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八十八夜(はちじゅうはちや)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-22 9:16:59  点击:  切换到繁體中文

諦めよ、わが心、獣(けもの)の眠りを眠れかし。(C・B)




 笠井一(はじめ)さんは、作家である。ひどく貧乏である。このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、呆(ぼ)けてしまった。いまは、何も、わからない。いや、笠井さんの場合、何もわからないと、そう言ってしまっても、ウソなのである。ひとつ、わかっている。一寸(いっすん)さきは闇だということだけが、わかっている。あとは、もう、何もわからない。ふっと気がついたら、そのような五里霧中の、山なのか、野原なのか、街頭なのか、それさえ何もわからない、ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ、とにかく、これは進まなければならぬ。一寸さきだけは、わかっている。油断なく、そろっと進む、けれども何もわからない。負けずに、つっぱって、また一寸そろっと進む。何もわからない。恐怖を追い払い追い払い、無理に、荒(すさ)んだ身振りで、また一寸、ここは、いったいどこだろう、なんの物音もない。そのような、無限に静寂な、真暗闇に、笠井さんは、いた。
 進まなければならぬ。何もわかっていなくても絶えず、一寸でも、五分でも、身を動かし、進まなければならぬ。腕をこまぬいて頭を垂れ、ぼんやり佇(たたず)んでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠(けんたい)に身を任せようものなら、――たちまち玄翁(げんのう)で頭をぐゎんとやられて、周囲の殺気は一時に押し寄せ、笠井さんのからだは、みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには、そう思われて仕方がない。それゆえ、笠井さんは油断をせず、つっぱって、そろ、そろ、一寸ずつ真の闇の中を、油汗流して進むのである。十日、三月(みつき)、一年、二年、ただ、そのようにして笠井さんは進んだ。まっくら闇に生きていた。進まなければならぬ。死ぬのが、いやなら進まなければならぬ。ナンセンスに似ていた。笠井さんも、流石(さすが)に、もう、いやになった。八方ふさがり、と言ってしまうと、これもウソなのである。進める。生きておれる。真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。一寸だけ、進む。危険はない。一寸ずつ進んでいるぶんには、間違いないのだ。これは、絶対に確実のように思われる。けれども、――どうにも、この相も変らぬ、無際限の暗黒一色の風景は、どうしたことか。絶対に、嗟(ああ)、ちりほどの変化も無い。光は勿論(もちろん)、嵐さえ、無い。笠井さんは、闇の中で、手さぐり手さぐり、一寸ずつ、いも虫の如く進んでいるうちに、静かに狂気を意識した。これは、ならぬ。これは、ひょっとしたら、断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、いつとはなしに自滅する酸鼻(さんび)の谷なのではあるまいか。ああ、声あげて叫ぼうか。けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈に依(よ)り、自身の言葉を忘れてしまった。叫びの声が、出ないのである。走ってみようか。殺されたって、いい。人は、なぜ生きていなければ、ならないのか。そんな素朴の命題も、ふいと思い出されて、いまは、この闇の中の一寸歩きに、ほとほと根も尽き果て、五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た。この脱走が、間違っていたら、殺してくれ。殺されても、私は、微笑(ほほえ)んでいるだろう。いま、ここで忍従の鎖を断ち切り、それがために、どんな悲惨の地獄に落ちても、私は後悔しないだろう。だめなのだ。もう、これ以上、私は自身を卑屈にできない。自由!
