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猿飛佐助(さるとびさすけ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 10:03:03  点击:  切换到繁體中文



 宝蔵院漬けの茶漬けに味をしめた佐助は、その日の昼食を、奈良から一足飛びに飛んだ京の都、今出川畔、当時洛中に噂の高い、その名も富田無敵とんだむてきという男の道場で、したためた。
 晩飯は同じく四条、元室町出仕の吉岡憲法の道場、翌日の朝飯は百万遍、舎利無二斎しゃりむにさいの道場と洛中の道場を一つ余さず食べつくした挙句、やがて京の都を今日(京)を限りに大坂へ現われた時に既にアバタの茶漬け侍の威名は、その醜いアバタ面の噂と共に、大坂中に鳴り響いていた。
 大坂の道場もまた、佐助の忍術の前には赤子同然であった。
 その赤子の手を軽くねじった佐助の足は、やがて、須磨、明石、姫路、岡山へと中国筋に伸びて、遂に九州の南の端にも及び、琉球の唐手術も佐助の前には、脆かった。
 佐助の自尊心は、ここに到って、アバタのひけ目を補って余りあるくらい満足され、
「天下ひろしといえども、この俺より強い者に一人も出会わなかったとは、はてさて弱い奴ばかしが、佃煮つくだににするほどおったものだわい」
 と、歩き方も変って来たが、しかし、帰りの道を歩いて帰るのは、いささかおっくうであつた。
 一体に、武芸者が諸国を漫遊するのは、自分より強い武芸者に会うて、教えを請い、自分の腕を磨きたいという気持よりも、むしろ、天下に自分より強い者がおるかどうかを知りたい、自分より強い者がいないことを確かめて、自己満足に酔いたいという傲慢な虚栄心から、漫遊するのが常である。
 してみると、佐助にとっては、既に自分より強い者はわが師白雲斎のほかになしと、わかった以上、弱い奴ばかしが一月いくらの月謝ほしさの道場を、ほそぼそと張って、それで威張りかえっているような国々を、もう一度てくてくと歩いて帰るのは、これほど退屈な話はない。
 そこで、佐助は久し振りの飛行の術で一足飛びに帰ることにした。
 が、どこへ帰るのか。俺に帰るところがあろうか。恋しい楓のいる信州へか。いや、アバタの穴が消えぬ限り、楓の前には、会わす顔がない。
 そう考えると、佐助は憂鬱だったが、
「往きはよいよいの、中風のような武芸者が相手だが、帰りは怖い雷様を道連れとは、ても洒落た道中かな。えいと叫べば、はや五体は宙を飛んで行く。ぐんぐん登れば雷様を下に見る、不死身の強さは日本一の、猿飛佐助の道中だ」
 という洒落が出て来ると、もう憂鬱はけし飛んで、得意満面の鼻歌まじりに、大空を飛んで行った。
 そして、九州を過ぎ、中国筋を飛び、大坂、京の上空を過ぎて、近江の上空甲賀の山上まで飛んで来た時の佐助は、虚栄心に動かされやすい、青春客気の昂奮に、気も遠くなるくらい甘くしびれていた。
 ところが、ふと眼下の甲賀山中から、一筋の妖気の立ちのぼるのを見て、
「はて面妖な!」
 と、呟いた途端、
「――あッ」
 たちまち飛行の術は破れて、佐助の身体は甲賀山中に墜落して行ったが、さすがに佐助は、地面すれすれの、咄嗟の宙がえりで、危く五体が木ッ葉微塵になるのをまぬがれた。
「ふーむ。わが飛行の術を破ったとは、いかなる妖魔の仕業か。わが術を破り得るほどの者、天下ひろしといえども、わが白雲斎師匠を除いて、ほかにはない筈だが、伊賀流か、甲賀流か、何れにしても手強い奴! 名を名乗れ!」
と、呶鳴りながら、起ち直ったところ、いきなり足をすくわれて尻餠つき、
「ああ、見苦しい!」
