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蛇性の婬(じゃせいのいん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-25 9:17:48  点击:  切换到繁體中文

 くに三輪みわさき大宅竹助おおやのたけすけと云うものがあって、海郎あまどもあまた養い、はた広物ひろものものを尽してすなどり、家ゆたかに暮していたが、三人の小供があって、上の男の子は、父に代って家を治め、次は女の子で大和やまとの方へ嫁入し、三番目は又男の子で、それは豊雄とよおと云って物優しい生れであった。常に都風みやびたる事を好んで、過活心わたらいごころがないので、家の者は学者か僧侶かにするつもりで、新宮しんぐう神奴かんぬし安部弓麿あべのゆみまろもとへ通わしてあった。
 それは九月の末のことであった。豊雄は例によって師匠の許へっていると、東南たつみの空に雲が出て、雨が降って来た。そこで、豊雄は師匠の許で、おおがさを借りてかえったが、飛鳥あすか神社の屋根が見えるようになってから、雨が大きくなって来たので、出入でいりの海郎の家へ寄って雨の小降りになるのを待っていると、「この軒しばし恵ませ給え」と云って入って来た者があった。それは二十歳はたちにはだ足りない美しい女と、十四五の稚児髷ちごまげに結うたともの少女とであった。女は那智なちへ往っての帰りだと云った。豊雄は女の美に打たれて借りて来た傘を貸してやった。女は新宮のほとりに住むあがた真女児まなごと云うものであると云って、その傘をさして帰って往った。
 豊雄はそのあとで、そこの主人の蓑笠みのかさを借りて家へ帰ったが、女のおもかげが忘られないので、そればかり考えているとその夜の夢に女の許へ往った。そこは門も家も大きく、しとみおろしすだれ垂れこめた住居すまいであった。真女児が出て来て、酒や菓子を出してもてなしてくれたので、うれしき酔ごこちに歓会を共にした。豊雄は朝になって女に逢いたくてたまらないので、朝飯もわずに新宮へ往って、県の真女児の家はと云って尋ねたが、何人だれも知った人がなかった。そのうちに午時ひるも過ぎたところで、東の方からかの稚児髷の少女が来た。女の家はぐそこであった。それは門も家も大きく、蔀おろし簾たれこめた夢の中に見たのとすこしもかわらない家であった。少女が入って往って、「傘の主もうで給うをいざない奉る」と云うと、真女児が出て来て、南面みなみおもてへやに豊雄をあげた。板敷の間に床畳とこだたみを設けた室で、几帳御厨子きちょうみずしかざり壁代かべしろの絵なども皆古代のもので、なみの人の住居ではなかった。真女児は豊雄に御馳走ごちそうした。真女児はじぶんはこの国の受領の下司しもづかさあがた何某なにがしが妻であったが、この春夫が歿くなったので、力と頼むものもない。「昨日きのうの雨のやどりの御恵に、まことある御方おんかたにこそとおもう物から、今よりのちよわいをもて、御宮仕おんみやづかえし奉らばや」と云った。豊雄は元より願うところであるが、「親兄弟おやはらからに仕うる身の、おのが物とては爪髪そうはつの外なし、何をろくに迎えん便たよりもなければ」と云った。真女児は貴郎あなたが時どきここへ来ていっしょにいてくれるならいいと云って、金銀こがねしろがねを餝った太刀を出して来て、これはさきの夫の帯びていたものだと云ってくれた。
 豊雄は真女児に是非泊ってゆけと止められたが、家へ無断で泊ってはしかられるから、明日の晩泊ってもかまわないようにして来ると云って帰って来たが、朝になって兄の太郎たろうは、地曳網じびきあみのかまえをするつもりで、外へ出ようと思って豊雄の閨房ねやの前を通りながら見ると、豊雄の枕頭まくらもとに置いた太刀が消えのこりともしびにきらきらと光っていた。太郎は驚いて聞くと、某人さるひとからもらったものだと云った。父親も聞きつけてそこへ来、母親も来て詮議せんぎすると、直接それを云うは恥かしいと云うので、太郎の妻がそれを聞くことになった。そこで、豊雄が真女児のことを云うと、あによめは、「男子おのこのひとり寝し給うが、かねていとおしかりつるに、いとよきことぞ」と云ってその太郎に豊雄に女のできたことを話した。