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小栗外伝(おぐりがいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 15:34:25  点击:  切换到繁體中文


第一代の日の御子降臨の時に、祖母オホミオヤ神の寄与せられた物は、鏡と稲穂(紀)とで、古事記では其外に二神器及び、智恵の魂・力の魂・門神の魂をば添へられてゐる。同じ本には、鏡を御霊として居るが「わが前を拝む如斎きまつれ」と告げられたと言ふ合理的な語部の解釈を、其儘採用してゐる。鏡を和魂又は奇魂に、劒を荒魂に、玉を奇魂或は和魂と解せられぬでもないが、姑らく紀に拠つて、鏡だけを説く。此は、御代毎に新しく御母神から日の御子が受けるもの、と解した外来魂の象徴と見るのが、古義に叶ふらしい。
稲穂は、祝詞・寿詞を通じて、神孫の為の食物に分け与へられたものと考へて来てゐるが、稲穂を魂代とする豊受姫神が、保食神・豊うかのめなどの名で、色々な神に配せられ、生死を超越した物語を止めて居るのは、必、意味がある。「食国ヲスクニの政」を預る者は、天上の食料を地上にも作り出して、天神に献る事務を執らしめられるのである。其為事に失敗したのが、すさのをの命であつた。
此農作物の魂を所置する法を知られなかつたのだ。其で黄泉を治める事になつたものと、古伝誦の順序を換へて見るべきだらう。天つ罪が此神の犯した神の供物荒しの罪を数へ立てゝ居るのにも、理由あつての聯絡であつたのである。
穀物の魂を、御母神ミオヤガミの魂に添へた理由は、同時に、内宮に外宮を配した所以でもある。外宮は皇太神宮のカムダチ[#「广+寺」、341-5]の神として出発した信仰と見ることも出来る。又さうした理会の上に、古文献も、此農神の事を叙述してゐる。而も此神は、田畠の神であると共に、酒の神であり、家の神でもある。大殿祭祝詞註の所謂、室清めの産飯サバ説も、葺草壁代の霊とする説も、尚合理臭い。此神の子として、若室葛根ツナネ神(記)の名を伝へて居るのは、寧、御饌神ミケツカミ厨の神とする説の方がよい。併し、外宮の場合の旧説と一つになる。私はやはり、鏡の象徴する魂・穀物の象徴する魂が、外来魂として代々の日の御子に寄り来るものと見てゐる。うかのみたまを表すのに稲魂の字を以てするのも、此消息を示して居る。生命の祝福と建て物の讃へ詞が並行叙述の形で表現せられてゐるのは、もつと根本的に、此とようかのめの神の魂が、家あるじの生活力に纏綿して居るものとせられてゐたからであらうと考へる。
食国の政を完くする為に、穀神を斎くと考へるよりも、食物の魂の寄つて居る為に、家長の生活力が更に拡充せられると言ふ信仰から出たのであらう。二神器及び三神の魂を与へられたのも、此意義から、無限に外来魂を殖して考へることの出来た古代人の思想を見る事が出来よう。殊に考へ方は新しくても、智力の魂の伝への方は、外来魂の権力の上に、助勢する力として、附着して来るものと考へられた痕を、はつきり残して居る。玉・劒は、呪力の源と見る方が適当であるらしい。
外来魂の考へが荒魂・和魂に融合して、魂魄の游離観を恣ならしめた。荒魂・和魂の対立は、天子及び、賀正事ヨゴトを奏する資格を持つ邑君の後身なる氏々の長上者にも見られる。而も二魂、各其姿を持つものとの考へから、荒魂の為の身、和魂の為の身に、二様の魂のよるべとしての御服ミソを作つた。其二様の形体を荒世アラヨ和世ニゴヨ――荒魂の・和魂の――と言ひ、御服を荒世の御服ミソ・和世の御服と称へた。而も荒世・和世の形体の寸尺を計つて、二魂の持つ穢れ・罪を移す竹をも、亦荒世・和世と言うた。二魂の形体の形代としての御服に対して、主上の寸尺を計る竹も、二魂の形体其物の殻と考へられてゐるので、ある時代に、後者が陰陽道の側から、とり込まれた方式なることを示して居るのではないか。此が、夏冬の大祓に続いて行はれる主上の御アガナひなる節折ヨヲリの式である。東西の文部フビトベが参与することから見ても、固有の法式に、舶来の呪術の入り雑つて居ることは察せられる。
鎮魂祭の儀を見ると、単に主上の魂の游離を防ぐ為、とばかり考へられないことがわかる。年に一度、冬季に寄り来る魂があるのである。御巫ミカムコの「宇気ウケ」を桙で衝くのは、魂を呼び出す手段である。いづれ平安朝に入つての替へ唱歌であらうが、鎮魂祭の歌の「……みたまかり、たまかりましゝ神は、今ぞ来ませる」と言ふ文句を見ると、外来魂を信じた時代からのなごりを残したのが訣る。而も、主上の形身なる御衣の匣を其間揺り動すのは、此に迎へ移さうとするのである。魂の緒を十度結ぶことは、魂を固着させる為である。魂の来り触れて一つになる時だから、たまふりと言ふので、鎮魂の字面とは、意義は似てゐて、内容が違ふのだ。「ふるへ/\。ゆらゝにふるへ」と言ふ呪言は「触れよ。不可思議霊妙なる宜しき状態に、相触れよ。寄り来る御魂よ」の意であらう。触るは、ふらふふらはふなど再活用を重ねる。ふるふふらふと一つ形である。
