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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        五十五

 引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致しましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、両人ふたりは飛立つ程嬉しく思いますから婆アのとめるのも聞入れずに見相けんそうを変え、振払って深川富川町へ駈出します。するとしばらって帰ったのは伯父の文吉でございます。ばゝあは両人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七十を越した婆様ばあさまでございますから、只騒いで心配するばかり、何うする事も出来ません。
文「婆さま、今帰りました」
婆「おゝ文吉けえったか、おらアまア心配ばかりして居ったが、何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ」
文「何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云っておらア本当に魂消たまげるよ、まア静かに」
婆「静かにたって、おめえ先刻さっき茂左衞門もざえもんうちへ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア是からすぐに敵を討ちにくと云うから、待てえ、向うは泥坊を取って押えるようなえらい侍だから、か弱いおめえら二人でん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえから待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、おらア出て押えようと思ったら、突転つきこかして駈ん出すだ、追掛おっかけることも出来なえから、早くわれが帰らばいと心配ぶって居たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ」
文「こりゃア困ったなア、それだからおらが不断からう云って置くだ、二人で行っても屹度きっと先方むこうに斬られもんだ、よしんば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、んな事が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ」
婆「何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、突除つんのけて行って、とめても留らぬから仕様がないだ」
[#「文」は底本では「山」]「そりゃア困ったなア……これ嘉十かじゅう手前てめえも一緒にけ、二人に怪我をさしては成んねえから、おらも直ぐに行くだから、手前長く奉公して世話に成ったから一緒にけ」
嘉「敵討にくだから一緒にけって、わしめえりましょう、なに死んだって構いませんよ、参りましょう」
 と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了簡と見えて、藻刈鎌もがりがまかついで出掛けまする。文吉も小長こながいのを一本差しまして、さっさと跡から飛出とびだして余程急ぎましたが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参りますると、其の頃は彼処あすこに土屋様の下屋敷しもやしきがあり、此方こちらにはまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至って人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞門の云った通り入口が門形もんがたちに成りまして、竹の打付ぶッつけ開戸ひらきど片方かた/\明いて居て、其処そこ按腹揉療治あんぷくもみりょうじという標札が打ってございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になって、その横が生垣いけがきに成って居りますから、およそ七八軒奥のほうに家が建って居まして、表のかたは小さい玄関ようで、踏込ふみこみが一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有りませんがあがり口は板間いたのまで、障子が二枚立って居り、此方こちらほうは竹の打付窓ぶッつけまどでございます。あの辺は四月二十七日頃でももう蚊が出ると見えて、夕景に蚊遣かやりを焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子けし紫陽花あじさいなどが植えて有って、隣家となりも遠い所のさびしい住居すまいでございます。二人はっと藁苞わらづとの中から脇差を出して腰に差し、ふるえる足元を踏〆ふみしめて此のの表に立ちましたのは、丁度日の暮掛りまする時。