太郎はまゆひそめて、「この国のかみの下司に、県の何某と云う人を聞かず、我家保正おさなればさる人の亡くなり給いしを聞えぬ事あらじを」と云っての太刀をくわしく見て驚いた。それは都の大臣殿おおいどのから熊野権現くまのごんげんに奉ったもので、そのころ盗まれた神宝かんだからの一つであった。父親は太郎からそれを聞いて、「他よりあらわれなば、この家をもたやされん、みおやため子孫のちの為には、不孝の子一人おしからじ、あすは訴えでよ」と云って大宮司だいぐじもとへ訴えさした。大宮司の許へ来て盗人の詮議をしていたすけきみ文室広之ぶんやのひろゆきは、武士十人ばかりをやって豊雄を捕えさした。
 豊雄は涙を流して身の明しを立てようとした。助の君はそこで豊雄を道案内にして、武士を真女児の家へやった。大きな家ではあるが、門の柱もち、のきかわらも砕けて、人の住んでいるような所ではなかった。豊雄は驚いた。武士は付近の者を呼んで、「県の何某がのここにあるはまことか」と云うと、鍛冶かじの老人が出て、「この家三とせばかり前までは、村主すぐりの何某という人のにぎわしくて住侍すみはべるが、筑紫つくし商物あきもの積みてくだりし、その船行方ゆくえなくなりてのちは、家に残る人も散々ちりぢりになりぬるより、絶えて人の住むことなきを、この男のきのうここに入りて、ややして帰りしをあやしとてこの漆師ぬしおじが申されし」と云った。とにかく内を見極めようと云って、門を開けて入って探していると、ちりの一寸ばかりも積ったへやの中に古きとばりを立てて花のような女が一人いたが、武士が入って往くと大きな雷が鳴って、それとともに女の姿は見えなくなった。室の中を見ると、狛錦こまにしきくれあや倭文しずり※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)かとりたてほこゆきくわなどのの盗まれた神宝があった。
 そこで豊雄の大盗だいとうの疑いは晴れたが、神宝を持っていた罪は免がれることができないので、牢屋ろうやに入れられていたのを、豊雄の父親と兄の太郎が賄賂わいろを用いたので百日ばかりでゆるされた。豊雄は知った人に顔を見られるのが恥かしいので、大和の姉の許へ往った。その姉の家は泊瀬寺はつせでらに近い石榴市つばいちと云う所にあって、御明灯心みあかしとうしんの類を売っていた。某日あるひ豊雄が店にいると、都の人の忍びのもうでと見えて、いとよろしき女が少女を伴れて薫物たきものを買いに来た。少女は豊雄を見て、「吾君わがきみのここにいますは」と云った。それは真女児の一行であった。豊雄は、「あな恐し」と云って内に隠れた。女は豊雄を追って往って、「君公庁おおやけに召され給うと聞きしより、かねてあわれをかけつる隣のおきなをかたらい、とみに野らなる宿やどのさまをこしらえ、我をとらんずときに鳴神なるかみ響かせしは、まろやが計較たばかりつるなり」と云い、神宝のことに関しては、「何とての盗み出すべき、さきつまよからぬ心にてこそあれ」と云った。姉夫婦は真女児のことばに道理があるので疑いを晴らして、「さるためしあるべき世にもあらずかし、はるばるとたずねまどい給う御心おんこころねのいとおしきに、豊雄うけがわずとも、我々とどめまいらせん」と云って、豊雄のそばに置き、そのうちに豊雄にすすめて結婚さした。
 三月になって一家の者が野遊びに往くことになった。真女児は、「我身おさなきより、人おおき所、あるいは道の長手ながてをあゆみては、必ず気のぼりてくるしきやまいあれば、従駕ともにぞ出立いでたちはべらぬぞいとうれたけれ」と云うのを無理に伴れて往った。そして、何某なにがしの院に往き、滝の傍を歩いて往ったところで、髪は績麻うみそをつかねたような翁が来て、「あやし、この邪神あしきかみ、など人をまどわす」と云うと、真女児と少女は滝の中に飛び込んだが、それと共に雲は摺墨するすみをうちこぼしたるごとく、雨はしのを乱して降って来た。翁はあわてて惑う人々を案内して人家のある所まで伴れて往ってくれた。翁は当麻たぎま酒人きびとと云う神奴かんぬしの一人であった。翁は豊雄に向って、「邪神は年経としへたるおろちなり、かれがさがみだらなる物にて、牛とつるみてはりんを生み、馬とあいては竜馬りゅうめを生むといえり、このまどわせつるも、はた、そこの秀麗かおよきたわけたると見えたり」と云っていましめた。
