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幕末維新懐古談(ばくまついしんかいこだん)07 彫刻修業のはなし

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-15 7:12:11  点击:  切换到繁體中文

底本: 幕末維新懐古談
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1995(昭和30)年1月17日
入力に使用: 1997(平成9)年5月15日第6刷
校正に使用: 1995(平成7)年1月17日第1刷


底本の親本: 光雲懐古談
出版社: 万里閣書房
初版発行日: 1929(昭和4)年1月

 

早速彫らされることになる――
 この話はしにくい。が、まず大体を話すとすると、最初は「割り物」というものを稽古けいこする。これはいろいろの紋様を平面の板に彫るので工字紋こうじもん、麻の葉、七宝、雷紋らいもんのような模様を割り出して彫って行く。これは道具を切らすまでの手続き。それが満足に出来るようになると、今度は大黒だいこくの顔です。これがなかなか難儀であって、木の先へ大黒天の顔を彫って行くのであるが、円満福徳であるべきはずの面相が馬鹿に貧相になったり、笑ったようにと思ってやると、かえって泣いたような顔になる。なかなかうまく行かない。繰り返し繰り返し、旨く行くまで彫らされる。彫るものの身になると、まことつらい。肥えさせればぼてるし、せさせれば貧弱になる。思うようには到底とてもならないのを、根気よく毎日毎晩コツコツとやっているうちに、どうやら、おしまいには大黒様らしいものが出来て来ます。
 と、今度は蛭子えびす様――これは前に大黒の稽古が積んで経験があるから、いくらか形もつく。大黒が十のものなら五つで旨く行って、まずそれでお清書せいしょは上がるのです。
 すると、三番目の稽古に掛かるのが不動様の三尊である。不動様は今日でもそうであるが、その頃は、一層成田なりたの不動様が盛んであったもので、不動の信者が多い所から自然不動様が流行はやっている。不動様はまず矜羯羅童子こんがらどうじから始めます。これは立像りゅうぞうで、手にはちすを持っている。次が※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)迦童子せいたかどうじ、岩に腰を掛け、片脚かたあしを揚げ、片脚を下げ、ねじり棒を持っている。この二体が出来て来ると、次は本体の不動明王を彫るのです。
 次は三体に対する岩を彫る。次は火焔かえんという順序で段々と攻めて行くのである。この不動様の三尊を彫り上げるということは彫刻の稽古としては誠に当を得たものであって、この稽古中に腕もめきめき上がって行くのです。それはそのはずであって、この三体のうちには仏の種々相が含まれているからです。矜羯羅が柔和で立像、制※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)迦が岩へ「踏み下げ」て忿怒ふんぬの相、不動の本体は安座あんざであって、片手が剣、片手が縛縄ばくなわ天地眼てんちがんで、岩がある。岩の中央に滝、すなわち水の形を示している。後は火焔で火の形である。ですから、これで立像も分る。「踏み下げ」も分る。安坐も会得えとくする。柔和忿怒の相から水火の形という風に諸々の形象が含まれているのであるから、調法というはおかしいが、材料としてはまことに適当であります。しかし、この不動三尊をまとめ上げるには容易なことではなく、三、四年の歳月はっていて、私の年齢も、もう十六、七になっている。話しではいかにも速いがあたまや腕はそう速く進むものでない。修行盛りのこと故、一心不乱となって勉強をしたものです。

 さて、それから仏師となるには、仏師一通りのことは出来ねばなりません。まずその一通りというところを話して行くと、第一に如来にょらいです。
 如来は、如実の道に乗じて、きたって正覚しょうがくを成す、とある通り仏の最上美称であって、阿弥陀あみだ釈迦しゃか薬師やくし大日だいにちなどをいうのであります。如来が一番むずかしいものとなっている。仏工は古来より阿弥陀如来の立像と、地蔵菩薩じぞうぼさつの立像をむつかしい物の東西の大関にたとえてある。
 次に菩薩、これは大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至せいし文殊もんじゅ普賢ふげん虚空蔵こくぞうなどある。それから天部てんぶという。これは梵天ぼんてん帝釈たいしゃく、弁天、吉祥天きっしょうてん等。次は怒り物といって忿怒の形相をした五大尊、四天、十二神将じんしょうの如き仏体をいう。諸仏の守護神です。それから僧分の肖像、たとえば弘法大師、日蓮上人にちれんしょうにんのような僧体である。一々話して行けば実に数限りもないことです。余は略します。

