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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        五十五

 引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致しましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、両人(ふたり)は飛立つ程嬉しく思いますから婆アの留(とめ)るのも聞入れずに見相(けんそう)を変え、振払って深川富川町へ駈出します。すると暫(しばら)く経(た)って帰ったのは伯父の文吉でございます。婆(ばゝあ)は両人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七十を越した婆様(ばあさま)でございますから、只騒いで心配するばかり、何うする事も出来ません。
文「婆さま、今帰りました」
婆「おゝ文吉帰(けえ)ったか、己(おら)アまア心配ばかりして居ったが、何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ」
文「何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云って己(おら)ア本当に魂消(たまげ)るよ、まア静かに」
婆「静かにたって、お前(めえ)先刻(さっき)茂左衞門(もざえもん)が家(うち)へ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア是から直(すぐ)に敵を討ちに行(ゆ)くと云うから、待てえ、向うは泥坊を取って押えるような豪(えら)い侍だから、か弱い汝(おめえ)ら二人で駈(か)ん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえから待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、己(おら)ア出て押えようと思ったら、突転(つきこか)して駈ん出すだ、追掛(おっか)けることも出来なえから、早く汝(われ)が帰らば宜(よ)いと心配ぶって居たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ」
文「こりゃア困ったなア、それだから己(おら)が不断から然(そ)う云って置くだ、二人で行っても屹度(きっと)先方(むこう)に斬られもんだ、よしんば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、何(ど)んな事が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ」
婆「何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、突除(つんの)けて行って、留(とめ)ても留らぬから仕様がないだ」
文[#「文」は底本では「山」]「そりゃア困ったなア……これ嘉十(かじゅう)手前(てめえ)も一緒に行(ゆ)け、二人に怪我をさしては成んねえから、己(おら)も直ぐに行くだから、手前長く奉公して世話に成ったから一緒に行(い)け」
嘉「敵討に行(い)くだから一緒に行(ゆ)けって、私(わし)い参(めえ)りましょう、なに死んだって構いませんよ、参りましょう」
 と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了簡と見えて、藻刈鎌(もがりがま)を担(かつ)いで出掛けまする。文吉も小長(こなが)いのを一本差しまして、さっさと跡から飛出(とびだ)して余程急ぎましたが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参りますると、其の頃は彼処(あすこ)に土屋様の下屋敷(しもやしき)があり、此方(こちら)にはまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至って人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞門の云った通り入口が門形(もんがたち)に成りまして、竹の打付(ぶッつけ)の開戸(ひらきど)が片方(かた/\)明いて居て、其処(そこ)に按腹揉療治(あんぷくもみりょうじ)という標札が打ってございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になって、その横が生垣(いけがき)に成って居りますから、凡(およ)そ七八軒奥の方(ほう)に家が建って居まして、表の方(かた)は小さい玄関様(よう)で、踏込(ふみこみ)が一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有りませんが上(あが)り口は板間(いたのま)で、障子が二枚立って居り、此方(こちら)の方(ほう)は竹の打付窓(ぶッつけまど)でございます。