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珠(たま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:53:26  点击:  切换到繁體中文

底本: 青白き夢
出版社: 新潮社
初版発行日: 1918(大正7)年3月15日
入力に使用: 1918(大正7)年3月15日
校正に使用:  

 

丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子たをこの産んだ赤ん坊は生き/\と心よくすこやかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。
 多緒子は産後思はしくなかつたけれども、彼女の若い肉體には、別に少しのやつれも見えなかつた。やはり艶のいゝ生き/\した頬をして、娘の時のやうにありあまるやうな黒髮を手輕な銀杏返しに結つて、白い兩腕をせはしく動かしながら、赤ん坊の着物を縫つたり、おむつをかへたりなどしてゐた。そして多緒子たをこは赤ん坊の顏を時々見つめながら、彼女の頭にはいろ/\の幻が、走馬燈のやうにまつはつてゐるのであつた。
 彼女は忽ちいつか電車のなかで見た、桃割に結つた内氣なおとなしい十六七の娘の淋しさうな横顏を思ひ浮べた。そしてそれが自分の娘であつた。彼女はその娘に對するいろ/\の心づかひや、衣服の選擇などを思ひ浮べた。
 また彼女はいつか道ですれ違つた、海老茶色のリボンを前髮につけた眼の大きい、黒い編上げの靴をはいた快活さうな少女のことを考へた。そしてそれがまた彼女の子供であつた。彼女はすぐに通學する用意や、それに對する種々な注意、リボンの色合や袴の色について考をめぐらした。そして多緒子は、自分の持つてるフランス製の小さな女持の金時計を、その子供に與へなければならないと思つたのであつた。
 けれども多緒子はまづ氣がついたやうに、第一、六つになつたならば幼稚園に通はせなければならないのだと考へた。また白いエプロンをかけて、赤い羅紗の輕い靴をはかせて、道を眞直に迷はないで石ころをよけて歩くやうに、片手をひいて幼稚園まで送つて行かなければならないのだと思ふと、彼女の瞳は急にうつむくやうになつて、淋しさうに考へ込んだ。そしてなにかにおどかされたやうに、側にねせてあつた赤ん坊の上にかぶさるやうになつて、新らしい果物のやうな赤ん坊の香りをかぎながら、やはらかな頬に顏を押しつけて、
『いつまでも、いつまでもこのまゝでゐるやうに。』
 と、口の中でつぶやいた。そして多緒子は、大きな瞳をうるませながら、いろんな考へを振り切るやうにして、一生懸命働いた。
 多緒子は、丁度二年程前に病氣で片足を失つた不自由な肉體であつた。それで彼女は姙娠するとすぐに、不具の親を持つた子の悲しみと、不具の子を持つた親の悲しみとを考へたのであつた。けれども、それは各々にとつて唯一な最愛なものなのだ、多緒子は自分の爲めに絶えず悲しんだ、自分の母親やまた姉の不具をはづかしく思つた妹のことなどを考へた。
 多緒子は自分が母にならうとした時、そしてまた母になつてしまつてからでも、たえず我子がかつて母親の人並にすこやかであつた姿を見ることが出來ずに、まづ最初に知る母としての唯一のものが、不具であるのを知つた時に、なにも知らない、いとしい不幸な我子に對して、何といふ云ひわけをしたらいゝだらうと涙にくれた。
 けれども多緒子は、自分の肉體に對して我子に云ひわけする何物もなかつた。彼女は自分が不具にならなければならなかつたことについては、何にも知らない、只病氣の爲めにといふ、その一言より知らないのである。けれども我子は必ず、『なぜ病氣になつたの。』と聞くに違ひない、けれども彼女自身もなぜ病氣になつたのか知らないのだ。
『身體が弱かつたから。』
『なぜ、身體が弱かつたの。』子供はまた聞くに違ひない。けれども彼女はなぜ自分が弱かつたかといふことについては、何と答へていゝか知らない。それよりも子供はなんと思ふであらう。母親の不具であることが、女の子のせまい胸のなかに、頼りない恥しさ肩身のせまい思ひをさせることだらう。そしてもしや/\母親を恨むことがなからうか。我身のかなしさのあまり、母親を憎むことがありはしないだらうか。
 若い母親の多緒子は、そんなことを思ひつゞけて涙にくれた。彼女はまた無心の赤子あかごに對して自分が堪へがたい愛情を覺えれば覺えるほど、彼女は堪へがたい悲しみに心をうばはれた。そして彼女はその悲しみのうちに、子供に云ひきかせてゐる自分自身を見た。
『なぜお母樣は、足が一本ないの。』