山「御免なさいまし、お頼み申します」
太「はい誰方どなたえ」
山「あの揉療治をなさる一徳さんは此方こちらでございますか」
太「はい一徳の宅は手前だが何方どなただえ、此方へお這入んなさいまし」
繼「少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つでございますえ」
太「何だ障子越しにおれの年を聞くと云うのは何だ……御冗談や調弄からかいでは困ります、此方へお這入りなさい」
山「はい、あなたは何でございますか、額に疵がございますか」
太「何だ……左様でござる、手前は額に疵も有りますが、何方でげすえ」
山「えゝ、元は榊原様の御家来で、お年は四十一でいらっしゃいますか」
太「なんだ……はいわしの年まで知っていて、面部おもてに疵が有ると仰しゃるのは何方どちらのお方でございますえ」
山「お名前は水司又市でございますか」
太「はい何方どなただえ」
 と水司又市と云う名を聞くや否や山之助は一刀を抜くより早く、がらり障子を明けながら、
山「姉の敵い…」
 と一声ひとこえ一生懸命の声を出して無茶苦茶に切込んで来る。続いてお繼が、
繼「おのれ親の敵覚悟をしろ」
 と鉄切声かなきりごえを出した時には不意を打たれて驚きましたが、
太「これ何を致す、人違いをするな」
 と云いながらそばに有りました今戸焼の蚊遣火鉢を取って打付ぶッつけると、火鉢は山之助とお繼の肩の間をそれて向うの柱に当って砕け、灰は八方に散乱する。また山之助の突掛つきかける所を引外ひっぱずして釣瓶形つるべがたの煙草盆を投付け、続いて湯呑茶碗を打付ぶッつけ小さい土瓶を取って投げる所を、横合よこあいからお繼が、親の敵覚悟をしろと突掛けるのを身をかわして利腕きゝうでを打つと、ぱらり持っていた刃物を落し、是はと取ろうとする所を襟上えりがみを取って膝の下へ引摺寄せる、山之助は此所こゝぞと切込みましたが、此方こちらは何分手ぶらで居った所、幸いお繼が取落した小刀しょうとうが有ったからそれを取って、
太「これ怪我を致すな、人違いを致すな、宜く心を静めて面体めんていを見ろ、人違い/\」
 と二三度打流したが、相手の方から無二無三に打って掛るから、
太「これ人違いを致すな」
 と払い除けました、其の切尖きっさきが山之助の肩先に当ると、腕が利いて居る、余程深く斬込みました。
山「あア」
 どんと山之助が臀餅しりもちをついたなり起上る事が出来ません、山之助が斬られたのを見るとお繼が
「わーっ」
 と其の場に泣倒れました。
太「これ何処どこへ参ってるかな、これ照や、狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったが、何処へ参ってるか、これ早く燈光あかりを持って参れ、燈光を……」
 此の時女房は裏の井戸端で米をいで居りました。じゃ/\/\/\と米を磨いで居り、余程うちから離れて居りまするから、右の騒ぎは聞えませんだったが、大声で呼びましたから、何事かと思ってあわてゝ家へ這入って見ると右の始末、
照「おや何う…」
太「何うたって今狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ、何分暗くって分らぬから早く燈光をけて来い」
 と云われて、女房は慌てながら火打箱でかち/\/\/\。

        五十六

 お照は火を打つ所が、慌てるから中々かないのをようようの事で蝋燭をともして、
照「何うしたの」
 と見ると若い男が一人血に染って倒れて居り、また一人の娘を膝の下へ引敷いて居りますから。
照「こりゃアまア何でございます」
太「何だって今此の狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ…さこれ面体めんていを見ろ、人違いを致すな、己は人をあやめた覚えも無し、敵と呼ばれて打たれる覚えも無い、これおもてを見ろ、心を静めて面を見ろ」
 と云われたから、山之助が漸うに起上って燈火あかりで顔を見ると、成程年齢としごろは四十一二にして色白く、鼻筋通り、口元が締って眉毛の濃い、散髪の撫付なでつけで、額から小鬢こびんに掛けてきずが有りますなれども、能く見ると顔形かおかたちが違って居りまする故、
山「あゝ是は人違いをした」
 と思うと、
太「何うじゃ、違ってろうな」
山「はい誠に申訳がございません、全く人違いでございます」
照「人違いで敵だと云って斬込むとは人違いにも程がある、何ぼ年がかぬと云って、斬ってしまったあとで人違いで済みますか、良人あなたはお怪我は有りませんか」
太「そんな事を云わんでもい、早く其処そこらに散乱して居る火を消せ」
 と云われて御新造ごしんぞが柄杓に水を汲んで蚊遣の火が落ちた処に掛けると、ちゅうぶうと云う大騒ぎ。此の時まで只泣いて居て口の利けぬのはお繼で、今燈火の影で山之助が血に染ってる姿を見て、
繼「山之助さんしっかりして下さいよ……全く人違いでございますから、ようにもおわびをいたしますが、何卒どうぞお医者様を呼んでお手当を願います」