あの辺は四月二十七日頃でももう蚊が出ると見えて、夕景に蚊遣(かやり)を焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子(けし)や紫陽花(あじさい)などが植えて有って、隣家(となり)も遠い所のさびしい住居(すまい)でございます。二人は窃(そ)っと藁苞(わらづと)の中から脇差を出して腰に差し、慄(ふる)える足元を踏〆(ふみし)めて此の家(や)の表に立ちましたのは、丁度日の暮掛りまする時。
山「御免なさいまし、お頼み申します」
太「はい誰方(どなた)え」
山「あの揉療治をなさる一徳さんは此方(こちら)でございますか」
太「はい一徳の宅は手前だが何方(どなた)だえ、此方へお這入んなさいまし」
繼「少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つでございますえ」
太「何だ障子越しに己(おれ)の年を聞くと云うのは何だ……御冗談や調弄(からかい)では困ります、此方へお這入りなさい」
山「はい、あなたは何でございますか、額に疵がございますか」
太「何だ……左様でござる、手前は額に疵も有りますが、何方でげすえ」
山「えゝ、元は榊原様の御家来で、お年は四十一でいらっしゃいますか」
太「なんだ……はい私(わし)の年まで知っていて、面部(おもて)に疵が有ると仰しゃるのは何方(どちら)のお方でございますえ」
山「お名前は水司又市でございますか」
太「はい何方(どなた)だえ」
 と水司又市と云う名を聞くや否や山之助は一刀を抜くより早く、がらり障子を明けながら、
山「姉の敵い…」
 と一声(ひとこえ)一生懸命の声を出して無茶苦茶に切込んで来る。続いてお繼が、
繼「おのれ親の敵覚悟をしろ」
 と鉄切声(かなきりごえ)を出した時には不意を打たれて驚きましたが、
太「これ何を致す、人違いをするな」
 と云いながら傍(そば)に有りました今戸焼の蚊遣火鉢を取って打付(ぶッつ)けると、火鉢は山之助とお繼の肩の間をそれて向うの柱に当って砕け、灰は八方に散乱する。また山之助の突掛(つきか)ける所を引外(ひっぱず)して釣瓶形(つるべがた)の煙草盆を投付け、続いて湯呑茶碗を打付(ぶッつ)け小さい土瓶を取って投げる所を、横合(よこあい)からお繼が、親の敵覚悟をしろと突掛けるのを身を転(かわ)して利腕(きゝうで)を打つと、ぱらり持っていた刃物を落し、是はと取ろうとする所を襟上(えりがみ)を取って膝の下へ引摺寄せる、山之助は此所(こゝ)ぞと切込みましたが、此方(こちら)は何分手ぶらで居った所、幸いお繼が取落した小刀(しょうとう)が有ったからそれを取って、
太「これ怪我を致すな、人違いを致すな、宜く心を静めて面体(めんてい)を見ろ、人違い/\」
 と二三度打流したが、相手の方から無二無三に打って掛るから、
太「これ人違いを致すな」
 と払い除けました、其の切尖(きっさき)が山之助の肩先に当ると、腕が利いて居る、余程深く斬込みました。
山「あア」
 どんと山之助が臀餅(しりもち)をついたなり起上る事が出来ません、山之助が斬られたのを見るとお繼が
「わーっ」
 と其の場に泣倒れました。
太「これ何処(どこ)へ参って居(お)るかな、これ照や、狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったが、何処へ参って居(い)るか、これ早く燈光(あかり)を持って参れ、燈光を……」
 此の時女房は裏の井戸端で米を磨(と)いで居りました。じゃ/\/\/\と米を磨いで居り、余程家(うち)から離れて居りまするから、右の騒ぎは聞えませんだったが、大声で呼びましたから、何事かと思って慌(あわ)てゝ家へ這入って見ると右の始末、
照「おや何う…」
太「何うたって今狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ、何分暗くって分らぬから早く燈光を点(つ)けて来い」
 と云われて、女房は慌てながら火打箱でかち/\/\/\。

        五十六

 お照は火を打つ所が、慌てるから中々点(つ)かないのを漸(ようよ)うの事で蝋燭を点(とも)して、
照「何うしたの」