 そうして、笠井さんは、旅に出た。
 なぜ、信州を選んだのか。他に、知らないからである。信州にひとり、湯河原にひとり、笠井さんの知っている女が、いた。知っている、と言っても、寝たのではない。名前を知っているだけなのである。いずれも宿舎の女中さんである。そうして信州のひとも、伊豆のひとも、つつましく気がきいて、口下手(くちべた)の笠井さんには、何かと有難いことが多かった。湯河原には、もう三年も行かない。いまでは、あのひとも、あの宿屋にいないかも知れない。あのひとが、いなかったら、なんにもならない。信州、上諏訪の温泉には、去年の秋も、下手(へた)くその仕事をまとめるために、行って、五、六日お世話になった。きっと、まだ、あの宿で働いているにちがいない。
 めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残って在る筈(はず)だ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上のひとのように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄(みえ)のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人(おっと)の貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんも、あきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。
 下諏訪まで、切符を買った。家を出て、まっすぐに上諏訪へ行き、わきめも振らずあの宿へ駈け込み、そうして、いきせき切って、あのひと、いますか、あのひと、いますか、と騒ぎたてる、そんな形になるのが、いやなので、わざと上諏訪から一つさきの下諏訪まで、切符を買った。笠井さんは、下諏訪には、まだいちども行ったことがない。けれども、そこで降りてみて、いいようだったら、そこで一泊して、それから多少、迂余曲折(うよきょくせつ)して、上諏訪のあの宿へ行こう、という、きざな、あさはかな気取りである。含羞(がんしゅう)でもあった。
 汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟(らんじゅく)していて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫(はんらん)していた。いったいに、この季節には、べとべと、噎(む)せるほどの体臭がある。
 汽車の中の笠井さんは、へんに悲しかった。われに救いあれ。みじんも冗談でなく、そんな大袈裟(おおげさ)な言葉を仰向いてこっそり呟(つぶや)いた程である。懐中には、五十円と少し在った。
「アンドレア・デル・サルトの、……」
 ばかに大きな声で、突然そんなことを言い出した人があるので、笠井さんは、うしろを振りむいた。登山服着た青年が二人、同じ身拵(みごしら)えの少女が三人。いま大声を発した男は、その一団のリイダア格の、ベレ帽をかぶった美青年である。少し日焼けして、仲々おしゃれであるが、下品である。
 アンドレア・デル・サルト。その名前を、そっと胸のうちで誦してみて、笠井さんは、どぎまぎした。何も、浮んで来ないのだ。忘れている。いつか、いつだったか、その名を、仲間と共に一晩言って、なんだか議論をしたような、それは遠い昔のことだったように思われるけれども、たしかに、あれは問題の人だったような気がするのだが、いまは、なんにもわからない。記憶が、よみがえって来ないのだ。ひどいと思った。こんなにも、綺麗(きれい)さっぱり忘れてしまうものなのか。あきれたのである。アンドレア・デル・サルト。思い出せない。それは、一体、どんな人です。わからない。笠井さんは、いつか、いつだったか、その人に就(つ)いて、たしかに随筆書いたことだってあるのだ。忘れている。思い出せない。ブラウニング。――ミュッセ。――なんとかして、記憶の蔓(つる)をたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶(みもだ)えをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつか、むかし、あのとき、その人に寄せた共感を、ただそれだけを、いま実感として、ちらと再び掴(つか)みたい。けれども、それは、いかにしても、だめであった。浦島太郎。ふっと気がついたときには、白髪の老人になっていた。遠い。アンドレア・デル・サルトとは、再び相見ることは無い。もう地平線のかなたに去っている。雲煙模糊(もこ)である。
「アンリ・ベックの、……」背後の青年が、また言った。笠井さんは、それを聞き、ふたたび頬を赤らめた。わからないのである。アンリ・ベック。誰だったかなあ。たしかに笠井さんは、その名を、嘗(か)つて口にし、また書きしたためたこともあったような気がするのである。わからぬ。ポルト・リッシュ。ジェラルディ。ちがう、ちがう。アンリ・ベック。……どんな男だったかなあ。小説家かい? 画家じゃないか。ヴェラスケス。ちがう。ヴェラスケスって、なんだい。突拍子(とっぴょうし)ないじゃないか。そんなひと、あるかい? 画家さ。ほんとうかい? なんだか、全部、心細くなって来た。アンリ・ベック。はてな? わからない。エレンブルグとちがうか。冗談じゃない。アレクセーフ。露西亜(ロシア)人じゃないよ。とんでもない。ネルヴァル。ケラア。シュトルム。メレディス。なにを言っているのだ。あッ、そうだ、デュルフェ。ちがうね。デュルフェって、誰だい?