太「そりゃア人違いと分れば手当もして遣ろうが、油断は出来ませぬ、ひょッとして又、何うもなア……全く人違いであろう」
山「はい」
太「左様か」
山「お年と云い、額の疵と云い、榊原の家来で水司又市様と仰しゃいましたから、同じお名前故に取違えましたのでございます」
太「やア是ははや是ははや、わしは水司又市じゃアない、私は水島太一郎みずしまたいちろうという者だが、按摩に成ってからは太一と申すが、其方そちは水司又市を敵とねらうのか」
山「はい」
太「やアそれは気の毒千万な事を致した、うん、うん、姉の敵で、の者には親の敵だと、未だ年もかんで親の敵姉の敵を討とうと云う其の志ある壮者わかものを、怪我させまいと背打むねうちにする心得だったが、困った事を致したな、こりゃア不便ふびんな事を致した、手がはずんだから、余程深傷ふかでのようだ、まア/\/\待て」
 との按摩取太一が山之助の傷を見ると、果して余程深く切込みました。
太「こりゃア機みも機んだので、とても助かりそうは無い……まアこれ表の鎖鑰かけがねを掛けろ、たれも這入ってはまいが、し来ては成らぬから締りをして参れ、これ誠に気の毒な事だけれども、わしも刃物で切込まれるから、むを得ず気の毒ながらも深傷ふかでを負わしたが、一体何う云う仔細でまア水司又市を敵と探す者か、此方こちら手負ておいで居るからせつない、これ娘お前泣かずに訳を云え」
繼「はい/\、私は越中の高岡大工町の藤屋七兵衞の娘繼と申しまする者でございますが、七年あとに私の継母まゝはゝと、つい前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義をして、うして親共を薪割で殺して二人で逃げました、私は丁度十二の時で、何うぞ敵を討ちたいと心に掛けまして、三年あとに高岡を出まして、巡礼を致して敵の行方を捜しました所が、更に心当りもなく、つい先達せんだって江戸へ出て参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまするうちに、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊原様の家来で家敷やしきを出て、一たび頭髪あたまを剃り、又還俗げんぞくして按摩をして居る水司又市と聞きました故、親の敵という一心で此方こちらへ斬込みましたのでございます」
太「成程お前の為には親の敵だ、またこれは姉の敵だと云ったな」
山「はい/\」
 と手負ておいに成りました山之助が、ようように血に染った手を突いて首をもたげましたが、
山「はア旦那様誠に申訳もございません、私は其の永禪と申しまする者が還俗して、また元の水司又市と申します者が、此のお繼の一旦親に成りましたお梅と申す者を尼の姿にやつして、私の宅に泊り合せ、私の姉に恋慕を云い掛けました所が、姉が云う事を聞かぬと云うので到頭姉を殺して逃げましたのが水司又市でございます、それから私は姉の敵を討ちたいと心に掛けまして、此のお繼と二人三年越し巡礼に成って西国三十三番の札所を巡りまして、漸々よう/\の事で今日こんにち只今敵に逢いましたと存じまして、是へ参って承わりましても、貴方のお年は四十一歳、額に疵が有って元は榊原の家来水司又市と仰しゃいます故に善々よく/\お顔も見ずに踏込んで斬掛けました不調法の段は幾重にもお詫を致します」
太「うん二人は兄弟か」
山「えゝ是は只今は私の女房でございます」
太「うん左様か、うん是は何うも誠に気の毒千万、えん、うん水司又市あーア何うも彼奴あいつは兇悪な奴だ、今に悪事を重ねる事で有るか、何う致してもなア、医者を呼んで手当をして遣ろうが、中々の深傷ふかでで有るて、なれどもしっかり致せよ、命数尽きざるうちような深傷でも、数十ヶ所縫う様な傷でも決して死ぬものじゃアない、又万一療養相叶わずして相果あいはてる事があれば、あとに残るは貴様の女房……二人が剣術も知らずに無暗むやみに敵を討とうと思っても、水司又市は中々のつかい手だから容易に討てやせぬ、手前も仔細有って其の水司又市に逢わんければ成らぬ事が有るから、貴様が万一の事が有れば娘は自分の娘にして剣術も教え、貴様は己があやまって殺したのじゃに依って、後々のち/\愈々いよ/\又市を討つ時には己が力に成って助太刀をして討たせるが、何か貴様申置く事があらば遠慮なく云えよ」
山「はい有難う、有難う、私は不調法から貴方に斬られて死ぬのは決してお怨みとは存じませんが、只水司又市に一刀ひとたちも怨まぬのが残念でございます、私の親と申しまする者は、元は榊原藩で貴方も御同藩なら御存じでいらっしゃいましょうが、十七年あとに家出を致しまして、もう国を出ましてから十九年で、私がいまだ生れぬ前に、江戸屋敷詰に成りまして、それから江戸屋敷から行方知れずに成りましたので、段々姉と両人ふたり神仏かみほとけに祈念して行方を捜しましたが、いまだに行方も知れず、生死しょうしの程も分りません、これお繼私のお父様とっさまの事もお前に話して有るが、御存生ごぞんしょうでお目に掛る事が有ったらば、私は斯々これ/\の訳で不覚を取ったが、何卒どうぞ一目お目に懸りたいと云って居たと云って下さい」