 それから、また、本体に附属した後光がある。ふな後光の正式は飛天光という。天人と迦陵頻伽かりょうびんが、雲をもって後光の形をなす。その他雲輪光うんりんこう、輪後光、ひごの光明(これは来迎仏らいごうぶつなどに附けるもの)等で各々真行草しんぎょうそうがあります。余は略す。
 台坐には、十一坐、九重ここのえ坐、七重ななえ坐、蓮坐、荷葉かよう坐、多羅葉たらよう坐、いわ坐、雲坐、須弥しゅみ坐、獅子吼ししく坐、円坐、雷盤らいばん坐等で、壇には護摩壇、須弥壇、円壇等がある。
 天蓋てんがいには、瓔珞ようらく羅網らもう花鬘けまん幢旛どうばん、仏殿旛等。
 厨子ずしは、木瓜ぼけ厨子、正念しょうねん厨子、丸厨子(これは聖天様を入れる)、角厨子、春日かすが厨子、鳳輦ほうれん形、宮殿くうでん形等。
 その他、なお、舎利塔、位牌、如意、持蓮じれん柄香炉えこうろ常花とこはなれい五鈷ごこ、三鈷、独鈷とっこ金剛盤こんごうばん、輪棒、羯麿かつま馨架けいか雲板うんばん魚板ぎょばん木魚もくぎょなど、余は略します。

 前陳の各種を製作するにつき、これに附属する飾り金物かなもの、塗り、金箔きんぱく消粉けしこな彩色さいしき等の善悪よしあしを見分ける鑑識も必要であります。
 まず「飾り」であるが、飾りには、金鍍金めっきと「消し差し」の二つ。箔を焼きつけたものが鍍金で、消粉を焼きつけるのが「消し差し」です。
 金物の彫りの方では、唐草からくさ地彫じぼり、唐草彫り、つる彫り、コックイ(極印ごくいん)蔓などで地はいずれも七子ななこです。
 塗り色にも種々ある。第一が黒の蝋色ろういろである。それから、朱、青漆あおうるし、朱うるみ、ベニガラうるみ、金白檀びゃくだん塗り、梨子地なしじ塗りなど。梨子地には、焼金やききん小判こばん、銀、すず、鉛(この類は梨子地の材料で金と銀とはちょっと見て分り兼ねる)。
 塗りにも、塗り方は、堅地かたじ泥地どろじとあって、堅地は砥粉地とぎこじ桐粉地きりこじとあり、いずれもいで下地したじを仕上げるもの。上塗うわぬりは何度も塗って研磨して仕上げるものです。泥地は胡粉ごふんにかわで下地を仕上げ、漆で塗ったまま仕上げ、研がないのです。泥地でも上物じょうものは中塗りをします。
 箔にも種類があって、一つの製品を金にするにも金箔を使うのと、同じ金であっても、金粉をいて金にするのと二色ふたいろある。
 箔についても、濃色こいろがあり、色吉いろよしがある。中色なかいろ、青箔、常色つねいろ等がある。その濃色は金の位でいうとヤキきんに当る。色吉が小判で、十八金位に当る。それから段々十二金、九金というように銀の割が余計になって来る。
 箔の大きさは普通三寸三分、三寸七分、四寸である。厚さにも二枚け、三枚掛けと色々ある。これは私が仏師になった時代のことだが、今日こんにちではいろいろの大きさの箔が出来ていて調法になっています。
 彩色にも、いろいろあります。極彩色、生け彩色、俗にいう桐油とうゆ彩色など。その彩色に属するもので、細金ほそがねというのがある。これは細金で模様を置くのである。くとはいえない。それから金泥で細金の如く模様を描くのがあります。
 極彩色はやっぱり絵画と同じ行き方で、胡粉で白地に模様を置き上げ、金にする所は金にして彩色にかかる。生け彩色は一旦いったん塗って金箔を置いて、見られるようになった時、牡丹ぼたんなら牡丹の色をさす。葉は葉でいろどり、金を生かして、彩色をよいほどに配して行く。これはなかなか好い工夫のものです。
 桐油彩色は、雨にぬれても脱落はげないように、密陀油みつだゆに色を割って、赤、青と胡粉を割ってやるのです。余りえないものだが、外廻りの雨の掛かる所、殿堂なら外廓に用いられる。





底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
   1997(平成9)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:山田芳美
校正:土屋隆
2006年1月15日作成
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