 豊雄は夢のさめたようになって紀の国へ帰った。一家の者は豊雄がこんな目に逢うのも独りであるからだと云って、妻になる女を探していると、柴の里の庄司しょうじの一人女子むすめで、大内おおうち采女うねめにあずかっていたのが婿を迎えることになり、媒氏なこうどをもって豊雄の家へ云って来た。豊雄の家でも喜んで約束をしたので、庄司の家では女子むすめを都へ迎いにやった。その女子の名は富子とみこ、やがて富子が都から帰って来ると、豊雄はその家に迎えられたが、二日目の夜になって、豊雄はよきほどに酔って、「年来としごろ大内住うちずみに、辺鄙いなかの人ははたうるさくまさん、かのおんわたりにては、何の中将、宰相などいうに添いぶし給うらん、今更にくくこそおぼゆれ」などと云ってたわむれかかると、富子は顔をあげて「古きちぎりを忘れ給いて、かくことなる事なき人を時めかし給うこそ、こなたよりましてにくくなれ」と云ったが、その声は真女児の声であった。豊雄はわなわなとふるえた。「他人あだしひとのいうことをまことしくおぼして、あながちに遠ざけ給わんには、恨みむくいん、紀路きじの山々さばかり高くとも、君が血をもて峰[#「峰」は底本では「蜂」]より谷にそそぎくださん」と怪しき声は云った。「吾君いかにむつかり給う、こうめでたき御契おんちぎりなるは」と云って屏風びょうぶのうしろから出て来たのはの少女であった。
 翌日になって豊雄は閨房ねやから逃げ出して庄司に話した。庄司は熊野詣くまのもうでに年々来る鞍馬寺くらまじの法師に頼んで怪しい物をとらえてもらうことにした。鞍馬法師は雄黄ゆおういて小瓶こびんに入れ、富子の閨房へ往ってみると、枯木のようなつのの生えた雪のように白い蛇が三尺あまりの口を開け、くれないの舌を吐いてへやの中一ぱいになっていた。法師は驚いて気絶したがとうとう死んでしまった。
 豊雄が往ってみると美しい富子となっていた。豊雄はじぶんのために人に迷惑をかけてはすまないから、己は怪しいものの往くところにいて往くと云った。庄司はそれをとめて、小松原こまつばら道成寺どうじょうじへ往って法海和尚ほうかいおしょうに頼んだ。法海和尚は「今は老朽ちて、しるしあるべくもおぼえはべらねど、君が家のわざわいもだしてやあらん」と云って芥子けしのしみた袈裟けさりだして、「かれをやすくすかしよせて、これをもてかしら打被うちかずけ、力を出して押しふせ給え、手弱たよわくあらばおそらくは逃去らん」と云った。庄司は喜んで帰って、その袈裟をそっと豊雄にわたした。豊雄は富子の閨房へ往ってすきを見て、袈裟をせ、力をきわめて押しふせた。そこへ法海和尚のかごが来た。和尚は何か念じながら豊雄を退かして袈裟をってみると、そこには富子がぐったりとなっている上に三尺ばかりの白い蛇がとぐろをまいていた。和尚はそれを捉えて弟子が捧げている鉄鉢てつばちに入れたあとで、又念じていると屏風のうしろから一尺ばかりの小蛇こへびが這いだして来た。和尚はそれも捉えて鉄鉢にいっしょに入れ、の袈裟を上からかけて封をし、それを携えて帰りかけたので、豊雄はじめ一家の者はをあわせ涙を流して見送った。そして、寺に帰った和尚は、本堂の前を深く掘らせて、の鉄鉢を埋めさし、永劫えいごうあいだ世に出ることをいましめたのであった。
 この『蛇性の婬』の話は、上田秋成うえだあきなりの『雨月物語うげつものがたり』の中でも最も傑出したものとせられているが、しかし、これは秋成の創作でなしに支那しなの伝説の翻案である。支那の杭州こうしゅうにある西湖せいこの伝説を集めた『西湖佳話せいこかわ』の中にある『雷峰怪蹟らいほうかいせき』がその原話である。雷峰とは西湖の湖畔にある塔の名で、呉越王妃ごえつおうひ黄氏こうしの建立したものであるが、『雷峰怪蹟』では奇怪な因縁から出来たものとせられている。著者もかつて西湖に遊んで南岸の湖縁こべりそびえ立った五層の高い大きな塔の姿に驚かされた一人である。その西湖には南岸の雷峰塔らいほうとうに対して北岸に保叔塔ほしゅくとうと云うのがある。

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