繼「はい、しっかりしてお呉んなさいよ」
太「貴様が側で泣くと手負が気力が落ちていかん……これお前の親は榊原藩で何という名前の人だえ」
山「はい私の祖父様じいさんがおかゝえに成りましたのだそうでございますが、足軽から段々お取立に成りまして、お目見得めみえ近くまで成りました、名は白島山平と申しまする者でございます」
[#「太」は底本では「山」]「えゝ何だ貴様の親は白島山平……何か貴様は白島山平の忰か」
山「はい白島山之助と申しまする者で」
太「おゝ是は何うも、ゆるしてくれ、これ忰、貴様の親の山平は此の水島太一であるぞ」

        五十七

山「えゝお父様とっさまあの貴方が」
 と云って二人ともに膝の上にすがり付く手を取って、
太「あゝ面目次第もない、己が貴様の親だと云って名告なのって逢われべき者ではない、実に非義非道の親である、其のほうが懐妊中に江戸詰を仰附おおせつけられて江戸屋敷に居る間に、若気の心得違いで屋敷を駈落する程の心得違いの親、実に情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致してくれた、あゝ面目ないが、母も歿ぼっしたか、うん、なに姉おやまも又市に討たれたか」
山「はい/\有難う存じます、お懐しゅうございます、お懐しゅうございます、貴方にお目に懸りたいと云ってあねさんも何様どんなに待っておいでなすったか知れません、貴方が家出をなさいましても屋敷にられぬ事はございませんが、おっかさんは心配して三年目になくなりまして、私はちいさし姉さんも年がきませんし、ほか致方いたしかたがございませんで、伯父さんが此方こっちへ引取ろうと云って、信州白島の伯父さんの厄介に成って居りまするうちに、姉さんが又市の為に斬殺きりころされました、姉様あねさんが死にます時にも、お父様とっさまに逢わずに死ぬのは残念だ、一目逢いたい/\と申しました」
太「うん左様か、実にそれ程までにわしを慕って、今思い掛けなく面会致したが、現在親の手で子を殺すと云うのは如何なる事か、皆これまで非道な行いを致した天罰主罰しゅうばつむくきたってような訳、あゝ親として手前を己が殺すと云うのは実に情ない、手前己を親と思わずに一刀ひとかたなでも怨んで呉れ」
山「いゝえ勿体ない事を」
照「あなた其様そんな事を仰しゃっても仕様がございません……あのお前さん、初めてお目に懸りました、お前さんは定めておとっさんを憎いとお恨みでございましょうが、お父さんの悪いのではございません、みんな私が悪いのでございます、と申すはよんどころない訳で私がお前さんのお父様とっさんを慕いまする故に、お父様がお屋敷を出る様な事に成りました、それも私の養子が得心で二人共にお屋敷を出ましたけれども、永い旅を致して宿やどへ着くとは、国へ残してお出でなさった御新造ごしんぞやお前さん方に済まないと云って、私も神仏かみほとけに心のうちでお詫ばっかり致して居りました、何卒どうぞ堪忍してお呉んなさい、お父様を怨まずに私を悪い者と恨んでお呉んなさいまし」
太「これ山之助今更懺悔ざんげを致す訳でも無いが、余儀なく屋敷を出んければならない訳に成ったのは、武田から来た養子の重次郎と同衾ひとつねを致さぬと云うじょうを……立てる其の間に告口つげぐちを致す者も有って、表向おもてむきになれば名跡みょうせきけがれるから重次郎のなさけで旅費を貰うて家出を致したが、丁度懐妊中の子を生落うみおとして夏という娘を得たから、ようやく十五歳まで育って楽しみに致した所が、三年あとに信州の鳥居峠へ掛る時、悪者に出逢い、勾引かどわかされんとする時に、一とうを抜いて切結んだが、向うは二人此方こちらは一人、其の時受けた疵が斯のように只今でも残っている、娘は其の時谷間たにあいへ落ちて到頭其の儘に相果てたから、わしも此のお照も実に一月許つきばかりの間は愁傷して、泣いてばかり居って、ついには眼病と相成ったから、致方いたしかたなく按摩に成って揉療治もみりょうじを覚え、とても生涯世に出る事は出来ぬと心得て居った所が、追々眼病も快く成って段々見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩を致してる内に、よう/\の事で眼病もいえるような事なれども、揉療治を致すような身の上に成ったから、し屋敷の者に見られては相成らぬと思うて、屋敷近くへ参る事も出来ず、如何いかゞ致そうかと照も心配致して、又々旅立たびだちを致そうか、たゞしはあやまって信州の親族の処へ参ろうかと思って居った所で有るが、一人の娘を谷間へ落して殺したのも是も皆ばちで、両人ふたりの者へなげきを掛けるような事が身にむくったのだ、今また其の方を我手わがてで殺すとはあーア飛んだ事、是も皆天のばち、こりゃア頭髪かしら剃毀そりこぼって罪滅ぼしを致さんければ世にられぬ」
照「誠に御尤もでございます」
山「お父様とっさまえ、貴方も水司又市を捜す身の上と仰しゃいましたが、何故なぜあなたは水司又市に似た様な名をお附け遊ばした」