 と、直ちに木遁の術……が、しかし何故か思うに任せず、金縛りにかかったようになりながら、ただ阿呆の一つ覚えのように、
「名を名乗れ! 名を名乗れ!」
 と、わめいていると、いきなり、
「汝のようなたわけめに、名乗る名を持たぬわ!」
 という声が、どこからか聴えて来た。
「あ、先生!」
 さすがに、佐助は白雲斎師匠の声を覚えていた。
「――おなつかしゅうござります。佐助でござります」
 すると、空よりの声は、
「知っておる」
「お顔を見せて下さりませ」
「たわけめ! 汝のような愚か者に、見せる顔は、持たぬわ!」
「えッ?」
「汝ははや余が教訓を忘れしか」
「えッ?」
「忍術とは……?」
 と、いきなり訊かれたので、すかさず、
「忍ぶの術なり」
「忍ぶとは……?」
「如何なる困苦にも堪うる、これ能く忍ぶなり。まった、火遁水遁木遁金遁土遁の五遁を以って、五体を隠す。これまた能く忍ぶなり」
「忍術の名人とは……?」
「能く忍び、能く隠す、これ忍術の名人たり」
 すらすらと答えたが、いきなり、
「汝、能く忍んだか」
 と訊かれると、もう答えられなかった。
「はッ! あのウ……」
「答えられまい。汝は能く隠すも能く忍ばざる者じゃ。徒らに五遁の術の安易さに頼って、勝ち急ぐ余りの、不意討ちの卑怯の術にうつつを抜かし、試合に望んでは一太刀の太刀合わせもなさず、あまっさえ、天下一の強者を自負するばかりか、わが教えし飛行の術をも鼻歌まじりに使うとは、何たる軽佻浮薄、増長傲慢、余りの見苦しさに、汝の術を封じてやったが、向後一年間、この封を解いてはやらぬぞ。これ汝への懲罰じゃ――。さらばじゃ」
「あッ、先生!」
 と叫んだが、もう師匠の声は聴えなかった。
「たった一度、お姿をお現わし下さいませ! なつかしいお顔を見せて下さりませ。先生! 先生!」
 しかし、遂に白雲斎は姿を見せなかった。それは師の鞭のきびしさの故か、それとも、いつぞやの鼻血騒ぎの見苦しさを恥じて、生涯佐助に顔を見せまいと誓っていた故だろうか。
 佐助は呆然として、尻餠を突いていた。
 術を破られたことよりも、封じられたことよりも、増長傲慢だと、日頃の自惚れを指摘されたことが辛く、
「ああ、俺はだめだ」
 と、にわかに自信をなくし、すっかり自尊心を失いながら、とぼとぼと山を降り、やがて、鈴鹿峠の麓の茶店へ腰を下すと、
「お茶を一杯下さい」
 ひどく心細い声で言った。
「お侍様は、この峠をお越しになられるのですか」
 その声を掛けた茶店の女の顔は、一寸美しかった。
 美しい女にアバタ面を見られるのは辛い。いつもの佐助なら、直ちに忍術で姿を消したところだが、術は封じられている。
 それを悲しみながら、しかし佐助はさすがに気取った口調を忘れず、
「来し(越し)は夢の夢の夢のまた夢、昨日は今日のはつ昔、旅の衣は鈴鹿の峠を越す(乾す)も乾さぬも、雨次第じゃが、どうやら、今宵は降りそうじゃな」
 と、しんみりした声で言うと、茶店の女は、
「お侍様、そりゃおよしなさいませ。あの峠には、木鼠胴六といって、名高い石川五右衛門の一の子分が山賊となって、山塞にとじこもり、旅人を見れば、剥ぎ取って、殺してしまいます」
「何ッ! 山賊が……?」
 佐助の眼は急に生々と輝いた。
「――こりゃ面白い。雨でも越さずばなるまい」
「まア、命知らずな。悪いことは申しませんから、およしなさいませ。昨日も坊様かお侍様かわからぬような、けったいな方が、俺が退治て来てやると言って、山の中へはいって行かれましたが、今に降りて見えぬところを見ると……」
「あはは……。退治られたと申すか。いや、この俺は、そんな坊主か侍かわからぬような、宝蔵院くずれとは、些か訳がちがう。忍術は封じられても、猿飛佐助、石川五右衛門の子分共に退治られるような、弱虫ではないわ。――おや、何をそのようにそれがしの顔を見ておるのじゃ。そのように穴のあくほど見つめずとも、既にアバタの穴があいているわい。あはは……」