 と見ると若い男が一人血に染って倒れて居り、また一人の娘を膝の下へ引敷いて居りますから。
照「こりゃアまア何でございます」
太「何だって今此の狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ…さこれ能(よ)く面体(めんてい)を見ろ、人違いを致すな、己は人を害(あや)めた覚えも無し、敵と呼ばれて打たれる覚えも無い、これ面(おもて)を見ろ、心を静めて面を見ろ」
 と云われたから、山之助が漸うに起上って燈火(あかり)で顔を見ると、成程年齢(としごろ)は四十一二にして色白く、鼻筋通り、口元が締って眉毛の濃い、散髪の撫付(なでつけ)で、額から小鬢(こびん)に掛けて疵(きず)が有りますなれども、能く見ると顔形(かおかたち)が違って居りまする故、
山「あゝ是は人違いをした」
 と思うと、
太「何うじゃ、違って居(お)ろうな」
山「はい誠に申訳がございません、全く人違いでございます」
照「人違いで敵だと云って斬込むとは人違いにも程がある、何ぼ年が行(い)かぬと云って、斬ってしまった後(あと)で人違いで済みますか、良人(あなた)はお怪我は有りませんか」
太「そんな事を云わんでも宜(よ)い、早く其処(そこ)らに散乱して居る火を消せ」
 と云われて御新造(ごしんぞ)が柄杓に水を汲んで蚊遣の火が落ちた処に掛けると、ちゅうぶうと云う大騒ぎ。此の時まで只泣いて居て口の利けぬのはお繼で、今燈火の影で山之助が血に染って居(い)る姿を見て、
繼「山之助さん確(しっ)かりして下さいよ……全く人違いでございますから、何(ど)の様(よう)にもお詫(わび)をいたしますが、何卒(どうぞ)お医者様を呼んでお手当を願います」
太「そりゃア人違いと分れば手当もして遣ろうが、油断は出来ませぬ、ひょッとして又、何うもなア……全く人違いであろう」
山「はい」
太「左様か」
山「お年と云い、額の疵と云い、榊原の家来で水司又市様と仰しゃいましたから、同じお名前故に取違えましたのでございます」
太「やア是ははや是ははや、私(わし)は水司又市じゃアない、私は水島太一郎(みずしまたいちろう)という者だが、按摩に成ってからは太一と申すが、其方(そち)は水司又市を敵と狙(ねら)うのか」
山「はい」
太「やアそれは気の毒千万な事を致した、うん、うん、姉の敵で、彼(あ)の者には親の敵だと、未だ年も行(ゆ)かんで親の敵姉の敵を討とうと云う其の志ある壮者(わかもの)を、怪我させまいと背打(むねうち)にする心得だったが、困った事を致したな、是(こり)ゃア不便(ふびん)な事を致した、手が機(はず)んだから、余程深傷(ふかで)のようだ、まア/\/\待て」
 と彼(か)の按摩取太一が山之助の傷を見ると、果して余程深く切込みました。
太「こりゃア機みも機んだので、迚(とて)も助かりそうは無い……まアこれ表の鎖鑰(かけがね)を掛けろ、誰(たれ)も這入っては来(こ)まいが、若(も)し来ては成らぬから締りをして参れ、これ誠に気の毒な事だけれども、私(わし)も刃物で切込まれるから、已(や)むを得ず気の毒ながらも深傷(ふかで)を負わしたが、一体何う云う仔細でまア水司又市を敵と探す者か、此方(こちら)は手負(ておい)で居るからせつない、これ娘お前泣かずに訳を云え」
繼「はい/\、私は越中の高岡大工町の藤屋七兵衞の娘繼と申しまする者でございますが、七年前(あと)に私の継母(まゝはゝ)と、つい前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義をして、然(そ)うして親共を薪割で殺して二人で逃げました、私は丁度十二の時で、何うぞ敵を討ちたいと心に掛けまして、三年前(あと)に高岡を出まして、巡礼を致して敵の行方を捜しました所が、更に心当りもなく、つい先達(せんだっ)て江戸へ出て参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまする中(うち)に、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊原様の家来で家敷(やしき)を出て、一度(たび)頭髪(あたま)を剃り、又還俗(げんぞく)して按摩をして居る水司又市と聞きました故、親の敵という一心で此方(こちら)へ斬込みましたのでございます」
太「成程お前の為には親の敵だ、またこれは姉の敵だと云ったな」
山「はい/\」
 と手負(ておい)に成りました山之助が、漸(ようよ)うに血に染った手を突いて首を擡(もた)げましたが、
