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帰去来(ききょらい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-19 7:04:46  点击:  切换到繁體中文


 三十歳のお正月に、私は現在の妻と結婚式を挙げたのであるが、その時にも、すべて中畑さんと北さんのお世話になってしまった。当時、私はほとんど無一文といっていい状態であった。結納金ゆいのうきんは二十円、それも或る先輩からお借りしたものである。挙式の費用など、てんで、どこからも捻出ねんしゅつの仕様が無かったのである。当時、私は甲府市に小さい家を借りて住んでいたのであるが、その結婚式の日に普段着のままで、東京のその先輩のお宅へ参上したのである。その先輩のお宅で嫁と逢って、そうして先輩から、おさかずきを頂戴して、嫁を連れて甲府へ帰るという手筈てはずであった。北さん、中畑さんも、その日、私の親がわりとして立会って下さる事になっていた。私は朝早く甲府を出発して、昼頃、先輩のお宅へ到着した。私は本当に、普段着のままで、散髪もせず、はかまもはいていなかった。着のみ着のままの状態だったし、懐中も無一文に近かった。先輩は書斎で静かにお仕事をして居られた。(先輩というのは、実は○○先生なのだが、○○先生は、小説や随筆にお名前を出されるのを、かねがねとてもいやがって居られるので、わざと先輩という失礼な普通名詞を使用するのである。)先輩は、結婚式も何も忘れてしまっているような様子であった。原稿用紙を片づけながら、庭の樹木の事など私に説明して聞かせた。それから、ふっと気がついたように、
「着物が来ている。中畑さんから送って来たのだ。なんだか、いい着物らしいよ。」と言った。
 黒羽二重の紋服一かさね、それに袴と、それから別に絹のしまの着物が一かさね、少しも予期していないものだった。私は、呆然ぼうぜんとした。ただその先輩から、結婚のしるしの盃をいただいて、そうして、そのまま嫁を連れて帰ろうと思っていたのだ。やがて、中畑さんと北さんが、笑いながらそろってやって来た。中畑さんは国民服、北さんはモーニング。
「はじめましょう、はじめましょう。」と中畑さんは気が早い。
 その日の料理も、本式の会席膳でたいなども附いていた。私は紋服を着せられた。記念の写真もうつした。
「修治さん、ちょっと。」中畑さんは私を隣室へ連れて行った。そこには、北さんもいた。
 私を坐らせて、それからお二人も私の前にきちんと坐って、そろってお辞儀をして、
「今日は、おめでとうございます。」と言った。それから中畑さんが、
「きょうの料理は、まずしい料理で失礼ですが、これは北さんと私とが、修治さんのために、まかなったものですから、安心してお受けなさって下さい。私たちも、先代以来なみなみならぬお世話になって居りますから、こんな機会に少しでもお報いしたいと思っているのです。」と、真面目に言った。
 私は、忘れまいと思った。
「中畑さんのお骨折りです。」北さんは、いつでも功を中畑さんにゆずるのだ。「このたびの着物も袴も、中畑さんがあなたの御親戚をあちこち駈け廻って、ほうぼうから寄附を集めて作って下さったのですよ。まあ、しっかりおやりなさい。」
 その夜おそく、私は嫁を連れて新宿発の汽車で帰る事になったのだが、私はその時、洒落しゃれや冗談でなく、懐中に二円くらいしか持っていなかったのだ。お金というものは、無い時には、まるで無いものだ。まさかの時には私は、あの二十円の結納金の半分をかえしてもらうつもりでいた。十円あったら、甲府までの切符は二枚買える。
 先輩の家を出る時、私は北さんに、「結納金を半分、かえしてもらえねえかな。」と小声で言った。「あてにしていたんだ。」
 その時、北さんは実に怒った。
「何をおっしゃる! あなたは、それだから、いけない。なんて事を考えているんだ。あなたは、それだから、いけない。少しも、よくなっていないじゃないですか。そんな事を言うなんて、まるでだめじゃないですか。」そう言って御自分の財布から、すらりすらりと紙幣を抜き取り、そっと私に手渡した。
 けれども新宿駅で私が切符を買おうとしたら、すでに嫁の姉夫婦が私たちの切符(二等の切符であった)を買ってくれていたので、私にはお金が何もらなくなった。
 プラットホームで私は北さんにお金を返そうとしたら、北さんは、
「はなむけ、はなむけ。」と言って手を振った。綺麗きれいなものだった。
 結婚後、私にも、そんなに大きい間違いが無く、それから一年経って甲府の家を引きはらって、東京市外の三鷹みたか町に、六畳、四畳半、三畳の家を借り、神妙に小説を書いて、二年後には女の子が生れた。北さんも中畑さんもよろこんで、立派な産衣うぶぎを持って来て下さった。
 今は、北さんも中畑さんも、私にいて、やや安心をしている様子で、以前のように、ちょいちょいおいでになって、あれこれ指図さしずをなさるような事は無くなった。けれども、私自身は、以前と少しも変らず、やっぱり苦しい、せっぱつまった一日一日を送り迎えしているのであるから、北さん中畑さんが来なくなったのは、なんだかさびしいのである。来ていただきたいのである。昨年の夏、北さんが雨の中を長靴はいて、ひょっこりおいでになった。
 私は早速、三鷹の馴染なじみのトンカツ屋に案内した。そこの女のひとが、私たちのテエブルに寄って来て、私の事を先生と呼んだので、私は北さんの手前もありはなはだ具合いのわるい思いをした。北さんは、私の狼狽ろうばいに気がつかない振りをして、女のひとに、