太「手前は何も存ぜんが、お祖父様じいさまは元信州の者で、ゆえ有って越後高田に近き山家やまがへ奉公住みを致してると、或日あるひ榊原公が山猟やまがりにおいで遊ばして、鳥を追って段々山の奥にり、道に迷って御難儀の処へお祖父様が通り掛って、御案内をして城中へお帰りに成ったから、うい奴と仰しゃって先君せんくんがお取立に成った、是がわしの先祖で、其の時は白島太一たいちという名前で有ったが、山を平らに歩かせたという所から山平という名を下すった、それ故先君から頂戴の名を大切に心得て名をけがすな/\という遺言が有ったなれども、私は実に家名を汚す不孝不義の山平ゆえ、先代が頂戴の名を附けて居ては成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の島の字を取って苗字みょうじに致し、これに父の旧名太一を名告なのって水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一という姓名を附けなければ斯の様な間違いも有るまい、是も皆若い時分からの罪で斯う成るのであろう、あゝあ恐るべき事である、これ忰手前なア何うかして助けたいが、実はとても助からぬ事と存じて居ろうが、後々あと/\の事には心を残さず往生致せ、縁有って手前の家内に成ってるお繼という此の娘は私が引取って剣術を仕込み、手前の為には姉の敵に当る水司又市を捜して屹度きっと敵を討たせるから、心を残さず往生致せよ」
山「はい/\/\有難う/\、逢いたい/\と思うお父様とっさまにお目に懸り、お父様のお手に懸って死にますれば何も心を残す事はございません、これお繼少しの間でも御厄介になった伯父さんやお婆さんに何卒どうぞ宜しくお前云ってお呉れよ」
繼「はい山之助さんしっかりして下さいよ、お前さんが死ねば私は此の世に生きてられません」
 と山之助に取縋とりすがって泣きまするから、こらかねてお照も泣伏します。水島太一も膝の上に手を置くと、はら/\/\と膝へ涙が落ちる。すると台所の方から大きな声で
「御免なせえまし」

        五十八

太「何だえ」
文「へえ/\真平御免を蒙ります」
太「何うもびっくりする、誰だえ」
文「わし此処こゝにいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、私は今日他処よそへ行って先刻さっきうちへ帰ると、敵討に行ったと云いますから、家の男を連れて駈けてめえりましたが様子が知んない、其処そこらで聞くと此家こゝだと云うから、済まぬようだがっと這入って、裏へ廻って様子を聞いて居りますと、人違いだ/\と云う声がするから、はてと思って聞いて居りましたが、間違いとは云いながら、ちいさい時分に別れたお前様の子、それを貴方あんたが知らないとは云いながらはア斬って殺すと云うは、若い時分の罪だと懺悔ざんげする其の心持こゝろもちを考えますと、我慢しようと思いましたがつい泣いたでがんす、何うも飛んだ間違いに成りました、これ嘉十、もう鎌なんざアぶっってしまえ」
太「何うもお恥かしい事がお耳に入って面目次第もございません」
文「何うか助かり様が有りましょうか」
太「とても助かりますまいとは存じますが、此の辺に生憎あいにく療治を致す者もござらぬ、手前少々は傷を縫う事も心得て居りましたが、つい歎きに紛れて……何しろ焼酎しょうちゅうで傷口を洗いましょう」
山「伯父さん宜く来て下すった」
 と云う声も絶々たえ/″\でございますから、
太「しっかりしろ、今傷口を洗うぞよ」
 と云ううちに山之助はう目もうとく成りますから、片方かた/\に山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声をげて泣倒れましたが、
太「幾ら歎いても致し方がない、わしが親と知れてはぱっとして上屋敷かみやしきへ知れては相成らぬから、何卒どうぞ親でない事に致したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間違えて斯様かよう々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受けんければ成らぬから」
 と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、すぐに細かにしたゝめて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父両人ふたりが証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うから、さしたる御咎おとがめもございませんで済みました。その跡の遺骸なきがらは文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩井村の菩提所ぼだいしょへ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手許てもとに置いて剣術を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志のい娘でございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。