 笑いやむと、佐助は武者ぶるいしながら峠道を登って行った。
 やがてノッポの大股は山賊の山塞に近づくと、佐助は、
「遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、見ればアバタの旗印、顔一面にひるがえる、信州にかくれもなきアバタ男、猿飛佐助とは俺のことだ。鈴鹿峠の山賊共! いざ尋常に……」[#「尋常に……」」は底本では「尋常に……」]と、例によって、奇妙な名乗りをあげながら、木鼠胴六の山塞へ、※(「口+會」、第3水準1-15-25)はんかい[#ルビの「はんかい」は底本では「はんか」]の如き恰好で乱入して行った。

      木遁巻

 嘘八百と出鱈目仙人で狐狸こり固めた信州新手にいて村はおろか信州一円に隠れもなきアバタ男、形容するに言葉なきその醜怪な面相には千曲川の河童も憐憫の余り死に、老醜そのものの如き怪しげな人間嫌いの仙人戸沢図書虎ツアラツストラも、汝極醜の人よと感嘆して、鳥人の思想及びその術即ち飛行の術並びに忍術を伝授せざるを得なかったという猿飛佐助が、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、見ればアバタの旗印、顔一面に翻えしながら、鈴鹿峠の山賊の山塞に乱入した時の凄さは、樊※(「口+會」、第3水準1-15-25)排闥とはこのことかと天狗も悶絶するくらいであったから、忽ち山賊は顫え上り、中には恐怖の余り尿を洩らす奴もあったが[#「あったが」は底本では「あったか」]、さすがに頭目の木鼠胴六は、石川五右衡門の一の子分だけあって下手に騒がず、うろたえる手下共をはげまして、かねて用意の松明を佐助めがけて投げつけた。
 佐助はひらりと体をかわしながら、
「やや、おびただしき松明の雨を降らしたとは、何の合図か挑戦状か。それとも悪意に解釈すれば、アバタの穴をよく見んための提灯代りの松明か」
 と、例によって怪しげな詩人気取りの、あらぬことを口走り、よもやその松明が土竜[#「土竜」は底本では「土龍」]、井守、蝮蛇の血に、天鼠、百足、白檀、丁香、水銀郎の細末を混じた眠り薬を仕掛けたものであるとは知らぬが仏を作って、魂を入れるための駄洒落もがなと、咄嗟に、
「来るか鈴鹿の山賊共!」
 と言う言葉が口をついて出ると、随分とこの洒落にわれながら気をよくして思わず笑えば笑窪えくぼがアバタにかくれて、信州にかくれもなきアバタ面を、しかし棚にあげて、
「打ちみたところ、眼ッかち、鼻べちゃ、藪にらみ、さては兎唇みつくち出歯の守、そろいそろった男が、ひょっとこ面を三百も、目刺しまがいに、並べたところは祭だが祭は祭でも血祭りだ」
 と、いい気な気焔をわめき散らした。あとで思えば醜態であった。
 しかも、更に赤面汗顔に価いしたのは、いよいよとなると、ただ黙々とやるだけでは芸がない、雅びた文句の数え歌に合わせてやるとて、石川五右衛門[#「石川五右衛門」は底本では「石川五衛門」]の洒落た名乗り文句をもじって、
「一に石川で」で一人。
「二に忍術で」で二人。
「三にさわがす」で三人。
「四に白浪の五右衛門の」で四人五人。
「六でもき子分ども」で六人七人。
いばに掛けて」八人。
もなく倒すに」で九人。
「十(呪)文は要らぬ」
 で、十人まで倒したたという悪趣味に淫したことである。いかにも殺風景な話である。そして、更に調子に乗って、
「十一、十二も瞬く間、お月様いくつ、十三泣き面、十四は頓死、十五夜お月様餠つきのお突き、十六夜いざよい月は誰と見ん、十七娘か二人と見れば、飽かずながめてにくからぬ、十九(苦)も忘れて、二十(重)の喜び……」
