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ある心の風景(あるこころのふうけい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 7:49:39  点击:  切换到繁體中文

底本: 檸檬・ある心の風景
出版社: 旺文社文庫、旺文社
初版発行日: 1972(昭和47)年12月10日
入力に使用: 1974(昭和49)年第4刷
校正に使用: 1974(昭和49)年第4刷

 

  一

 たかしは彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視みいっていた。起きている窓はなく、深夜の静けさはかさとなって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく黄金虫ぶんぶんの音でもあるらしかった。
 そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは少なく、魚の腹綿はらわたや鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻べにがらが古びてい、荒壁のへいは崩れ、人びとはそのなかで古手拭のように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋はそんな通りの、卓子テーブルで言うなら主人役の位置に窓を開いていた。
 時どき柱時計の振子の音が戸の隙間から洩れてきこえて来た。遠くの樹に風が黒く渡る。と、やがて眼近い夾竹桃きょうちくとうは深い夜のなかで揺れはじめるのであった。たかしはただ凝視みいっている。――やみのなかにほの白く浮かんだ家のひたいは、そうした彼の視野のなかで、消えてゆき現われて来、喬は心の裡に定かならぬ想念のまた過ぎてゆくのを感じた。蟋蟀こおろぎが鳴いていた。そのあたりから――と思われた――かすかな植物の朽ちてゆく匂いが漂って来た。
「君の部屋は仏蘭西フランス蝸牛エスカルゴの匂いがするね」
 喬のところへやって来たある友人はそんなことを言った。またある一人は
「君はどこに住んでも直ぐその部屋を陰鬱にしてしまうんだな」と言った。
 いつも紅茶のかすが溜っているピクニック用の湯沸器。ちつと離ればなれにころがっている本の類。紙切れ。そしてそんなものを押しわけて敷かれている蒲団。喬はそんななかで青鷺あおさぎのように昼は寝ていた。眼が覚めては遠くに学校の鐘を聞いた。そして夜、人びとが寝静まった頃この窓へ来てそとを眺めるのだった。
 深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだんだん分明になって来る。
 彼の視野のなかで消散したり凝聚ぎょうしゅうしたりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そしてある瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂鬱であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。
 たかしは彼の心の風景をそこに指呼することができる、と思った。

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