。
 それはタンバリンであつたのだ。
 しきりに鈴を鳴らし始ると、いま一人は古ぼけた皮の鞄の中からポスターを取出て、私の室中にその毒々しい極彩色の絵や統計の描かれたものをべた/″\貼はじめた。
 ――なんといふ遠慮のない人達でせうね。
 さすがに妻は驚いた様子であつた。
 彼等が帰ると、私も議論に疲れそして彼等のいつてゐることが、いかにも真理のやうに考へられて、瞬間興奮を感じた。
 しかし彼等が、霰に頭を打たれて、暗いなかに立去つてしまふと何もかも馬鹿らしくなつてしまふのであつた。すべてが冷静に、憂鬱なもとの姿に還つてしまふ。
 その翌日も、その翌日も、二人のマルクスは私の家をつゞけさまに襲つた。
 そして火のように熱心な態度で私を説き伏せようとしたのであつた。
 鴉、犬、牛、そして二人のマルクス。
 私の静寂な家を訪ねるものはこれだけであつた。
 凡太郎は、いつの間にか二人のマルクスにすつかり馴れてしまひ、抱かれて笑顔をみせたり、ついにマルクスの膝の上に小便をひつかけたりした。
 ――我々の聖なる父、マルクスは。
 彼等は賑かに聖なる父の名を呼つゞけた。
 凡太郎は円い眼をして、この若い来客の、議論の口元の動くのをじつと凝視してゐた。
 足を踏み鳴らし、そして又もや霰に、頭を打たれながら、二人の客は、暗い中を帰つた。
 マルクス主義が、我々夫婦の実生活にどんな役割を演じようとするのか、それは我々家庭にとつて『摺鉢』や『大根おろし』よりも不用な物。愚にもつかない信仰であるのだ。
 私は不意に形容の出来ない笑ひがこみあげてきた、次に滑稽な不安が頭をもたげた。
 凡太郎の次の言葉。突然凡太郎が『マルクス』などゝ叫びだしたなら、私達夫婦はどんなに吃驚するであらう。といふことであつた。
 その時には、私は観念し、凡太郎を蜜柑箱に入て、河に流してやるばかりだ。





底本:「新版・小熊秀雄全集第一巻」創樹社
   1990(平成2)年11月15日新版第1刷発行
底本の親本:「旭川新聞」旭川新聞社
   1927(昭和2)年3月23日~26日
初出:「旭川新聞」旭川新聞社
   1927(昭和2)年3月23日~26日
入力:八巻美恵
校正:浜野 智
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
2006年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    小書き片仮名ヱ    428-6

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