 と、二十人まで倒したのはまず無難だったが、二十一人目あたりから、はや眠り薬の効目があらわれて、手足がしびれて眼がかすみ、それでも二十二、二十三は無我夢中、二十四人目は辛うじてかすり傷を負わし、二十五人目はどうなったか、いつか鼾をかいて眠り込んでしまった。汗と脂がアバタの穴についたその寝顔は、いかにも醜悪であったから、木鼠胴六は、
「何てきたねえアバタ面だ」
 と、ペッペッと唾を吐き散らし、わざとらしく嘔吐を催した振りをしながら、佐助の懐中をさぐったが、鐚一文も出て来なかったので、呆れかえって[#「かえって」は底本では「かえった」]しまった。
 が、それよりもなお失望したのは、戸沢図書虎ツアラツストラ伝授の甲賀流忍術の虎の巻が見当らなかったことである。
 実は佐助が「信州にかくれもなき雲をつくような大男、雷様を下に見る不死身の強さは日本一」と己惚れた余りの驕慢の罰として、師の戸沢図書虎より忍術を封じられた挙句、虎の巻も捲き上げられてしまったなどとは知らぬ胴六は、下帯の中まで探していたがいよいよ見つからぬと判ると、急にけがらわしくなって来て、手下に命じて佐助の身体を牢屋の中へ投げ込んでしまい、自身成敗するのも不潔だといわん許りであった。
 こうして佐助を牢屋へ入れると、胴六は早速韋駄天の勘六という者を走らせて、この旨を京の五右衛門のもとへ知らせた。
 やがて、どれだけ眠ったろうか、牢屋の中で眼を覚した佐助は、はげしい自己嫌悪が欠伸と同時に出て来た。
 既に生真面目が看板の教授連や物々しさが売物の驥尾の蠅や深刻癖の架空嫌いや、おのれの無力卑屈を無力卑屈としてさらけ出すのを悦ぶ人生主義家連中が、常日頃の佐助の行状、就中この山塞におけるややもすれば軽々しい言動を見て、まず眉をひそめ、やがておもむろに嫌味たっぷりな唇から吐き出すのは、何たる軽佻浮薄、まるで索頭たいこ持だ、いや樗蒲ばくち打だ、げすの戲作者気質だなどという評語であったろうが、しかしわが猿飛佐助のために一言弁解すれば、彼自身いちはやくも自己嫌悪を嘔吐のように催していた。荘重を欠いたが、莫迦ではなかった証拠である……。
 思えば今日まで自尊心を傷つけられた数は、ざっと数えて四度あった。
 最初はいわずと知れた十九歳の大晦日の夜、ひなにもまれな新手村の小町娘楓をそそのかして、夜のとばりがせめてもに顔の醜さをかくしてくれようと、肩を並べてぬけぬけと氏神詣りに出掛けたが、折柄この夜だけはいかな悪口雑言も御免という悪口祭のかずかずの悪口のうち、蓄膿症をわずらったらしい男が、けれど口拍子おかしく、
「やい、おのれの女房は鷲塚の佐助どんみたいなアバタ面の子をうむがええわい」
 とほざいた一句の霜のような冷たい月の明りに照らされ覗かれて、星の数ほどあるアバタの穴をさらけ出してしまった時である。
 途端に隠遁をきめこんで、その夜のうちに鳥居峠の山中に洞窟を見つけこの中にアバタ面を隠したが、たまたま山中をよぎった鳥人の思想を説く奇怪な超人、戸沢図書虎よりアバタを隠す調法な忍術を授けられ、やがてこの術を以って真田幸村に仕えて間もなく、上田の城内の歌合せの会に出席して、はからずもその席上かつての小町娘今は奥方の侍女楓を見出した時が自尊心の傷ついた二度目。
 アバタ面の猿飛が猿の衣裳つけて罷り出で、短冊片手に首かしげ、歌を読むとて万葉もどきに「アバタめが首を振る振る振るもよし振らぬもよし……」などとは口くさっても言えようか見せられようか、ああ恥かしい、醜態じゃと、たちまち忍術の極意で楓の前より姿を消したその足で上田を立ちのき、武者修行に出掛けたが、忍術を使えばいかな敵もなく、遂にわれ日本一なりと呆れ果てたる己惚れに増長したところを、師の戸沢図書虎より苦もなく術を封じられてしまったのが三度目。