『お母樣はね。』と彼女自身は云ひきかせるやうに誠らしく念をおして、
『お前を産む爲めに苦しんで、そして病氣になつて足を切つてしまつたの。』
 けれども多緒子は急に胸がふさがつて、眼にいつぱいの涙が浮んで來ると、泣き出しさうな心になつた。なぜ自分は、そんな嘘を誠らしく本當に云はうとしてるのだらう。多緒子は、自分が不具であるといふ苦しさ悲しさの責任を、何も知らない、そして彼女の言葉のすべてを信じようとして、瞳を見張つてゐる我子の肩に荷なはせようとしたのだけれども、それは殆ど無意識に、多緒子の苦しい愛の悲しみのなかに彼女が考へたことであつたのだ。そして彼女は自分のその嘘によつてでも、我子のあはれみと愛とを求めようとしたのである。
 多緒子は、涙をはらつて、自分自身をいまはしく思つた。そして赤ん坊の無心な顏をぢつと見つめて、また新らしく涙をながした。
『私は、この可愛い自分の子供を負つて歩くことも、手を引いて歩くことも、そして抱いて歩くことも出來ないのだ。子供はいまに知らないで、この母親の脊に手をかけておんぶと云ふだらう。そして抱いて坐つてゐると、立つて部屋のなかを歩けといふだらう。その時私はどうして、涙なしに出來ないといふことが出來るだらうか。子供にとつてそれは正常なことであるのに、私には絶對に出來ないのだ。そして軈て子供は自分の母親の肉體に氣づくだらう。子供はまづ初めに母親によつて、世の中の大きな不當を考へるだらう。疑を持つだらう。そして悲しみが子供の小さな心を包むに違ひない。』
 多緒子は、いつもかういふ事を考へた揚句が、自分の生きてることが子供にとつて幸か不幸かといふことに思ひ至るのであつた。勿論彼女は決して幸福だとは思はないのである。そして多緒子は、いつも自分の死を考へてる刹那でも少しの躊躇もなく、我子の未來の成長した時のさま/″\の幻を描いてるのであつた。
 赤ん坊の幸子は、多緒子にとつてもまた夫のたかしにとつても、丁度すべての幸福と不幸とを祕めてる、不思議な美くしい珠のやうなものであつた。多緒子は夫に愛されて、また夫を愛して婚した。そして二人は二人きりな淋しい靜かな生活のなかに幸子を産んだ。多緒子にはたつた一人の母親、たかしには只一人の父親があつたけれども、遠く山を海を隔てゝゐな[#「な」はママ]ので、赤ん坊は生れるとすぐに二人の若い兩親の手ばかりで育つた。巍は子供を抱いて子守唄を歌ひながら、部屋の中を歩きまはつた。そして幸子の小さな寢床を二人の間にのべた。無經驗な二人は經驗者より以上の敏感と神經質とでもつて、我子の上を見つめ、我子の上をかへりみた。二人は傭ひ入れた女中にも、赤ん坊のことはさせなかつた。
 二人ははじめ各ひそかに赤ん坊の肉體をくまなく注意深く見て、少しのきずも少しの間違もないのを見ると、非常な安堵と感謝の心持とを深く感じた。多緒子はおどおどして赤ん坊と二人きりの時、幾度となく赤ん坊の縮こまつてる兩足を、そつとのばしてはくらべて見た。一分でもちがつてゐたら、成長してから一寸の違ひにもなるであらう。多緒子は常にある恐怖を持つて我子、我夫、すべて愛するものゝ足といふことを考へてゐたのであつた。
 けれども幸子は二人の間に、本當に初夏の若葉のやうに快よく目に見えて幸福さうに育つた。二人はふとした休息の時に、寢入つてる幸子の顏をのぞき込んで、新らしい果物のやうな、甘い快い香ひをかぎながら、微笑み合つた。
『なんて完全に心持よく大きくなつたらう。』
 たかしは感心してよろこびに堪へられないやうに云ふ。すると多緒子もすべてを忘れて、嬉しさうに深い息をつきながら、
『本當に、なんて可愛かはいんでせう、どこつてかけた所のない、この肌の氣持のいゝこと。』
と、なにか云ひたいことが、とても口で事はれないと云つたやうにある感慨にみたされて云つた。二人はそのひまもぢつと幸子を見てゐた。やがて巍は、多緒子の顏を見ながら云つた。
『二人の愛のなかに産れた子供なだもの[#「なだもの」はママ]、全く全く純な愛、清らかな肉體から生れた子供だもの。だから幸子は、こんなに完全で氣持がよくきれいなんだよ。それが普通なんだもの。』
『本當にね。』
 多緒子は涙を浮べてうなづいた。そして愛するものゝ爲めに、彼女は出來るだけの心づかひを持つて、一生懸命に働いた。
