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城のある町にて(しろのあるまちにて)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 7:56:39  点击:  切换到繁體中文

底本: 檸檬・ある心の風景
出版社: 旺文社文庫、旺文社
初版発行日: 1972(昭和47)年12月10日
入力に使用: 1974(昭和49)年第4刷
校正に使用: 1974(昭和49)年第4刷

 

    ある午後

「高いとこの眺めは、アアッ(とせきをして)また格段でごわすな」
 片手に洋傘こうもり、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗きれい禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるでせんをはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたままたかしの脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望ちょうぼうへ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
 町をはずれてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃いあいが、それのかなたに拡がっている。すそのぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かにわだかまっている。――
「ああ、そうですな」少し間誤まごつきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだのどや耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんのこだわりもしらないようなその老人に対する好意がほほに刻まれたまま、たかしはまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。

 一つには、可愛かわいい盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
 ぼんやりしていて、それが他所よその子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
 そんなことまで思っている。
 彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗ヴェイルのあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染なじんで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。とげ一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細ささいなことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そしてひでりの多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
 そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想もうそうにひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐しがいのあることのようにたかしには思えた。

「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。ひでりのためうんかがたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のようにまたたいている。山の峡間はざまぼうと照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮こうふんして涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡はにぎわっていた。やみのなかから白粉おしろいを厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町はいらかを並べていた。
 白堊はくあの小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナくずめいて、緑色の植物が家々の間からえ出ている。ある家の裏には芭蕉ばしょうの葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好かっこうに刈られた松も見える。みなくろずんだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。――
 夜になると火のいた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓ゆうかくの方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりにのぼりをたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆ひおおいをした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
 次つぎ止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」になったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」とはじめるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終わって「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
 たかしはこの間、やはりこの城跡のなかにあるやしろの桜の木で法師蝉ほうしぜみが鳴くのを、一尺ほどの間近で見た。華車きゃしゃな骨に石鹸玉のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆虫こんちゅうに、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があると言えば、ただその腹から尻尾しっぽへかけての伸縮であった。柔毛にこげの密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとしたふくらみ。すみずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。
 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
 峻がここへ来る時によく見る、ちんの中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
 蝉取竿せみとりざおを持った子供があちこちする。虫籠を持たされたは、時どき立ち留まっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りにいてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
 またあちらでは女の子達が米つきばったを捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさんというのはこの土地の言葉で神主かんぬしのことを言うのである。たかしは善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばったが、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気のんきなものに思い浮かんだ。
 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
 時どきけむりを吐く煙突があって、田野はそのあたりからひらけていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
 くろい木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭たいしゃ煉瓦れんがの煙突。
 小さい軽便が海の方からやって来る。
 海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
 見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。
 ササササと日がかげる。風景の顔色が見る見る変わってゆく。
 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根がのぞいている。そして入江には舟がもやっている気持。
 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心をくようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
 たとえばそれを故のない淡い憧憬しょうけいと言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
 人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話とぎばなしめかした、ぴったりしないところがある。
 なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思ってみる。それにはコンステイブルの画を一枚思い出している。やはりそれでもない。
 ではいったい何だろうか。このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。――
 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先ほどの入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。
 見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しいうなり声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。
 夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出が湧いて来る。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
 いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
 先ほどの女の子らしい声がたかしの足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
 この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言っている児もある。
 三階の旅館は日覆をいつの間にかはずした。
 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。
 町の屋根からは煙。遠い山からはひぐらし

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