 そして四度目は想い出すさえ生々しい。即ち昨日の山賊退治の拙い一幕だ。だんまりで演れば丁々発止の竜闘虎争[#「竜闘虎争」は底本では「龍闘虎争」]の息使いも渋い写実で凄かったろうに、下手に鳴り物沢山入れて、野暮な駄洒落の啖呵に[#「啖呵に」は底本では「痰呵に」]風流を気取ったばかしに、竜頭蛇尾[#「竜頭蛇尾」は底本では「龍頭蛇尾」]に終ってしまったとは、いかにもオッチョコチョイめいて、思えばはしたない。

「総じておれは気障が過ぎるわい」
 ただでさえ目立つアバタの旗印を、雲をつく化物のような長身の肩で切った風にひるがえしながら、熊手のような手で怪しげな歌など作って、新手村の百姓娘に贈ってたまげさせていた年少多感の悪趣味はまず我慢出来るとしても、口をひらけば駄洒落か七五調、すまじきものは宮人気取った風流口調の軽薄さ。おまけに、自虐か自嘲か、われよりアバタを言い触らすとは、いっそ破れかぶれか……。
「いや、あれもこれも皆このアバタのひけ目の成せる業だ」
 と佐助はにわかにしょんぼりして、ふと寂しい心の底を覗きながら、折柄どこからか聴えて来る下手な笛の音を浮かぬ顔でしばらく聴いていたが、やがてその笛の主がどうやら壁をへだてた隣の牢屋にいるらしいと判ると、はや気取りたっぷりの気障な口調の昔取った杵の音をきかせて、
「秋も深し、夜も深し、眠りも深し、笛ふかす、隣は何をする人やら」
 と呟いたのち、壁に向って、
「――もし、お隣の仁、折角御清興中を野暮な問い掛けでおそれ入るが、お手前はいったいどこの何人でござるか」
 と、声を掛けた。途端に笛の音がやんで、隣から聴え来たのは、
「我こそは信州真田の鬼小姓、笛も吹けば法螺も吹く、吹けば飛ぶよな横紙を、破った数は白妙の、衣を墨に染めかえた、入道姿はかくれもなき、天下の横紙破り三好清海入道だ」
「なアんだ、三好か」
 佐助はふき出してしまった。阿呆の一つ覚えの名乗りを、さも得意らしく牢屋の中であげているのもおかしいが、それよりおかしいのは、俺は昨日茶店の女にきいた時、てっきり宝蔵院くずれだと思ったが、三好入道もまた山賊退治に失敗して牢の中に閉じこめられているのか、まず、佐助は自分の名を告げたあと訊ねたところ、果してその通りであった。が、上田の城内におとなしくいた筈の三好が何のためにのこのこ上田を発って来たのかと、その旨問うと、三好は言下に、
「貴様を縛り首にする為だ」
「えっ? なんだと?」
 さすがに驚き、人を驚かすが自分は驚かぬのを伊達男の心得の第一としている手前、佐助は咄嗟に自分を恥じて、何たる心の弱まりかと情けなかった。
 三好は佐助が案の定驚いたらしいのを見ると、ますます図に乗って、
「いつぞやの歌合せの夜、無断でお城を飛び出して気儘勝手に諸国漫遊[#「諸国漫遊」は底本では「諸国慢遊」]に出掛けた不届きな猿飛め、唐天竺まで探し出して、召しとって参れとの殿の上意をうけて上田を発ち、東西南北、貴様の行方を探しもとめている内、ひょんなことから、この牢屋へ閉じこめられ、退屈しのぎに笛を吹いていたというわけよ」
 と、日に一度吹かねば気嫌のわるいという法螺を、凝りに凝った笛のあとで吹けたという喜びにぞくぞくしながら、
「――したが、ここで会ったとは何が幸せになるやら、やい、猿飛、上意だ、繩に掛れ、……といいたいが、壁をへだてた牢の中。――おい、猿飛、貴様忍術が使えるのだろう。えいと九字をきって、ドロドロと鼠に化け、チョロチョロと穴を抜け出して、この俺を救い出してくれ」
「その忍術が使えるなら、今時、貴様の下手糞な笛など聴いておるものか」