荒魂・和魂を以て、外来魂と内在魂との対立を示す様になつてからも、其以前に固定した形の、合理化の及ばない姿を存して居た事は、鎮魂祭の儀礼からも窺はれた。更に、旅行者の為に、留守の人々がする物忌みも、此側からでなくては釈けない。牀・畳などを動かさず、斎み守るのを、旅行者の魂の還り場処を失はぬ様にするのだ、と説くのはよいであらうか。旅行者の魂の一部が、家に残つてゐるために、還つて来ても、留つた魂と触りて、其処に安住することが出来るのであつた。留守の妻其他の女性も、自身の魂の一部を自由に、旅行者につけてやる事が出来た。これが万葉に数知れずある、旅行者の「妹が結びし紐」と言ふ慣用句の元である。下の紐を結んだ別れの朝の記憶を言ふのでなく、行路の為の魂結びの紐の緒の事を言うたのであつた。着物の下ガヒを結ぶ平安朝以後の歌枕と、筋道は一つだ。下交を結ぶのは、他人の魂を自分に留めて置くのである。其が、呪術に変つて行つたものであらう。皆、生御魂イキミタマの分割を信じて居たから起つた民間伝承であつた。恰も、沖縄の女兄弟が妹神ウナイガミ即巫女の資格に於て、自らの生御魂を髪の毛に托して、男兄弟に分け与へ、旅の守りとさせたのと同じである。
旅行者の生御魂を、牀なり畳なり、其常用の座席に祀つたのである。それが一転して、伊勢参宮した家の表に高く祭壇を設けた、近世の東国風の門祭になつたのだ。此亦、生御魂の祀りと言ふ意味から、旅行者の魂の還りのめどにすると言ふ方へ傾いて来て居る。死者の為にも、ある期間魂牀を据ゑ、枕も其儘にして置くのも、遠旅にある人の生御魂の家に残つて居る考へと一つである。
神今食・新嘗祭などに先立つて、坂枕や御衾を具へて、神座の上に寝処を設ける式を、皇祖が主上と相共に贄をおあがりになるのだと言ふ風に見る人が多い。けれどもやはり、一つの御魂ふりの様式で、天子のみ魂ふりであつた。かう言ふ風に、魂の離合は極めて自由なものと考へられて居り、一部の魂は肉身に従はないで、去留するものとし、又更に、分離した魂が、めい/\ある姿を持つこともあると考へて居た。此が荒魂が更に荒魂を持つ所以である。だから、游離魂の信仰は言ふまでもなく、離魂病のため同じ人の二つの姿を現ずる様な事も、必しも輸入とばかりはきめられなくなるのである。七人将門の伝説などは、此系統に入るべきものである。単に、肉身の復活を悲願に繋けて説く飜訳種、とはかたづけて了はれぬ。
思へば、餓鬼は幽霊の前身なのである。だから、実体のないはずの者だのに、古来の魂魄観が、幽霊の末に到るまで、見えもし見えずもあると言つた、中途半端な姿にして了うた。
さて餓鬼阿弥の場合、第一章では、肉身を欲する魂魄を以て説いたが、其上にたましひの放散した後、本身の魂への魂ふりに、頗長い期間を要した蘇生者に対する経験が加はり、又謂はうなら、かげの身が本身と合体する径路も、根柢に含まれて居ると見られよう。此と蛇子型の民譚とが絡みあへば、小栗の物語の蘇生譚の部分は形づくられる訣である。
たましひの語原は訣らないとする方が正直なのだが、魂魄の総名が、たまであるのだから、何処までも一つものとは言はれない。厳重な用語例は尠いが、比較に立てゝ言ふと、たまは内在のもの、たましひはあくがれ出るもの、其外界を見聞することから智慧・才能の根元となるもの、と考へて居たらうと言ふ事だけは、仮説が持ち出せる。さうして其、不随意或は長い逸出などの、本人の為の凶事を意味する游離の場合に限つて、光りを放つものと見た様だ。
古代人は光りをかげと言ひ、光りの伴ふ姿としての陰影の上にも、其語を移してかげと言うた。即、物の実体の形貌をかげと言うたのである。人の形貌をかげと言ふのは、魂のかげなる仮貌の義である。だから、人間の死ぬる場合には、人間の実体なる魂が、かげなる肉身から根こそぎに脱出するから、其又かげなる光を発して去るもの、と見るより、魂の光り物を伴ふ場合にあつたりなかつたりする説明は出来ない。だから、たましひを火光を意味すると説く事は、第二義に堕ちて居る事が知れる。
姑獲鳥ウブメは、飛行する方面から鳥の様に考へられて来たのであらうが、此をさし物にした三河武士の解釈は、極めて近世風の幽霊に似たものであつた。さう言へば、今昔物語の昔から、乳子を抱かせる産女ウブメは鳥ではなかつた様だ。幽霊の形を餓鬼から独立させた橋渡しは、餓鬼の一種であつた此怪物がしたのであるが、これは、姿を獲たがつて居る子供の魂を預つて居た村境の精霊で、女身と考へられてゐた。
沖縄本島では、同様の怪物を乳之母チイオヤ又は乳之母チイアンマアと呼んでゐる。幽霊になると、男までも必、女性的な姿になるのは、産女の影響を残してゐるのだ。壱岐の島人の信じてゐるうぶめは飛ぶから鳥で、難産で死んだ故、此名があるとは言ふが、形は伝へて居ない。唯浮動する怪し火の事になつて居る。近世の幽霊が、提灯や面明りのやうに、鬼火を先き立てゝ居るのも、実は、魂のかげを二重に表して居るのだ。光り物が消えて後、妖怪の姿が現れる様に言ふ話の方が、古いのである。骸を覓めて居る魂は、唯の餓鬼ばかりではなかつた。不完全な魂、村の男ともならぬ中に死んだ、条件つきでなければ生を享けられぬ魂も、預り親に無数に保たれながら、迷うて居たのである。(炉辺叢書「赤子塚の話」参照)