 何も、わからない。滅茶苦茶に、それこそ七花八裂である。いろんな名前が、なんの聯関もなく、ひょいひょい胸に浮んで、乱れて、泳ぎ、けれども笠井さんには、そのたくさんの名前の実体を一つとして、鮮明に思い出すことができず、いまは、アンドレア・デル・サルトと、アンリ・ベックの二つの名前の騒ぎではない。何もわからない。口をついて出る、むかしの教師の名前、ことごとくが、匂いも味も色彩もなく、笠井さんは、ただ、聞いたような名前だなあ、誰だったかなあ、を、ぼんやり繰りかえしている仕末(しまつ)であった。一体あなたは、この二、三年何をしていたのだ。生きていました。それは、わかっている。いいえ、それだけで精一ぱいだったのです。生活のことは、少し覚えました。日々の営みの努力は、ひんまがった釘を、まっすぐに撓(た)め直そうとする努力に、全く似ています。何せ小さい釘のことであるから、ちからの容れどころが無く、それでも曲った釘を、まっすぐに直すのには、ずいぶん強い圧力が必要なので、傍目(はため)には、ちっとも派手でないけれども、もそもそ、満面に朱をそそいで、いきんでいました。そうして笠井さんは、自分ながら、どうも、甚(はなは)だ結構でないと思われるような小説を、どんどん書いて、全く文学を忘れてしまった。呆(ぼ)けてしまった。ときどき、こっそり、チエホフだけを読んでいた。その、くっきり曲った鉄釘(かなくぎ)が、少しずつ、少しずつ、まっすぐに成りかけて、借金もそろそろ減って来たころ、どうにでもなれ! 笠井さんは、それまでの不断の地味な努力を、泣きべそかいて放擲(ほうてき)し、もの狂おしく家を飛び出し、いのちを賭(と)して旅に出た。もう、いやだ。忍ぶことにも限度が在る。とても、この上、忍べなかった。笠井さんは、だめな男である。
「やあ、八(やつ)が岳(たけ)だ。やつがたけだ。」
 うしろの一団から、れいの大きい声が起って、
「すげえなあ。」
「荘厳ね。」と、その一団の青年、少女、口々に、駒が岳の偉容を賞讃した。
 八が岳ではないのである。駒が岳であった。笠井さんは、少し救われた。アンリ・ベックを知らなくても、アンドレア・デル・サルトを思い出せなくっても、笠井さんは、あの三角に尖(とが)った銀色の、そうしていま夕日を受けてバラ色に光っているあの山の名前だけは、知っている。あれは、駒が岳である。断じて八が岳では、ない。わびしい無智な誇りではあったが、けれども笠井さんは、やはりほのかな優越感を覚えて、少しほっとした。教えてやろうか、と鳥渡(ちょっと)、腰を浮かしかけたが、いやいやと自制した。ひょっとしたら、あの一団は、雑誌社か新聞社の人たちかも知れない。談話の内容が、どうも文学に無関心の者のそれでは無い。劇団関係の人たちかも知れない。あるいは、高級な読者かも知れない。いずれにもせよ、笠井さんの名前ぐらいは、知っていそうな人たちである。そんな人たちのところへ、のこのこ出かけて行くのは、なんだか自分のろくでもない名前を売りつけるようで、面白くない。軽蔑されるにちがいない。慎しまなければ、ならぬ。笠井さんは、溜息(ためいき)ついて、また窓外の駒が岳を見上げた。やっぱり、なんだかいまいましい。ちえっ、ざまあ見ろ。アンリ・ベックだの、アンドレア・デル・サルトだの、生意気なこと言っていても、駒が岳を見て、やあ八が岳だ、荘厳ねなんて言ってやがる。八が岳は、ね、もっと信濃へはいってから、この反対側のほうに見えるのです。笑われますよ。これは、駒が岳。別名、甲斐駒(かいこま)。海抜二千九百六十六米(メートル)。どんなもんだい、と胸の奥で、こっそりタンカに似たものを呟いてみるのだが、どうもわれながら、栄えない。俗っぽく、貧しく、みじんも文学的な高尚さが無い。変ったなあ、としんから笠井さんは、苦笑した。笠井さんだって、五、六年まえまでは、新しい作風を持っている作家として、二、三の先輩の支持を受け、読者も、笠井さんを反逆的な、ハイカラな作家として喝采(かっさい)したものなのであるが、いまは、めっきり、だめになった。