「太宰先生は、君たちに親切ですかね?」とニヤニヤ笑いながら尋ねるのである。女のひとは、まさかその人は私の昔からの監督者だとは知らないから、「ええ、たいへん親切よ」なぞと、いい加減のふざけた口をきくので私は、ハラハラした。その日、北さんは、一つの相談を持って来たのである。相談というよりは、命令といったほうがよいかも知れない。北さんと一緒に故郷の家を訪れてみないかというのである。私の故郷は、本州の北端、津軽平野のほぼ中央にる。私は、すでに十年、故郷を見なかった。十年前に、る事件を起して、それからは故郷に顔出しのできない立場になっていたのである。
「兄さんから、おゆるしが出たのですか?」私たちはトンカツ屋で、ビイルを飲みながら話した。「出たわけじゃ無いんでしょう。」
「それは、兄さんの立場として、まだまだ、ゆるすわけにはいかない。だから、それはそれとして、私の一存であなたを連れて行くのです。なに、大丈夫です。」
「あぶないな。」私は気が重かった。「のこのこ出掛けて行って、玄関払いでも食わされて大きい騒ぎになったら、それこそ藪蛇やぶへびですからね。も少し、このまま、そっとして置きたいな。」
「そんな事はない。」北さんは自信満々だった。「私が連れて行ったら、大丈夫。考えてもごらんなさい。失礼な話ですが、おくにのお母さんだって、もう七十ですよ。めっきり此頃このごろ、衰弱なさったそうだ。いつ、どんな事になるか、わかりやしませんよ。その時、このままの関係でいたんじゃ、まずい。事がめんどうですよ。」
「そうですね。」私は憂鬱だった。
「そうでしょう? だから、いま此の機会に、私が連れて行きますから、まあ、お家の皆さんにって置きなさい。いちど逢って置くと、こんど、何事が起っても、あなたも気易くお家へ駈けつけることが出来るというものです。」
「そんなに、うまくいくといいけどねえ。」私は、ひどく不安だった。北さんが何と言っても、私は、この帰郷の計画に就いては、徹頭徹尾悲観的であった。とんでもない事になるぞという予感があった。私は、この十年来、東京に於いて実にさまざまの醜態しゅうたいをやって来ているのだ。とても許されるはずは無いのだ。
「なあに、うまくいきますよ。」北さんはひとり意気軒昂けんこうたるものがあった。「あなたは柳生やぎゅう十兵衛のつもりでいなさい。私は大久保彦左衛門の役を買います。お兄さんは、但馬守たじまのかみだ。かならず、うまくいきますよ。但馬守だって何だって、彦左の横車には、かないますまい。」
「けれども、」弱い十兵衛は、いたずらに懐疑的だ。「なるべくなら、そんな横車なんか押さないほうがいいんじゃないかな。僕にはまだ十兵衛の資格はないし、下手へたに大久保なんかが飛び出したら、とんでもない事になりそうな気がするんだけど。」
 生真面目で、癇癖かんぺきの強い兄を、私はこわくて仕様がないのだ。但馬守だの何だの、そんな洒落しゃれどころでは無いのだ。
「責任を持ちます。」北さんは、強い口調で言った。「結果がどうなろうと、私が全部、責任を負います。大舟に乗った気で、彦左に、ここはまかせて下さい。」
 私はもはや反対する事が出来なかった。
 北さんも気が早い。そのあくる日の午後七時、上野発の急行に乗ろうという。私は、北さんにまかせた。その夜、北さんと別れてから、私は三鷹のカフェにはいって思い切り大酒を飲んだ。
 翌る日午後五時に、私たちは上野駅で逢い、地下食堂でごはんを食べた。北さんは、麻の白服を着ていた。私は銘仙めいせん単衣ひとえ。もっとも、かばんの中にはつむぎの着物と、はかまが用意されていた。ビイルを飲みながら北さんは、
「風向きが変りましたよ。」と言った。ちょっと考えて、それから、「実は、兄さんが東京へ来ているんです。」
「なあんだ。それじゃ、この旅行は意味が無い。」私はがっかりした。
「いいえ。くにへ行って兄さんに逢うのが目的じゃない。お母さんに逢えたら、いいんだ。私はそう思いますよ。」
「でも、兄さんの留守るすに、僕たちが乗り込むのは、なんだか卑怯ひきょうみたいですが。」
「そんな事は無い。私は、ゆうべ兄さんに逢って、ちょっと言って置いたんです。」
「修治をくにへ連れて行くと言ったのですか?」
「いいえ、そんな事は言えない。言ったら兄さんは、北君そりゃ困るとおっしゃるでしょう。内心はどうあっても、とにかく、そうおっしゃらなければならない立場です。だから私は、ゆうべお逢いしても、なんにも言いませんよ。言ったら、ぶちこわしです。ただね、私は東北のほうにちょっと用事があって、あすの七時の急行で出発するつもりだけど、ついでに津軽のお宅のほうへ立寄らせていただくかも知れませんよ、とだけ言って置いたのです。それでいいんです。兄さんが留守なら、かえって都合がいいくらいだ。」
「北さんが、青森へ遊びに行くと言ったら、兄さん喜んだでしょう。」
「ええ、お家のほうへ電話してほうぼう案内するように言いつけようとおっしゃったのですが、私は断りました。」
 北さんは頑固がんこで、今まで津軽の私の生家へいちども遊びに行った事がないのである。ひとのごちそうになったり世話になったりする事は、極端にきらいなのである。
「兄さんは、いつ帰るのかしら。まさか、きょう一緒の汽車で、――」
「そんな事はない。茶化しちゃいけません。こんどは町長さんを連れて来ていましたよ。ちょっと、手数のかかる用事らしい。」
 兄は時々、東京へやって来る。けれども私には絶対に逢わない事になっているのだ。

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