     三 土車

謡曲以後の書き物に見える土車が、乞丐の徒の旅行具である事には、謂はれがあらう。乗り物に制約のやかましかつた時代に、無蓋の、地を這ふ程な丈低い車体を乞食の為に免してあつたのである。土搬ぶ車を用ゐさせたのかとも思ふ、が恐らく、土を大部分の材料につかうたからの名であらう。
土車に乗るのは、乞食が土着せず、旅行した為である。而も、歩行自在でない難病者が、乞食に多くなつて来た時代の事である。片居カタヰ物吉モノヨシなど言ふ乞食を表す語が、癩病人を言ふ事になつたのは、とりわけ其仲間に、此患者が多かつたのを示してゐることは、言ふまでもない。其他の悪疾・不具に到るまで、道に棄てられたのが、後代になる程、罪障消滅など言ふ口実を整へて来た。過去の罪業を思はしめる様な身を、人目に曝しながら、霊地を巡拝する事を、懺悔の一方便と考へる様になつた。かうして、無数の俊徳丸が、行路に死を遂げたのである。俊徳丸も、謡曲弱法師には盲目としてゐるけれど、古浄瑠璃の「しんとく丸」には癩病になつてゐる。俊徳丸の譚が、弱法師をば、必しも原型と見ることの出来ぬ理由は別の時に言ふ。唯小栗浄瑠璃が、部分的に「しんとく丸」の影響を見せてゐる事は事実だ。土車に乗る様な乞食は、癩病人が主な者であつた。だから、後々餓鬼阿弥を餓鬼やみと考へて、癩病の事と考へたのも無理はない。
小栗は餓鬼阿弥として土車で送られた。勿論業病の乞食としてゞある。私には餓鬼阿弥の名が、当意即妙の愛敬ある呼び名としての感じも伴ふけれども、同時に、固有名詞らしい気持ちをも誘ふ。即実際、時衆の一人に、さうした阿弥号を持つた者があつたか、遊行派が盛りに達したある時代に、念仏衆の中でも下級の一団に、餓鬼衆・餓鬼阿弥など総称せられる連衆があつたかして、小栗浄瑠璃の根柢をなす譚を、おのが身の上の事実譚らしく語つて歩いた。懺悔念仏から出発して居るのではあるまいか。
室町時代の小説に、一つの型を見せて居る「さんげ物語」は、既に、後代の色懺悔・好色物の形を具へて来てゐるが、ある応報を受けた人の告白を以て、人を訓すといふ処に本意がある。而も、自己の経歴の如く物語る、袖乞ひ唱導者の一派が出来て来た。其所に、唱導者と説経の題名との一つになる理由がある。餓鬼阿弥の懺悔唱導が、餓鬼阿弥自身を主人公とするものとなるのである。説経類に多く、唱導者の名が、主要人物の名となつて居ることの理由がこゝにある。





底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「民族 第二巻第一号」
   1926(大正15)年11月
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年十一月「民族」第二巻第一号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
2004年1月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「广+寺」    341-5

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