山「はア旦那様誠に申訳もございません、私は其の永禪と申しまする者が還俗して、また元の水司又市と申します者が、此のお繼の一旦親に成りましたお梅と申す者を尼の姿に扮(やつ)して、私の宅に泊り合せ、私の姉に恋慕を云い掛けました所が、姉が云う事を聞かぬと云うので到頭姉を殺して逃げましたのが水司又市でございます、それから私は姉の敵を討ちたいと心に掛けまして、此のお繼と二人三年越し巡礼に成って西国三十三番の札所を巡りまして、漸々(よう/\)の事で今日(こんにち)只今敵に逢いましたと存じまして、是へ参って承わりましても、貴方のお年は四十一歳、額に疵が有って元は榊原の家来水司又市と仰しゃいます故に善々(よく/\)お顔も見ずに踏込んで斬掛けました不調法の段は幾重にもお詫を致します」
太「うん二人は兄弟か」
山「えゝ是は只今は私の女房でございます」
太「うん左様か、うん是は何うも誠に気の毒千万、えん、うん水司又市あーア何うも彼奴(あいつ)は兇悪な奴だ、今に悪事を重ねる事で有るか、何う致してもなア、医者を呼んで手当をして遣ろうが、中々の深傷(ふかで)で有るて、なれども確(しっ)かり致せよ、命数尽きざる中(うち)は何(ど)の様(よう)な深傷でも、数十ヶ所縫う様な傷でも決して死ぬものじゃアない、又万一療養相叶わずして相果(あいはて)る事があれば、後(あと)に残るは貴様の女房……二人が剣術も知らずに無暗(むやみ)に敵を討とうと思っても、水司又市は中々の遣(つか)い手だから容易に討てやせぬ、手前も仔細有って其の水司又市に逢わんければ成らぬ事が有るから、貴様が万一の事が有れば娘は自分の娘にして剣術も教え、貴様は己が過(あや)まって殺したのじゃに依って、後々(のち/\)愈々(いよ/\)又市を討つ時には己が力に成って助太刀をして討たせるが、何か貴様申置く事があらば遠慮なく云えよ」
山「はい有難う、有難う、私は不調法から貴方に斬られて死ぬのは決してお怨みとは存じませんが、只水司又市に一刀(ひとたち)も怨まぬのが残念でございます、私の親と申しまする者は、元は榊原藩で貴方も御同藩なら御存じでいらっしゃいましょうが、十七年前(あと)に家出を致しまして、もう国を出ましてから十九年で、私が未(いま)だ生れぬ前に、江戸屋敷詰に成りまして、それから江戸屋敷から行方知れずに成りましたので、段々姉と両人(ふたり)で神仏(かみほとけ)に祈念して行方を捜しましたが、いまだに行方も知れず、生死(しょうし)の程も分りません、これお繼私のお父様(とっさま)の事もお前に話して有るが、若(も)し御存生(ごぞんしょう)でお目に掛る事が有ったらば、私は斯々(これ/\)の訳で不覚を取ったが、何卒(どうぞ)一目お目に懸りたいと云って居たと云って下さい」
繼「はい、確(しっ)かりしてお呉んなさいよ」
太「貴様が側で泣くと手負が気力が落ちていかん……これお前の親は榊原藩で何という名前の人だえ」
山「はい私の祖父様(じいさん)がお抱(かゝ)えに成りましたのだそうでございますが、足軽から段々お取立に成りまして、お目見得(めみえ)近くまで成りました、名は白島山平と申しまする者でございます」
太[#「太」は底本では「山」]「えゝ何だ貴様の親は白島山平……何か貴様は白島山平の忰か」
山「はい白島山之助と申しまする者で」
太「おゝ是は何うも、宥(ゆる)してくれ、これ忰、貴様の親の山平は此の水島太一であるぞ」

        五十七

山「えゝお父様(とっさま)あの貴方が」
 と云って二人ともに膝の上に縋(すが)り付く手を取って、
太「あゝ面目次第もない、己が貴様の親だと云って名告(なの)って逢われべき者ではない、実に非義非道の親である、其の方(ほう)が懐妊中に江戸詰を仰附(おおせつ)けられて江戸屋敷に居る間に、若気の心得違いで屋敷を駈落する程の心得違いの親、実に情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致してくれた、あゝ面目ないが、母も歿(ぼっ)したか、うん、なに姉おやまも又市に討たれたか」
山「はい/\有難う存じます、お懐しゅうございます、お懐しゅうございます、貴方にお目に懸りたいと云って姉(あね)さんも何様(どんな)に待っておいでなすったか知れません、貴方が家出をなさいましても屋敷に居(お)られぬ事はございませんが、お母(っか)さんは心配して三年目に亡(なく)なりまして、私は少(ちい)さし姉さんも年が往(い)きませんし、外(ほか)に致方(いたしかた)がございませんで、伯父さんが此方(こっち)へ引取ろうと云って、信州白島の伯父さんの厄介に成って居りまする中(うち)に、姉さんが又市の為に斬殺(きりころ)されました、姉様(あねさん)が死にます時にも、お父様(とっさま)に逢わずに死ぬのは残念だ、一目逢いたい/\と申しました」