またお照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から竹刀ちくとうを買って来て、間が有れば前の畑にむしろを敷きまして剣術を教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えようも教えよう、覚える方も尋常たゞでないから段々/\と剣術が出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろしいもので、段々山平でも受けかねる程の腕に成りましたから山平も喜びまして、
山「ず追々腕も出来て来たか、生兵法なまびょうほうは敗れを取ると云うたとえも有るから、ひょっと途中で水司又市に出遇であっても一人で敵と名告なのって斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水司又市は今はような身の上か知れんが、何でも腕の優れた奴だに依って、決して一人で名告なのり掛ける事は成らぬぞ」
 とかねて言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。すると近処きんじょでは不思議に思いまして、
○「あの按摩のうち余程よっぽど変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったとなア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程いに違いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん/\初めやアがる、彼奴あいつは余程変りもんだぜ」
 と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でございましてお繼は例の通り修行に出てうちに居りません。山平も別に用事が無いから、くつろいでる所へ這入って来ましたのは、土屋様の足軽中村久治なかむらきゅうじと申す人。
久「先生々々」
山「誰方どなたですえ」
久「えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに」
山「えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の方だけが残って居りました」
久「いやもうわしは酒は飲まず、ほかたのしみも無いので、まア甘い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それに私はまア此の疝気せんきが有るので、疝気を揉まれる心持はこたえられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれるのが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って安く揉んで下さるんで先生は柔術やわら剣術も余程よっぽどえらいと云うことを聞いて居りますが、何うも普通あたりまえの先生でない、たしか去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすったって、私の屋敷でもえらい評判でねえ」
山「なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったから……これ照やお茶を上げろ……是やア詰らぬ菓子ですが、丁度貰いましたから召上るなら」
久「いやこれは有難い、先生の処はお茶はし菓子までも下さる、有難いと云って毎度噂を致します、何卒どうぞ又少し療治を願いましょうか」
山「えゝお屋敷も御大藩ごたいはんでげすから、御家来衆もさぞ多い事でございましょうが、御指南番は何方どなたでげすえ」
[#「久」は底本では「山」]「なに杉村内膳すぎむらないぜんと云って、一刀流ではまア随分えらい者だという事で」
山「へえ成程杉村内膳、柔術やわらは……うん成程澁川流しぶかわりゅう小江田こえだというのが御指南番で、成程あれは老人だが余程よっぽど澁川流の名人という事を聞きました…成程して強い御家来衆も有る事でげしょうなア」
久「沢山ある上に其の上にも/\と抱えるのは、全体殿様が武張っていらっしゃるので、武芸の道が何よりもおすきでなア、先年此の常陸ひたち土浦つちうらの城内へお抱えに成りました者が有りまして、これは元修行者しゅぎょうじゃだとか申す事だが、余程よっぽど力量の勝れた者で、のくらい力量が有るか分らぬという事で」
山「はゝア大した力量の有る者をお抱えに成りましたな」


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

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