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菜の花(なのはな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 8:59:48  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本の名随筆17 春
出版社: 作品社
初版発行日: 1984(昭和59)年3月25日
入力に使用: 1997(平成9)年2月20日第20刷
校正に使用: 1997(平成9)年2月20日第20刷


底本の親本: 小島烏水全集 第七巻
出版社: 大修館書店
初版発行日: 1979(昭和54)年11月

 

市街に住まっているものの不平は、郊外がドシドシつぶされて、人家や製造場などが建つことである、建つのは構わぬが、ユトリだとか、くつろぎだとかいう気分が、くなって、堪まらないほど窮屈になる、たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、もし人家の傍に、一寸ちょっとした畠でもあれば、それが如何いかに些細なものであっても、何だか緩和されるような気になる、そうして庭園のように、他所よそ行きの花卉かきだの、「見てくれ」の装飾だのがしてないところに、又しようとも思わない無造作のところに、思いさま両手を伸ばしてあくびでもするような気持になれる。
 少なくとも、市街は接近した、もしくは市街を前景とした畠は、野菜を作って、食膳に供給するという実用的の意味に於てよりも、人間と人間との間に踏み固められない、柔かい黒い土を割り込ませて、庇の連続や、肱の突き合いを緩和させるという点だけで、保存して置きたく思う、そういう意味で、保存するとなれば、何も月末の八百屋の払いを、幾分か助けるつもりで、胡瓜や茄子を作る必要はない、黒土のままで残して置いて、春の温気が土のかおりを蒸し上げるのを、ぼんやり眺めていてもいいのであるが、それではあまりサッパリし過ぎるから、春ならば先ず私は、何を置いても、そこに菜の花を観たい。
 春の花の中でも、私はなぜか、梅や桜や、すみれだの蒲公英たんぽぽだのよりも、その他の何よりも、菜の花に執着を持つ、少年の時代から、この花が好きで、野外遠足は、菜の花の多そうなところを選んで歩いたものだ、今でも春の景色と云うと、菜の花のそれが眼に浮ぶ、菜の畑の中にかがんで、あぶのブンブンうなるのを聴きながら、本を読んだり、所謂いわゆる「空想」にふけったりしたこともある(その時分は至ってセンチメンタルな気分を悦んだものだ、今でもとかく脱け切らないが)、東海道藤沢の松並木の間から、菜の花の上にうかぶ富士山を、おもしろい模様画に見立てて、富士山と菜の花の配合などを考えたことがある、中にも私の好む菜の花の場所は、相模大山の麓、今は烟草たばこの産地として名高い秦野付近で、到るところ黄の波をつらねていた――併し此頃往って見たら、それも大方桑畑などに変って、今じゃあ夢になった、近頃は不思議なほど、菜の花が郊外から影を隠した、物価も租税も高くなって、菜種の油などを、搾っていては、割に合わぬから、もっと金の儲かるものを植えるのに、何も不思議はないが、私は何だか、夢を喰われたような気がする。
 関西地方は知らず、東京横浜間や、その付近の郊外では、今では菜の花を見ると、珍しく振り返るほどだ、そうやって振り返るのも、私ぐらいなものかも知れない、大阪の郊外に住んでいる友人画家織田一磨氏は、「大阪付近では、到るところに金色をした菜の花の光が、太陽の光線を反射している、菜の花の盛りの時は、べての物が、皆黄色となる、反射光線の強いのは、ちょうど雪のようだ、そして黄色の野原の末に、紫に烟って見える遠山の色、悪くはおもわぬコントラストだ、そしてその黄色い海の内を、赤い絵日傘の娘が通る」と言って、大阪の自然の誇りにされたが、東京付近では、そういう自然は、もう見たくとも見られない。「菜の花や月は東に日は西に」「菜の花の中に城あり郡山」などいうのは、春げしきの中で、私が永久に保存したく思っている風景画である。
 人に依ると、あの花のかおりは、糞ッ臭いから、いやだと言うようだが、幸いに私の嗅覚は、それほど過敏でない故か、ちっとも苦にならないどころか、臭いからして、私はこの花が好きだ、梅の匂いのように上品でないかも知れないが、土臭いのがまらなくいい。
 併しながら「亡び行く生物」の中に、この菜の花が、次第に加わるのではなかろうか、それとも都落ちの仲間に入って、次第に我等の付近から、影を隠してしまうのではあるまいか、場末の旅籠はたご屋などで、食膳の漬け菜の中から、菜の花のつぼみが交って出ることがあるが、偶然だけに、どんなにか私を悦ばすことだろう。
 私の机上には、有り合せの玻璃瓶に、菜の花が投げ込んである、これは弟に捜させて、採って来たものである、天鵞絨ビロードのように、手障りの柔らかな青い葉が、互い違いになって、柱のような茎を取りまいて居る、此柱の頭から、つぼみが花傘なりにむらがって、蛹虫さなぎむしの甲羅のように、小さく青く円くなっている。莟みの集団の下から、房になった黄色い四弁花が、いま電燈の蒼い光にきらびやかに匂っている、茎は一皮下には、青い血が通っているのではないかと思われるほど透き通って、らゆる春の緑の中で、最も練り抜かれた緑である、見つめていると、早春の名残といったような淡い哀愁に加えて、物の末期の惨酷を思わせる姿である。
 それにしても、我家の庭に、菜の花の畠が欲しい。





底本:「日本の名随筆17 春」作品社
   1984(昭和59)年3月25日第1刷発行
   1997(平成9)年2月20日第20刷発行
底本の親本:「小島烏水全集 第七巻」大修館書店
   1979(昭和54)年11月発行
入力:門田裕志
校正:大野 晋
2004年9月26日作成
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