太「うん左様か、実にそれ程までに私(わし)を慕って、今思い掛けなく面会致したが、現在親の手で子を殺すと云うのは如何なる事か、皆これまで非道な行いを致した天罰主罰(しゅうばつ)が酬(むく)い来(きた)って斯(こ)の様(よう)な訳、あゝ親として手前を己が殺すと云うのは実に情ない、手前己を親と思わずに一刀(ひとかたな)でも怨んで呉れ」
山「いゝえ勿体ない事を」
照「あなた其様(そん)な事を仰しゃっても仕様がございません……あのお前さん、初めてお目に懸りました、お前さんは定めてお父(とっ)さんを憎いとお恨みでございましょうが、お父さんの悪いのではございません、みんな私が悪いのでございます、と申すは拠(よんどこ)ろない訳で私がお前さんのお父様(とっさん)を慕いまする故に、お父様がお屋敷を出る様な事に成りました、それも私の養子が得心で二人共にお屋敷を出ましたけれども、永い旅を致して宿(やど)へ着くとは、国へ残してお出でなさった御新造(ごしんぞ)やお前さん方に済まないと云って、私も神仏(かみほとけ)に心の中(うち)でお詫ばっかり致して居りました、何卒(どうぞ)堪忍してお呉んなさい、お父様を怨まずに私を悪い者と恨んでお呉んなさいまし」
太「これ山之助今更懺悔(ざんげ)を致す訳でも無いが、余儀なく屋敷を出んければならない訳に成ったのは、武田から来た養子の重次郎と同衾(ひとつね)を致さぬと云う情(じょう)を……立てる其の間に告口(つげぐち)を致す者も有って、表向(おもてむき)になれば名跡(みょうせき)が汚(けが)れるから重次郎の情(なさけ)で旅費を貰うて家出を致したが、丁度懐妊中の子を生落(うみおと)して夏という娘を得たから、漸(ようや)く十五歳まで育って楽しみに致した所が、三年前(あと)に信州の鳥居峠へ掛る時、悪者に出逢い、勾引(かどわか)されんとする時に、一刀(とう)を抜いて切結んだが、向うは二人此方(こちら)は一人、其の時受けた疵が斯のように只今でも残っている、娘は其の時谷間(たにあい)へ落ちて到頭其の儘に相果てたから、私(わし)も此のお照も実に一月許(つきばかり)の間は愁傷して、泣いてばかり居って、終(つい)には眼病と相成ったから、致方(いたしかた)なく按摩に成って揉療治(もみりょうじ)を覚え、迚(とて)も生涯世に出る事は出来ぬと心得て居った所が、追々眼病も快く成って段々見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩を致して居(お)る内に、よう/\の事で眼病も癒(いえ)るような事なれども、揉療治を致すような身の上に成ったから、若(も)し屋敷の者に見られては相成らぬと思うて、屋敷近くへ参る事も出来ず、如何(いかゞ)致そうかと照も心配致して、又々旅立(たびだち)を致そうか、但(たゞ)しは謝(あや)まって信州の親族の処へ参ろうかと思って居った所で有るが、一人の娘を谷間へ落して殺したのも是も皆罰(ばち)で、両人(ふたり)の者へ歎(なげ)きを掛けるような事が身に報(むく)ったのだ、今また其の方を我手(わがて)で殺すとはあーア飛んだ事、是も皆天の罰(ばち)、こりゃア頭髪(かしら)を剃毀(そりこぼ)って罪滅ぼしを致さんければ世に居(お)られぬ」
照「誠に御尤もでございます」
山「お父様(とっさま)え、貴方も水司又市を捜す身の上と仰しゃいましたが、何故(なぜ)あなたは水司又市に似た様な名をお附け遊ばした」
太「手前は何も存ぜんが、お祖父様(じいさま)は元信州の者で、故(ゆえ)有って越後高田に近き山家(やまが)へ奉公住みを致して居(い)ると、或日(あるひ)榊原公が山猟(やまがり)にお出(いで)遊ばして、鳥を追って段々山の奥に入(い)り、道に迷って御難儀の処へお祖父様が通り掛って、御案内をして城中へお帰りに成ったから、うい奴と仰しゃって先君(せんくん)がお取立に成った、是が私(わし)の先祖で、其の時は白島太一(たいち)という名前で有ったが、山を平らに歩かせたという所から山平という名を下すった、それ故先君から頂戴の名を大切に心得て名を汚(けが)すな/\という遺言が有ったなれども、私は実に家名を汚す不孝不義の山平ゆえ、先代が頂戴の名を附けて居ては成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の島の字を取って苗字(みょうじ)に致し、これに父の旧名太一を名告(なの)って水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一という姓名を附けなければ斯の様な間違いも有るまい、是も皆若い時分からの罪で斯う成るのであろう、あゝあ恐るべき事である、これ忰手前なア何うかして助けたいが、実は迚(とて)も助からぬ事と存じて居ろうが、後々(あと/\)の事には心を残さず往生致せ、縁有って手前の家内に成って居(い)るお繼という此の娘は私が引取って剣術を仕込み、手前の為には姉の敵に当る水司又市を捜して屹度(きっと)敵を討たせるから、心を残さず往生致せよ」