 いかにもしょんぼりした声だが、さすがに虚勢を張って、佐助がそう言うと、三好は、
「ははあん。俺を救い出すと、こんどはお主が俺に召しとられるおそれがあると思って、そんな嘘を言っているのだろう」
 と、自身法螺吹きだけに、直ぐ邪推した。すると、
「莫迦! 坊主頭の貴様の前で嘘を言うても洒落にもなるまい」
 と、はや駄洒落がはじまり、
「――昨日までの俺ならば、天から降ったか地から湧いたか、火遁、水遁、木遁、金遁、さては土遁の合図もなしに、ふわりと現われふわりと消えて、消えぬアバタの星空も、飛行の術で飛んでもいたが、鳥人先生のいましめ受けて、封じられたる忍術の、昔を今になすよしも、泣く泣くかこつ繰言の、それその証拠には、この合部屋に膝をかかえているじゃないか」
 と、万更法螺でもなさそうだったから、
「じゃ、この鈴鹿峠が俺たちの墓場か」
 と、三好がげっそりとすれば、
「そうよ。坂はてるてるの坊主の三好、墨の衣は鈴鹿の鐘を、チンと敲いて念仏でも唱えているんだな」
 などと、他愛もない洒落にますますうつつを抜かしはじめると、もういけない、まるで弁慶か索頭たいこ持ちみたいにここを先途と洒落あかして、刻の移るのも忘れてしまったが、そのありさまはここに写すまでもない。
 その翌日、まるで申し合わせたように、鈴鹿峠の麓の茶屋に柔かな物腰をおろした若い娘があった。峠を越すのかと女中がたずねると、
「峠を越せば、遠く信州を猿飛様にやがて近江(会う)路、日の暮れぬうちに越そうと思います」
 という気取った言い方は、大方佐助の感化であろう、それは楓であった。
 新手村の大晦日の夜と、それから城中での歌合せの夜の二度まで、自分を振り切るように逐電してしまった佐助が一途に恋しくて、思い余ったその挙句に、佐助たずねてのあてなき旅の明け暮れにも、はしたなく佐助ばりの口調が出るとは、思えば佐助も幸福な男である。
「滅相もない、お女中様、そりゃおよしなさいませ。あの峠にはおそろしい山賊がおります。昨日もアバタ面のお武家様が山賊退治に行くといって出掛けられましたが、今に下ってみえない所をみると……」
 女中がそう言いかけると、もしと楓はせきこんで、
「もしやそのお侍、信州訛りでは……?」
 胸のあたりがどきどきと顫え、そして、
「さア、どこの訛りかは知りませんが、妙に気取った物の言い振りをされるお武家様で……」
 という女中の言葉を皆まできかず、あ、佐助様にちがいはないと、起ち上ると、茶代も置かずに山道を駈け登って行った。そして、生きているか、死んでいるかは知らぬが、よしんば屍にせよ、恋しいひとの少しでも近くへ行きたい一心の楓の足は、食い気しか知らぬか、もしくは食い気を忘れぬという今時の娘たちの到底及びもつかぬ速さにいじらしい許りであったから、作者もこの辺りは駈足で語ろう。
 何刻かの後、楓は木鼠胴六の前で知っているだけの舞いを、全部舞っていた。
「名は秋の楓だが、はて見飽きもせぬ」
 と、胴六はわざとさりげなく洒落を言ってみせて、時に意味もなく笑い声を立て、手下共は何かしらやけくそめいた酒を飲み、無論胴六もしたたか痛飲し、熊掌駝蹄ゆうしょうだていの宴であったが、やがてガヤガヤ[#「ガヤガヤ」は底本では「ガヤガヤり」]入りみだれている内に、物の順序として月並み軒並みに一人残らず酔いつぶれて眠ってしまった隙をのがさず、ひそかに牢屋の鍵を盗み出してしまった楓は、にわかにガタガタと顫えながら、這うようにして牢屋の前に来ると、
「佐助様、佐助様」
 どんな女の一生にも一度は必ず、そして一度しか出ぬ美しい声が、今こそあえかに唇を顫わせた。

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