そんな冒険の、ハイカラな作風など、どうにも気はずかしくて、いやになった。一向に、気が跳(はず)まないのである。そうして頗(すこぶ)る、非良心的な、その場限りの作品を、だらだら書いて、枚数の駈けひきばかりして生きて来た。芸術の上の良心なんて、結局は、虚栄の別名さ。浅墓(あさはか)な、つめたい、むごい、エゴイズムさ。生活のための仕事にだけ、愛情があるのだ。陋巷(ろうこう)の、つつましく、なつかしい愛情があるのだ。そんな申しわけを呟きながら、笠井さんは、ずいぶん乱暴な、でたらめな作品を、眼をつぶって書き殴っては、発表した。生活への殉愛である、という。けれども、このごろ、いや、そうでないぞ。あなたは、結局、低劣になったのだぞ。ずるいのだぞ。そんな風(ふう)の囁(ささや)きが、ひそひそ耳に忍びこんで来て、笠井さんは、ぎゅっとまじめになってしまった。芸術の尊厳、自我への忠誠、そのような言葉の苛烈が、少しずつ、少しずつ思い出されて、これは一体、どうしたことか。一口で、言えるのではないか。笠井さんは、昨今、通俗にさえ行きづまっているのである。
 汽車は、のろのろ歩いている。山の、のぼりにかかったのである。汽車から降りて、走ったほうが、早いようにも思われた。実に、のろい。そろそろ八が岳の全容が、列車の北側に、八つの峯をずらりとならべて、あらわれる。笠井さんは、瞳をかがやかしてそれを見上げる。やはり、よい山である。もはや日没ちかく、残光を浴びて山の峯々が幽(かす)かに明るく、線の起伏も、こだわらずゆったり流れて、人生的にやさしく、富士山の、人も無げなる秀抜(しゅうばつ)と較べて、相まさること数倍である、と笠井さんは考えた。二千八百九十九米。笠井さんはこのごろ、山の高さや、都会の人口や、鯛(たい)の値段などを、へんに気にするようになって、そうして、よくまた記憶している。もとは、笠井さんも、そのような調査の記録を、写実の数字を、極端に軽蔑して、花の名、鳥の名、樹木の名をさえ俗事と見なして、てんで無関心、うわのそらで、謂(い)わば、ひたすらにプラトニックであって、よろずに疎(うと)いおのれの姿をひそかに愛し、高尚なことではないかとさえ考え、甘い誇りにひたっていたものであるが、このごろ、まるで変ってしまった。食卓にのぼる魚の値段を、いちいち妻に問いただし、新聞の政治欄を、むさぼる如く読み、支那の地図をひろげては、何やら仔細らしく検討し、ひとり首肯(うなず)き、また庭にトマトを植え、朝顔の鉢をいじり、さらに百花譜、動物図鑑、日本地理風俗大系などを、ひまひまに開いてみては、路傍の草花の名、庭に来て遊んでいる小鳥の名、さては日本の名所旧蹟を、なんの意味も無く調べてみては、したり顔して、すましている。なんの放埒(ほうらつ)もなくなった。勇気も無い。たしかに、疑いもなく、これは耄碌(もうろく)の姿でないか。ご隠居の老爺(ろうや)、それと異るところが無い。
 そうして、いまも、笠井さんは八が岳の威容を、ただ、うっとりと眺めている。ああ、いい山だなあと、背を丸め、顎(あご)を突き出し、悲しそうに眉をひそめて、見とれている。あわれな姿である。その眼前の、凡庸(ぼんよう)な風景に、おめぐみ下さい、とつくづく祈っている姿である。蟹(かに)に、似ていた。四、五年まえまでの笠井さんは、決してこんな人ではなかったのである。すべての自然の風景を、理智に依(よ)って遮断し、取捨し、いささかも、それに溺(おぼ)れることなく、謂わば「既成概念的」な情緒を、薔薇(ばら)を、すみれを、虫の声を、風を、にやりと薄笑いして敬遠し、もっぱら、「我は人なり、人間の事とし聞けば、善きも悪しきも他所事(よそごと)とは思われず、そぞろに我が心を躍らしむ。」とばかりに、人の心の奥底を、ただそれだけを相手に、鈍刀ながらも獅子奮迅(ししふんじん)した、とかいう話であるが、いまは、まるで、だめである。呆然(ぼうぜん)としている。

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