山「はい/\/\有難う/\、逢いたい/\と思うお父様(とっさま)にお目に懸り、お父様のお手に懸って死にますれば何も心を残す事はございません、これお繼少しの間でも御厄介になった伯父さんやお婆さんに何卒(どうぞ)宜しくお前云ってお呉れよ」
繼「はい山之助さん確(しっ)かりして下さいよ、お前さんが死ねば私は此の世に生きて居(お)られません」
 と山之助に取縋(とりすが)って泣きまするから、堪(こら)え兼(かね)てお照も泣伏します。水島太一も膝の上に手を置くと、はら/\/\と膝へ涙が落ちる。すると台所の方から大きな声で
「御免なせえまし」

        五十八

太「何だえ」
文「へえ/\真平御免を蒙ります」
太「何うも恟(びっく)りする、誰だえ」
文「私(わし)は此処(こゝ)にいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、私は今日他処(よそ)へ行って先刻(さっき)家(うち)へ帰ると、敵討に行ったと云いますから、家の男を連れて駈けて参(めえ)りましたが様子が知んない、其処(そこ)らで聞くと此家(こゝ)だと云うから、済まぬようだが窃(そ)っと這入って、裏へ廻って様子を聞いて居りますと、人違いだ/\と云う声がするから、はてと思って聞いて居りましたが、間違いとは云いながら、少(ちい)さい時分に別れたお前様の子、それを貴方(あんた)が知らないとは云いながらはア斬って殺すと云うは、若い時分の罪だと懺悔(ざんげ)する其の心持(こゝろもち)を考えますと、我慢しようと思いましたがつい泣いたでがんす、何うも飛んだ間違いに成りました、これ嘉十、もう鎌なんざアぶっ放(ぽ)ってしまえ」
太「何うもお恥かしい事がお耳に入って面目次第もございません」
文「何うか助かり様が有りましょうか」
太「迚(とて)も助かりますまいとは存じますが、此の辺に生憎(あいにく)療治を致す者もござらぬ、手前少々は傷を縫う事も心得て居りましたが、つい歎きに紛れて……何しろ焼酎(しょうちゅう)で傷口を洗いましょう」
山「伯父様(さん)宜く来て下すった」
 と云う声も絶々(たえ/″\)でございますから、
太「確(しっ)かりしろ、今傷口を洗うぞよ」
 と云う中(うち)に山之助は最(も)う目も疎(うと)く成りますから、片方(かた/\)に山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声を揚(あ)げて泣倒れましたが、
太「幾ら歎いても致し方がない、私(わし)が親と知れてはぱっとして上屋敷(かみやしき)へ知れては相成らぬから、何卒(どうぞ)親でない事に致したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間違えて斯様(かよう)々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受けんければ成らぬから」
 と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、直(すぐ)に細かに認(したゝ)めて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父両人(ふたり)が証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うから、さしたる御咎(おとがめ)もございませんで済みました。その跡の遺骸(なきがら)は文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩井村の菩提所(ぼだいしょ)へ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手許(てもと)に置いて剣術を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志の好(い)い娘でございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。またお照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から竹刀(ちくとう)を買って来て、間が有れば前の畑に莚(むしろ)を敷きまして剣術を教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えようも教え様(よう)、覚える方も尋常(たゞ)でないから段々/\と剣術が出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろしいもので、段々山平でも受け兼(かね)る程の腕に成りましたから山平も喜びまして、