 けれども梅雨つゆの終り頃になつて、すべてが濃い青葉につゝまれてしまつた頃、幸子さちこは小さな咳を二つ三つし初めた。彼女たちは、子供にとつて恐ろしい百日咳の話しを幾度となく聞いたので、たかし[#「たかしが」は底本では「たかしを]子供をつれてすぐ近所の小兒科の醫者に行つた。けれどもそれは風邪を引いたのだらうと云ふ位な診斷であつた。しかし彼女たちは、貰つて來た藥を幸子にのませては、このまゝ風邪かぜでなほるようにと祈つた。けれども二人はおなじやうに、幸子が彼女たちの中から災のやうに奪はれて、死んでゆく有樣を想像した。二人は常に彼等たちの手におよばない、人力でどうすることも出來得ない災といふもの、運命といふものゝことを考へてゐた。それは、いづこにも如何なる所にでも、如何なる幸福のなかにでも、ひそんでゐるやうに思はれたのであつた。二人はある朝たかしが幸子を抱いて、その後から多緒子が杖によつて歩きながら散歩をした。そして通りすがりの寫眞屋によつて幸子の寫眞をとつた。若い兩親は、そしていま寫した我子の寫眞が唯一のものとして胸に抱きしめられ、むせび泣く日のことを考へた。二人はもしも幸子がこの世からなきものとなつたならば、自分たちは何の爲めに生きるだらう。二人は死にいそぐより外はないと語り合つた。幸子の咳は初めのまゝに、やはり二つ三つ輕くするばかりであつた。
 するとある日、夜半に目覺めた多緒子の肉體からだは火のやうになつてゐた。多緒子は苦しくて寢ることが出來なかつた。
 夜があけると、その日は細かい雨がふつてゐた。彼女は漸く床をはひ出て、け放した縁の柱によつて坐つた、多緒子の肉體はまだ燃えるやうに熱かつた。けれども投げ出すやうにしてある兩手も、顏の色も眞白であつた。
 多緒子は、その日の夕方ゆふがた幸子さちこと共に夫につれられて病院に行つた。夫のたかしは別室に入つて醫者としばらく話をしてゐた。そして暗くなつて街に火がついた頃うちに歸つて來ると、多緒子は起きてることが出來ないやうにすぐ床の上に横になつた。巍は暗い顏をして氣づかはしさうに、ぢつと多緒子の枕元に坐つた。
 多緒子は肺が惡かつたのである。そして醫者は、少しの猶豫もなく空氣のいゝ海岸に轉地しなければ、いまにうごかすことが出來なくなるといふことを言つた。そしてそれと同時に、幸子さちこは輕い百日咳になつてしまつたのであつた。
 たかしはすぐにわづかばかりの道具を片づけ、家を引きはらつて程近い海岸にゆくと、彼等は砂山に面した小さな家を借りて住んだ。そして砂山に面した波の音の聞えるその家の一間に、床を敷いて白い蚊帳をつると、多緒子は何も言はずに横になつた。彼女は咳が出た、そして毎日發熱した。食慾もほとんどなかつた。彼女の病氣はなかなかなほらなかつた。
 けれども巍はこの海岸に來ると間もなく、繪をかく爲めに旅に出なければならなかつた。彼は畫家であつた。そしてその繪によつて生活しなければならなかつたので、彼は病める妻と子とを殘して、どうしても旅に出かけねばならなかつた。
 たかしは自分自身の悲しみを押しかくすやうにして、そつと旅の仕度をした。そして、
『悲しんではいけない、ね、』と、多緒子が白い敷布しきふの上にうつ伏すやうになつて、うるんでる大きな瞳を、叱るやうにして見つめると、あわてゝ荷物をとりながら、
『ぢや行つて來るぞ、ぢや行くぞ、いゝか。』
 と言ひながら、そとに出ようとして蚊帳のなかから多緒子がなんにも返事をしないと、
『どうした。』と言つてあわてゝのぞき込んだ。
『ぢや、いゝか。行くぞ。』
 巍はあとを振りかへらないやうにと、朝早く大いそぎで家を出た。
 多緒子は、寢たまゝで夜と晝とをうつゝのやうに暮した。二人の女中が雇はれて一人は幸子さちの守の爲めの幾分白痴のやうな中年の女と、一人は家の中一切をやる働き盛りの若い女であつた。
 幸子の咳はあまりひどい咳ではなかつたけれども、咳の出る度に幸子ははげしく泣いた。そして非常に機嫌が惡く、寢てゐる多緒子のそばから少しもはなれまいとした。そして幸子は夜中母親の力ない胸にすがつて乳をのんだ、多緒子は非常によく乳が出た。そして病氣になつてもやはり幸子が呑むせゐか、前と少しもかはりはなく、あふれる程出た。けれども夜中我子に乳を呑ませてゐる多緒子は、丁度すべての血管から血を吸ひとられてゐるやうに苦しかつた。彼女はあけがたを待つた。そして幸子が女中に負はれて外に出て行くと、彼女はぐつたりと、あを向きになつて眼を閉ぢた。
 幸子はいつも悲しさうに泣きながら、きたない女の脊中に負はれて海のはうにつれられて行く、女はいつも子供が高い細い聲で泣きとほすのに、調子の低い聲でいつもおなじやうに、

たんぽさん、たんぽさん、お前の國はどこじやいな。房州の房州の外房州。――

と歌ひながら、ぶらり/\と歩いて行くのであつた。
 多緒子は、ぢつと動かないやうに眼を閉ぢながら涙をためた。子供の細い泣き聲がいつまでも/\きこえてゐた。

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