山「先(ま)ず追々腕も出来て来たか、生兵法(なまびょうほう)は敗れを取ると云う譬(たと)えも有るから、ひょっと途中で水司又市に出遇(であ)っても一人で敵と名告(なの)って斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水司又市は今は何(ど)の様(よう)な身の上か知れんが、何でも腕の優れた奴だに依って、決して一人で名告(なのり)掛ける事は成らぬぞ」
 と予(かね)て言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。すると近処(きんじょ)では不思議に思いまして、
○「あの按摩の家(うち)は余程(よっぽど)変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったとなア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程宜(い)いに違いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん/\初めやアがる、彼奴(あいつ)は余程変り者(もん)だぜ」
 と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でございましてお繼は例の通り修行に出て家(うち)に居りません。山平も別に用事が無いから、寛(くつろ)いで居(い)る所へ這入って来ましたのは、土屋様の足軽中村久治(なかむらきゅうじ)と申す人。
久「先生々々」
山「誰方(どなた)ですえ」
久「えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに」
山「えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の方だけが残って居りました」
久「いやもう私(わし)は酒は飲まず、外(ほか)に楽(たのし)みも無いので、まア甘い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それに私はまア此の疝気(せんき)が有るので、疝気を揉まれる心持は堪(こた)えられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれるのが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って安く揉んで下さるんで先生は柔術(やわら)剣術も余程(よっぽど)えらいと云うことを聞いて居りますが、何うも普通(あたりまえ)の先生でない、たしか去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすったって、私の屋敷でもえらい評判でねえ」
山「なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったから……これ照やお茶を上げろ……是やア詰らぬ菓子ですが、丁度貰いましたから召上るなら」
久「いやこれは有難い、先生の処はお茶は好(よ)し菓子までも下さる、有難いと云って毎度噂を致します、何卒(どうぞ)又少し療治を願いましょうか」
山「えゝお屋敷も御大藩(ごたいはん)でげすから、御家来衆も嘸(さぞ)多い事でございましょうが、御指南番は何方(どなた)でげすえ」
久[#「久」は底本では「山」]「なに杉村内膳(すぎむらないぜん)と云って、一刀流ではまア随分えらい者だという事で」
山「へえ成程杉村内膳、柔術(やわら)は……うん成程澁川流(しぶかわりゅう)の小江田(こえだ)というのが御指南番で、成程あれは老人だが余程(よっぽど)澁川流の名人という事を聞きました…成程して強い御家来衆も有る事でげしょうなア」
久「沢山ある上に其の上にも/\と抱えるのは、全体殿様が武張っていらっしゃるので、武芸の道が何よりもお好(すき)でなア、先年此の常陸(ひたち)の土浦(つちうら)の城内へお抱えに成りました者が有りまして、これは元修行者(しゅぎょうじゃ)だとか申す事だが、余程(よっぽど)力量の勝れた者で、何(ど)のくらい力量が有るか分らぬという事で」
山「はゝア大した力量の有る者をお抱えに成りましたな」


 

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